第9話 不都合な兵士 その三

 最初に戻ったのは、聴覚。炎が爆ぜる音。

 ブルース・ビンセントは目を開く。

 屋敷が大きな音を立てて、盛大に炎上している。辺りはてんやわんやの大混乱だ。


「さーすがイザベラ、容赦ないなー」


 熱風になびく、夏向けの白いワンピースを纏った少女が呟く。


「お目覚めだなー?」


 そして、ビンセントの名を呼ぶ。


「ブルース・ビンセント一等兵」


 ビンセントは上体を起こす。問題なく身体が動くし、痛みも全くない。

 夢でも見ていたのだろうか?


「余計な真似をすればお前もああなる。魔法の威力は知っているな?」


 イザベラと呼ばれた女騎士の、冷たい瞳がビンセントに突き刺さる。

 屋敷に火を着けたのは、彼女の魔法によるものらしい。


「……一体何が……? 何で俺の名を? いや、それよりも……俺は撃たれたはずなのに……?」


 少女はビンセントの正面にしゃがみ手のひらを差し出すと、そこには先端の潰れた弾丸が乗っていた。


「うん、撃たれたなー。痛かったかー? 背中までトンネルになってたもんねー、あれは助からないなー。でも、もう治しちゃったんだー」


 腕時計を見る。紛れもなく今さっきの出来事だ。

 銃で撃たれて数分で完治など、医学的にも生物学的にもあり得ない。


 そう、『科学的に』あり得ないのだ。

 だが、たった一つだけ例外がある。このエイプル王国の国民であれば常識だ。

 何よりも、少女の気になる言葉。


「治しちゃった? 君が? 俺を?」 


 少女は頷くと、両手を突き出す。


「手をこうやってなー、魔法でえ~い、ってなー」


 この四半世紀、科学文明の発達は魔法の利器を、あるいは魔法そのものを尽く時代遅れにしたが、回復魔法だけは代替する科学が未だに存在しない。


 抗生物質の登場やエックス線撮影など、医学も相当に進歩してはいるが、効果は回復魔法の足元にも及ばないのが現状だ。

 なにせ、死んでいなければ治るらしい。


 それに、少女の腰まで届く黒髪。いつも眠そうな三白眼。

 世事に疎いビンセントでも話くらいは聞いたことがある。


「まさか、君は……いや、あなたは……」


 少女は深く頷くと、ビンセントの目を真っ直ぐに見つめた。


「残念だけど、使用済みティッシュは燃やしちゃったんだー。持ち帰ってチューチューさせる訳にはいかないからなー」


「いや、そうじゃなくて」


 イザベラがビンセントにサーベルを突き付けた。


「頭が高い。このお方を誰と心得る!」


 生唾を飲み込むと、ビンセントは口を開いた。


「まさか……サラ王女殿下……?」


 王家の者のみが回復魔法を行使できる。それは、エイプル王国の者は誰もが知っている。

 サラは、エイプル王家最後の生き残りであった。


「そういう事だ。貴様は私に逮捕された容疑者だからな! 動機は裁判で洗いざらい吐いてもらう。しかし、その前に少しばかり手伝ってもらうぞ。拒否は認めん。拒否すればこの場でちんこを切り落とす!」


 ちんこは未使用である。


「そんな、困ります」


「知った事か! 早くしろ! 立て!」


 目の前には女と子供。ビンセントの手には銃。その気になればどうとでもなる。

 しかし、たった二人で行動しているのは不自然だ。何か事情があるのだろう。無いわけがない。


 軍人としては直属の上官の命令のみを聞くべきであるが、この場で逃げて後々問題になっても困る。

 相手は近衛騎士団だ。王家の守護者だ。たとえお飾りであったとしても。

 もちろん容疑は濡れ衣であるし、話せばわかってくれるはずだ。


 王女様には傷を治してもらったし、むさ苦しい男だらけの軍隊生活はもう懲り懲りだ。

 何より相手は絶世の美女。少なくともビンセントにはそう見える。

 下心が無いではないが、塹壕で泥まみれになりながら死を待つよりは遥かに良い。


「……わかりました。何をすれば良いんです?」


「口の利き方に気をつけろ! ちんこを切り落とされたいか!」


 ちんこちんこ言いたいだけではないのか。


 ◆ ◆ ◆


 成り行きとはいえ、死んだ戦友との約束を果たす時がやって来たらしい。

 あの日以来、ポケットに入ったままの雑誌の切り抜きに手を当てる。


 しかし外見とは裏腹に、イザベラは相当に性格がきついようである。

 幻想は一瞬で崩れ去り、過酷な現実を突きつけられてしまった。

 帰りたくて仕方がないというのがビンセントの正直な気持ちだ。

 やはり世の中は上手く行かないものである。

 

