09.3階のウワサ

「3階なんだけれど、あのフロアはね、夢を視やすいんだ。寝てたお前が何言ってんだ、と思うかもしれないけれど、意識が戻って3日間入院している間にもたくさん夢を視たよ。不穏な夢をね」

「そうなのか? 初耳だな、アメノミヤ奇譚とは無関係だろうか?」

「関係は無いね。全然。3階には人の目にはみえない、淀みのようなものが溜まっているのかも」


 それって、と南雲は口を挟んだ。ホラー話が極まって来たので少し恐くなったのだ。


「蛍火さんに話した方が良いんじゃねぇっすか?」

「いや、伝えはしたよ。けど、青札の蛍火さんも異常を検知出来なかったらしい。つまり、フロアを除霊しても意味が無いという事になるかな」

「ええー……。マジかよ、大丈夫かなミソギ先輩」


 彼女が今、入院している個室も301号室だ。つまり3階。奇しくも雨宮がかつて入院していた場所だ。


 そして、と雨宮の話は自然な流れで隣室――302号室の話へと移った。もともと潜めていた声音を更に小さく低く潜める。


「302号室についてなのだけれど、これに関しては生者の話になるから他言は無用で頼むよ」

「まだ何かあるんすか……」

「そうだね。私は正直こっちの方がゾッとするけれど。以前、私の見舞いに来た同僚がこの間話をしていたのだけれど、どうやらミソギは私の病室に高頻度で見舞いに来ていたらしいね」


 そうだな、と同意を示したのは言うまでも無く十束だ。途中から事情を知った南雲はと言うと、少しふてくされ気味にそっぽを向く。


「ミソギは週に1、2回はお前の病室へ見舞いに行っていたぞ!」

「ああうん、しかも眠っている私へ積極的に話し掛けてくれていたとか。ああ、美しきかな友情ってやつだね」

「それが、どうかしたんすか?」


 ミソギの人物像的に眠って起きない人物に話し掛け続けるなど、それはそれで空恐ろしいものがあるが、どうやら論点はそこではないらしい。なので先輩方に倣って、怖い事実には気付かないふりをした。


「それで、そのミソギの話し声をさ……302号室の患者が、壁に耳を押し当ててずっと聞いていたそうだよ」

「…………え」


 上げかけた絶叫はしかし、十束に思い切り口を押さえられた事で音にはならなかった。身の毛もよだつ事実に鳥肌が立ちっぱなしである。そして同時に、先日の一件を思い出す。


「あ、そういえばミソギ先輩、302号室のお姉さんに手招きされて、俺等っていうか、先輩とはちょっとお話してたんすよね」

「だが、生きている人間の話なんだろう? うーん、一応氷雨の妹という事らしいし、当事者の氷雨自身に話を聞きたいな」

「そうだね。ともかく、彼を捜そうか。話はそれからだ」


 ***


 一方で、ミソギはと言うと樋川結芽と共に病院の出入り口にまで到達していた。徘徊している怪異達は絶叫を上げればわらわらと散っていって、大して力を持った連中では無い事が伺えたが、それにしても心臓に悪い。


 ガラス張りの自動ドアから外の様子を伺う。一応昼間ではあるが、立ち込める雨雲のせいでやや薄暗い。今にも降り出しそうだ。更に人の姿も無ければ、車の行き来も無い。まるで自分と結芽しかこの場に居ないかのような錯覚。

 ――本当に外へ出て良いのだろうか……。

 こんな様子を見せられてしまうと、足を踏み出すのに躊躇してしまう。外に出たところで、状況が改善どころか改悪されるのではないかという暗い思考が拭えない。


 しかし、センターに居ても何も変わらないのもまた事実だ。それどころか、棲み着いた怪異と延々と狭い範囲でイタチごっこを続ける羽目になってしまう事だろう。

 やはり外へ出た方が良いのかも知れない。万が一危険な事になれば、またセンターに戻って来よう。そうしよう。


「結芽さん、外へ出てみようと思うんだけれど、大丈夫ですか?」

「ええ。あなたが行く所ならどこにだって」

「私に選択権を丸投げしてくきますよねちょくちょく……」


 一般人なので仕方無いと言えば仕方無いが、全幅の信頼は居心地が悪い。自分と彼女はそこまで親しい間柄ではないどころか、昨日今日知り合った、最早他人だからだ。


「――まあ、とにかく出てみましょう。何か事態が動くかもしれませんし」

「そうね」


 肯定が返って来る事は分かりきっていたが、そう言わずにはいられなかった。そして予想通りの返答を聞き、ミソギは暗澹とした気持ちで外への第一歩を踏み出した。

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