落語

 一人の浪人がいた。

 名を正兵衛という。

 生来からの不器用で、要領のよい仕事ぶりなど、一度も見せたことなどない。そんな性質が災いして、どこの藩にも仕官できずに各地をふらふらとほっつき歩いていた。

 そんな折、とある宿場町の安宿で、粗末な寝具と先行き見えぬ不安に、眠れぬ夜を過ごしていたときに、コン、と悲し気に鳴く声を聞いた。

 不審に思い、様子を見に行ったところ、一匹の子狐が罠にかかっている。


「これはいけない、今助けてやろう」


 四苦八苦して罠を解くと子狐は、コン、と嬉しそうに一声鳴いて去っていった。その際に、脳裏に穏やかな声音が響いた。


『お礼をしましょう。きっとあなたに幸をはこぶことでしょう』


 正兵衛は首を傾げたが、きっと御仏様が自分の善行を見てくださったに違いないと、満足して寝床に戻った。

 明くる日。罠にかかっていた子狐がいないことに気づき、宿屋の主人が憤慨していた。正兵衛は藪蛇になってはたまらないと早々に出立する気であったが。


「主人、一晩世話になった。ちなみに罠にかかった狐を逃がしたのは拙者だ」


 それはもう見事に腹をたてられた。

 以来、正兵衛は嘘や隠し事ができない性質になってしまった。

 これは難儀なことだと、頭を抱えたが、どうしようもないため諦めて旅をつづけた。道中、いらぬ苦労が多々あったが、いつかの御仏様の言葉を信じて、歩き続けた。

 そんな日々が幾つか過ぎたころ、道中で人だかりがあることに気づいた。

 みれば、ボロ衣を着た一人の女性が周囲から散々に罵倒されていた。小石を投げる者さえいる。

 見るに堪えなくなり、正兵衛は尋ねた。


「おい、なにをそんなに酷いことをする」

「あんた浪人さんかい。それなら知らねえだろうが、ここらには罪人をこうして責めたてる決まりごとがあるんだ」

「そうなのか。彼女は罪人なのか?」

「知らんねえ、だがあんなボロ衣を着ているからにはそうに違いないよ」


 それはあんまりな話だと、率直に思ったものだが『郷に入っては郷に従え』である。馴染まぬ風習だからといって、否定することの無意味さを、浪人である彼は知っていた。

 だからといって、加担する気はなかったので、見て見ぬふりをして通り過ぎるつもりであったが、一人の男の罵声が聞こえてきた。それが不味かった。


「なんだ、醜い顔しやがって、おめえなんか、裏山の猿の嫁がお似合いよっ」

「いや、拙者はその娘ほどの器量好しは見たことがないぞ」


 口を開けばおしまいだと分かっていたので、決してそうする気はなかったが、女の顔を見てしまったからには無理であった。

 確かに薄汚れて、遠目には分からぬだろうが、それは大層な美人である。

 人々が驚いて正兵衛を振り返った。


「おい、なんだ見慣れぬ奴だな、余計な口を出すな」

「拙者、わけあって狐憑きでな、嘘や隠し事ができぬのだ。思ったことを片端から

のべてしまうが故に、あいや皆の衆、すまぬが確かにそうだと納得できるような罵りをしてくれないだろうか」


 正兵衛の物言いに、しかめ面を見せながらも人々は、それを了承する。

 再び罵倒を始めた。


「へんっ、薄汚い恰好をしやがって、なにをどうすればそこまでなる。さぞかし惨めな仕事をしているのだろうよ」

「それほどに働いたということだ。仕官もしていない拙者より、よほど立派であろう」

「そんなわけがあるか、あの手を見ろ。あんな細くて白い手が仕事をしてきた者のはずがない。なんの苦労も知らない者の手だ。きっと盗みかなにか、小狡い手段で生きてきたに違いない」

「何の苦労もしてきていない程の者が、盗みを働く羽目になるとは到底思えぬ」

「浪人。あんたは、いったい何がしたいのかい?」

「そう問われても困る。私はただ思ったことが口から漏れでているだけなのでな」


 ここまで言えば、この娘は様子がおかしいと同意してくれてもいいだろう。

 娘は罵倒がその身にふりかかろうと、決して面をさげず、堂々と前を向いていた。何も言葉を発さないのが不思議であるが、それは立派な様子で、正兵衛は感嘆していたのだ。


「どうやら様子がおかしい。どうだろう皆の衆。ここは一度、落ち着いて。この娘に事情を問うてみるというのは?」


 だが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、袈裟が憎けりゃ坊主も憎い。この土地の人間は決まりごととやらがしっかりと染み入っているようで、ボロ衣をまとう娘を罵倒し続ける。

 これは参ったことになったと、途方に暮れていたらば、遠方より駈けてくる馬が見えた。

 偉い役人様たちである。


「姫様、ご無事でございましたか」


 そして、駈けつけ一番に女にそう声をかけるのだから、その場にいる全員が目を丸くした。慌ててその場に平伏する。

 聞けば、この女はここらを治める殿様の娘であり、駕籠にて移動していたならば、いつの間にやら姿が消えて、代わりに一匹の子狐が鎮座していたという。

 正兵衛はその話を聞いて得心をした。きっとあのときの言葉は御仏様ではなく狐のものだったのだろう。この場にて、殿様の娘に恩を売れということである。

 正兵衛はじっと役人からの沙汰を待つ。


「浪人。名をなんともうす?」

「正兵衛という、無俸禄の侍にてございますれば、奉公先を求めて旅を続けていた次第であります」

「姫様を擁護した沙汰、大儀であった。貴様は周囲に流されず真を見る目を持ち、義を見てせざることもない。姫様もお主のことを気に入ったご様子。どうだろう、奉公先を探しているというのならば、このまま我々とともに殿様と姫様に仕えるというのは?」

「もったいなきお言葉。是非に拝命したく」


 こうして正兵衛は、奉公先を見つけるに至る。

 罵倒をしていた人々も、姫様の慈悲により許された。

 何もかもが、上手くまとまって、これは狐様々である。

 そんなことを考えていたならば、家臣となり言葉をかけられる許しを得たのであろう。それまで口を開かなかった姫様が正兵衛に声をかけてきた。


「正兵衛よ、礼を言う。難儀であったがしかし、不思議な体験でもあった。狐に化かされるのは初めてであるが、どうしてこのような沙汰になったのであろう。聡明なそちであれば、心当たりなどはあるであろうか?」


 正兵衛は、その言葉に浮かれあがるも、真相を語るのはまずいと、誤魔化すつもりで口を開いた。


「その狐というのは先日、拙者が助けた者にございますれば――」

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