第5話

雅彦が薫の両親に正式に挨拶をしたのは、盆に再会してから3日目と言う異様な速さだった。しかし、見初めてから13年と言う年月を考えれば、ずいぶん気が長い男だとも言えるだろう。


「薫さんとの結婚をお許しください」


 断られる気ゼロの気迫で迫られた薫の父 洋三は、雅彦の挨拶を聞いて、情けない事にオロオロと目を泳がせてしまった。

 普段の洋三は県庁の荒くれどもが集まる第一別館四階、土木部の鬼部長として睨みを効かせている偉丈夫だ。しかし一歩家庭に入ると、妻と娘にメロメロの只のおじさんである。

 今回も、全てを把握している妻からは何の予備知識も与えてもらえず、娘が怪我の心配をして早く帰って来たのかと思いきや、いきなり未来の娘婿と対峙させられたのだからたまったものではない。それも従兄の息子なのだから、予想外にも程が有る……為、声が上ずったのは仕方の無い事。


「えっ!? 雅彦くん今何て言ったの? どういう事? か、薫ぅ~お父さんにちゃんと説明して――っ」

 鬼の洋三、形無しだ。


「式はどうするの?」


 夫と違って、この結婚を待ち望んでいた薫の母洋子は喜色満面だ。

「式は別にしなくても……」

 サッサと入籍して一緒に暮らしたいだけの二人は地味婚派だ。しかし、バブルの洗礼を受けている洋子は違う。

「冗談でしょ? 東証一部上場会社の副社長で、海野家本家の総領が式も挙げずに結婚って……それは無いわ」

 薫にしてみれば、耳慣れない(ってか初耳!)単語が母親の口から飛び出したので、かなり戸惑った。


「え、とうしょういちぶじょうじょうって……なに? ふくしゃちょうって……まさひこさん?」

「悪い……言い忘れてた。俺の会社、ほらゲーム作ってるトコ」

「まさひこさんが、ふくしゃちょう、さん?」


 何も知らされていなかった薫は、父と共にカチンコチンの冷凍状態と化した。……なので、母がそこまで知っている事に違和感を感じるのが遅れた。


「うん、名ばかりの……な。簡単な会議とかはスカイプで簡単に済ませてるし、月の1/3ほど会社に出て会議・会合の山をこなしたら、あとは締切を守っていれば、どこで仕事しても良いって事になっている」


聞けば……大学時代の友人に誘われて、面白半分にゲームアプリを作ったのが始まりだそうだ。理系のプログラマーと文系のストーリーテラー、それにビジュアル担当の雅彦を入れた三人は非常に気が合った。会社形態になってからは、別の友人の弁護士や会計士も加わり、現在社員数100人弱、営業利益数十億円の会社に成長しているのだと、かいつまんで教えてくれた。


「その内俺は抜ける予定だ、ほかにやりたい事があるし」


「そうなの?」

「うん」


 雅彦が『抜ける』と言うのなら、それは雅彦にとって正しい事なのだろう。他にやりたい事とは何だろうか? その内教えてくれるのだろうか? ぼんやりと雅彦と見つめ合っていた薫は、なんだか……思い出さないといけない事と言うか、確認しておかないといけない事が有るような気がしてきた。

『何だったっけ?』


 目の前で繰り広げられる、ほの甘い『二人の世界』をぶち壊すのは気が引けたが、頃合いの良い頃に、洋子が声を掛ける。


「そう言えば、住まいはどうするの? 薫の仕事は松山だし、雅彦さんの家まで3時間くらいかかるでしょ」

「あ、松山で家を買います」

  『えっ、えっ? 家買うって……簡単に言うな!』と隣で慄く薫

「そうなのか? ウチに住めば良いのに」

 

 ショックから立ち直った洋三が、ありえない提案をする。


「ううんお父さん、それは無理。だって、私お嫁に行くのに……」

「そ、そ、そうだよな……そうか――薫、家を出るのか(しょんぼり)」

「もうっあなたったら、いつかは嫁に出さないといけないんだから、こんな良い縁談滅多に無いわよ」


 娘の降ってわいたような結婚話に、戸惑いもせず押せ押せモードの母親に、薫は少し違和感を感じた。もうちょっと驚いてくれても良いんじゃない? 大学を卒業した頃、前彼と別れた時もずいぶん残念がったくらいだから、娘の結婚には前向きな母だとは分かっていが、それにしてもあまりにも落ち着いている。

 そう言えば!


