8.星のある夜(4)

 目が覚めたカールは、枕元に置いた椅子でニナが居眠りしているのを見ていた。穏やかな呼吸に合わせて上体が揺れている。彼女には何度睨まれたかわからない。初対面のときから強烈な印象を与えてくれたニナも、そうしていると普通の少女だった。

 灯りのない部屋は薄暗く、夢の中と同じに、ニナの金髪が仄明るく浮かび上がって見える。暖かで、心地よい。この空気を壊したくなくて、瞬きすらためらうほどだった。

 しかし、あっさりとそれは破られる。

 そっと開いたドアからラルゴが顔を覗かせた。カールは目で彼を呼ぶ。

「彼女をどこかで寝かせてやってくれ」

 小声で言うと、ラルゴはうなずいた。ニナを見て苦笑する。軽い荷物でも持つように簡単に抱え上げると、ラルゴは出て行った。

 カールはそれを見送って、ベッドから出る。シイナのだろう、大きすぎる寝間着を脱ぐと、自分の服に着替えた。そして、ドアを開くとラルゴがいた。

「な、なぜだ。戻ってくるのが早すぎないか?」

「ニナはシイナに託しましたからね」

 隣のドアが開き、リーンが借りている部屋からシイナが出てきた。彼に会うのも久しぶりだ。

「どこに行くつもりですか?」

 仁王立ちで見下ろすラルゴに、カールは持っていたカードを差し出す。

「時の魔女からだ」

 枕の下に挟まっていた。今夜サクシマと会う約束があるから来たいなら来い、と書かれている。カールにはわからない魔女の紋章と枠模様が空押しされた上等な紙に、装飾文字を使った綺麗な筆跡で、舞踏会の招待状かと見紛うような体裁だ。

 ラルゴはカードを読んで苦い顔をした。何も言わないラルゴに代わって、シイナが、

「まさか今夜の襲撃もサクシマ様が?」

 カールは右のこめかみに手を当てた。ニナの前では傷を見せられるようになったけれど、それだけではだめなのだ。ゆっくりと前髪を左右に分けると、視界が開けた。

「いや、それはない」

 シイナの疑問をカールは強く否定した。彼の薄青色の瞳を見上げ、

「シイナは念のためここに残って、二人を頼む」

「御意」

 シイナに軽く手を上げ、カールはラルゴの背中を叩いて促した。

「ラルゴ、お前は私について来い」

 カールが父王を越えられないことに焦っているのとは逆に、サクシマは自分の父親に常に足をひっぱられていたと思う。サクシマの父――前シャルトムール公爵スグラスは、リーンが城下に避難することになった事件の罪を問われ失脚する前から、軽率な言動が目立ち、父王も扱いに困っていた節がある。サクシマがスグラスの後始末に奔走させられることも何度かあった。

 時の魔女が指定したのは、カールと泊まっていた宿だ。カウシ亭から遠くはない。カールの怪我は、多少痛みが残っている程度で、特に問題なかった。ラルゴを従えて、夜道を歩く。ニナが星の話をしていたのを思い出し空を見上げる。月がないのか、星がやけに明るい。

「スグラス叔父上を誘導して、リーンに薬を盛ったりレフトレア宮を襲わせたりしたのはサクシマだろう? あれは、画策したドーアンがやるべきだった」

「ドーアン宰相もそう申し上げたのですが、サクシマ様が自分がやりたい、と。その方がスグラス様も警戒しないだろうとおっしゃって、宰相も納得されました」

「お前は、リーンにシイナを同行させるのを条件に、計画に乗ったのだな」

「はい。申し訳ありません」

「いや、責めているわけではない。謝るのはこちらだな。本当なら、私が叔父上を抑えるだけの力を持っていさえすれば、良かったのだ」

「これから、そうなられます」

 ラルゴの言葉にカールはかすかに笑った。今までなら頑なに否定したか、無視しただろうに、今は素直に励ましと受け止められる。

 カールは力を持っているとニナが言ったから。

 時の魔女の采配か、深夜にも関わらず、宿の出入りは自由だった。昼間にも訪ねた時の魔女の部屋のドアを叩く。返事を待って開けると、サクシマがいた。彼はカールとラルゴの登場に驚いているようだった。ソファにスグラスが寝ている。

