ダチェルにて -1/2
悲鳴があがっていた。血が流れていた。血を流していた。おれもあいつも、血を流していた。日が落ちたダチェルの街のそこかしこから、煙があがっていた。そこら中が〈銀〉に蝕まれていた。
なぜだ? おれは考える。この山岳都市ダチェルは難攻不落ではなかったのか? かつて〈南限〉からやってきた〈黒肌の侵略王ゲール〉の襲撃だって防いだはずなんじゃないのか?
それとも、単にあの〈銀のけもの〉とやらが、〈銀の守護者〉達とやらが、それ以上だったってことなのか?
〈ダチェルの防壁〉なんて少しも役に立たなかった。
「隊長」
新入りのケイが声を掛けてきた。奴も怪我してる。言うことはわかっている。聞かないふりをして考え続けた。
〈銀のけもの〉。確かにちょっと変わった、大きな獣が見つかったって報告は受けていた。だけど、大きいとは言えたかが獣一匹だろう? 何をそんなに注意を払う必要がある? せいぜいやったことと言えば、市民に外へ出るときは気をつけろと言うぐらいだった。
これでも十分過ぎるぐらいだ。
おれは悪くない。おれのせいじゃない。
「隊長、ジーン隊長。しっかり、してください」
ケイがおれの肩を揺すってそう言う。そう。おれは隊長。おれは名誉あるダチェル守備隊第二分隊の隊長だ。
すなわち腰抜けだ。
役立たず。タダ飯喰らい。
おれは言った。
「退却。退却だ。荷物をまとめろ。城まで退くぞ」
それを聞いたケイは唖然としていた。言いたいことはわかっている。おれは立ち上がるとこの惨状を改めて眺めた。
第二分隊二十名のうち半数が〈銀〉との遭遇時に死亡。残ったほとんどは防戦中に死亡。戦果は一。得体のしれない銀色の磯巾着が一匹だ。生き残り全員でかかってやっと一匹。辛うじて動けるのはケイとおれだけだった。崩れた瓦礫のあちこちから飛び出している手足。ほとんどは〈防壁〉を突破されたときにやられた。ついでみたいに。
声が聞こえる。仲間たちのうめき声が。行くのか。連れて行ってくれ。置いて行かないでくれ。頼む。頼む。
「隊長」
ケイが再びおれを呼ぶ。おれはそれを無視して、市民の亡骸を一つ二つ跨ぎ越えながら、槍を持ってダチェル城へと歩き出した。煙の臭いがした。
◆
やっとたどり着いたダチェル城周辺では、わずかに生き残った守備兵や市民達がバリケードで防衛線を築いていた。あの磯巾着や〈銀の守護者〉らしき奴らから隠れながらここまで来るのは本当に骨が折れた。どうやらケイはついて来なかったようだ。
それでどうする?
どうせここもすぐにやられておしまいだ。
ならなぜダチェルから逃げなかった?
知るもんか。
城内へ入る。野戦病院じみた狂騒の只中で、領主様と組合長が怒鳴りあっていた。誰かこの責任を取るのかについてだ。素晴らしい。
「ジーン。生きてたか」
おれを呼ぶ声に首を向けると、そこにはベッドに寝かされている傷だらけのエンゴの姿があった。片目が潰れている。この様子を見ると、第三分隊も碌な目には遭わなかったらしい。どこも壊滅状態だろう。エンゴは身体を起こすと続けて言った。
「参ったな」
「お前んとこは」
「ほぼ死んだ。そっちは」
「同じようなもんだ。ダチェル、もうだめだろう」
それを聞いたエンゴは咳き込みながら笑う。その拍子にエンゴの身体に巻かれていた包帯がずれた。
その隙間から見えたのは〈銀の根〉だった。
エンゴとおれは目を見合わせる。おれは言った。
「お前」
「違う」
「エンゴ。お前、もうだめだぞ」
「いや、おれは違う。おれは違うぞ。お前の見間違いだ。いいか。おれは外に出る。ここの護りを手伝うんだ」
「エンゴ」
エンゴはベッドからよろめきながら立ち上がる。おれはその肩に手を置いた。
「エンゴ」
エンゴはおれの手を振り払った。そして出口に向けて歩き出す。おれは人を集めると、エンゴを袋叩きにして殺した。〈銀の根〉が身体に生えた奴はもうだめだ。それはあの〈蜘蛛男〉のおかげで、みんなとてもよくわかっていた。エンゴのやつ、多分磯巾着の破片かなにかが身体に入っちまったんだろう。それが〈銀の根〉に育ったんだろう。
ついてないやつだ。
音を立てて溶けていくエンゴの死体を見つめながら、おれはそう思った。そして目を剥いた。エンゴの死体の後に出来た銀色の粘液溜まりに目が出来、鼻が生え、口が開き……あの〈蜘蛛男〉の顔が出来たのだ。〈蜘蛛男〉の顔は言った。諦めたか。お前たちは諦めたか。明け渡す準備は出来たか。その身を明け渡す準備は出来たのか。
その忌まわしい顔を踏み潰したのは城内に入ってきたある男のブーツだった。その背の高い男は黒い外套を身にまとい、腰に佩いたエストックはすらりと長く、その顔は疲れを感じさせたが、冷たい美しさを備えていた。そしてそのむき出しになった銀色の〈右手〉を見て、おれはこの男が誰なのかを知った。〈呪われしヨルン〉は言った。
「誰か、私にこの状況を説明できるものはいるか。一体今のダチェルはどうなっているのだ」
