フカ山脈の〈連盟団〉-4/4
まさか入って三日でこんな目に遭うなんて。ついていない。本当についていない。三度の鈴の音で起こされて、先輩に何かと聞いてみれば戦の合図だと言う。戦? 〈同胞団〉とは膠着状態なんじゃなかったのか? なんで戦が?
ぼくには戦うつもりはない。地元の村じゃあ食っていけなかったから家を出て山賊になったにすぎない。仕方なく。仕方なくだ。それがこんなことになるなんて。なんてことだ。なんてことだ。慌てて着た毛皮鎧もしっくり来ない。誰も着付けてくれなかった。手斧を渡されたが振り方もわからない。これまで使った刃物なんて包丁と鍬ぐらいのものだ。
あちこちから叫び声が聞こえる。人を? 殺すのか? ぼくが。これで? 誰を殺すんだ。先輩は「黒の鎧が敵だ。黒を殺せ」なんて言っていた。でも視界が緊張でぐらぐらして鎧の色を確かめるどころじゃない。なんだこのぬかるみは。もしかして血……。
なんだ。あれは緑だ。緑はどっちだ? 敵か? 味方か? それに、ああ、うわ、こっちに来るぞ。ちょっと待て、待て、なんだその拳は……。
◆
ヨルンが振り抜いた鋼鉄の右拳は若い山賊の頭をその両手と手斧ごと土壁との間に挟んで叩き潰した。山賊の両手首から上、それに上顎から上は血煙となって消し飛んでいた。
ヨルンは考えていた。この山賊共、量は多いがそれほど練られていない。問題は今ここが戦場になっているらしいということだ。カンイーが言うには、対抗する〈黒の同胞団〉がこの砦に攻め込んできたのだろうとのことだった。ややこしいことになった。この状況でいかにしてあの〈達人の双子〉を、あの拷問士を、そしてこの山賊団の頭目を探し出すのか。
ヨルンは考えながら歩く。これまでに〈交信〉してきた相手は、いずれも〈団長〉の顔は知っていたが、その居所までは知らなかった。ということは、少なくともこの山賊を支配する人間は存在するということだ。少なくとも。ではその居場所は? 頭の中に描いた地図を、右指で土壁へ書き出し改めて仔細に眺めた。それを見たカンイーが言った。
「これ、この砦の地図か。〈交信〉ってのは凄いよなあ、本当に」
「今、この山賊団の〈団長〉の居場所を探している。そなた、これを見て何か気づいたことはないか」
「そうだな。おれが思うに、いくさが始まった時、おかしらってのは安全な場所にいて下っ端にひたすら指示を出すもんだ。よっぽどの猪じゃない限り、自分から出張っては来ないだろう。それじゃあどうやっておかしらはその場所から下っ端に指示を出すのか?」
カンイーは壁を這う伝声管を叩いて言った。
「これだ。これを追っていけばいいんじゃないか? そうすればいずれそれらしい場所が見つかるだろうよ」
「なるほど。そなた、いい考えをしているな」
「それはどうも」
カンイーは腰を折って礼を言った。そして続けた。
「それじゃあ、悪いがおれはこの辺で抜けさせてもらうとしよう。戦うのは得意じゃないからな。また縁があったらどこぞで会おうじゃないか、ヨルンさん?」
「行くのか」
「おうよ。行くともさ。扉の件では助かったよ」
「こちらもだ。扉の奥では思わぬ収穫があった」
ヨルンは怒声を上げながら突進してきた黒鎧の山賊に横蹴りを入れると、カンイーに言った。
「ではまた、いつか会おう! 勇敢なるイルコスのカンイーよ」
「おお、それはそれは。じゃあな、どこぞの勇敢なるヨルンさん。お達者で。どこかでな」
そう言うとカンイーは走り去っていった。
ヨルンは起き上がろうとしている黒鎧の山賊の腹を踏みつけると言った。
「さて。そなた、〈赤の連盟団〉の〈団長〉の居場所を知っておるか? もしご存知であれば、わたしに教えてはくれないだろうか」