「時の魔女殿、これはどういうことです?」

「サクシマ様のやることを陛下も知りたいだろうと思ったので」

 サクシマの抗議を軽く流し、時の魔女はカールたちを招く。

「叔父上はどうされたのだ?」

「酒に酔って、寝ているだけです。最近はもうずっとこんな感じで……」

 サクシマが首を振った。父が隠居して爵位を譲られてからも、彼の苦労は絶えなかったようだ。

「私が魔女エヌを探したいと言ったら、時の魔女を連れてきたのはあなただったな」

「ええ。僕は、父を何とかしてほしいと時の魔女に依頼しました。彼女は、陛下と行動を共にできる機会を要求した」

「何とかしてほしい、とは?」

「どうとでも」

 優雅な態度を崩さない彼にしては珍しく、サクシマは投げやりに言った。

「どこかに閉じ込めるでも、殺すでも」

「サクシマ! あなたの父親だろうが」

「父親だからですよ! 息子は自分の所有物だとでも思っているのか、好きなように引っ張り回し、面倒なことは押し付けて。こちらの話は聞かず、仕舞にはお前も敵だと言い出す。……あんなのが父親だと、血が繋がっていると思うと悲しくなりますよ」

 一息に言ったサクシマに、言葉を失うカール。そこに思いがけず優しく、時の魔女が声をかけた。

「失望して裏切られたと思うのは、愛しているからでしょう」

 サクシマは、泣きそうな顔で笑った。肯定も否定もしない。

 自分はどうだろう。母はカールを無視し続けていた。まともに話したこともなければ、滅多に顔を見ることもない。けれど、彼女に対して憎しみはない。そして、確かに愛情もないのだ。それはもしかしたら寂しいことなのかもしれない。

 物思いに沈むカールを、時の魔女の言葉が現実に引き戻した。

「サクシマ様のご依頼通り、スグラス様は私が引き受けましょう」

「どうするつもりだ?」

「そうですねぇ……」

 時の魔女は、笑みを描く唇に長い爪を当てて、スグラスを見下ろす。

「スグラス様は長年、魔物に憑かれてらっしゃいました。それを取り除きますので、人が変わったようになるでしょうね」

「父上が魔物に?」

「心当たりがおありでは?」

 サクシマは首を振った。

「時の魔女殿になぐさめられるなんて、光栄ですね」

 いつもの口調で笑うと、「お任せしますよ」とサクシマは言った。

「人が変わったスグラス様は、南の領地で穏やかな余生を過ごされるでしょう」

「そうか……」

「噂に聞くより、時の魔女殿はお優しいらしい」

「そうそう。国の公式行事には、若い後妻を連れて出席されます」

 時の魔女はにやりと笑った。カールは目を瞬かせる。同じように言葉に詰まったサクシマが、それでもすぐに調子を取り戻して肩をすくめてみせる。

「白い髪で緑の瞳の、ですか?」

「あら、それでは目立ちすぎますから、髪の色は適当に変えますわ」

「お好きなように」

 サクシマは言って、話は終わったとばかりに、一歩下がるとカールを見た。彼はカールの前髪に今気付いたのか、驚いた顔をした。

 ――ニナの言葉に相応しい自分でありたい。

 まずは前髪を切ろう。傷のことで何か言われることがあっても、きっと大丈夫だ。

 カールはサクシマに軽くうなずき返し、時の魔女に向き直る。白い髪と緑の瞳の大魔女。前髪の壁なしで対するのは初めてだった。カールの決意が筒抜けなのか、時の魔女はおかしそうに目を細めた。

「魔女エヌのことは聞いた。私の依頼は終了だな?」

「ええ。そうですね。ご請求は後程。怪我の治療費を上乗せしても?」

 カールは後頭部に貼られた湿布薬に手を当てる。ラルゴがすぐに助けに来れたのは、時の魔女の援護があったからだと聞いた。

「怪我の治療もだが、助けに来てくれたことも、礼を言う」

 カールの言葉に、時の魔女は慇懃に礼をした。それは今までとは違い、きちんと敬意を持った行動に思えた。

「陛下、様子が違うよね? 何かあった?」

「それはわかりませんが。確かに変わられましたな」

 後ろでひそひそ言い合うサクシマとラルゴは無視した。

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