#1.5 Bulletin Board

 私はその時、いつも通り文学部の掲示板を見ていました。いつも通りとは具体的にどれくらいのことかというと、一週間に二回か三回くらいです。それくらいの頻度は、絶対に保つようにしています。結構いろいろなことが書いてあるので。私の学校は文学部って結構厳しい学部なのです。授業も多いし、課題も多い。入る時のイメージとは程遠い感じでした。


 その日は私に関係するものは何も張り出されてはいませんでした。だから私、少し息を吐いて、次の授業の教室に行こうと左の方に歩き始めました。

 私がアカネを見かけたのは、それが最初です。アカネは、隣の掲示板をじっと見ていました。その時は私、彼女の横顔と服装しか見られなかったけれど、それでもすごく綺麗な人だなと思ったのは覚えています。客観的に綺麗かどうかは問題ではありません。私も、アカネよりかわいらしい人とか美しい人とか、そういうものも社会には溢れているのだということにはもちろん同意します。でも、アカネは何というか私にとってとても魅力的でした。

 彼女はある程度個性的で、鼻が高く、そして髪に少し茶色が混じっていました。綺麗な髪でした。焦げ茶色で、艶があって。私はでも一目でそれが地毛であることを見抜きました。その艶は天然の髪にしかないものだったからです。染めた髪と地毛って実は結構違う、と私は思います。私はそれを見抜くことが出来ます。何というか、光の跳ね返り方とか、纏う重量感とか、伝わる雰囲気とかが、全く違うのです。


 私は少し足を止めて、彼女に視線を向けました。実際にはほんの僅かな秒数だったと思います。それこそ盗み見るみたいな感じでした。英語で言えば、スティール・ア・グランス・アット・ハー、みたいな感じでしょうか。これで合っているのかを私は知りませんが。

 そして私はまた歩き始めました。学生は単位の奴隷だからです。私たちは必死で単位を掻き集めなければならないのです。そしてだから出席点のある授業は、少しかわいい女の子に会って、彼女と話したいから、みたいな理由では欠席できないのです。でも、例え私が単位の奴隷でなかったとしても、その時私が声を掛けたかには疑問が残ります。その時はまだ、アカネに対してそこまでの興味を持っていなかったからです。私の中で、アカネはただの世界中に並み居るかわいい人の中の一人でしかありませんでした。それに、かわいい人だから声を掛ける、みたいな、そういうアルゴリズムを私は持っていませんしね。

 もちろん、そういうアルゴリズムを持った女の子たちも世の中には確実に存在するのだということを、私は知っています。それに、理由もまあわからないこともありません。目の保養とか、あるいは美意識の伝達への期待とか、そういうものを求めているんです。でも、そういうものって、副次的に手に入れることで幸せになれるのであって、それを主体的積極的に求めていくのって何か間違っているような気が私にはしてなりません。主体的にそういうものを求め始めてしまったら、それって最初から最後まで自分の都合で他人を振り回すことと何が違うのだろう、と私は思うのです。

 でも、人って多かれ少なかれそういうもので、私はただの偽善者なのかもしれません。私と仲良くなってくれた人に、ちゃんと、何て言うんだろうな、そう、恩返しできたか、してきたかと問われると、私全く自信がありませんから。それに、結局私はそんな風に、ただ自分の都合だけで、アカネに声を掛けることになってしまった気もするのです。


 私はそれから何回か彼女を掲示板の近くで発見しました。彼女は毎回とてもお洒落に見えました。どこが彼女をそんなにお洒落に見せていたんだろう。服装かな。でも服装はそこまで特異的というわけではなかったのです。流行のカッティング・エッジみたいな感じではありませんでしたし、それに繊維的な黒の上着に、少し原色気味の赤のスカートみたいな、何というか割と多そうなファッションをしていましたから。

 私の友達なら彼女を見て、量産型女子大生なんて隣の子に小さな声で囁くかもしれません。いや、決して彼女はそんなに性格が悪いわけではありません。何というかそういうのって生きるために必要なところがあるのです。くだらないかもしれないけれど。うん、アカネの話に戻りましょう。そう、今考えると彼女は立ち姿がしゃんとしていたのかもしれません。何というか、彼女は確りと地面に立っていました。

 そして、脚が綺麗でした。そう、脚が綺麗でした。はっとするくらい。私掲示板を見ている彼女の、だから後ろ姿をよく見ていたんだけれど、とても絵になりました。でも、今思い出すと彼女は結構な頻度でタイツとかストッキングみたいなものを履いていた気がします。あるいは脚線美はそのせいだったのかもしれません。でも、普通の人はそういうことをしてもアカネみたいにはなれませんから、やっぱり彼女は素で綺麗だったのでしょう。そう思うと少し羨ましいです。私そんなに脚が綺麗な女性ではありませんから。でも、そう、そういえばアカネは私の脚を褒めてくれました。十分綺麗だよ、綺麗すぎるくらい、なんて。私その時何だか救われたような気分になりました。ああ、生きてきて良かったな、なんて。


 人生って時々そういうことが起こるんですね。いつもはどんな映画よりも安っぽいくせに、時々どんな物語よりも、映像よりも、美しく、儚く、そしてたまらなく心惹かれるようなことが。あるいは、その落差こそが生きているということの全てなのかもしれません。私たちはそれを味わうために生きているのです。きっと。

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