4.稲妻のしるし(3)

 敷地の外に止めた馬車にティサトを残して偵察に行っていたラルゴは、難しい顔をして戻って来た。

「どうだったの? ニナは? ここにいたでしょ?」

 ティサトが聞くと、ラルゴは馬車に乗りながら、

「俺が知っている人物がいた」

「え? どういうこと?」

「ニナを攫った、というより、エヌを捕らえようとしている理由が、俺と同じなのかどうかわからないんだが……」

 ラルゴは一度頭を振ってから、馬を進ませた。

「忍び込んでニナを探すより、正面から話した方が早そうだ」

「私にはよくわからないんだけど、その辺はお任せするわ。ニナが無事に帰ってくるなら何でもいいわよ」

 宿に戻ってきたラルゴに起こされるまで、ティサトは気を失っていた。二時間は経っていなかった。エヌに間違えられてニナが攫われたのは、眠りに落ちる寸前のティサトの耳にも届いていた。だから、ティサトは目が覚めるなり、慌ててニナを探した。宿で荷馬車を借り、目撃証言とニナにかけた自分の魔法を手掛かりにすれば、ニナが連れ去られた屋敷に辿りつくまでそれほど時間はかからなかった。

 ニナに何かあったらエヌに申し訳が立たない。ティサトは両手を握りしめる。コートの内側や襟巻の隠しポケットには、攻撃に使えそうな魔法陣を描いた布をあるだけ仕込んできた。

 ラルゴは、ここまで当たり前のように一緒にニナを探してくれていた。彼がどれだけ信頼できるのか、ティサトはよくわからない。良い人だとは思うけれど、ニナと出会ってまだ数日のはずで、知り合いだという犯人の方に協力しないとも限らない。最悪の場合、一人でニナを助け出すつもりで、ティサトは屋敷を見つめた。

 屋敷の玄関を入ると、計ったように、奥から初老の男が出てきた。身なりからすると執事だ。宿に押し込んできた男たちとは違う。

 執事が何か言う前に、ラルゴが言った。

「シャルトムール公爵サクシマ様にお会いしたい」

 それを聞きながら、ティサトは顔色を変えないように努力した。シャルトムール公爵といえば先代国王の弟で、エヌと因縁があったはずだ。どこで知り合ったとか詳しいいきさつは知らないのだけど、王子時代の先王と公爵が同時にエヌを愛妾にしようとしたとかしないとか。

 いや、公爵も代替わりしたのだったか。ティサトは記憶を探る。先王の弟はスグラスという名前だった。サクシマは息子だろう。

 ティサトは斜め前に立つラルゴの顔を盗み見た。彼は何者なんだろうか。埃っぽい旅装のままなのに、堂々とした態度のせいで貴族の館にいても違和感がない。

「あいにく、そのような方はこの屋敷にはおられません。何かお間違えではないでしょうか」

 執事は無表情で言ったが、ラルゴは取り合わなかった。

「私はラルゴ・エットゥール。名前を出せばわかっていただけるだろう」

「いえ、ですから」

「そして、こちらのレディは……魔女でいらっしゃる。お名前はここでは出せないが、サクシマ様はもしかしたらご存じかもしれないな」

 ラルゴは、もったいぶってティサトを紹介した。エヌと誤解させたいのだろう。ティサトはもちろん、エヌだって、身分のある貴婦人ではない。毛皮は身に着けているものの、いかにも庶民の服装で、しかも荷馬車で乗り付けておいて、レディもない。

 執事が目を向けたので、ティサトは精一杯上品に笑ってみせた。

「サクシマ様は魔女を一人この屋敷にお召しになったはずだ。だから、きっとこちらの魔女殿にも会ってくださるに違いない」

 執事は今度は何も言わなかった。

「それなら、サクシマ様が本当にいらっしゃらないのか、こちらの屋敷のご当主にもう一度確認してもらえるだろうか」

 ラルゴが声の調子を変えると、執事は表情を動かさないままで、お待ちくださいと一礼して去って行った。

「あなた、何者なの?」

 二人きりになったのを確認して、ティサトはラルゴに聞いた。

「ああ……ニナにも説明しようと思ってたんだが、結局機会がないままだったな」

 ラルゴは苦笑した。

「貴族なの?」

「いや、近衛第一隊の所属だ」

「は?」

 簡単な自己紹介に、ティサトは大声を出しそうになるくらい驚いた。

「近衛第一隊って国王陛下の護衛じゃない!」

「そうだな」

「え、待って。あなたが探しているのリーン様って言ったわよね? それ、もしかして……」

「現国王メラエール二世の姉君だ」

「やっぱり」

「悪いが、この話は秘密にしておいてほしい。リーン様は病気静養中ということになっているんだ」

「それは構わないけど。それにしても、王姉殿下ねぇ……。はぁ……」

 ティサトはため息をつく。

「エヌのお客は昔っから貴族が多かったけれど……」

「いや、俺はエヌじゃなくニナの客だ」

 そう言うラルゴを見上げると、彼は誠実そうな笑顔を浮かべていた。ニナが彼を信頼していたのもわかる気がする。エヌはいい男ばっかり捕まえて……と思っていたのだけど。

「ニナもやるわね。血かしら?」

 小さく笑ったとき、

「あ」

 突然、ふっとニナにかけた魔法の気配が消えた。

「ニナの魔法が解けたみたい」

 怪訝な顔でこちらを見ていたラルゴに説明する。

「何かあったのか?」

「どうかしら。そろそろ解ける時間だったとも言えるけど……」

 何かわからないかと、玄関ホールの奥にある階段や、吹き抜けの天井に視線をさまよわせる。ラルゴはそれ以上聞かずに、じっと黙っていた。

 その後しばらく経って、奥から黒髪の青年が一人出てきた。品のいい暗色でまとめた服装に、優雅な足取り。シャルトムール公爵が彼だろう。

「やあ、ラルゴ、久しぶりだね」

「サクシマ様……」

 笑顔の青年に、ラルゴは呆れたように返す。ラルゴが口を開きかけるのを遮って、サクシマはティサトに笑顔を向けた。

「あなたが魔女エヌですか?」

「いいえ。違いますわ」

「そうでしょうね」

 サクシマはティサトが言い終わる前にあっさり翻す。こんなときエヌなら睨み付けただろうと思いながら、ティサトはにっこりと微笑んだ。

「あなたが攫ってきた魔女もエヌではありません」

「……へぇ、なるほど……」

 サクシマは軽く目を瞠った。それがティサトには意外だった。ニナの魔法が解けたのはサクシマの前ではないのだ。

 ティサトは眉をひそめる。

「彼女に会わせていただけません?」

「ええ、もちろん。皆で、お茶でも飲みながらお話しましょう」

 サクシマは笑みを深める。

「魔女エヌについて」

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