困惑するおれたちは口を開くことも出来なかった。〈呪われしヨルン〉。〈聞こえしものヨルン〉。〈銀の右手のヨルン〉。数々の名前は知ってはいたが、実際にこの男を目にするのは初めてだった。
そんなおれたちを押しのけて城の奥から現れたのは、鼻から下を黒いマスクで覆った小柄な男であった。小男はヨルンに向けて親しげに言った。
「おお、説明ならおれが出来るぞ。いやあそれにしても、あんたがここに来るとはびっくりだな。いや、どこかそんな気はしていたんだが。まあなんにせよ助かるよ。ああ? なんか、おれが誰だかわからないって顔だな。よし、これでどうだ」
小男はマスクを引き下げるとその顔を露わにした。その笑顔には鼻が無かった。
◆
城の奥にある会議室でカンイーはヨルンに言った。
「まあ要するにだ。ダチェルはもうおしまいだってことなんだよ。ここまで来たってことは、あんたも散々街の様子は見てきたんだろ?」
「ひどいものだった。あたりには〈銀の眷属〉……あの触手を持つ銀色の生き物だ……が山のようにいる。相手をするにはあまりにも数が多すぎた」
「おお、あれは〈銀の眷属〉って名前なのか。なるほど、共有しておこう。おれたちは〈磯巾着〉なんて呼んでたよ。あれがまあひどいもんでなあ。あれを退治しに守備兵をやるだろう。やられた守備兵の死体に〈銀の根〉が張ると、そこからまた別の〈磯巾着〉が産まれるんだよ。どうしようもないもんだ」
カンイーは息をつくと言葉を続けた。
「順を追って説明しようか。丁度昨日の夜のことだが、街の外にある男が現れてな。〈銀の守護者〉だとかいう妙な男で、おれたちはそいつに〈蜘蛛男〉という名をつけたんだが、そいつが言うことには、この街は奴らにとってとても都合がいいんだと。だからよこせと。街をまるごどな。もちろん領主様は鼻で笑って、守備隊にその男を追い返すように言ったんだが、いつまで経っても送り込んだ守備隊は帰ってこない。兵に様子を見に行かせれば、守備隊は山の向こうから現れた物凄い数の〈銀の眷属〉に襲われている最中で……それで今に至るってわけだ」
「そなたはどうするつもりだ」
「おれ? おれはなあ……ハハハ、ガラじゃあないんだが、仕事でここに来たんだよ。前の〈連盟団〉の時もまあ実は仕事だったんだが、あれとは別のな。まあ、仕事は仕事だ。で、どんな仕事かって言うと、世界を守る仕事だ」
それを聞いたヨルンはぽかんとした顔を作った。それを見たカンイーは吹き出すと、続けて言った。
「まああんたになら言ってもいいだろう、信用出来るしな……。おれは〈ギョウェンの瞳〉っていうところにまあ、勤めてるんだよ。この組織ってのが〈旧文明〉の影響から今のこの世界を防いで、世界の均衡を保つってのが目的なんだな。知ってるか? この世界が出来る前にあったっていう〈旧文明〉は、とんでもなく技術が発達していて、誰でも〈精霊〉を自分の手足のように使えたっていう話らしい。それでだ」
カンイーは一口水を飲むと続けた。
「今回のこの〈銀〉の侵略、これはどう考えても自然のものじゃない、このままでは世界の均衡が崩れてしまう……ということで、ひとまずおれがここに派遣されたってわけだよ。ま、おれ一人でこれを解決できるわけもないし、ひとまず偵察に、というわけだがね……。あ、ご苦労」
カンイーは水の入ったグラスを下げた召使に礼を言う。そして続けた。
「それで? あんたの方はこんなところまで、何をしに来たんだ」
「わたしか。そなた、〈銀のけもの〉という生き物を知っているか」
「おお、例の〈守護者〉とかいうのがそんな言葉を口走っていたらしいぞ。それがどうかしたか」
「わたしはそれを殺しにここまで来たのだ。ああ、だがくそ、今はとてもそんな状況ではなさそうだな」
「さてどうするかね。〈瞳〉にはひどい有様だと報告しておくとして、ダチェルをこのまま放っておくわけにもいかんよなあ」
「そなた、戦えるのか」
「ああ、今日はちょっとした武器を持ってきてるからな。前とは違うぞ……。よし。一丁作戦を練るとするか。ダチェル民撤退作戦だ」
「撤退? 逃がす先はどこにする」
「フカ山脈でもブルトでも、どこでもいいさ。とにかく包囲網を突破する。行き先はそれからだ」
「なるほど」
「さてまずは……」
「カンイー殿!」
そう言ったのは会議室へ飛び込んできた伝令の男であった。焦燥した様子の伝令は続けて言った。
「し、失礼しました。あの、〈蜘蛛男〉がすぐそこに……」
「〈蜘蛛男〉。〈銀の守護者〉か。私が行こう。カンイー、そなたは領主と話をつけておけ」
「了解。いいか、くれぐれも……」
「わかっている。深追いはしない」
「これはこれは。頼んだぞ、勇敢なヨルン様よ」
「ああ」
ヨルンは〈右手〉を握りしめると歩き出した。
「任せておけ」
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