〈赤の森〉、〈森の賢者〉

 黄金色の木の葉たちが夕暮れの光を受けて、燃えるような赤色に輝いていた。この光景こそが、〈赤の森〉の名の由来であった。

 一年を通して秋の色を保ち続けるこの森は、”許し”を得ていないものがひとたびその中に立ち入れば、たちまちのうちに巻き起こった木の葉の嵐にその身を包まれ、そしてその美しさに幻惑されているうちに、何のためにこの森へ立ち入ったのか、いつこの森へ入ったのかを忘れてしまい、ゆくゆくは時と距離を隔てたどこかの地で、自らを失った状態で彷徨っているところを見つけられることになるのだという。


「”許し”? ふうん」


 カンイーは〈雀蜂〉をくるくると回しながら言った。


「”許し”だと? ふううん」


 カンイーは〈雀蜂〉をくるくると回し続けながら言った。


「気に入らねえな。なんだかな。気に入らねえ。本当によ」


 カンイーはそう吐き捨てると、〈達人〉達を引き連れ、馬に乗ったまま〈赤の森〉の中へと入っていった。



「〈銀の軍勢〉ってのは、まあ、ろくでもないもんだよなあ」

「はい。カンイーさん」


 馬上のカンイーが誰ともなくそう呟くと、傍にいた〈達人〉のうちの一人がそう返事した。

 カンイーはそちらに顔を向けることもなく、独り言のように話し続けた。


「おれはもともと、こんな風に張り切るつもりはなかったんだよ。おれの仕事は、まあ言ってしまえば世界を守る仕事なんだけどよ、それほど気を入れてるわけではなかったんだよな。ただ上から言われたことだけをやる。ただ粛々と。ただそれだけだ。ただそうやってればよかった」


 カンイーはそこで一口革袋から水を飲んだ。


「あの〈南限〉のいつかの何王だったか……そうだ、〈侵略王〉だ。〈侵略王ゲール〉だよ。あのオッサンが攻めてきた時がおれの初仕事だったか。まだガキだったけどよ。それでもよ、おれたちが出張ってこれば、片付けられないことなんて無かったんだよ。おれたち〈瞳〉がな。なあ。おれたちが、誰にも知られずに解決してきた世界の危機がいくつあったと思う? ま、正確なところは、〈瞳〉の文書係ぐらいにしかわからないだろうけどな」

「はい、カンイーさん」

「おい。お前らに何がわかるんだよ」

「すいません、カンイーさん。私達にはわかりません」

「そうだ。それでいい。それでだ」


 陽の落ちた〈赤の森〉を、冷たい夜風が吹いた。


「畜生。なんの話だったかな。そうだ。〈銀の軍勢〉だよ。おれの腕……あのあれは……あいつらは、あってはならないものだ。そうだよな? あんな化物共、どうにかして皆殺しにしなきゃいかん。おれの本能がそう言ってる。人間としての本能がよ。わかるか。あれはおれたちの絶対の〈敵〉なんだ。わかるか」

「はい、カンイーさん」

「わかるのか」

「はい」


〈男〉は、鋭い瞳でカンイーを見つめながらそう言った。カンイーはその目に、フカ山脈で出会ったあの無機質な〈達人〉と全く同じ顔の中に、違うものを見た。それは苦悩と怒りの小さな火だった。その火種が彼自身であったとは、今のカンイーには気付きようもなかったが。

〈男〉は続けて言った。


「彼らのせいで、私の中の、私達の中の、〈うつくしいもの〉が汚されました。木の葉の嵐が。それはとても苦しいのです」

「はあ?」


それを聞いてカンイーは思わず吹き出した。


「なんだそりゃ。何が〈うつくしいもの〉だ。人殺しのくせによ。何言ってんだお前ら。ハハハハハ! 〈うつくしいもの〉、だってよ。ハハハハハ! くっだらねえ! くっだらねえ! お前ら最悪だ、最悪の生き物だよ。ハハハハハ! 〈うつくしいもの〉!? ハハハハハ! はあ、くだらねえ、本当にくだらねえ! ま、いいよ。どうでもよ」


 カンイーは皮肉な笑い声をあげながらそう言うと、言葉を続けた。


「お前らはそうやって作られた”もの”だろう。お前らはこれから役目を果たすんだよ。あの〈銀の軍勢〉だけは、おれたちの力だけでは対処できねえ。もちろんお前たちだけの力でも対処できねえ。大陸のオモテの奴らの力だけでも当然無理だ。全員だ。全員でやらなきゃいけねえ。この事態はな」

