3.エヌの魔法(2)

 ティサトはオークルウダルー村に一泊するつもりで宿を取っていた。話もあるだろうからとラルゴが気を利かせてくれ、ニナたちも泊まることになった。

 ティサトとニナを同室にして、ラルゴは別の部屋を取った。自分の部屋に荷物を置きに行ったラルゴが、二人の部屋のドアを叩いた。

「俺は少し買い物をしてくる。お前の物も揃えないとな」

「あの、私、お金持ってない」

 エヌは魔法に関することに金を惜しまなかったから、元々貯金はほとんどなかったのだが、その上、換金できそうな魔法具も含めて全部燃えた。ニナは、わずかばかりの自分の金も家に置いてきてしまった。

「俺が出すから心配するな」

「でも」

「占いの代金だ」

 ラルゴは笑って、手を振って出て行った。

 黙ったままだったティサトが、大げさにため息をつく。

「本当にいい男じゃないのー。エヌにはもったいないわ」

「そういうんじゃないよ。それにエヌはもう……」

 ニナが言いよどむと、ティサトはニナの手を引いた。腰かけていたベッドの自分の隣に座らせる。ニナの手をぎゅっと握るティサトの手は温かい。

「エヌが亡くなったこと、知ってるの?」

「ええ」

 ティサトはうなずいてから、すぐさま首を振る。

「いいえ、正確には知らないわ。そうじゃないかと思ったけれど、信じたくなかった」

「ごめん、私が知らせなきゃならなかったのに」

「いいのよ。大変だったんでしょう? 何があったか話してくれる?」

 ニナは、エヌの最期からラルゴとの出会いまで、自分が知っていることを全て話した。あまりまとまっていない長い話を、ティサトは時に涙をこらえながら辛抱強く聞いてくれた。

 聞き終えたティサトは、足を組んで考え込むように頬杖をつく。

「あなたはエヌがどんな魔法を使ったか知らないのね?」

「うん。火事の後には魔法陣も魔法具も何も残っていなかった」

 ニナはずっと疑問に思っていたことを口にする。

「厄災って本当にあったのかな。エヌは魔法の研究が一番大事だった。私のこと置いて行ったんじゃないの? 私のこといらなくなったから」

「それはないわ」

 最後まで言わないうちに、ティサトが遮った。顔を上げると、綺麗に縁取られた目が真っ直ぐにニナを見つめている。化粧に鉱物を使っているのか、目尻が不思議な光沢を放っていた。エヌよりいくつか年上だからもう四十歳近いはずなのに、しわ一つない。

 一瞬見惚れて、勢いを削がれたニナは、声を落とした。

「どうしてわかるの?」

「エヌから手紙が届いたのよ」

 ティサトは荷物の中から封筒を取り出した。

「私がこれを受け取ったのは十日前よ」

「え? だって、エヌは夏にはもういなかったのに」

「わざと時間がかかるようにしたのね」

 首を傾げるニナに、ティサトは手紙を開きながら、

「南のアグレシア王国に私の姉がいるの。姉がエヌから手紙をもらってね、その中に私宛の手紙が入っていたんですって。急ぎじゃないって書いてあったし、次に会ったときにって思ってそのまま置いておいたらしいの。魔法を使えばもっと早く受け取れたかもしれないけど、姉は魔法を使えないの。十日前に姉が訪ねて来て、やっと私の手に渡ったってわけ」

「どうしてそんなこと……」

「わからないけれど、邪魔されたくなかったのかもしれないわね。私の家はモニエビッケ村から遠くないでしょ?」

 ティサトが住んでいるのはこの村のさらに南だと聞いていた。エヌと親しい人の中では一番近くに住んでいて、行き来も多かった。といっても、親しい人が片手で数えるほどしかいなかったのだけど。

「まあ、エヌもこんなに時間がかかるとは思ってなかったでしょうね。郵便で送ってくれたらよかったのに、姉さんってば呑気なんだもの」

 ティサトはそう言ってから、ベッドにエヌの手紙を広げる。

「見て」

 二枚ある便箋のうち、一枚には『私の最後の魔法をあなたに』とだけ書かれていた。そして、もう一枚には魔法陣が描かれていた。初めて見る魔法陣だ。しかし、エヌの手による魔法陣を熟知しているニナには、それが何かを守るためのものだとわかった。

 厄災から村を守るための? 厄災は本当だったのだろうか。

「え……」

 読み解くうちにニナは声を失う。ただの守護の魔法陣ではないようだ。

 ティサトが、順番に模様を指で辿る。

「これはエヌの模様よね? それから、逆写しの模様。この間にある記号の……この配置は、エヌを供物にするって意味だと私は解釈したんだけど。どう?」

 ティサトはニナに意見を求めた。エヌの魔法に関しては、ティサトよりもニナの方が詳しい。

 ニナは記憶を探る。他の記号の意味も考えなくてはならない。

 ニナの考えを助けるように、ティサトはまた魔法陣を指差す。

「これはニナの模様ね。これと、これ。この辺りのいくつかもニナを示唆しているんじゃない?」

「……うん。魔法の対象、守られるのは私」

 ほとんど上の空で答える。ティサトの視線を感じたがニナは魔法陣から目が離せなかった。隅から隅まで丁寧に意味を拾う。

 アケミを意味する模様が見つからない代わりに、古い書物によくある魔物全体を示す記号がある。鎖の模様が二本あったが、どちらも閉じられていない。普通なら契約を意味するが、これでは不完全だ。

「魔法が発動してから変わる……?」

 理解できた気がした。

「契約というより、賭けかもしれない。エヌが魔法界に上がれたら私を守護する、そうでなければ呼び出された魔物が守護する」

 アケミは、エヌは魔法界に上がったと言っていた。それなら、今ニナはエヌに守られていることになる。

「結果的に、魔物になった後のエヌと、人間だったときのエヌが契約したことになるから……」

「時間軸を組み込んだのね」

 ティサトの声はかすれていた。ニナも唾を飲み込む。

 とても強固な守護魔法が完成したのだ。

 それがニナを守っている。

 ただ、何から守っているのかがわからない。エヌがそこまでしないとならないような危険がニナにあるとは思えないのに。

 ティサトの手がニナの頬に触れた。

「エヌはニナを守ろうとしたの。それは間違いないわ」

 彼女の少し高い声が託宣のようだった。

「エヌはあなたを置いて行ったわけじゃない。わかった?」

「うん」

 ニナは素直にうなずいた。ティサトの言葉が心の奥にしっかりと染み渡っていく。

「厄災は村じゃなくて、ニナに降りかかるものだったんじゃないかしら。場所に関する記号がないもの」

 ティサトは慰めるように優しく微笑む。

「一人ぼっちにならないように一計を案じたつもりだったのかもしれないけれど、裏目に出たのね。あの子、人の気持ちを予想するのは苦手だもの」

 ――最期、エヌはニナのことだけしか考えていなかった。

 アケミの言葉がニナの心の中で響いた。

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