フカ山脈の〈連盟団〉-1/4
「〈交信〉ってのはね、〈もの〉の中に潜む小さな小さな〈精霊〉に語りかけて行うのさ。彼らに名前は無い。自我も無い。ただ粛々と、よそから与えられる命令に従って自らが棲まう〈もの〉に働きかける。彼らに出来るのはそれだけだ。この小さな〈精霊〉はどこにでもいるんだ、草木にも、動物にも、もちろん人間の身体の中にもね。人への〈交信〉が禁じられているのはそのせいさ。もしそんなことをすれば、その相手に何だって好きなように出来ちまうからね。まあ、〈交信〉するには〈本〉がいるし、〈本〉を使って〈もの〉と〈交信〉するにはその〈もの〉との間に銀の根を張らなきゃならない。だから、知らない奴に知らない間に〈交信〉されて頭の中を滅茶滅茶にされる、なんて恐れはない。普通はね。どんな馬鹿でも、身体に根が張られりゃあ流石に気づくもんさ。
だけどねヨルン。あんたの〈右手〉は違う。あんたはあんた自身が〈本〉であり、あんたの〈右手〉はそこから伸びる銀の根なんだ。あんたはそう呼ばれると嫌がるだろうがね、それが〈銀のけものの子〉としてのあんたなんだよ。あたしはね、あんたのその〈右手〉のことを、恐ろしく思うよ。とってもね。なああんた。あんた、その〈指〉、もしこれからも使っていくつもりなんなら、くれぐれもよく考えて使うんだよ。くれぐれもね……わかったね……」
ヨルンの夢想は激痛で遮断された。拷問椅子に縛り付けられたヨルンの身体を棘付き鞭が襲いかかる。むき出しの肌が引き裂かれ、胸元に赤い傷跡が並んだ。ヨルンは苦痛に呻いた。
「おまえ、なんで、しゃべらない」
フードを被った拷問士はたどたどしい口調で聞いた。ヨルンはそれに答えた。
「な、何度も、言ったはずだ……。わたしは、〈黒の同胞団〉のことなど、知らない。金目のものも、これ以上持っていない。わたしは、そなたたちの争いには無関係だ。わかったか。わかったら早く……」
「お、おまえ、そのみぎて、きれいだよな」
「何」
肘掛けに縛り付けられたヨルンの〈右手〉を上から振り下ろされた拷問士の三本の五寸釘が貫いた。ヨルンは絶叫した。
ヨルンは今〈赤の連盟団〉のアジトに居た。フカ山脈の中腹に位置するこの砦の中に、彼は身体の自由を奪われ、抵抗することも出来ずに捕らわれていたのだった。
◆
オ・ソーンに始末をつけ、商業都市ブルトを離れた三日後の夜のことであった。ブルトから西へ進んだ先にあるフカ山脈の麓にたどり着いたヨルンは、翌日からの山越えに備え、いつもよりも早めに床に着いていた。
もしヨルンが注意深くあたりを見回していれば、彼が今眠っているこの横穴が〈赤の連盟団〉と名乗る山賊の縄張りだということに気づいたかもしれない。旅の疲れもあったのか、それとも慢心から来る油断のせいか、彼はそれを悟ることなく、毛皮に包まれて暖かい眠りに落ちていた。忍び寄る見張りから頭に強烈な一撃を喰らい失神したヨルンは、そのまま身包みを剥がされ、オ・ソーンから奪った金貨も持ち去られ、〈赤の連盟団〉に捕らわれてしまったのであった。
〈赤の連盟団〉とはフカ山脈の一部地域を支配する、反領主勢力崩れの山賊の一団である。彼らは今、谷間を挟んだ向かい側を支配する〈黒の同胞団〉と呼ばれる山賊達と抗争状態にあった。彼らのこの争いは付近の住民であれば知らない者などおらず、そのため西へ向かう旅人達はみなフカ山脈を迂回する道筋を取っていた。目立たぬため、また無用な諍いを避けるため町や村へ極力立ち寄らずに来たヨルンには、この情報を得ることが出来なかったのである。
拷問士は五寸釘をねじり込みながら言った。
「お、おれ、きれいなもの、きらいなんだよな! きらいなんだよな! おれ、きれいじゃないからな!」
ヨルンは悲鳴を上げ続けた。ただでさえ敏感で繊細な銀の〈右手〉を貫く神経を引き裂かれるようなその痛みは、到底彼の身に耐えられるものではなかった。汗まみれのヨルンは唾液を口から垂れ流すと、頭を仰け反らせて失神した。
ヨルンの叫びを聞きつけて部屋に入ってきたのは、薄汚れたコートを羽織った巻き毛の大男と二人の双子である。大男のコートには壮麗な金の刺繍が入っており、大男に似合いの仕立てであったが、生地の痛みやそこかしこに見える悲惨なほつれは到底隠せようも無く、その年月を否応なしに感じさせた。大男はヨルンの傷つけられた〈右手〉を見ると、拷問士に向けて優しい声で言った。
「なあ、ロラーン? その、こいつの右手。釘が刺さってるな。これは一体どうしたことなんだ?」
「お、お、おれ。それ、きれいだとおもって」
「うん。それで?」
「あたまにきて……」
大男はロラーンを張り倒した。泣き出したロラーンを無理やり引きずり起こすともう一度張り倒してから、大男はロラーンのことを指差しながら続けて言った。