 ビンセントを撃ったのは、コリン伍長だった。

 サラがビンセントに見せた弾は、エイプル王国軍制式の七・九二ミリ弾だったし、顔も見た。間違いない。

 しかし、何故撃たれたのかの心当たりがまるで無い。


「早くしろ!」


 イザベラにサーベルを突き付けられ、言われるがままにトラックのエンジンを掛ける。

 ビンセント達が乗ってきたものだ。

 エンジンにクランク棒を差し込んで回すのだが、これがなかなか難しい。


 何度か失敗して、やっと掛かった。

 輜重兵のように一発で掛けるにはコツが要るらしい。

 エンジンが掛かる頃には汗だくだ。

 

「おー、なんかすごい揺れるぞー」


「サラ様、顔を出しては危険です。席にお着きください」


「そんなこと言ってー。イザベラもやりたいんだろー」


「な、何をおっしゃいます! 私はその、別に……ほら! この兵士は運転は得意じゃないと言っていたではありませんか!」


 確かに得意ではない。ほぼ未経験と言って良い。運転など、実家にあるリヤカーと自転車しかしたことがない。


 基地で友人の輜重兵しちょうへいに頼んで、二十分ほど運転させてもらった事が何度かあるだけだ。

 もちろん運転免許など無い。


「脱走、横領、無免許運転……軍法会議は免れないな……」


 ビンセントの独り言にサラが律儀に答える。


「心配無いぞー、すでに銃殺されるような事してるんだから、同じだよー」


 何がどう心配ないのか。その理由がわからないから困っているのだ。


「さすがサラ様です。この謀反者にもご慈悲をお与えになるとは……このイザベラ・チェンバレン、感服いたしました!」


「うむ、くるしゅうないぞー」


 謀反。何を言っているのかわからない。


「あの……サラ様とイザベラ様から上官に事情を説明して頂ければ……第三連隊の第三小隊なんですが」


 一応、保身を図っておく。

 軍規違反で処刑されるのと戦死では、遺族年金も周囲の評価もまるで違う。


 周囲の評価は特に重要だ。ビンセントの実家は薪の配達で生計を立てている。両親までもが非国民のレッテルを貼られかねない。そうなれば客離れは必至だ。

 それでなくてもプロパンガスの普及が進み、売上は右肩下がりである。


 戦時ということもあり、軍への納品で何とか最低限の生活費は確保できているものの、遠からず立ち行かなくなるだろう。

 妹の学費もこれから掛かるというのに。


「気安く名を呼ぶな! 平民ごときが」


 イザベラからの冷たいお返事である。しかしサラは答えてくれた。


「無理だよー」


 慈悲のないお言葉。『何でだよ!』と怒鳴りたくなるが、相手は王女と近衛騎士。丁寧に言うことにする。


「理由を聞かせていただいても?」


「今朝、お城が焼き討ちされたからだー」


「……ええっ!?」


 思わずブレーキを踏んでしまう。クラッチを踏み損ねたのでエンストしてしまった。木にぶつからなかったのが奇跡だ。


「もうー。下手だなー」


「そ、それは本当ですか!? 何かの間違いでは!」


 イザベラはサラの顔を見た。


「サラ様、この兵士、もしや何も知らないのでは……?」


「だろうなー。ターゲットの顔も知らない暗殺者なんていないぞー。知らないからこそ、殺されそうになったんだよー」


「そ、それもそうですね。……コホン、ならば説明してやる。その前にエンジンを掛けてこい。止まっている暇はないぞ」


 ずいぶんと人使いが荒いが、貴族と平民の関係というのはこういうものだ。

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