7.月のない夜(2)

 カウシ亭のカウンターで、ニナは一人で食事をしていた。再会したラルゴとリーンとシイナは、三人で話をしている。リーンとシイナはここの上階に部屋を借りていて、シイナはサンサヴァリー港の倉庫街で働き、リーンはこの店を手伝っているらしい。

「まぁ、リーンちゃんは給仕としてはあんまり役には立ってないんだけどね」

 最初に応対した大柄な女――カウシ亭の女将だ――が、ニナに話してくれた。

 久しぶりに友人が訪ねてきたと言ったリーンに、女将が快く休みを出した理由がわかった。

「リーンちゃんはおっとりしてるっていうか世間知らずっていうかだし、二人とも美男美女だし、どこかの国から逃げて来た王女様と王子様だって、皆が勝手に想像しててさ。追手が来たら撃退してやろうってことになってたんだよ」

「私たちのこと、追手だと思ったんだ?」

 撃退しかけられたニナは苦笑する。

「悪かったね」

「ううん。二人を探していたのは本当だから」

 女将はニナに顔を寄せ、小声で囁いた。

「王都にいて王女様の絵姿を見たことがない人間はあんまりいないよ。髪の色を変えててもわかる。まぁ誰も言わないけどね」

「そういえば、偽名も使ってないんだ……」

 女将は答える代わりに、ばちんと片目をつぶって、給仕に戻っていった。

 駆け落ち中の二人が、周りの人に守られて穏やかに暮らしていたようで、ニナはほっとした。

 それから食事に専念することにしたニナは、隣に人が座って初めて顔を上げた。

「また、あんた?」

 カールだった。裏通りで会ったときと同じ格好をしている。

「何?」

 つっけんどんに聞くと、彼は少し怯んだように言いよどんだ。

「……あ、あの……いや、何度もすまない。さっきの話の続きを聞かせてくれ」

「さっき?」

「魔女エヌのことだ」

「あーそっか」

 いろいろありすぎて忘れていた。

 ニナはどうしても気になって、彼の前髪を指差す。

「前髪、分けてくれたら話す」

 目は隠れて見えなかったけれど、睨まれていると思った。しかし、ニナは気にせずに睨み返して辛抱強く待つ。根負けしたのはカールの方で、大きくため息をついて、前髪を分けた。露わになった黒い目は、彷徨った末に手元に落とされる。

「いらっしゃい。何にする?」

 女将がやってきて、カールに水を出す。彼は、びくりと肩を震わせ、顔をうつむかせる。

「下町の人間はそんな傷気にも留めないって」

 ニナはカールに囁く。その言葉の通り、女将はカールの傷に特に反応は示さなかった。ニナの囁きが聞こえていて気を使ってくれた可能性もあるけれど。

 カールは、ニナの食べている皿を指し「同じものを」と注文した。

「ニナちゃんの友だち?」

「う……うーん……、知り合いの知り合い?」

「何だい、それ。あはは」

 ニナの答えに女将は笑って、カールに目配せする。

「まあがんばりなよ。ニナちゃんは王都初めてだって言うから案内してやったらいいじゃない」

 女将が去った後、カールはあからさまにほっとした顔をした。

「あの女性は何か勘違いしているようだな」

「勘違い? どういうこと?」

「いや、わからないならいいんだ。……それより、王都は初めてなのか?」

 首を傾げるニナに、カールは話題を変える。

「うん。王都はすごいね。人がいっぱいで」

 建物の規模も形も違う。モノの多さにも圧倒された。生まれ育ったモニエビッケ村とは、何もかもが比較にならない。

「王都が栄えているのは、王様のおかげなんでしょ?」

 昔エヌが言っていた気がする。良い治世が続けば、王都の富は順に国の隅々まで行き渡っていく。北の辺境にあるモニエビッケ村も、日々の生活に困るようなことはなく、十分に豊かだった。

「すごいね」

「全然すごくない」

 思いがけず硬い声に、ニナは隣に顔を向ける。カールは真っ直ぐにこちらを見ていた。彼はなぜだか否定的なことを言うときほど、視線の力が強い気がする。

「先王メラエール一世はともかく、現王メラエール二世は大したことはやっていない。先王の事業をそのまま続けているだけだ」

「へー。すごいね。同じように続けるのって難しいのに」

 ニナは、エヌが受けていた依頼を全て引き継げと言われてもできない。

「先王の側近が残ってくれたから続けられたんだ」

「わー、いいな。後継者だって認められたんだ」

「認められた?」

「じゃなきゃ、普通は従わない」

 アケミを呼び出すことができないニナは、「いいなぁ」と繰り返す。

「王個人じゃなくて、王家の血統に忠誠を誓っているんだろう」

「血縁があっても、力が足りないからだめだって、私はアケミに言われたけど?」

 いちいち水を差されたニナは、思わず喧嘩腰になる。

「アケミ? 何の話だ?」

「そっちこそ、何なの?」

「……ああ、いや……」

 先に引いたのはカールだった。ニナは譲らない。

「私は、王様はすごいと思う。羨ましい」

「……羨ましい?」

「あんたの意見はどうでもいいよ。だから私の意見にも口出ししないで」

 ニナが睨むと、カールは目を逸らした。うつむいた頬にわずかに赤みが差している。泣いてしまうのではないかと思った。彼の様子にニナは後悔する。言い争うつもりなんてなかったのに、どうしてこんなことになったのか。