「知るかよ! こっちが探してんだ!」
「そうだろうな」
そしてヨルンは上から右拳を振り下ろした。黒鎧の山賊の頭は赤色に砕け散った。
◆
〈団長〉は伝声管越しに怒鳴っていた。
「〈右手のヨルン〉は見つかったか!」
「まだです!」
「〈夜のカンイー〉はどうした!」
「それも見つかっていません!」
「なんだと……」
〈団長〉は巻き毛をかきむしると唸った。二人も金づるを失った。〈銀の右手のヨルン〉。〈ギョウェンの瞳〉構成員のカンイー。糞。糞。おまけに〈黒〉の襲撃。糞。糞。糞。
そこに伝声管から連絡が入る。〈団長〉は荒々しくそれに応答した。伝声管の向こう側からは叫び声に混じって報告が入ってきた。〈黒の同胞団〉にも〈達人〉がいる、と。
〈団長〉は驚いて振り返った。二人の〈達人〉は平然としていた。焦燥した顔の〈団長〉は言った。
「おい。お前ら。今の聞こえたよな。聞こえてたよな」
「はい、〈団長〉」
「聞こえました、〈団長〉」
「どういうことだ。どういうことなんだ。〈森の賢者〉はおれの味方なんじゃなかったのか。なんで向こうにもお前らがいるんだよ。おかしいだろ。おかしいだろうがよ。まさか〈賢者〉の野郎、裏切ったのか」
「申し訳ございませんが、それは私達の埒外のことでございます、〈団長〉」
「〈賢者〉は買う者に売ります。それだけのことです、〈団長〉」
「何笑ってんだお前ら」
「笑ってなどいません、〈団長〉」
「少し休まれてはいかがでしょうか、〈団長〉」
「今笑っただろうがよ俺のことを!」
〈団長〉はそう叫んでサーベルを抜くと片方の〈双子〉の左耳を切り落とした。そして深く息をつくと言った。
「お前ら、行って来い。敵を殺してこい。今すぐ。今すぐにだ。帰ってきたら殺す。両方共だ。ブッ殺してやるからな、裏切り者が!」
「わかりました、〈団長〉」
双子は声を揃えてそう言うと、隠し扉を開け、外に出ていった。
誰もいなくなった隠し部屋で、〈団長〉は一人怒りに咆哮した。
◆
左手に持った手斧で山賊の頭をかち割り、右の鋼鉄の拳で山賊の腹を破裂させながら、ヨルンは伝声管を追って進んでいた。窓から見える景色はどんどんと高くなってゆく。そこへ黒の山賊に追われて転げ出てきたのは見間違えようもない、あの醜い拷問士であった。ヨルンは黒の山賊の首に手斧を叩き込んで殺すと、拷問士の首を捕まえて言った。
「やあ、拷問士殿。以前にお会いしたことがあると思うのだが、そなた、わたしの顔は覚えておられるかな?」
「あ、あ、おで、おで……」
「これも万事塞翁が馬と言うべきか。そなたのお陰で」
ヨルンは拷問士にその鋼鉄の右手と、手の甲から伸びている蠢く三本の鉄の鞭を見せつけてから言った。
「素敵な右腕を得ることが出来たよ。ありがとう。改めてそちらの小部屋でぜひ礼を言いたいのだが、時間のほうはかまわないだろうか? いや何、遠慮することはない。すぐに終わることだろう……」
「あ、あ、あ、あ……」
「それは同意と見て構わないだろうか?」
「あ、あ、おで、あ、あ……」
「それはどうも、ありがとう。さて、この部屋に釘なんてあれば、とても素敵なのだがな。そう思わないか? わたしはそう思うのだがな……」
「あ、あ……」
そこへ飛び込んできたのは黒の革鎧に身を包んだ小男である。ヨルンは咄嗟にその飛び蹴りを右腕で防御した。ヨルンは驚きに目を見開く。その顔、その所作は、あの時に見た〈達人〉に瓜二つであったのだ。両手に持っているその短剣まで同じであった。
ヨルンは距離を取って半身になり、手斧を持った左手を前に、右腕を顎の下に構えた。黒の〈達人〉も同じ構えを取った。
お互いの視線がかち合った。
