陰りゆく大陸 -1

〈ダチェルの虐殺〉と共に発生した勢力〈銀の軍勢〉は、東西に広がるドエ大陸のうちフカ山脈以西地域をその支配域とした。この事態を重く見た〈ドエ大陸評議会〉は各主要都市の代表者を招集し、大陸中央部に位置する商業都市ブルトにて対策会議を開いた。当初の予定を延長し一週間に及んだこの会議の結果、〈銀の軍勢〉のこれ以上の支配域拡大を防ぐため、各都市の戦力をフカ山脈付近に集約させ、一気呵成の短期戦にて彼らを打ち倒すという方針が策定された。

 東方のオートラン、トイア、ケレザン、カルランの〈群島四王国〉や、〈北限〉の〈沈黙王〉、また〈南限〉の〈光輝王〉への支援要請も会期中に二度ほど検討されたが、結局は却下された。他国の軍事力を大陸内に駐留させる危険を冒さずとも対処が出来ると判断されたのだ。

 ブルトに存在する地下組織〈ギョウェンの瞳〉の代表者である〈顔の無い男ギョウェン〉は、この決定を聞いて失望した。そしてその日のうちにブルトの領主である〈巻き毛のグインゴ〉を呼び出し詰問した。一体何を考えているのか、と。グインゴは答えた。


「恐れながら申し上げますが、我らの力を結集させれば、対処できない脅威とは考えられません。〈瞳〉の方々にご足労いただく必要も無いかと存じます」

「お前はこう考えている。『これ以上〈瞳〉達に出しゃばらせるわけにはいかない』、と。私にはわかっている。お前のその瞳からは深い警戒の色を読み取ることができるぞ」


 グインゴは思わず〈顔の無い男〉から目を逸した。ギョウェンは続けた。


「よいか。お前たちはその虚勢により日を待たずしてその身を滅ぼすことになるだろう。我々は世界の均衡の監視者だ。お前の街に身を置くことは我々にも好都合であったが、それももはや今日までだ。これから先お前は私の姿を見ることはないだろう。これが我々が最後にお前に提供する情報だ」

「そ、それは困ります! あなたがたが居なくなればこの先……」

「何を言うか。お前はこう考えている。『都合よく使えなくなるのであれば、いっそ滅ぼしてしまえ』、と。私にはわかっているぞ。この場から帰り次第、即座に守備隊を動員してここを攻めさせるつもりであろう。その策謀の色、隠し通せると思うなよ」


〈顔の無い男〉はその高い玉座からうろたえるグインゴを見つめた。顔全体を覆う黒いマスクの下から覗くその瞳の色は光輝く銀色であった。そして彼は言った。


「立ち去れ。そしてそのか細い腕を振り上げて、〈銀の軍勢〉へ挑むがよい。哀れにもみっともなく敗れ去ることが、予めわかっていながらな」


                  ◆


 かくして戦端が開かれた。

 フカ山脈のふもとに大陸軍が布陣されるのを待っていたかのように、〈銀の軍勢〉は山の稜線を越えて現れた。軍略もなく、ただ横一列になって真っ直ぐ進軍する銀色の〈眷属〉の群れを見て大陸軍からはどよめきの声があがる。フカ山脈はもはや蠢く銀色の絨毯に覆われていた。

 矢が一斉に放たれる。だが〈銀の軍勢〉の足は止まらなかった。

 歩兵が前進する。だが〈銀の軍勢〉の足は止まらなかった。

 騎兵が突撃する。だが〈銀の軍勢〉の足は止まらなかった。

 大陸軍が何をしようとも、〈銀の軍勢〉の足は止まることはなかった。

 大陸軍潰走の知らせを受けて、〈巻き毛のグインゴ〉はブルトの執務室で頭をかきむしり、絶叫し、怒りのあまり失神した。


                  ◆


 大陸軍が〈銀の軍勢〉に敗れたという知らせは大陸各地に速やかに広まった。ブルトから北西へ進んだ先にあるこのウイネ村にもこのことを知らない住人はおらず、小さな村なりに深い動揺が広がっていた。

 トルバン村長は不安がる村人を安心させるべく、ひとつ演説を打った。〈銀の軍勢〉などというのは遠い西で起きた話で、この村には関係の無いことだ。そもそも確かに大陸軍は敗れたらしいが、たった一度の敗北でへこたれるドエ大陸ではない。きっと我らの軍はすぐにでも立て直し、かの〈軍勢〉を打ち負かすことだろう。あの〈南限〉の〈侵略王ゲール〉の逸話を思い出せ。我らは強い。蹂躙されても負けはしない。必ず敵を打ち負かし、そして追い返す! 我らにはそれが出来る。必ずだ。今、それを思い出すのだ。

 そしてその夜、ウイネ村は〈銀の軍勢〉からはぐれた〈銀の眷属〉の一団に押し潰されて壊滅した。村人は一人残らず死に、その死体は新たな〈銀の眷属〉を生んだ。

 翌朝、ウイネ村の跡地を歩く一人の男がいた。鼻から下を黒いマスクで隠したその小柄な男のふらふらとしたその足取りはとても頼りなく、また外套で隠しているにも関わらずその左腕が欠損しているのは明らかであった。その肌はまるで死人のように白かった。男の名は〈夜のカンイー〉と言った。

 カンイーは思った。血が足りない。血が足りない。このままではとてももたない。目についたのは死んだ牛であった。引き裂かれた腹からは内臓が飛び出していた。カンイーは牛の死体の傍に跪くと、その肉を切り取り生のまま食べた。何度かえづきながらも、なんとか飲み込むことが出来た。

『ダチェルの現状を偵察し報告する』という任務はこなすことが出来た。ダチェルからほうほうの体で脱出した後、〈虐殺〉の有様は早馬で駆けつけた伝令に伝え、ブルトへと持ち帰らせた。彼は今自らの意思で動いていた。〈銀の軍勢〉。あれには敵わない。普通の手段では敵わない。対抗するには、あれを打ち負かすには、普通ではない手段を用いなければ。

 彼の頭に思い浮かんだのは、〈ギョウェンの瞳〉の秘匿武器、そして〈森の賢者〉であった。彼は今死にかけた身体を引きずって、〈銀の軍勢〉の行軍を避けながら、〈森の賢者〉が潜むとされている〈赤の森〉へと向かっていたのであった。


                  ◆


 そしてヨルンは〈銀のけもの〉の懐で眠り続けていた。彼は夢を見ていた。星一つ無い空の下で、狼となり、果てのない大地を駆け抜けていた。

 その背には案山子が一つ載っていた。案山子は何事か狼にささやき続けていたが、狼にはその言葉を理解することが出来なかった。ただ、案山子の淋しげな声だけがずっと聞こえ続けていた。

 狼は案山子を載せて、どこまでも走り続けていた。どこまで進んでも、何も見えては来なかった。

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