「はい。私達は役目を果たします」

「そうだ」


カンイーは手綱を強く握ると、言葉を続けた。


「何がなんでも、あの〈賢者〉様には言うことを聞いてもらわなきゃならねえ。絶対にな」

「はい」


〈男〉はカンイーに言った。


「私もそう思います」


 カンイーは返事を返すことなく前に進んだ。彼らはそのまま、〈赤の森〉の奥へ向けて歩き続けたのだった。



 カンイーは横っ飛びしながら〈雀蜂〉を撃ちまくり、血の戦場を駈けずり回っていた。どこもかしこも死んだ人間か死にかけている人間の悲鳴でいっぱいで、どこもかしこも〈銀の軍勢〉でいっぱいだった。見渡す限り地平線はすべてが赤く燃えていて、立ち上ってくる大量の煙があのきれいな月を覆い隠していた。

 ああ、月が見えない……。こんな夜は好きじゃない。カンイーはぼんやりとした頭でそう思った。そしてその腹を、背後にいた〈銀の眷属〉の触手が貫いた。

 続けて、〈男女〉がその巨躯を踊らせながら振るう大鉈が、腹の触手を引き抜かんともがくカンイーの四肢を次々と斬り飛ばしていった。不思議と苦痛は無かった。ただ、その腹を貫く触手から、その腕を切り落とす大鉈から、彼らの歓喜が伝わってきた。猛烈な歓喜が。それはカンイーの精神に大きな衝撃を与えた。

 奴らは喜んでいる。奴らは喜んでいる! おれたちを殺すのを! あの〈磯巾着〉でさえも!

 おぞましい。

 おぞましい。

 一匹残らず殺してしまわなければ。

 燃え盛る大地の、その炎の奥で人間の死体と共に踊る〈銀の軍勢〉達の影法師を眺めながら、薄れ行く意識の中で手足の無いカンイーは〈男女〉に腹を食い破られながらそう思った。そしてそれが夢の終わりだった。

 汗まみれで目覚めたカンイーは、粗末なベッドから身を起こすと、狭苦しいねぐらからまだ暗い朝の〈赤の森〉中心部へと出て行った。

 淡く光る〈産木〉の中で、丸まって眠っている未成熟な〈達人〉達の姿には、まだ慣れることが出来なかった。まだ身体が出来上がっていないせいか、肌は薄く、骨と内蔵が透けて見えていた。

 カンイーを案内した〈達人〉達は、開けた場所で円座を組んで座っていた。〈達人〉は生まれ落ちるまでに、一生分の眠りを〈産木〉の中で済ませ、そしてそれ以後は、死ぬまで眠ることはないのだという。その有用性だけでも利用価値は高かった。

 

「お目覚めですか、お客様」

 

 そう言いながら現れたのは、黒いローブを着た〈森の賢者〉だった。萎びたようなその老女は、乾いた笑みを浮かべながら続けて言った。

 

「よく眠れましたかね。布団はどうでしたか」

「ああ、悪くなかった。全く悪くなかったよ、〈賢者〉さん」

「それは何より」

 

〈森の賢者〉は、カンイーに切り株で出来た椅子を勧めると、自分も古い木のテーブルを挟んだ向かいの椅子に座って言った。

 

「昨晩はすみませんでしたねえ。なにせ、この老体ですから。遅くの商談はこたえるものでしてね」

「それはそうだろうな」

「それでは、早速ですが……」

「ああ、早速だが」

 

 カンイーは〈雀蜂〉を素早く抜くと〈賢者〉の額に狙いを定めた。

 

「あんたが出せるだけの〈達人〉、全部出してもらおうか」

 

〈賢者〉は驚いた目で〈雀蜂〉を見ると言った。

 

「おやまあ。それが噂の秘匿武器ですか。さすが〈瞳〉のお方、値打ちのものを持っていらっしゃる」

 

 カンイーはテーブルへ向けて〈雀蜂〉を撃つと、再び老女の額に狙いをつけて言った。

 

「言ってなかったが、これはこういうものだ。おれが指を引けば、炎と共に、穴が空く。わかるな? 見えたよな?」

「ええ、ええ、よくわかりますとも」

「んん? 言いたいことは伝わってるのか、〈賢者〉さん?」

「ええ、ええ、よく伝わっていますよ。タダで〈達人〉を全部よこせと。そうおっしゃっていらっしゃる」

 

