時代の終わり
「おれがわかるか、ヨルン。おれがわかるのか」
ズートから届けられた、金糸の刺繍に彩られたマントに見を包んだヨルンは何も答えずに、ただ玉座から立ち上がると、〈達人〉の元へと歩み寄る。そしてその傍を通り過ぎると、バルコニーの長椅子へと腰掛け、振り向いて言った。
「座ったらどうだ」
〈達人〉はそれに従い、ヨルンの隣に腰掛けた。
二人の眼下には、〈達人〉たちと〈銀の守護者〉たちがお互いに殺し殺されあう、戦場と化した燃え盛るダチェルの廃墟が広がっていた。混ざりあった怒声と悲鳴は絶えることはなく続き、あちこちからあがる炎は夜空を赤く染めていた。よく目を凝らしてみれば、効率的に組織だって攻め立てる〈達人〉たちが、犠牲を出しながらも、ひとり、またひとりと、〈銀の守護者〉たちを順番に打ち破っていくさまが見えた。
〈達人〉は言った。
「この状況だ。〈銀の守護者〉を狩り尽くしたら、あとは親玉の〈銀のけもの〉をくびり殺す。その死体をブルトに晒す。それでおしまいだ。それで仕事は終わる。それで終わりだ」
「そうか」
ヨルンは続けて言った。
「そなたら、〈銀のけもの〉を殺すつもりなのか。殺すと言っても、どうやってやつを殺すつもりだ? 〈けもの〉は〈けもの〉にしか殺せないというぞ」
「おや。それは知らなかったな」
〈達人〉は驚いたように言った。
「まあ、殺せないと言っても、なんとでも封じ込めようはあるだろう。手足を斬り落とし、また生えてくるようなら斬り落とし続ける。そうして人里離れた洞窟にでも押し込めておけばいい。まあ、そのうち、いつか冴えたやり方が見つかることだろうさ」
「なるほどな」
ヨルンは軽く微笑むと、〈達人〉に顔を向けて言った。
「カンイー。〈銀のけもの〉は死んだぞ。私が殺した。この手でな。死体はそこに転がっている」
「なんだと! それは素晴らしいな!」
「それでな」
ヨルンは少し寂しげな表情を作り言った。
「今は私が〈銀のけもの〉なんだ。この私がな」
「おお。あー」
〈達人〉は困ったような顔になると、続けて言った。
「あー、それは、その、なんだ。ああ、あまり、聞きたくはなかったな。おれとしてはな」
「そうだろうな」
〈達人〉は空に顔を向けると、独り言のように言った。
「お前さんが〈銀のけもの〉ってなあ。そう言われても、なんともピンと来ないもんだ」
「そういうそなたこそ、一体全体その姿はどうしたことだ。フカ山脈で見た、あの〈双子〉そのものではないか。全く、忌々しいことこのうえない」
「ははははは! 色々あってな。してやられたというか、なんというかな。まあ、一つだけ言わせてもらえば、お前の知っているカンイーは既に死んだよ。今ここにいるおれは、お前の知っていたカンイーがこの世に残した”こだま”みたいなものだ。カンイーそのものじゃない。カンイーと同じ何かであることには、違いないがな」
「”こだま”、か」
「そう、”こだま”だ。あのババア──〈森の賢者〉っていうんだがな、何が〈賢者〉だあの金の亡者め──が言うには、しばらくはこの〈達人〉の意識の表面に”おれ”は現れ続けるらしいんだが、だんだんそれは薄れて言って、そのうちには溶け込んで、〈達人〉と本当に一体になってしまうんだとよ」
「……」
「それを聞かされてもな、おれには全然怖く感じられなかったんだよ。それが怖かった。自分が失われて何か別のものの一部になってしまうことを怖く感じるべきだと思っているのに、それが全く怖く無かった。この、おれの心の中にうずまく、あの〈永遠のジハ〉の木の葉の嵐が、〈うつくしいもの〉が、どうしようもなく、おれの心を慰めるんだ。無理やりにな!」
「カンイー」
「見ろ。あそこにいるおれを。あいつはもうすぐ死ぬだろう、それなのにまだもがいている。見ろ。あそこにいるおれを。あいつなんて死んだおれを盾にして、必死の形相で突き進んでいる。それもこれも死にたくないからだ。あそこでは無数のおれが死にかけているんだ、ヨルン。それなのに、あの〈赤の森〉では、次のおれが、また次のおれが何かを殺すために、そして殺されるために生まれようとしている。おれはなあ、怪物になっちまったんだよ、ヨルン、化物になっちまった」
〈達人〉は顔をうずめると、続けて言った。
「こんな風にはなりたくなかった。こんな風にはなりたくなかったんだ。世界を救うためとはいえ、こんなのはあんまりじゃないか。なあ」
「カンイー」
ヨルンは〈達人〉の肩に手を置いた。そして言った。
「何か私に頼みたいことがあるのか」
「ははははは。さすがだな、どこぞのヨルン様。そうだよ。お前に頼みたいことがあって、やっとのことでおれはここまでやって来たんだ」
そして〈達人〉は言った。
「頼む。おれを殺してくれ。おれたちを殺してくれ。おれたちが〈夜のカンイー〉であるうちに。〈夜のカンイー〉としての命を終わらせてくれ」
「わかった」