「お母さん、なんで雅彦さんの会社の事とか知ってたの? 私に教えてくれなかったし」

「え、そりゃ盆休みの度に実家に帰れば噂は入って来るわよ。それに、律儀に毎年帰省する雅彦さんは、どんどん立派になって来るしね。嫌がって帰ってくれなかったのはドナタさんでしたっけねぇ」

「うっ」


 痛い所を突かれてぐうの音も出ない薫。そんな薫に洋子が畳みかけた。


「それにあなた達、会えば口もきかないし、そのくせ二人とも互いを目で追ってるしね。神戸のお義姉さんにも気づかれちゃって私色々言われてたのよ、どうにかしろって……」


「どうりで!」

 合点がいったと、雅彦はニヤリと笑うが、薫は恥ずかしくて俯いてしまった。年の功か……母親には敵わない。そう思い知った薫だった。

 そんなこんなで……両親の承諾を得た二人は、その日の内に婚姻届けを提出し晴れて夫婦となった。


『入籍した』と従姉の優香にラインで報告すると、

『まぢか? でかした!』と妙な返事が届いた。


 おめでとうとかじゃ無いんだ……と、遠い目の薫。

 雅彦も会社の友人兼社長にラインを送ると、


『今日は4月1日と違うよ~真面目に仕事しようね~(苦笑)』と返って来たそうで、

 結婚を全否定された雅彦の立場は……と、薫はまた遠い目になる。



 急ぎに急いだ結婚。雅彦は念願叶ってかなりのテンションUPだが、はたして薫は本望だったろうか? 無理やり感が拭えない雅彦は、今になって心配になって来た。恋とは雅彦の様な男でさえ不安にさせるものなのか?『泊って行け』と煩い薫の父を振り切って道後のホテルに落ち着いた後、恐るおそる薫に尋ねた。


「な薫、本当に俺の嫁になってよかったか?」

 今更何を……と、これには薫も驚いた。

「だって、ずっと好きだったのに、雅彦さんこそ私で良かったの? って思っちゃいます……よ」

「薫」

 感極まって薫をギュム―と抱きしめる雅彦。抱きしめられて嬉しい薫だが、なんだかあまりにも上手く行き過ぎて怖いくらいだ。それに、誰かの手の上で転がされている感がハンパ無い。夏季休暇をとる前には恋人さえいなかった自分が、初恋の人と入籍をしてしまうなんて……うそみたいだ。

 軽はずみすぎだと神さまに叱られそうだが、好きなのだから仕方が無い。

 

 昨日と今日とで、雅彦に対する薫の認識は随分変わった。今までは乙女の色々な妄想てんこ盛りの『初恋のお兄さん』が今では、『本気になると恐い、引きこもりの若干ヤンデレ絵描き』と言うキワモノに変った。(でも好き)それが……スゴイ会社の副社長だったなんて晴天の霹靂だ。こうなると人の気持ちはおかしなもので、ただの公僕である自分はかなり地味な存在だと卑下したくもなる。

 それに雅彦が立派な肩書を教えてくれなかったのも気になる所だ。

 ……ので、聞いてみた。


「何で黙ってたの? 会社の事」

 

 薫の問いに、雅彦は恥ずかしそうに耳の後ろを掻きつつ答えた。


「一昨日から薫を手に入れるのに必死で、俺会社の事すっかり忘れてた」


 まぢか?!


「会田(あいだ)って、社長兼プログラマーなんだけど、そいつから 今朝の会議すっぽかした事で叱られたし」


 会議をすっぽかす? それは無いわ……と、薫はちょっぴり呆れたのだった。

呆れているうちに、何故か雅彦に後ろから囚われていた。


「えっ、何?」

「いや、ベッドがさっきから気になって」

 ホテルだからベッドは有るだろう。それが何か? と言いたい薫だが、すっかり雅彦はその気になっている。


「あっ、やん。だめっ」


 いとも簡単に胸元を開いた雅彦によって、ずりあがったブラに押さえつけられた乳房は歪み、可哀想な形で顔をのぞかせた。痛くは無いが、なんだか卑猥な行為に思えて薫は落ち着かない。

 頬を上気させて雅彦を見つめる目は潤んで、睨んでいるつもりだろうが、これからの行為を期待している様にしか見えない。


「薫、そそる」

「そっ……」


 雅彦の手に酔わされて、いつの間にかブラが外され……こうなると薫は喘ぐしか無い。そうでなくても雅彦に火をつけられた躰は、先日からとても敏感になっているのだから。痛いくらいの快感が躰の中心に直結し、足は震えて立っていられない。耳朶を噛まれて膝がカクン……と折れた。


「ま、また首っ……」

「服、買うから」


 いや、服の問題じゃ無くて……と言いたいが、薫の口をついて出てくるのは喘ぎ声のみ。


「んっ、あ、やぁ」

「や、じゃないだろ?」

「だって……」

「俺、普段はこんなんじゃ無いんだけどな」


 そう言われても、薫には『普段』が分からないし、雅彦の過去のセックスライフを想像するだけで気分が悪いのでコメントのしようも無い。


「薫相手だと、余裕が無くなって俺止まらない。ごめんよ」


 それを聞いて少し機嫌が直った自分は、かなり嫉妬深いのだと薫は思う。

かくして……薫の夏休みは、6年ぶりの再開から始まり~の、いきなり結婚。そして何よりも、薫を手に入れた嬉しさでタガが外れた雅彦の、深すぎる愛情表現に悩まされつつ嬉しかったりと、かなり忙しいものだった。




 




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