第6話

 ここは県庁の地下一階、若干かび臭い通路の突き当りに大昔から有る喫煙室。昼休みにもなると、肩身の狭いスモーカー達が、コーヒー缶を手にこの喫煙所(シケモクベヤ)に吸い寄せられる。彼らの話題は毎度、各部署のアイドル職員の噂話。ロッカールームでの女子の会話に比べれば可愛いもので、愛と妄想にまみれた他愛も無い内容だ。

 しかし、この週は違った。彼らのアイドルの大スクープが舞い込んだのだ。それは、ブランド戦略課『ロリかおりん』の結婚で、彼らの妄想と嘆きは日々ヒートアップし続けていた……


 そもそも、このニュースが庁内に広まったのは、各課が盆休み明けの気怠い雰囲気に包まれた月曜で、発信源は多分ブランド戦略課の職員だと思われる。


 ニュースが県庁内に行きわたる数時間前、人事課 主査 鈴木一郎(冗談みたいな名前だが、結構笑いをとれるので本人は気に入っている)は、イチ押しアイドル『ロリかおりん』の相談に乗ると言う、天国みたいな仕事に舞い上がっていた。人事課の古臭いドアを開け、甘い香りと共にカウンター前に立つ『ロリかおりん』を目にした途端に、まだ通話中だったにもかかわらず受話器を下ろしてしまうと言う慌てぶり。


「おはようございます、ブランド戦略課の海野です。あの……こちらをお願いしたいのですが」

 かおりんが手にしているのは、申請書類など何やら需要な物のようだった。もちろん直ぐに立ち上がった一郎君、かおりんが一人暮らしでも始めたのかしらん♪ 住所覚えちゃうと僕ストーカー? ちとマズいかな? と、能天気な妄想を膨らませて届け出を手に取った。しかし、一郎君の下心をあざ笑うかの様に、書類にはこう書かれて有った。

 婚姻届受理証明書。そして、住民票・健康保険証・年金手帳・雇用保険証などなど。


『け、け、けっこんッ!?……』

 脳天に鉄アレーを食らった様な衝撃を受けて言葉を失った一郎に、かおりんは心配そうな表情で尋ねる。


「一応調べてこれだけ持ってきましたが、ほかに必要な提出物が有れば教えてください」

「……あ、は、は……い」

 一郎君にしてみれば、口から魂が抜け出たかの様な意気消沈ぶりだ。そして素っ頓狂な声しか出ない。

「はぁぁぁ、あのぅですね。一覧表をお渡ししますので、残りを今週中に提出してください。えっと……へ? あの……かお、じゃなかった、海野さん? 結婚しても海野さんですか?」

「あ、はい、そうなんです」


 ポッ……と頬をバラ色に染め、早くも若妻の色気を醸し出しているかおりんは、もう『ロリかおりん』と呼ぶには眩しすぎる……『若妻かおりん』? いやちと長いな『つまかお?』……などと、一郎くんはもうすでに仕事を放棄している。

 く――っ! かおりんファンと共にこの悲しくもおめでたいニュースを嘆きたいのは山々だが、公務員には守秘義務がある。あぁぁぁぁ……どうしたら良いの??? と、私事と仕事の間で、ジレンマに苦しんでいたのだった。

 しかし、一郎くんの苦悩も虚しく、午後には美人のブランド戦略課長から、たまたま薫の結婚を聞き出した別の『ロリかおりんファン』が、さらに詳しく夫のデータを探し出し出し、同胞どもに伝えた。

 ……という訳で、『ロリかおりん』の夫は、業界の(どこのだ?!)有名人で超金持ち&めちゃイケメンと言う噂に全員が肩を落としたのだった。


 そんな事とはつゆ知らず、薫はその頃、定例会議に出席していた。

『毎年冬に落ち込む観光客をどうすれば増やす事が出来るのか?』と言う副議題を至極真面目に取り上げていたのだが、そこで薫はある意味窮地に立たされたのだった。


「え……アニキャラですか?」

「そう、わが県出身の有名な漫画家に新しいキャラを作って貰い、それを使ってキャンペーンを行うってアイディアなんだけど……」

 商工課のアイディアだ。

「漫画家って、有名どころ居るの?」

「はっ、はいっ。えっとですねぇ……」

 観光課長に尋ねられた発案者が、頭を掻いてPCで検索を始めた。


 30分後……

「いないねぇ……声優ならいるけど、去年散々起用したからなぁ、もう飽きられてるか」

 観光課長の呟きに、末席の若手が手を挙げた。

「あのぉ」


 商工課の新人、ゲーオタ本田圭介22歳だ(一字違いの冗談みたいな名前だが~以下省略)。


「知る人ぞ知る有名人が、ウチの県の出身なんですけど」


 それを聞いた薫は、警戒もせずに『誰だろう?』と興味津々だった。

 期待感ゼロの声で、観光課長が尋ねた。


「誰?」

「海野 雅彦さんです。すっごい精密なイラストからロリ系のアニキャラまで自在な方なんです」


  『ヒィィィィ――』


「ふ――ん、有名なの?」

 ブランド戦略課の二人が凍り付いた事に気が付かない他の出席者は、淡々と会話を継続する。

「はいっ!世界中にファンが居ます!」

「世界中?」


 それまでやる気ゼロだった観光課長が食いついた。

 薫は人知れずため息を付く。それに……さっきから隣の上司の目が痛い。書類を見るふりをして俯いていたが、麗しい上司の肘が腕にツンツン当たって落ち着かない。


「海野さん、もしかしなくても貴女のご主人の事じゃない?」

 小さく頷く薫。

「どうする?」

「どうするって……」

 

