6.いくつかの再会(2)

 王都グランダールは、商業都市でもある。サヴァ川を通じて河口のエルダー港から外国の荷物が運ばれ、ハールニール街道を通じて国内の産物が集まり、また逆を辿って国内や国外に運ばれていく。

 サヴァ川に作られた河川港であるサンサヴァリー港。その近くの繁華街に宿を取って、ニナとラルゴはさっそくリーンたちを探しに行くことにした。

 宿に着いてすぐ、ニナは部屋で占いをした。いつものやり方でラルゴに協力してもらうと、近かったおかげでかなり具体的な場所がわかった。念のため、シイナにかけた魔法の気配も調べて、こちらも近くだとわかった。

「宿から西で、食材の店が多い市場っていうと、この通りだな」

 ワカバ通りと刻まれた石柱が入口に立っている。道にはみ出して木の台の上に商品を並べていたり、荷車をそのまま使ったような露店があったり、雑多な様子だった。王都までの間に北部の大きな都市も通ってきたけれど、今までニナが見たどこよりも人が多い。

「すごい人……」

 この中からリーンとシイナを探すのかと思うと、ため息が出る。

 圧倒されるニナの手をラルゴが握った。見上げると笑っている。

「迷子になるなよ」

「ならないよ」

 ニナは唇を尖らせる。それで、力が抜けて、ニナは少し笑った。ラルゴの手を握り返すと、

「このあたりにあの人はいると思う」

 リーンは城で病気療養中ということになっているから外では名前を出さないように、と言われたことを守る。

「牛の絵の看板の食堂が目印なんだけど」

 ここから見たのではわからない。

「まずは店を探してみよう。人に聞いた方が早いかもな」

 ラルゴはニナの手を引いて、通りに入っていく。

 威勢のいい売り子の声と、客の話す声。色とりどりの果物。見たことがない形の野菜。怪しげな乾物や香辛料。大きな肉の塊がいくつも吊るされた店先。小さな揚げ菓子を売る屋台もある。

 ニナは同年代の少女に比べたら背が高い方だけれど、やはり大人に囲まれると視界が狭くなってしまう。それでも、あちこちきょろきょろと見回しながら歩いて行った。目印の店やリーンのことを忘れそうになるくらい、物珍しさでいっぱいだった。

 そんなとき、不意に魔力を感じた。

 シイナにかけた魔法ではない。よくわからない大きな魔力だ。

 立ち止まって振り返ったニナは、呆然と瞬きした。

「えっ!」

 景色が全く変わっていた。景色、というのだろうか。真っ暗だった。何もない。

 慌てて前に向き直ったけれど、ラルゴはいなかった。繋いでいたはずの手もない。

 夜よりも暗い。目を開けているのに、何も見えない。

 いや、見えたとしても、ここに何かがあるのだろうか?

 足の下に地面の感触がないのに、体が浮いているわけではない。普通に歩けそうだった。

 閉じ込められているような閉塞感はない。天地左右の全方向に空間が広がっている気がする。

 何の音もしないし、匂いもない。風もない。暑くも寒くもない。

「何もない……」

 つぶやくと、正面から魔力の気配がした。魔物なんだろうか。じっと見つめるうちに、魔力が集まって形になっていくようだった。真っ暗な視界よりも一層濃い闇。

「誰?」

 ニナは声を掛ける。

 すると、今度は急に明るくなった。薔薇色の光はニナ自身から発せられていた。

「エヌ? エヌなの?」

 眩しさを堪えて、振り返ったり見上げたりしたけれど、エヌの姿はない。馴染んだエヌの魔力の気配もないし、アケミの気配もない。

「エヌ、出てきて! エヌっ!」

 ニナは必死で叫んだ。

 変わらずエヌの気配はなかったけれど、光が強まった。

 その光に押されるようにして、闇色の魔力が去っていく。

 ぱあーっと一気に視界が薔薇色に染まった。暖かい光の中、眩しくてニナは目を閉じる。

「エヌ……」

 守ってくれたのだろうか。

 ということは、あの魔力が厄災?

「エヌ、教えてよ。ねぇ……」

 力なく口にした言葉に返事はなかった。

 光がなくなったのを感じて、ニナはゆっくりと目を開く。

 まず目に入ったのは、黒髪の少年。ニナの顔を覗き込んでいた彼は、ニナが気が付くのと同時に飛び退いて離れた。勢いが良すぎて、後ろに積んであった木箱にぶつかる。

「痛っ!」

「え?」

 時の魔女の通信鏡で会った彼だった。あのときと違い、庶民の服装だ。

 彼から注意をそらさずに、横目で辺りを探る。建物の隙間のような、狭い道だ。箱や空瓶が乱雑に置かれていて、大人一人が通るのがやっとだ。ニナは石壁に寄りかかって座っている。道の出口が見えていて、突き当たりはワカバ通りだろうか、大勢行きかっている。人のざわめきも聞こえる。