〈達人〉は短剣を投擲した。身を屈め短剣を躱したヨルンの前に出した左足を〈達人〉が踏みつけ、そのまま右手に持った短剣をまっすぐ突き出した。ヨルンは身体を捻ってそれを背中で受け、そして右拳を〈達人〉の腹へ叩き込まんとする。〈達人〉はそれを飛び退いて回避した。
だがしかし、ヨルンは右拳を突き出した勢いで鉄鞭を〈達人〉の右足首へ絡みつかせていた。体勢を崩しその場に倒れる〈達人〉の上にヨルンはのしかかる。ヨルンは短剣を突き出した〈達人〉の右手を左手で抑えると、右拳を〈達人〉の顔面に叩き込んだ。二度叩き込んだ。三度叩き込んだ。四度叩き込んだ。両手足を一度ぴくりと痙攣させると、〈達人〉は死んだ。
立ち上がったヨルンは、返り血を拭いながら、這いずって逃げようとする拷問士の足首に鉄鞭を絡みつかせて言った。
「ああ、待たせてしまったな。申し訳ない、わたしとしたことが。さて、拷問士殿。オートラン流のもてなし方というものを、そなたにお見せしようじゃないか……」
拷問士は悲鳴を上げながら、脇の小部屋へと引きずられていった。
◆
〈団長〉は考えていた。誰が悪い。誰が悪い。一体誰のせいでこんなことになった。各地から聞こえてきている戦況報告は悲惨なものであった。〈達人〉がそこら中にいるのだという。とても抵抗できないのだという。〈同胞団〉め。〈黒の同胞団〉め。一体どこからそんな金を。
そして〈団長〉は思い至った。ブルトか! ブルトから支援を受けているに違いない! あの金満都市を支配する兄は、徹底的に私のことを叩き潰さねば気が済まないのだ! なんということだ! なんという男だ! それは全く事実とは違っていたが、〈団長〉の現実にとってはそれが全てだった。
怒り狂った〈団長〉は鈴を振り鳴らし、伝声管に向けブルトへの総攻撃を指示した。そして隠し扉を開け目にしたものは、拷問士ロラーンの生首を手にした〈恐るべき右手のヨルン〉の姿だった。
◆
ヨルンは〈団長〉から奪った赤いマントを羽織って夜のフカ草原を歩いていた。隠し部屋の中で〈団長〉を思う存分にいたぶって殺したあと、砦の中を回ってみればいくさは既に終わっていた。見えるものといえば死体ばかり。〈赤の連盟団〉の敗北であった。残念ながら、あの〈双子〉の姿は見つけることができなかった。
〈団長〉の部屋から自分の装備を取り戻し、金目の物を奪った上で、ヨルンは山を降りた。やはり一人での山越えは無謀であると考え直したのだ。
ヨルンは右腕に違和感を覚える。そちらを見やると、鋼鉄の皮膚は剥がれ落ち始めていた。精霊の加護が尽きたのだ。ヨルンはフカ山脈の名も無き鉄の〈精霊〉に感謝すると、右手を握りしめた。鋼鉄の鎧は甲から伸びていた鞭とともに砕け散った。まばゆい銀色の傷一つない右腕がその下から現れた。
彼の旅はまだまだ長く続いた。まずは遠くに見える村の明かりに向けて、ヨルンは夜の中歩き出したのであった。
◆
〈ギョウェンの瞳〉。それは〈旧文明〉の遺物を収集する秘密組織である。その構成員である〈夜のカンイー〉は未だに納得が言っていなかった。なぜ田舎の山賊団の頭領ごときがおれの名を? それにあの〈達人〉、あれは〈森の賢者〉からの供給ではないか? 誰がそんな繋がりを?
これは調査の必要がある。カンイーは、ブルト地下にある〈ギョウェンの瞳〉のアジトに向け、夜の中を駆けていた。
走りながらカンイーは今回の報告内容を吟味する。〈赤の連盟団〉。フカ山脈の地下で見つけた〈旧文明〉の遺物。〈達人〉。〈呪われしヨルン〉。
ヨルンか。カンイーはニヤリと笑うと、その部分だけ報告から削除することにした。
天にかかる丸い月が、彼ら二人の旅を見守っていた。
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