「なあロラーン? おれは言わなかったかな? こいつは〈銀のけものの子ヨルン〉。こいつの身体は金になる。特にこの〈右手〉はな。というか、こいつの身体の価値のほとんどがこの〈右手〉なんだよ。おかしいな。おれは確かに言ったよな? おれは確かにお前にそう言ったよな? なあお前ら?」
「その通りです、〈団長〉」
大男の言葉に背後の双子が声を揃えて答えた。〈団長〉はそれを聞いて満足げに頷くと、言葉を続けた。
「ロラーン? いいかロラーン? お前にこの場を任せてるのは、ちゃんと理由があるからなんだぞ? おれが、このおれが、お前の腕を信頼してるからなんだぞ? 頼むから、そこのところを勘違いしないで欲しいんだ。お前の腕が信頼出来なくなっちまったら、おれはお前のことをどうしていいかわからなくなっちまう。言ってること、わかるよな? な? きっと伝わってるんだよな? なあロラーン?」
「う、うん、〈団長〉」
「よろしい。ならばその〈右手〉を早いところ手当してやれ。尋問は明日に持ち越しだ。ま、明日かかっても何も聞き出せなかったんなら、早いところシメて死体をどこかに売り飛ばすとでもするかな」
そう言うと、〈団長〉と双子は部屋から出ていった。
ロラーンは不満であった。こいつのせいで殴られてしまった。こいつのせいで〈団長〉に怒られてしまった。許せないことだ。許しがたいことだ。こいつに仕返しをしてやらないと。〈右手〉の手当をする前に、もう少しだけ釘をひねってやろう。もう少しだけ。
再び〈右手〉を貫く激痛にヨルンは目を覚ます。その顔面をロラーンの太い拳が殴り飛ばした。奥歯が抜けた。ヨルンは再び気を失った。
◆
夜。ヨルンは顔の上を垂れる水滴に起こされた。彼は今牢の中に居た。牢には鉄格子のはめられた小さな窓が一つ。大きな月がそこからヨルンを覗いていた。
ヨルンは身を起こす。〈右手〉には乱雑に包帯が巻かれていた。釘は刺さったままだった。痛みに顔をしかめる。〈右手〉だけではなく、体中のあちこちに出来た傷がしつこく痛んだ。着ていた衣服も靴も全て脱がされていた。当然剣も荷物も見当たらなかった。牢の片隅に置いてあるのは麻で編まれた粗末な作りのチュニックとズボンである。ヨルンはため息をつくと、よろめきながらそれらを身にまとった。肌触りはよくなかった。
ヨルンは月を眺めながら、どうにかここから抜け出す方法は無いかと考えていた。ここはフカ山脈だろうか。おそらくそのはずだろう。このままではまずい。このままではいずれ殺されてしまう。あの苛烈な拷問には耐えられない。そもそもあの拷問士、情報を聞き出すつもりはあるのだろうか。殺すことが目的でわたしをいたぶっているだけではないのだろうか。等々。
だがこの思考も、痛みと空腹でやがて阻害されてしまった。大きく腹が鳴った。ヨルンは再びため息をついた。
このため息を聞いたか、それとも聞きつけたのは腹の音だったのか、隣の牢から声がした。
「おう、おう、〈右手〉の兄さん。やっと目が覚めたかい」
それは奇妙に鼻にかかる声だった。その声は続けて言った。
「兄さんも散々な目に遭ったなあ。兄さんのあの悲鳴、ここまで聞こえたぜ」
ヨルンは返事を返さなかった。
「うん? 起きたんじゃないのか?」
すると隣の牢の入り口に張り巡らされた鉄格子の隙間から、ある男の顔が突き出した。その乱れた髪の下には狡猾な瞳と薄い唇、そして削がれた鼻があった。男は続けて言った。
「なあんだ、起きてるんじゃないか。返事ぐらいしてくれたっていいだろう、兄さん?」
「……そなた、何者だ」
「『そなた』! 『そなた』とな! ハハハハハ。はあ、これはこれは、どこぞのお坊ちゃんでございますか貴人様、これはまた。私め、名乗るほどのものではございませんが、もし申し上げるならば、その名をイルコスのカンイーと申します。なんてな。これでよろしいか、お坊ちゃん? そちらのお名前は?」
「ヨルンだ」
「どちらの?」
「言う必要はない」
「ははあ、左様でございますか。ま、〈右手〉のヨルンって言ったら、この世に二人といないけどな。これはびっくりだ。あんた、偽名の一つでも用意しておいたほうがいいんじゃないかあ? それがさあ、うまい世渡りの仕方ってもんだぜ、〈呪われしヨルン〉さん」
「……考えておく」
「ま、いいさ、どこぞのヨルンさん。おれたち、仲良くやっていけそうじゃないか、なあ? あんたが噂通りなら、おれの運も向いてきたってもんだ」
イルコスのカンイーはそう言って削げた鼻から息を吹き出すと、ニタリと笑った。
「どういう意味だ」
「どういう意味? どういう意味もくそもあるかよ」
カンイーは鼻を鳴らすと言った。
「こっから逃げ出すんだよ。くたばる前に、おれとあんたと二人でな」
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