4◆伝説の結末と始まり
「まずいでヤンス」
ただでさえ消耗しているところに、これ以上彼女に負担をかけるわけにはいかない。
そう判断した俺だが、彼女を抱える両手は塞がったままだ。
片手で支えられる腕力などコボルトには望みようもない。
だが鋭利な俺の頭脳は瞬時に解決作をみいだした。
首を傾けると、粘液が付着した箇所に舌を伸ばす。
そして魔力が吸収されるよりも先に、彼女から粘液を舐めとる。
エロリンが「キャッ」と、短い悲鳴をあげるが緊急事態だ。
我慢してもらう以外にない。
患者が痛みを理由に断ったからといって、治療を放棄する医者などいるだろうか。
俺は優先事項を心に決めると「やめて」と願う彼女の言葉を無視し続けた。
キツイ臭いとは裏腹に粘液に毒性がなかったのは幸いだった。
むしろ甘露で力が湧いてくるような錯覚すらおぼえる。
だが、顔を肌に近づけようと首を前に出した分、彼女の身体も傾むいてしまった。
そのせいで鎧の陰に粘液が流れ込んでしまう。
彼女の胸と鎧との間は十分な隙間が残っていた。
おかげで、俺はそこに舌を滑りこませることができた。
俺は彼女を救うため、必死に粘液を舐めとる。
「やだ、そんなとこ……ダメ……もう、お願いだから…………」
彼女は涙目で訴えるが、あと少しだけ、もう少しだけ我慢してもらう。
これは彼女を助けるための、一種の医療行為なのだから。
そして付着した粘液を吸い終わると、思わぬ副作用が俺に現れた。
どうやら粘液をなめると力が湧くというのは、気のせいではなかったようだ。
エロリンの魔力の影響は俺にも効果があるらしい。
いまの分でまた彼女を消耗させてしまったかもしれないが、これなら当分は彼女を抱えていられそうだ。
にしても、モンスターとおなじ回復方法が使えるってことは、やっぱり
そんなことでへこんでいると、エロリンが静かに声をかけた。
「ワン太、もう大丈夫だからおろして」と。
「でも、まだ回復できて……」
「いいからおろしなさいっ」
静かだが、力強い言葉に俺の身体は自動的に従ってしまう。
ひとりで立った彼女は、確かな足取りで聖剣を拾いに歩く。
マントを失って、むき出しになった背中に向かい粘液が射出されるが、エロリンはそれを振り返りもせず回避した。
理由はわからないが、どうやら彼女はワンランク上の力を覚醒させたらしい。
なんにどう覚醒したのかわからないが、幾度となく狙い放たれた粘液が彼女に触れることはなかった。
そして
そしてこれまでにないほどの魔力を聖剣に込めた。
魔力集中のタイミングを機に複数の粘液が同時に彼女に襲いかかるが、それは周囲に張られた不可視のバリアのような障壁が防ぐ。
ちょっと前までできなかったことができるようになっている。
原因はわからないが、確実に彼女はレベルアップしているようだ。
「ようやくわかったの……」
エロリンは独り言のようにつぶやきながら聖剣を天に掲げる。
その姿に俺は唾を飲み込んだ。
掲げた聖剣が禍々しい色を放っているのだ。
「あたしに足りなかったのは決意。
こんな不愉快な世界なんか消滅させたってかまわないっていう決意よ」
狂気すらはらんだ声が響くと、彼女はソレを全力で振りおろす。
「エロリカリバー!!」
新たな力を得た必殺技は、闇を纏いながら紫の壁に激突する。
そしてそれは壁を食らうように浸食し、消し去っていく。
そしてようやく俺たちは、この薄気味悪い空間からの脱出口を得たのだった。
数刻ぶりの外は、すでに夕焼け色に染まっていた。
そしてそのこと以上に俺を絶句させたのは盛りの有様だ。
生い茂っていた木々がが一直線に消失している。
彼女と正反対の位置にいたおかげで被害はなかったが、巻き込まれていたら骨すら残らなかったろう。
エロリンはそんなことにかまわず、うつろな表情のままできたばかりの道を歩く。
その先がどこに続いているのかはわからない。
それでも俺は、落下前に落とした旅の荷物を急いで拾い集め、淡々と足を進めるエロリンの
† † † † †
「なんで、あんなお話になっちゃったんだろう?」
覚醒とともに部屋の明かりがつき始める。
そばに置いておいた眼鏡をかけ、手ぐしで簡単に髪を整えて鏡を確認。
おかっぱで黒髪のあたしは作中のヒロインとは全然似ていない。
しいて似てるところをあげれば胸のあたりだけど……どうしてそんなところだけ合致しているのか。
それにしてもなんだったのだろう、あの内容は?