 体勢を立て直した少年がこちらを見たから、ニナは彼を睨む。

「あんたが私をここに連れてきたの?」

「まさか。ここに私、いや僕が来たとき、あなたはふらふらと歩いていた。声を掛けようとしたら倒れたんだ」

「どういうこと? 時の魔女が何かしたの?」

 彼の長い前髪で隠れた顔は困惑に満ちていた。

「それは僕が聞きたいのだが……」

 ニナは眉をひそめる。

 彼とはきちんと話をした方がいいのではないだろうか。

 ニナが立ち上がろうとすると、少年は手を差し出した。ニナは驚いて彼を見上げる。前髪のせいで表情がよくわからないのだけれど、害意は感じなかった。むしろニナが驚いたのを不思議に思っているようだった。

 ニナは少し迷った末、彼の手を借りて立ち上がる。身体に異常はなく、ふらつくこともなかった。

「どうも」

 短くお礼を言ってすぐに手を離したニナに、彼は心配そうに聞く。

「どこか具合が悪いのか?」

「ううん。そういうんじゃない」

 ニナは改めて彼と向き合った。ニナより少しだけ背が高い、華奢な少年だった。服装は庶民だけれど、綺麗な髪や肌、姿勢の良さなど、違和感がありすぎて、明らかに貴族の子息のお忍びだ。

 彼の長い前髪に、ニナは半ば無意識に手を伸ばす。彼は勢いよく体を引いてそれを避けた。

「何をする!」

「顔が見えないと話しにくい」

「別にいいだろうが」

「傷のこと気にしてるんだったら、それこそ別にいいでしょ。もう私は知ってるんだし」

 ニナがそう言ってもう一度手を伸ばすと、彼は自分で前髪を分けた。右目の傷ができるだけ見えないようにか、左分けだった。現れた黒い目がニナを不機嫌に見る。

「顔が見えればいいんだろう。文句はないな?」

 ニナは大人しく手を引っ込める。

「それで、あんたは、もしかして、時の魔女に言われてここに来たの?」

 いきなり話を始めたニナに少し面食らったように瞬きをして、彼はうなずく。

「ああ。この場所に、魔女エヌが現れるから僕に迎えに行くように、と。僕でなくてはだめだと言っていた。時間も指定された」

「……それは……なんていうか……」

 依頼人なのに、時の魔女にいいように使われている。さすがに少し気の毒だ。

 先ほどの薔薇色の光を『魔女エヌが現れた』と解釈することはできる。そして、それを時の魔女が予測するのも可能かもしれない。しかし、彼女はエヌがこの世にいないことを知っているから、当然、彼が迎えに来てもどうにもならないこともわかっている。

 時の魔女の思惑の中で、彼はどんな役割を与えられているのだろう。

 ニナは同情を込めて、彼に言った。

「魔女エヌは、ここには現れないよ」

「時の魔女の占いが外れたのか?」

 真面目な顔でそう聞かれ、ニナは答えに迷う。彼は、時の魔女が嘘をついたとは考えないのか。

「それはわからないけれど、……時の魔女に確認した方がいい」

「そうか……大魔女でもそんなことがあるのだな。世の中には絶対などということはないから、魔法だってそうなんだろうな」

 魔法に絶対はない。

 ニナは驚いた。

「魔法を信じてないの?」

「いや」

 彼は首を振る。

「絶対うまくいく。必ず成功する。――僕が信じていないのは、そういう考え方だ」

 もはやそれが信念であるかのように宣言して、彼はニナを見た。それはともかく、と簡単に話題を変える。

「あなたはなぜここにいるのだ?」

「人探し」

 ニナは無難に答えた。

「時の魔女とは、どういう関係だ?」

「弟子だよ。時の魔女に聞かなかったの?」

「聞いていない。……ということは、あなたも魔女か?」

「そう。魔女」

 ニナは正面から彼の黒い瞳と視線を合わせる。魔物に名乗るときのように。

「私は、魔女ニナ。……あなたは誰?」

 彼はすっとニナから目を逸らした。

「僕はカールと言う」

「貴族?」

「そんなところだ」

 そっぽを向いて答えるカールに、ニナはため息をつく。

「ああそう。ま、偽名でも何でもいいけど」

「いや! 偽名ではない! こっちが本当の名前だ!」

 カールはばっとニナに顔を向けると、肩を掴んでそう言った。その勢いにニナは身をすくませる。ニナの様子に気付いたカールは慌てて手を離して「すまない」と小声で謝った。ニナはそれには何も返さず、

