4.稲妻のしるし(2)

 時の魔女と入れ替わりに鏡に映ったのは、ニナとあまり年が変わらない黒髪の少年だった。

「あなたは誰だ? まさか魔女エヌではないだろう?」

 偉そうな態度と話し方は、ニナの知っている同年代の少年たちとはかけ離れていた。重そうな金の飾りのついた上着に、マントを羽織っていた。前髪を伸ばしていて目が隠れている。表情がよくわからなかった。

「サクシマは何をやってるんだ」

「まぁそう怒らないでください。魔法がかかっていたんです」

 少年の口調は怒っているというより呆れている様子だったが、時の魔女はそう言った。

「魔法?」

 鏡に映っていないからニナには見えないが、時の魔女が隣にいるのだろう。少年は左を向いた。そのとき、不自然に風が吹いた。時の魔女の魔法だとニナは思った。風は少年の髪を持ち上げる。

「あ」

 ニナは小さく声を上げる。

 少年の右のこめかみから目の下にかけて傷があった。皮膚が盛り上がっていて、周囲より少しだけ赤みがさしている。新しいものではないだろう。目を避けているから、ラルゴのように見えないわけではなさそうだ。

 ニナの声に気付いた少年がこちらを見た。目が合う。髪と同じ黒い瞳が見開かれていた。慌てて髪を戻そうとするから、ニナは声を上げた。

「待って! 隠さないで!」

 ニナの声に驚いて、少年が手を止める。ニナは鏡に一歩近づく。傷を見つめる。

「綺麗」

 ニナの言葉に、少年は苦々しげに言う。

「どこが?」

 睨みつけられたけれど怖くはなかったし、腹も立たなかった。それほどまでに嫌われている傷がかわいそうだと思った。だから、きちんと答えなくてはだめだ。

「全部」

 少年は何か言おうとして何も言えなかったのか、口を開けて、また閉じた。ニナは一度言葉を切る。

「その傷は力を持ってる。闇を切り裂いて、どんな激しい雨や風も従えて、雲を突き抜けて、時には青空も駆け抜けて、地上へ届く圧倒的な力。稲妻のしるし。あなたは力を持ってる。隠さないであげて」

 ニナは少年の瞳を捕らえ、にっこり笑った。

 思わず魔物を呼び出すときのような気持ちで言葉を紡いでしまった。もちろん魔物が呼び出せるとは思っていなかったが、朱い海や小さな朱い海に感じた魅力を彼の傷からも感じたのは確かだった。

 少年はぽかんとニナを見ていたが、ふいに真っ赤になって視線を逸らした。しかしもう髪を戻そうとはしなかった。

「ふふふ」

 時の魔女の忍び笑いが聞こえた。彼女の思惑にニナは乗ってしまったのだとわかっていたけれど、不快には思わなかった。形だけ抗議する。

「先生」

「おもしろくなりそうだわ」

 少年がニナと時の魔女を見比べて、時の魔女に尋ねる。

「知り合いか?」

「ええ」

「彼女は、魔女エヌではないのだな?」

「違います」

「そうか」

 少年はニナを見た。すっかり忘れそうになっていたけれど、彼は時の魔女の依頼人だ。魔女エヌを捕らえようとしている。

 彼になら、エヌはもうこの世界にいないと伝えても問題ないのではないか。ニナは考えた。

 ただ、時の魔女の意図がわからないのは問題だった。彼女は、依頼を受ける前からエヌがいないことを予想していて、ニナとここで会ったことで確信したはずだ。それなのに依頼人に真実を話すつもりも、仕事を打ち切るつもりもなさそうだ。何か考えがあるのだろう。時の魔女の仕事の邪魔はしたくない。後々まで恨まれて面倒だからだ。

 ニナは黙って少年を見返した。ほとんど睨む勢いだったけれど、彼は平然としていた。

「どうします?」

 時の魔女が聞くと、彼は一度目を閉じた。目を開くと同時に頭を軽く振る。前髪が元通りになり、傷を隠した。鏡の前から離れながら、

「帰すようにサクシマに伝えてくれ」

「承知しました」

 時の魔女の返事が届くとすぐ通信は切れた。

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