 そこで咳き込むと、〈森の賢者〉は続けて言った。

 

「まあ、その、なんと言いますかね。商談というのは、本当にいろいろな局面で行われるものなんですよ。そういう意味では、あなたがなさっていることは全く見当外れと言いますか、まあ、なんと言いますか。その、恐縮でございます」

「何が言いたい」

「後ろ、ご覧なさい」

 

 得体の知れぬ悪寒を感じたカンイーが振り返ると、そこには両手で捧げ持つ、〈鏡〉をこちらに向けている〈月のバナン〉と、〈鏡〉越しにカンイーを見つめる二つの銀色の瞳があった。

 なんだと。

 カンイーはその瞳に一度見つめられたことがあった。それは〈ギョウェンの瞳〉の入団儀式の時だった。高い階段の上から見下ろすその瞳は、今と全く同じように、冷たく全てを見通していた。そしてその瞳の持ち主の傍らに立っていたのは、今〈鏡〉を持っている男だった。

 カンイーは言った。

 

「ギョウェン、様。何、故」

 

〈ギョウェンの瞳〉の支配者は、何も言葉を返すことなく、ただその目で〈瞳〉の構成員である〈夜のカンイー〉を見つめ続けた。カンイーはテーブルの端を掴み耐え続けていたが、やがて白目を剥くと、食いしばった歯の間から泡を吹きながら気を失い、そしてテーブルの上に崩折れた。

 ギョウェンは〈鏡〉越しに〈賢者〉へ話しかけた。

 

「それでは頼んだぞ、〈賢者〉よ。これが伝えていたとおりの代金だ」

「ええ、ええ、ありがとうございます。それではご対応させていただきますよ。なにせ、”世界の平和のため”、ですからねえ」

 

 そう言いながら〈賢者〉はカンイーの手から〈雀蜂〉を盗み取ろうとしたが、それはすでにバナンの手の中にあった。〈賢者〉は小さく舌打ちをすると、傍にいた〈達人〉を呼び寄せて言った。

 

「お前たち。この男、〈胎木〉の中に入れておいで」

 

〈達人〉達は動かなかった。訝しんだ〈賢者〉は、〈達人〉の一人の瞳を覗き込む。そしてその変化を読み取った。〈賢者〉はため息をつくと、苦笑しながら続けて言った。

 

「お前たち、なんだい、この男に何か吹き込まれたのかい? 言ってごらん。聞いたげるから」

「〈賢者〉さま」

「なんだい」

「彼は、カンイーは私達の中の汚れてしまった〈うつくしいもの〉に、新たな要素を加えてくれました。それはとても素晴らしいことだと、私は思うのです。きっと私達もそう思っています。そんなものを与えてくれた彼を、〈胎木〉に放り込むなんて、とても私には出来ないのです。それは悲しいことだと、そう思うのです」

 

 それを聞いた〈森の賢者〉は、大きな笑い声を上げると、軽く咳き込んでから言葉を返した。

 

「お前たちねえ、よく考えてご覧よ。そんな素晴らしいことを与えてくれた男を、そりゃあ〈胎木〉に放り込めば死ぬことにはなるけどね、でもその後同じ男はいくらでも〈産木〉から出てくるじゃあないか。いいかい? お前に素晴らしいことを与えてくれたのと全く同じ男が、いくらでもこの世の中に現れることになるんだよ。それは素晴らしいことだろ? そう思わないかね?」

 

 それを聞いて、それを想像して、〈達人〉達の心の中には爽やかな風が吹いた。彼らは安心した。そして彼らは、失神したままのカンイーを担ぎ上げると、彼を〈魔境〉の中心部にある〈胎木〉のうろの中へと放り込んだ。

 そこで〈夜のカンイー〉の構成要素は分解され、そして〈胎木〉の中へと吸収された。

 その様を見届けながら、〈達人〉達はいつか〈カンイー〉達と共に過ごす日々を夢見た。それはきっと素晴らしいものになるだろうと思った。それはきっと〈うつくしいもの〉なのだろうと彼らは思った。彼らは、愚かなまでに純真だった。

 そしてギョウェンからの命令どおり、カンイーと引き換えに五百人の〈達人〉を調達することに成功した〈月のバナン〉は、一大兵力を従えて、ブルトへと帰還するのだった。

 こうして〈夜のカンイー〉は死んだ。少なくとも、彼の肉体は、〈赤の森〉の中で滅び去った。銀の瞳に見つめられて。

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