「こっちが、って?」

「……普段は別の肩書きで呼ばれているんだ」

「ふうん」

 ニナにはよくわからない貴族の決まりだろうと解釈して、ニナは黙った。

 それより、これからどうしたらいいだろう。

 時の魔女は、どうやらカールとニナを会わせたかったようだ。いっそのこと、彼にエヌの話をしてしまった方がいいかもしれない。

「今日は笑わないのだな」

「え、何?」

 小さな声が聞き取れず、ニナは顔を上げる。カールははっとしたように、首を振った。

「何でもない」

 元に戻った前髪をもう一度分けながら、カールは両手で顔を拭った。その様子にニナは少し首を傾げてから、気を取り直して話を切り出す。

「エヌのことだけど」

「あ、ああ。何か知っているのか?」

「うん。エヌは……」

 ニナが話そうとしたところで、カールはニナの後ろを見て、

「まずい。……また今度聞かせてくれ」

 口早に言って、さっと踵を返す。置いてある箱や瓶を器用に避けて、走って行ってしまった。

「ちょっと!」

 呆気にとられてカールを見送っていると、後ろから声を掛けられた。

「ニナ!」

 ラルゴだった。大通りからニナがいる隙間を覗き込んで、ラルゴはほっとしたように息をついた。大柄なラルゴが狭い隙間に苦戦している様子を見て、ニナは彼に駆け寄る。

「急にいなくなるから探したんだぞ!」

「ごめん」

 ラルゴが口を開くより前に、ニナは続けた。

「魔物のせいだと思う」

「魔物?」

 予想外の言葉にラルゴが目を見開いた。

「時の魔女の魔法って可能性もあるけど、たぶん違うと思う。あれは、魔物に引き込まれたんだ」

「どういうことだ?」

 ニナはラルゴに話して聞かせる。

「あれがもしかしたら厄災なのかもしれない」

「厄災……」

 ラルゴは腕組みをする。

「こんなこと言われても困るよね」

 難しい顔をしているラルゴにニナは慌てて言い募る。

「大丈夫。とりあえずはエヌの守護が働いているみたいだし。もしまた同じことがあっても、探さなくていいから。リ、じゃなくて、あの人がいる場所もだいたいわかっただろうから、私がいなくなっても大丈夫でしょ?」

「ニナ」

 ラルゴは、膝をついてニナと視線を合わせると、ニナを抱き寄せた。

「え、あ、あの、どうしたの?」

 戸惑うニナに、ラルゴは、

「怖かっただろう?」

「ううん」

 ニナは深く考えずにそう答えてから、

「そういえば、全然怖くなかった。今思えば不思議だけど」

 やせ我慢にも聞こえない平然としたニナの答えに、ラルゴは身体を離した。

「それなら、いいが」

 二の腕を掴んだ手はそのまま、ラルゴはニナの目を見る。ニナはそれをしっかりと――彼の開かない右目の分も――受け止める。

「俺は、お前を置いて行ったりはしない。また消えることがあったら探すからな。エヌの家の前で約束しただろう? モニエビッケ村から連れ出してやると」

「でも、もうここ、モニエビッケ村じゃないよ」

「まだ途中だ。お前の次の居場所まで送って、それでやっと『連れ出した』だ」

「ラルゴ……」

 今度はニナがラルゴの腕を掴む。胸がいっぱいだったけれど、それは涙にはならずに笑顔になって溢れた。

「ありがとう!」

 ラルゴは苦笑する。

「一か月近くかけて、やっと手なずけた気分だな」

「え、それどういう意味?」

 ニナが手を離して聞くと、ラルゴは何でもないとごまかして、

「とりあえず、ティサトには連絡しておけよ。それから、相手が魔物なら、時の魔女に相談するのはアリか?」

「確かに、そうだね。先生が一番詳しいと思う」

「今すぐ危険な状況になることはないな?」

「うん。エヌの守護があるから大丈夫だと思う」

「それなら、まずは人探しの方からだな。あの方を探して、一緒に城に行こう」

「お城?」

「時の魔女は王城にいるんだ」

 ラルゴがそう言った。振り返った方角に、きっと城があるんだろう。

 そうか、とニナは独りごちた。通信鏡で話したときに時の魔女が言っていたことを思い出す。

「私の目的地……」

 ニナはさっそく通信具を使ってティサトに連絡をした。王都まで来る間に何度かやりとりしたところでは、ティサトも王都に向かっているらしい。ティサトがニナのメッセージを聞き、それに返信するまでには時間差がある。厄災らしき魔物の件と、王城に行って時の魔女に会う予定だということだけを伝えると、通信具をしまった。ついでに、通信具と一緒の紐に下がっている白磁の葉を確認してみたけれど、いつもと変わっていなかった。

「そういえば」

 こちらの作業が片付いたのを見て、ラルゴが口を開いた。

「俺が来る前、誰か一緒にいなかったか?」

「うん。カール」

「カール?」

「時の魔女の依頼人。……もしかして聞いてないの?」

 声を失っているラルゴにニナは心配になって聞く。時の魔女が隠していたことだったら、面倒なことになる。

「いや、依頼人のことは聞いた。しかし、こんなところにいるとは……」

「知ってるなら良かった。……時の魔女に言われてここに来たんだって。あの人、貴族なんでしょ? 従者とか護衛とか誰もいなかったし、大丈夫かな」

「ええっ! お一人で?」

 ラルゴはカールが走って行った先を見る。足を踏み出しかけ、首を振り、「まさか本当に一人ではないだろう」とつぶやく。思い切るように頬を両手でパンっと叩くと、黙って見ていたニナを振り向いた。

「とにかく、まずは人探しだ」

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