第26話 暁に消える

「兄さん!」


「エミリー!」


 ビンセントが銃剣でエミリー縛っていたロープを切ると、二人は抱き合って互いの無事を喜んだ。

 ロープを切る時にエミリーの胸に少し触れてしまったのはやむを得ない偶然であり、事故である。役得ではない。


「ブルースー。ロープ切るからっておっぱい触ったらだめだよー」


「いえ、ですから銃剣で切る時にやむを得ず……」


 サラとのこんな問答も恒例行事だ。


「……この変態が」


 イザベラが汚物を見るような目を向けてくる。ビンセントの脇は汗でびっしょりと濡れていた。


「背中から切ればよかっただろう! 貴様は脳まできんたまか!」


「すいません、そこまで気が回らず……」


 反論は封じられた。これ以上は何を言われても耐えるしかない。

 やはり悪い事はするべきではなかった。銃剣の切れ味が鈍っていて、なかなか切れなかったのは事実としてもだ。


 悪事は、いつか必ず報いを受けるのだ。哀しみよこんにちは。

 それはそれとして、エミリーの胸はやや小ぶりではあるが、柔らかくて気持ちが良かった。縄を切るために銃剣を動かしている間、僅かに漏れた吐息も耳に残る。

 今夜は思い出してフルバースト不可避だ。


「どうやら、本当にちんこを切り落としたほうが良いらしいな! 脱げ!」


 イザベラはサーベルをビンセントに突きつける。目が本気マジだ。


「ご、ご勘弁を!」


 サラの采配は見事に尽きた。

 カーターが戦車を破壊、イザベラが魔法で敵指揮官の注意を引き付け、人質から離れたところをビンセントが狙撃する、という連携は上手く行った。

 三人の特性を生かした見事な戦術だ。誰一人欠けても上手く行かなかっただろう。


 しかし、ガーランドに弾は当たったが、致命傷には至らなかったらしい。イザベラ同様、防弾のマジックアイテムを装備していた可能性もある。

 部下の兵士に抱えられ、退却していった。

 三台の戦車の残骸は、今も煙を上げている。


 ひとまずは、そう、『ひとまずは』平和が戻ったと言える。


 ◇ ◇ ◇


 夜が明けつつあった。

 しかし、ビンセントの顔は冴えない。

 反乱軍に居所がばれてしまった以上、教会に長居することはできない。すぐにでも敵が援軍を引き連れてやってくるだろう。


 そうすれば、さすがに次は勝てる気がしない。同じ手が通用すると思うのは、あまりにも楽天的過ぎる。必ず何らかの対策を取ってくるだろう。

 極力早く、この場を離れる事が求められた。


「エミリー。カーター」


 イザベラは二人に視線を合わせると化粧ポーチを取り出した。政府のエージェントから渡されたものだ。ポーチごとエミリーに手渡す。


 教会の尖塔は無残にも吹き飛び、二階の窓ガラスは全て割れ、屋根にはいくつも穴が開いている。近くでよく見れば、壁にも無数の小穴が開いているのがわかる。修理には多額の費用が掛かるだろう。


 イザベラ自身、肩と腰に弾を食らっていた。魔法糸で織られたジャケットが無ければ、重傷は免れなかっただろう。高威力の小銃弾なら間違いなく貫通していた。


「巻き込んでしまってすまない。これで教会の修理をしてくれ。何か言ってくる者が居たら、私たちに脅されて無理矢理協力させられた、と言えば良い」


「イザベラさん……」


 サラが呼んでいる。


「イザベラー、ブルースー、行くよー」


 荷物をまとめ、歩きだす。


「待って!」


 エミリーがイザベラに駆け寄った。イザベラを真っ直ぐに見つめる。


「イザベラさん! 私……もう少しフルメントムで頑張ってみます! 弟たちと離れ離れなんて、嫌だもの!」


 エミリーの顔に、もう迷いはない。イザベラは満面の笑みを返した。


 ◆ ◆ ◆


 群青の空は段々と黄金色の朝日に染められていき、農道を歩く三人の姿が小さくなっていく。

 子供たちは元気に手を振り続けた。


「いいの?」


 エミリーがカーターの横顔を見る。彼の視線の先には、遠ざかる友の姿。彼が相棒と呼ぶ男。


「ああ。もうどこにも行かないぜ。大切な人を、仲間を守りたい、オレはそのために身体を鍛え続けたんだからな。お前への恩返しも、まだまだ済んじゃいねぇ」


 カーターは三角筋を強調するポーズを取った。

 三人の声もうは聞こえないが、ビンセントはイザベラに何度も頭を下げている。サラはその周りで跳ね回っていた。


「嘘。黙って行くつもりでしょう?」


「…………」


「今、言ったじゃない。大切な人を、仲間を守りたいって」


「でも、オレは――」


 エミリーはカーターの口を人差し指で押さえた。


「ブルース君は兄さんの相棒でしょ? 行ってらっしゃい。困った友達を、決して放っておかない。最後まで見捨てない。兄さんは、ずっと昔からそう。今度だって私を助けるためにあんな事を……でも」


 エミリーはそこで言葉を切った。カーターの目を真っ直ぐに見つめる。


「私は、そんな兄さんが好きなんだから」


 二人はしばし見つめ合う。

 カーターは、目を細めると頭を掻いた。


「……参ったな。エミリーにそんなふうに言われたんじゃあ、行かない訳にはいかないぜ!」


 カーターは布に包んだ対魔ライフルを担ぐと、足を踏み出す。

 数歩、歩いたところでエミリーを振り返った。


「弟たちを頼む!」


「任せて。……行ってらっしゃい! いつまでも、いつまでも待ってるから!」


 カーターが三人に向かって駆け寄っていく。

 何かを言い合った後、カーターはビンセントの背中を力強く一度叩き、肩を並べて歩きだした。


「ありがとう……兄さん」


 エミリーの瞳から零れ落ちた涙を、風が麦畑に散らしていった。


 ◇ ◇ ◇


「う……うわ~ん!」


 サムが泣き出した。転んで掌を擦りむいたようだ。血が出ている。


「あらあら、サム。泣かないの。強い子でしょ?」


「痛いよぉ……ぐすっ」


 エミリーはサムを抱きしめる。


「大丈夫。お姉ちゃんが、おまじないしてあげるから。ほら、痛いの痛いの、飛んでいけ~」


『エミリーの掌が山吹色に光り』、サムの『傷が消えた』。

 よく効くおまじない。


 ずっと昔、カーターが崖から落ちた時。

 大人たちは留守だった。医者を呼ぶことも叶わない。

 重症を負ったカーターの横で、エミリーは一晩中祈った。

 翌朝、カーターは治っていた。おまじないが効いたのだ。

 それ以来、このおまじないを使うことはなかった。これは、誰も知らない秘密だ。 

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