絶対中学生が体験していいような内容じゃない。
たぶん直前にしたアップデートの影響なんだろうけど、バグでもあったのかな。
エロリンなんて恥ずかしい名前だったし、聖剣に映った顔は信じられないくらい可愛かったけど衣装はハダカ同然で破廉恥だった。
あんなのが聖なる鎧とか考えたヤツは絶対変態だ。
それにゲーム内の登場人物とはいえ男の人のあんなことされちゃうなんて……。
思い出したら、顔が猛烈に熱くなってきた。
「それにしてもワン太くん、変なキャラだったな」
本人(?)は自分は呪いでコボルトみたいな姿にされたって言ってたけど、果たして信用していいものか。
でも、彼がいなかったら
どうやってあの場から抜け出したのか、思い出そうとすると何故か頭痛かするけど、少しは彼を信用してもいいのかな?
だとしたら、呪いが解けた彼の姿ってどんなんだろう?
ひょっとして『美女と野獣』的な展開もあるのかな?
ワン太くんが美男子になる姿なんてまったく想像できないけど。
PCの前に立って、VWシステムが正常稼働しているのを確認する。
そして迷いながらも電子書籍作成のボタンをあたしは押した。
たぶん絶対に公開しないけど、自分で冒険を読み返すくらいはしたいかなと思う。
恥ずかしいけど……、
恥ずかしいけど……、
恥ずかしいけど……、それだけでもなかったし。
とにかく今回の冒険は、ひっこみ思案な自分ではとうていできないような体験だった。
同じ設定で冒険することなんてもうないだろうし、ワン太くんみたいなおかしな
どうやってあの窮地を乗り切ったのかも気になる。
そう思うと、ログを確認しないまま消してしまうことはもったいなかった。
やがて初校版のファイルが完成する。
通常はこれを編集してからWeb公開するのだ。
今回は公開しないけどね。
おそるおそるファイルをクリックすると、霰もない姿で剣を構えるエロリンの姿があった。
添え物のように泣き叫ぶワン太くんの姿も。
タイトルは『エロリンの大冒険』というセンスの欠片もないものになってる。
っていうか、どうしてエロリンなんて変な名前なんだろう?
それはともかく、この表紙はエッチだけどクリックしてくれる人は多そうだなって思う。
もし公開に踏み切れば、たぶん絶対これまでのあたしの
ひょっとしたら人気作家の仲間入りができるかもしれない。
そうすれば前借りしたお小遣いだって補填できる。
だけど、作り物とはいえ嫁入り前の身体をハダカ同然でなめ回されてしまった冒険を全世界に公開なんて絶対できない。
「やっぱり恥ずかしいよ」
表紙をみつめたまま、削除ボタンを押そうとするけど、未練に縛られた指はなかなか動いてはくれなかった。
削除も内容の確認も、できないで表紙をみつめていると、あたしはなにやらとんでもないことに気がついてしまった。
共著として自分以外の見知らぬ人のペンネームが追加されていたのだ。
「えっ、ひょっとしてワン太くんって……?」
視線の動きが挙動不審でどこかリアル男子を想像させるワン太くん。
言動がそれまで登場人物とはまるでちがうワン太くん。
それらはバージョンアップの影響だと思っていたけれど、それ以外の可能性に思い至った。
あわててバージョンアップ内容を確認すると、新たに『共著機能』というものが追加され、デフォルト設定ではそれがオンになっていることが記されていた。
「……嘘だよね?」
たずねても無音のPC画面は返事をしてはくれない。
そして脳味噌を茹らせたあたしは、そのまま執筆ルームで倒れてしまった。
あんな恥ずかしい姿のまま、さらなる冒険へと旅立つ未来が待ってるなんて、これっぽっちも予想しないままに……。
〈To Be Continued?〉
■エロリンの大冒険 ―そして勇姿は綴らるる― HiroSAMA @HiroEX
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