8.星のある夜(5)
夢だろうか。
ニナは真っ暗な中にいた。シンゲツの闇。
「あれ? 明るい」
ニナは辺りを見回す。過去二回はどこまでも真っ暗だったのに、今は点々と小さな光が散らばっている。数えられそうなくらいのわずかな数しかないけれど、星のようだった。
「やあ、金の葉の君」
気配でわかっていたから驚かなかったけれど、隣から突然シンゲツが声をかけてきた。またカールの姿だった。隣と言っても、手を伸ばしても届かないくらいの距離がある。
「あの光は全部君だよ」
「私?」
小さな光は淡い金色に瞬いている。確かに、ニナが魔法を使ったときの光に似ていた。
「何かしたの?」
眉をひそめて聞くと、シンゲツは大げさに仰け反る。
「ひどいなぁ、ニナ。僕じゃないよ。僕だったらこんなかけらじゃなくて、君そのものを閉じ込める……そうだ! そうしよう! もう返さないって言ったらどうする?」
「大嫌いになる」
ニナは大きく一歩離れる。
ニナの胸元に、薔薇色の光の玉が現れ、シンゲツとの間を遮った。
「冗談だって」
ニナは無言で睨む。
「ねぇ、金の薔薇は呼んでないんだけど。さっさと帰ってくれない? ちょっとニナに触ろうとするとすぐ出てくるんだ」
「触ろうとするな」
ニナが抗議すると、薔薇色の光が強くなる。
「わかったよ。触らないし、閉じ込めない。かわいいニナの頼みだもの。嫌われたくないしね」
「……エヌ、大丈夫」
ニナはため息をつく。薔薇色の光は小さくなって、ニナの両手に収まった。包み込んで光を隠すと、またさっきと同じように星が浮かんでくる。
「それで、この星が私ってどういうこと?」
「これは、カールが集めて大事にしている綺麗なもの。カールとは近しいって言っただろう? だからときどき影響を受けるときがあるのさ」
「カールが? なんで私なの?」
ニナは首を傾げる。
「知りたい?」
シンゲツはニナを真似て首を傾げると、ニヤニヤ笑いで続ける。
「ニナがお願いするなら、教えてあげてもいいよ」
「またそれ? カールに聞くからいらない」
「いいね、いいねぇ。なんてかわいそうな、カール。僕なら恥ずかしくて三百年は寝込むね。あはは。ぜひとも聞いてみてよ。なんで私が綺麗で大事なの? さて、カールは答えてくれるかな?」
大笑いするシンゲツに、ニナはうんざりする。よくわからないけれど、カールに聞くのはやめたほうが良さそうだ。
「もういいよ。カールにも聞かない」
「あれ? いいの? 嫌じゃないの?」
「別に」
ただ闇の空間が広がっていた今までより、この方がよほどいい。
「綺麗」
自然と笑みがこぼれる。
「そう。ニナに見せてあげたかったんだ」
打って変わって落ち着いた声音で、シンゲツが言う。ニナは振り返った。ちょうどカールが微笑んだときのような、穏やかな顔でシンゲツはこちらを見ていた。
「だからって、勝手に連れて来ないでほしい」
「その頼みはきけないな。僕は君が気に入ったんだよ。わかるだろう?」
シンゲツは途端に元のニヤニヤ笑いに戻ってしまう。
わかんない、と投げ打ちたいのを堪えて、ニナは考える。
「じゃあ、たまに私があなたを呼ぶから」
光の玉の姿だとしても、ニナがエヌに接触できるのはシンゲツの場の中だけなのだ。彼を呼ぶのはニナにとってメリットがないとも言い切れない。
「どうやって? 魔法陣で? 僕はそう簡単には出てこないよ。君の魔力だけじゃ、どうかなぁ」
ニナは素直に自分の力不足を認める。ニナの魔力は、シンゲツを呼び出すには全く見合わない。ニナの方が弱いからこそ、簡単にシンゲツに連れこまれてしまうのだけれど。
モノに宿った魔力や魔法具で補うのも難しいだろう。それよりも、彼が気に入るような提案をするほうが効果的だ。
ニナは辺りを見回す。それから、そんなニナをおもしろそうに観察しているシンゲツを見る。
「特別な、私だけの名前で呼んであげる」
最初に『新月』と呼んだとき、ニナに名前を呼ばれるのは格別だ、と彼は言った。
「どんな?」
シンゲツは片方の眉を上げ、ニナを促す。
「天河」
カールが集めたニナのかけら。シンゲツの闇がいつもこうだったらいいのに。
「新月の夜は、星が綺麗に見えるものだよ。だから、天の河。テンガ」
ニナは周りの星をぐるっと手で示して、どうだ、と聞くようにシンゲツを見た。
シンゲツは目を瞠った。それに呼応するように、数えるほどしかなかった星が、一気に何倍にも増える。
「ほら、この方が綺麗」
「……ああ、忘れてた。僕も星を持ってたんだな」
シンゲツが嘆息する。
「気に入った?」
「気に入った」
シンゲツの黒い双眸がニナを見つめる。その顔に笑みはない。集まった魔力に黒髪が浮いた。ニナの腕に鳥肌が立つ。シンゲツに出会って初めて恐怖を感じた。両手の隙間から薔薇色の光が強く溢れる。シンゲツはニナに手を伸ばし、一歩近づいた。
「金の葉の君、魔女ニナ」
低く重い声がニナにのしかかる。ニナは両足を踏ん張って、シンゲツを睨み返した。ここで下がっては負けだ。そうしたらきっともう人の世界には戻れない。
ニナはお腹の底から声を出す。