 何か言わなきゃと思ったときに、女将がカールの前に皿を置いた。

「お待ちどう。温かいうちにね」

 そう言って、去り際にニナの腕を叩く。口喧嘩を聞かれていたようだ。促されて、ニナは言葉を探した。

「……えっと、エヌのことだよね」

「あ、ああ。そうだ。エヌの話を聞きに来たんだ」

「とりあえず、食べなよ」

 ニナは足元に置いていた鞄から魔法具を取り出す。周りの人間から注意を向けられなくなる目くらましの魔法陣が彫ってある木片だ。エヌの話はあまり他人に聞かれたくない。

 ニナは魔法具をカールとの間に置く。食事を始めていたカールは、魔法具を見て、無言でニナに説明を求める視線を送った。

「魔法を使うけれど、普通にしていて」

 カールがうなずいたのを確認して、ニナは魔法具の上に人差し指をかざし、血を一滴落とした。魔法具が薄い金色の光を帯び、すっと魔法が二人を包む。周囲の喧騒がほんの少し遠ざかった。

「人から目につかないようにしたんだけど、見えなくなったわけじゃないし、声も全く聞こえないわけじゃないから小声で話して」

「わかった」

「食べながら話すから、そのまま普通に食べてて……驚かないで聞いて」

 ニナもまだ食事が途中だった。スプーンを手に取ったものの、それ以上は動かせなかった。何度話しても慣れない。

「――魔女エヌはもうこの世にはいない。去年亡くなった」

「そうか」

「私は、魔女エヌの娘」

 カールの手が一瞬止まる。

「でも、エヌほどの力はないんだ。得意な魔法の傾向も違う。エヌに縁の魔物だって、私では呼び出せない。……エヌに依頼があって探してるんだったら、悪いけど、他の魔女をあたって。それこそ時の魔女に依頼した方がいい」

「ああ」

 カールが小さく納得したのが、ニナには痛かった。ラルゴはそれでもニナに任せてくれたけれど、彼は違うのだ。

 自分で断っておきながら傷つくなんて、勝手だ。

 自嘲するニナは、カールが続けた言葉で、自分の勘違いを知った。

「なるほど。さっき、王が羨ましいと言ったのはそういうことか」

「うん。ほとんど八つ当たりだ。ごめん」

「こちらこそ悪かった」

 謝られるとは思っておらず、ニナはカールにちらりと目を向けた。カールは変わらず食事を続けている。

「王様を見習って、私もがんばろう。自分に合った魔法を研究して、力をつけて、早くアケミやエヌを自分で呼び出せるようにならなきゃ」

 手元に視線を落としていたニナは、カールがこちらを見たことに気付いていなかった。

 しばらく二人は無言で食べた。

 先に食べ終わったニナは、カールを横目で見る。彼が食べていると、かぼちゃのグラタンも高級料理に見えてくるから不思議だ。

 すると、カールが居心地悪そうに身じろぎして、

「何だ?」

「え?」

「見ているから」

「うん、姿勢いいなぁって思ってただけ」

 そう答えると、睨むように一瞥された。じっと見てるなんて失礼だったかとニナは反省する。

「父が毎年エヌに占いを依頼していた。直接出向かなくても、新年に結果を届けてくれる契約だ」

 突然話し始めたカールに、ニナは首を傾げる。エヌがそんな仕事を受けていたなんて知らなかった。エヌにしては珍しい形態の契約だ。

「一昨年、父が亡くなったが、去年は占い結果が届いた。それなのに、今年は届かなかった。エヌは依頼を選ぶと聞いたから、僕では値しないと判断したのかと思って、エヌに直接話を聞きたかったのだ」

「それで探してたんだ?」

 カールはうなずく。彼もニナと同じなのか。

「亡くなったから、今年の占いはなかったんだな……」

「私、エヌの依頼を把握できてなくて……自分のことばっかりで、エヌのことを誰にも連絡してなかったんだ」

 他にもカールのような依頼人がいるのかもしれない。

 しかし、突然この世を去ったわけではないのに、依頼人に根回ししていなかったなんて、エヌらしくない。他に文句を言ってきた依頼人もいないし、もしかしたら、カールの家だけ放置していたのだろうか。

 黙ってしまったニナに、カールは、

「父親は頼りにならないのか?」

「……父親は……いるけど……会ったことがない」

 ニナは、いないと言ってしまえなかった自分に戸惑った。

「それは……。誰だか知っているのか?」

「一応」

「誰だ?」

「言えない」

 なぜ父親のことをこんなに聞かれるのか。ニナは警戒してカールを探るように見る。カールは片手を上げて、首を振ると、

「あなたの父親は、僕の知っている人じゃないかと思ったんだが」

「それはないと思う。簡単に会える人じゃないから」

 そう言ってしまってから、ニナは口を押えた。ひっかけられたと思って、カールを強く睨んだけれど、彼は深刻な表情でこちらを見ていた。

 ニナは不安になる。カールは時の魔女に依頼できる伝手がある。もしかして本当に父と知り合いなんだろうか。

 数秒、そのままだった。はっと我に返ったカールが、睨んだままのニナに、ごまかすように言う。

「僕はもう戻る。エヌの話を聞かせてくれて感謝する」

 父親についてさらに聞かれなかったことに、ニナは心の中で息をついた。

「時の魔女への依頼はどうするの?」

「取り下げで納得してくれるとは思えないから、完了という扱いになるか」

「もしかして今近くにいるの? だったら、会いたいんだけど」

 ニナが頼むと、カールは少し考えた末に了承してくれた。

「上の話が終わったらでいいんで、私ちょっと先生に会いに行ってくるって伝えてください」

 目くらましの魔法を解いて、女将にそう伝言を頼んで、ニナはカールとカウシ亭を出た。

 ちなみに、カールは財布を持っていなかった。王都までの道中で薬草を売って稼いだ金で、ニナが彼の分も払ったのだ。カールは今までで一番険しい表情で――貴族が庶民に金を借りるなんて屈辱だと思っていたのかもしれない――、後で必ず返すと何度も誓った。

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