第2話 十七年前に目にした涙


 小学六年生当時、クラスのリーダー的な存在だった俺。俺は美羽の事が好きだった。クラスで一番強い俺と、一番人気の美羽。誰がどう見ても『お似合い』だ。俺は、そんな状況に満足し、告白するわけでもなく、たまにちょっかいを出したりして笑いあいながら、毎日を過ごしていた。


 ある冬の日、俺は教室の掃除当番をサボって、廊下の流しを掃除している美羽の元へ向かっていた。

 もう掃除はほとんど終わり、みんな校庭や教室に遊びに行こうとしていた。俺が廊下を曲がり、奥の方に流しが見えてくると、美羽の周りに五、六人が群がっていた。

 流しは半分を俺達六年二組が洗い、もう半分を一組が洗うことになっていたのだが、美羽の周りにいるのは一組の連中だ。


「何で勝手に使ってんだよ!」

「そうだよ。お前二組側の石鹸使えばいいだろ!」


「だって……もうないんだもん」


「網の奥にちっちゃい欠片残ってるだろ馬鹿! それでこすって洗えよ!」


 美羽が一組側の石鹸を勝手に使って掃除をしたことによって、モメていたのだ。


「何か言う事あるだろ」

「謝れよ!」


 美羽は泣き出した。今、俺は一人だ。体が大きくてクラスのリーダーとは言っても、相手は六人もいる。しかも別のクラス。怖くなって、泣いている美羽を離れた所からただじっと見ていた。


 突然、俺の隣を誰かが通り過ぎた。ポニーテールにセーターにズボン。背が高い女の子。木村さんだ。ずんずんと大股で一組の奴らに近づいていく。

 そして、木村さんに気付いて振り返った一組のひろしをいきなり拳で殴り飛ばした。クラスで俺の次、ほとんどの男子より背が高い木村さんに思いっきり殴られ、宏はひっくり返るように廊下に倒れた後、ひんひん泣き出した。

 木村さんは黙って踵を返し、こちらに戻ってくる。その時、はっきり俺と目が合った。口をキュッと結んで俺を見つめながら歩く木村さん。木村さんが通り過ぎても、俺は振り返れなかった。

 一組の残りの連中は大声で先生を呼び、美羽は涙を手で拭いながら、俺の方を見ていた。



 帰り、俺はクラスの友達三人と一緒に、靴を履いて外に出た。すると、少し離れたプールの出入り口のあたりで、先生と木村さんを見つけた。


 木村さんはジャンパーとセーターを脱いで先生に渡した。先生はそれを受け取ると、木村さんに平手打ちを喰らわせた。先生は大きな声で怒鳴りつけながら、何度も木村さんの頬を叩いている。


「うわ、やっべー」

 友達の一人がつぶやいた。

「木村さん、何であんなに怒られてんの?」

「あいつ、一組の宏を何もしてないのにいきなり殴ったんだって」

「ウソ、マジ?!」

「マジマジ。だって俺、宏から聞いたもん」


 俺は友達同士の会話を黙って聞いていた。美羽を助けたということを先生は知らないのだろう。恐らく木村さんも先生に伝えていないか、信じてもらえていない。

 先生は、木村さんのセーターとジャンパーを持ったまま何か言い残し、行ってしまった。木村さんは真冬の寒さの中、Tシャツのまま立たされっぱなしだ。

 木村さんは先生がいなくなると、サッと空を見上げた。そして、腕で目を覆い、肩を動かして泣き始めた。


「勇太、帰らないの?」

「早く行こうってば」

 友達に呼ばれて、俺はそのまま家に帰った。


 木村さんの涙を目にしたのは、後にも先にもそれっきりだった。


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