4.稲妻のしるし(1)

 魔法までかけてもらっておいて、ニナはあっさり捕まった。というよりも、魔法がかかっていなければ連れ去られることはなかったかもしれない。

 宿の部屋に入って来たのは知らない男たちだった。モニエビッケ村の人ではない。

「外から開かないようにしてたのに!」

 化粧に夢中だったティサトが叫ぶ。

「もしかして、中から開けたら無効になるやつ? さっきラルゴが出てったから」

「ああ、そうか。そうよね」

 ニナもすっかり失念していたので、ティサトを責められない。

 魔法で防御する暇もなかった。二人組のうちの一人が何か床に叩きつけて、煙が出た。吸い込まないように口を押えたものの、意識が遠のく。

 二人組の声だけは最後まで聞こえていた。

「どっちだ?」

「絶世の美女だろ?」

「お前選べるか?」

「いや、無理だ。どっちも好みだ。ああいや、確か魔女エヌは金髪だったはずだ」

「じゃあこっちだな」

 私はエヌじゃない。

 そう言いたかったのに声にならないまま、ニナは抱え上げられた。


 目を覚ましたニナは見たこともない綺麗な部屋にいた。

 暖炉に火が入っていて部屋の中は暖かかった。その暖炉の上には絵皿や壺が載っていて、壁には神話を描いたタペストリーが飾られている。部屋の真ん中に幾何学模様の絨毯。その上に置かれたふかふかのソファの一つにニナは寝かされていた。

 起き上がると、正面に窓があり、曇ったガラスの向こうは明るかった。外の景色は見えない。日付が変わっているのでなければ、連れ去られてから何時間も経っていないだろう。

 窓の逆側の壁には、ドアがあった。飴色の重厚な扉だった。

 鍵がかかっていたり、外に見張りがいたりするだろうか。

 ニナは少し考えてから、窓を確かめることにした。ドアから出たら玄関を探さないとならないけれど、窓から出たらそのまま逃げられる。

 そっと絨毯に足を下ろす。毛足の長い絨毯は、踏んではいけないものを踏んでいる気がして、ニナは爪先立ちで窓まで歩いた。

 窓は上げ下げ式だった。それほど大きくはなく、ニナの身体でもギリギリ通るかどうか。上階だったら、魔法で落ちないようにしないと。

 そこまで考えて、窓を開けてみる前に、ドアが開く音がした。ニナは舌打ちしそうになる。

 振り返ると、身なりのいい、二十歳そこそこの若い男が一人入って来た。黒い長い髪を束ねている。整えられた眉に、優美な笑顔。年頃の少女ならうっとりしそうな容貌には目もくれず、ニナは彼の細身の体を見て、突き飛ばして逃げられないかと考えた。

 窓辺にいるニナを見ても何も言わず、青年は笑顔を保ったまま、ソファに座る。こちらを見て対面を手で示すのは、座れと言う意味だろう。ニナはとりあえず逃げるのをやめた。どうして連れて来られたのか、エヌを探している理由は聞いておかなくてはならない。

 ニナはエヌの所作を思い出しながらゆっくり歩いた。先ほど爪先立ちで歩いた絨毯を堂々と踏む。ニナが向かいに座ると、彼はやっと口を開いた。

「あなたが魔女エヌですか?」

 そう聞くということは、ティサトの魔法はまだ有効なのだ。彼にはニナが大人に見えている。

 エヌの振りをした方がいいのか、人違いだと言った方がいいのか。迷った末、ニナは質問を返した。

「違うって言ったら、帰してくれるわけ?」

 青年は大げさに肩をすくめる。

「わかりません。僕が決めることではないので」

「決めるのは誰?」

「後でご紹介しますよ」

 そう言うのを待っていたかのように、男が二人入ってきた。服装から、自分を攫った二人組だろうとニナは思った。彼らは大きな姿見を運んで来た。ニナたちの横に置いて出ていく。

 楕円形の曇りのない鏡。それを縁取る金色の枠を見て、ニナは眉をひそめた。

 ニナの表情に気付いた青年は、

「わかりましたか? さすがですね」

「時の魔女?」

 当代唯一の名前を呼んではいけない魔女、ゲートリデートバトリー。彼女を意味する模様が鏡の枠に彫られていた。他の模様も単なる飾りではなく、魔法陣を構成する要素だ。

 ニナはため息を飲み込んだ。時の魔女が関わっているなら面倒なことになりそうだ。

 青年は満足げにうなずく。

「ええ。時の魔女が協力してくれているんですよ」

「あんたも協力してあげてるんだ? その誰かに」

 彼は笑顔を崩さないまま、

「まぁそんな感じですね」

「何のために?」

「僕からは言えません」

 青年は鏡に目を向ける。

 話が進む気がしない。ニナは苛立ち始めた。

「説明できる人間をさっさと呼んで」

 そこで、鏡を運んできた男の一人がやって来て、彼に耳打ちした。

「すみません。ちょっと失礼します」

 話を聞いた彼は、さっと笑顔を消して、足早に部屋を出て行ってしまった。ニナは呆気にとられてしばらくそのまま座っていた。もしかして今逃げればいいのかと気付いたとき、鏡が光った。

 通信鏡だろう。対になるもう一枚と景色を交換しあう。どの程度のやりとりができるかは魔女の力次第だけど、時の魔女なら声も届くはずだ。

 ニナは鏡の前に立ち、そっと触れる。パンッと、目の前で大きく手を鳴らされたような感覚。額に熱を感じた。時の魔女の魔法がティサトの魔法を弾き飛ばしたのがわかった。

「ニナ?」

 時の魔女が鏡に映る。百年以上生きているというが見た目は二十代くらいだ。エヌやティサトよりも若く見える。豊かな髪は真っ白で、それだけが年齢を感じさせる。おもしろいものを見付けたとでもいうように、緑の瞳が瞬いた。長い爪で唇をなぞる。

「連れて来たのは金髪の美女だって聞いたのに」

「先生、今度は何をやってるんですか?」

 ニナは時の魔女を先生と呼んだ。彼女のことはよく知っている。エヌの師匠で、同時にエヌの育ての親だからだ。ニナにとっても、――一番はエヌだが――時の魔女は師匠にあたる。

「仕事に決まってるじゃない」

「どんな仕事?」

「もちろん、金になる仕事よ」

 にやりと笑ってから、時の魔女は表情を改める。

「あなたがあっさり捕まるような事態をエヌとアケミが許すはずはないわね?」

 ニナは神妙にうなずく。

「はい」

「込み入った話は今はいいわ」

 続けようとしたニナを時の魔女は先回りして止める。

「後で説明に来なさい」

「来なさいって、先生、どこにいるんですか?」

 時の魔女の住んでいるところをニナは知らない。

「自分で探しなさい」

 そう答えてから、ふと思いついたように言い直す。

「あなたの目的地にいるわ」

 占いの結果を告げるときのような厳かな雰囲気は、一瞬で消えた。時の魔女は一度振り返った。誰か来たのだろう。ニナに視線を戻したときはとても楽しげに笑っていた。

「依頼人を紹介するわね」

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