「それでな。次が本題なんだが、〈赤の森〉って場所があるんだが──おれに〈交信〉すれば正確な場所がわかるはずだ──、そこ、燃やしちまってくれ。おれには出来なかったんだ、どうしても。身体が言うことを聞かなかった。畜生、あのババア、笑ってやがった、あの時のおれのことを! ぶるぶる震えながら、なんとか自分の身体を思い通りにしようとして、それでも出来なかったあの時のおれのことを!」
〈達人〉は長椅子に拳を叩きつけると、続けて言った。
「あの〈森〉がある限り、おれはずっと生まれ続ける。おれはもうおれにこんな思いをさせたくないんだ。全部終わらせちまってくれ。頼むから。お願いだ、ヨルン」
「わかった」
「ありがとうな。お前ぐらいにしか出来ないだろうと思ってな、こんなこと」
「……」
ヨルンは、〈達人〉から短刀を受け取ると、〈達人〉の額を切り裂いた。そしてその繊細な〈右手〉をその傷口にあてると言った。
「準備はいいか」
「ああ」
そして彼らは〈無限の地平〉にいた。
ほしぼしの瞬く〈無限の地平〉では、ヨルンは青い瞳を持つ銀色の狼の姿を、〈達人〉はかつてのカンイーの姿を取っていた。
カンイーは言った。
「ははははは、思い出すな、あの山賊砦でのことを。お前、突然おれの足に釘刺しやがって。とんでもないやつだったよ、本当に」
「カンイーよ。誓おう。〈銀のけもの〉として。私は我が父と同じことを決して繰り返さない。これからの生涯を、子を成すことなく、この世に残った残りの〈銀の血族〉を狩ることだけに費やすと誓おう」
「ははははは!」
カンイーは大笑いして言った。
「真面目なやつだよ、本当にお前は! 真面目な化物になったもんだ、ヨルンさんよ! おれもお前を手伝えればいいんだけどな、駄目だよ、おれは駄目だった。おれはくじけちまったんだ、自分にな! さあ、早いところ──」
その時、美しい黄金の木の葉の嵐が二人の間に吹き荒れた。そのこの世のものとも思えぬ美しさは、〈無限の地平〉に存在する全てを幻惑せんばかりであった。カンイーはその存在に目を奪われながらも、心の底から恐怖していた。
だが、
「散れ」
そのヨルンの一言で、木の葉の嵐は燃え上がり、ただの薄汚い灰の塊になる。そしてヨルンはその灰を、ただの吐息で吹き消した。そして言った。
「他愛ない」
「ははははは! すげえな、すげえな! ありがとう、ヨルン、ありがとう! ざまあみろ、何が〈永遠のジハ〉だ! くたばりやがれ、精霊野郎が!」
そしてカンイーは、両手を広げると、目を瞑って言った。
「さあ、やってくれ! まあ、やるにしても、おれはまだまだたくさんいるんだけどな!」
「任せておけ」
そしてヨルンは足を踏みしめた。
「一人残らず殺してやる」
それを聞いてカンイーは、心の底から愉快そうに笑った。
◆
〈銀の守護者〉である〈男女のナナイル〉は興奮していた。敵が! 敵が次々に遅い来る! 四方八方から襲い来る! ああ、終わりない戦闘だ、尽きることのない殺し合いだ! この同じ顔をした男たちは、これまでに戦ったどんな敵よりも凄まじい脅威だった。個のちからはそれほどでもない。だがこの連携! 疎ましいまでに素晴らしい。もし自分にこの二つの首が、二つの視界がなければ、とうの昔にやられていたことであろう。ナナイルは左手の大鉈でさらにもう一人の敵を叩き殺しながら、切り裂かれた腹を〈銀の根〉で縫い合わせながら、心の中で彼らを賞賛していた。そして叫んだ。
「来い! 来い! 来い! その程度ではこのナナイル、殺せはせんぞ!」
「そうか」
その声は冷たくナナイルに突き刺さった。ナナイルは恐怖と喜びをもって振り返る。そこに立っていたのは、青い瞳を持つ男──彼らの新しき〈銀のけもの〉であった!
全てを理解したナナイルはさらに興奮した。 代替わりだ! 新しい時代が来たのだ! あの死にかけた〈けもの〉などではない、新しい我らの父だ! もはや我らに敵は無い、もはや何者にも止められない! そして世界はこの新しい〈けもの〉の元に、銀色に埋め尽くされるのだ! もはや隠れて生きることもない! ナナイルは輝かしい未来を胸に二つの顔で狂笑しながら、さらに勢いを増した大鉈を振り回し敵を殺しまくった。
その様を見て、ヨルンはこの〈銀の守護者〉に憐れみを覚えた。きっとこの男──いや女だろうか──は、ずっとこうして生きてきたのだろう。きっとこうすることしか出来なかったのだろう。それは何故だろうか。それは〈銀のけもの〉の子として産まれたからだ。それがこの者の運命だったからだ。
終わらせてやらなければならない。ヨルンはそう思った。
そしてヨルンは、暴れ続けるナナイルの肩にそっと手を置いた。ナナイルはびくりと一瞬震えると、ヨルンを”信じられない”という二つの顔で見つめ、そして泣きながら銀色の粉になり崩壊していった。
ヨルンはこれから先にもまだ続くであろう、彼の永いたたかいのことを思った。そうして夜明けの光を浴びていた。
周囲にうずくまる、死にかけた〈達人〉たちをヨルンは見つめる。まだ殺すべきものは大勢いた。そこにも。あそこにも。それが彼の選び取った、彼だけの使命なのであった。
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