「だめ。許さない」
シンゲツは、ニナの言葉を鼻で嗤った。冷たい視線でニナを見下ろす。でも、あと一歩の距離を詰めることはしなかった。
「約束したよね」
「したね」
「閉じ込めたら大嫌いになる」
「それは嫌だ」
「名前、呼んでほしいでしょ?」
「その通りだ」
「どうするの?」
ニナが重ねて聞くと、シンゲツは目を閉じた。闇の視線から解放されて、ニナは密かに胸を撫で下ろす。そして、それを表には出さないよう努力した。
「新月?」
「ああ。うん。……だめだ。それじゃない。その名前でも、もうだめなんだ。だから、特別な名前で呼んでよ」
シンゲツは、ニナに伸ばしていた手を下ろし、一歩下がる。
「あなたは私に触らない。私を勝手に連れて来ない。私を閉じ込めない」
「わかった。いいよ。約束しよう」
「私はあなたをたまに呼び出す。特別な名前で呼ぶ」
「たまに?」
シンゲツの乞うような表情に、ニナは少し笑った。
「新月の夜に」
ニナがそう言うと、シンゲツは大きく両腕を広げた。
「いいよ。契約成立だね」
シンゲツは、ふわりと空気を集めるように腕を動かし、両手のひらを合わせた。パンッと軽い音がした。それから、何かをニナに向かって放り投げる。ニナは迷わず、光の玉から両手を放すと、シンゲツが投げたものを受け止めた。光の玉はニナの頭上まで浮き上がり、手元を照らしてくれる。
それは、細い指輪だった。金属製で、ひんやりとした光沢を放つ。黒い鍍金は初めて見るものだった。魔法の産物なのかもしれない。蔓を編みこんで作った冠を模していて、真ん中に小さいダイヤモンドが一つ光っていた。
「わかるかい?」
シンゲツがニヤニヤ笑いで聞く。
「星だ」
少し考えてから、ニナはその指輪を左手の人差し指に嵌める。血のしるしがある指だ。指輪は誂えたようにぴったりだった。
それを見たシンゲツは満足そうにうなずく。ニナはシンゲツの期待を裏切らずにすんだことにほっとした。
「気に入った?」
「うん」
先ほど自分も同じことを聞き、白磁の葉にオレンジの星を刻んだアマネも同じことを聞いた。それを思い出して、ニナは笑う。
「ありがとう、天河」
「あはは、気持ちいいね。特別な名前! ニナだけだ! 金の葉の君、少しだけサービスをしてあげよう」
シンゲツは、上機嫌にそう言うと、突然ばっと霧状に拡散して、ふわりと消えた。
「また次の新月の晩に。楽しみにしているよ」
声も消え、シンゲツの気配がしなくなる。それなのに、辺りは星空のままだった。
首を傾げたニナに、懐かしい声が降る。
「あいつ、何なのよ。偉っそうに!」
「え? エヌ?」
頭上から光の玉が降りて来て、ニナの目の前でエヌの姿に変わった。赤みがかった金色の長い巻髪。ニナと同じ灰色の瞳がこちらを見ている。髪をかき上げ、手で肩の埃を払うような仕草をして、顔をしかめた。
「さっきのあいつが小細工していったのよ。あんたと私が話せるように」
ニナはエヌに駆け寄る。手を伸ばしかけて、躊躇した。触っても大丈夫だろうか。
「ニナ」
エヌは動けないニナを抱きしめる。ニナもぎゅっと抱きしめ返した。香水なんてつけていないのに不思議にいつも甘かった、エヌの匂いが変わっていない。
「私、絶対にエヌを呼び出せるような魔女になるから」
「ええ。待ってるわ」
「できると思う?」
「当たり前じゃない。あんた、自分が誰の娘だと思ってるの? それに、さっきのあいつみたいな大きな魔物と契約することができたんだもの。絶対にできるわ」
「うん。がんばる」
闇が薄まる。それと同時にエヌの感触も曖昧になってきた。
「エヌ! 行かないで」
ニナはエヌの顔が見たくて、体を離した。ニナの願いもむなしく、薄明るい視界の中でエヌの姿は消えかけている。
エヌは昂然と笑う。
「召喚するときは、私のことはママって呼びなさい」
「は? ママ?」
ニナは状況も忘れ、ぽかんと口を開けた。
記憶している限り、生まれてから一度もそんな呼び方をしたことはない。ニナの母は、ずっと『魔女エヌ』だった。
「魔物の私は母性に由来するの」
それだけ言うと、エヌは別れの言葉もなくすうっと消えてしまった。
――そして、ニナは目を覚ました。
誰かの後頭部が目の前にあり、ニナはぎょっとして身を起こした。リーンだとわかってほっとしたものの、どうして同じベッドで寝ているのかわからない。あまり動いてリーンを起こしてしまっては悪いと思い、ニナはもう一度そっと横になった。
シンゲツとのやりとりは、夢の中だけど現実で、ひどく疲れた。左手の人差し指には契約の指輪がしっかりと嵌っている。
ニナは考えるのも面倒になって目を閉じる。
隣に誰かが寝ているのなんてとても久しぶりだ。ニナの添い寝の相手はほとんどアケミだったから、人の温かさが胸を打つ。その心地よさに、隣が王女なのも忘れてニナはそのまま寝てしまった。
夢だったのか、ずっと遠い昔の記憶だったのか、エヌの声で紡がれるたどたどしい子守唄が聞こえた気がした。
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