 その内、PCで検索した雅彦のイラストが会議に出席した面々に披露され始めると、男どもがどよめいた。


「うぉ、すげ――エロっ」

「うん、まぁ、なんだ。綺麗だね、凄いね」←棒読み


 皆が食いついたイラストを見て、薫は硬直した。かなり遊んで描いたと思われるそれは、猫耳と尻尾を装着した異形の美少女らが精密に描かれたもので、薫の父が目にしたら頭から湯気を出しそうなシロモノだった。または白目を剥くか……


「うそぉ……」


 薫はもうすでに涙目だ。

 オンラインゲームに使用されたキャラなどは普通だが、エロいアニキャラめいたモノが流通しているのは知っていた。しかしこれは……芸術的かつインモラルな面を併せ持った、言うなれば現代の春画と言うべきモノで……

『うわぁ――雅彦さんったら! も――!』

 これを描いた人物が薫の夫だという事が、彼らにバレてしまうのは時間の問題だろう。居たたまれない思いで妙な汗をかきながらも、薫は我慢して会議に参加し続けた。

 これまで、雅彦の仕事を恥ずかしいなどと思った事は一度もない。しかし……提案した本田圭介主事22歳の舌が勢いを増すごとに、薫は穴が有ったら隠れてしまいたい……そんな気持ちになっていった。


「それと、これこれ! ロリ姫ちゃんとか普通にかわいいんですよね。こういうのを使って宣伝すれば、国内外から観光客が集まりますよっ」

「う――ん、そうだなぁ、一度検討してみるか」とりあえず一案ね、と、頭の固い筈の観光課長が意外にも乗り気で会議は終了した。会議室を退出する際には、全然乗り気でない薫の上司へ釘を刺す事も忘れない。


「お宅の農水部長に根回ししといてよ、ウチも上に声かけとくから」

「……はい……」


 ブランド戦略課に戻った薫は、疲れ切ってデスクに突っ伏した。

「はぁ――っ」

「いやまさか、新人君から海野氏の名前が出るとはね」

「はい、まさか、でした。たいして有名じゃないのに」


 薫は謙遜では無く本当にそう思っていた。総本家の仕事場で、美麗なイラストを見せられて、心底『すごい』と思ったが、一般的に知られているとは思っていなかったのだ。ゲームの力恐るべし。


 


 数日後、TOPからの決裁が下りた、悲しい事に、『ロリ姫ちゃん、GO!』だったのだ……その結果を薫はため息とともに受け入れたが、一旦仕事と割り切れば自分が周りにどうみられるか、などは取るに足らない事、やるしかない! そう覚悟を決めていた。


「課長、窓口はいつものように私が致します」

「本当に良いの? 好奇の目に晒されるかもよ」

「……大丈夫です。いずれにしても、アチラが受ければの話ですけど」


 さて、毎度ヘビーな仕事を終え、自宅マンションにたどり着いた薫は今、雅彦と差し向かいで食卓に着いている。今夜は雅彦作のぶっかけうどんだ。香川のうどんと旨い生醤油は割と簡単に手に入るし、雅彦はもしかしなくてもグルメな男なので味に不安は無い。

 マンションの中は引越してまだ1週間目なので少し散らかっている。そこかしこに段ボールが置かれているのは仕方が無い事だ。

 明日から5日間、東京へ行く雅彦は、薫からオフレコ情報を聞かされている最中だ。


「県の観光キャラクター? なんだそれ」


 自分の創り出したキャラがサブカルの中心で神格化されているにも関わらず、雅彦のスタンスはあくまでも日本画家&イラストレーターで、オタク文化にはほとんど興味がない。

 ゲーム業界に身を置いているのも、元はと言えば相棒を探して都内の美大芸大を片っ端からウロついていた天才的プログラマーである今の社長に声を掛けられたからであって、自ら進んで業界に居る訳では無いのだった。

 彼に出会わなければ雅彦は、細々とイラストで日銭を稼ぎながら、ライフワークである日本画を描き続けるという、売れない画家のひとりだったはずだ。


「俺がそれを受けたら薫は嬉しいのか?」

「うっ」


 個人的には嬉しく無いが、仕事としてはかなり有難いかもしれない。どの程度成功するか未知数だが、薫は雅彦の本気のスゴさを知っている。


「雅彦さんが受けてくれたら、全力でキャンペーンに取り組みます。ウスッ!」

「体育会系か?(笑)」

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