Spring
#1 Prologue
さて、どうしよう。
こんなちゃらんぽらんな私の頭には、疑問しか浮かんでこない。
そもそも、どう書き出せばいいんだろう。隣でバササなんて、紙の束が崩れる音がした。きっとパソコンを無理やりに置いたせいね。全く。無計画にするとろくなことがないんだから。でも、こういうのってまさしく思い立ったが吉日みたいなところがあるのよ、きっと。
だから私後悔はしないわ、崩れた紙の中に明日提出のレポートが入っていない限りはね。あら、巻き込まれてる。泣きそうだわ私。何やってるんだろうな。折れてるかな、いや、折れてはいないみたい。とりあえず一安心。続きは、ちゃんとこのレポートをいつものトートに入れてから書くことにするわ。ちょっと待っていてね。
よし。さて、書きましょう。どうしてだろう、何だか文字列を眺めていると不思議な気持ちになるわ。こんな言葉でしゃべっていたら、私きっと友達減ってしまうだろうな。なんか不思議なんだもの。そもそもだものっていうのがおかしくないかしら。私そういう言葉って声に出したことないかもしれない。日本語の言文一致運動なんて遠い明治の話じゃない。何でまだこんなもの残っているんだろう。もっと頑張ってほしいわ、明治の偉人たちには。二葉亭四迷とか、森鴎外とか。だって未だに尊敬されているんだから。あれ、言文一致運動って、この二人で合っているっけ。わからないわ。でも、私の中ではこの二人が日本語を古典から現代文にしたのよ、間違いなくね。だからこれでいいわ。
......考えてみたら、ほんと言葉って不思議よね。そもそも書き言葉と話し言葉っていうのが意味がわからないわ。人と会話できてかつ本を読める人っていうのはきっとバイリンガルなのね。そう思うと私もバイリンガルだわ。私って語学のセンスがないと思っていたけど、そんなことないのね。少し自信が出来たわ。だって周りの人達なんてみんなすぐに第二外国語とか習得しちゃうんだもの。自信がつく方がおかしいとは思いませんか。私なんて八年間も進学校と大学の文学部の授業を受けた英語ですらちゃんと話せるかわからないのに。そう、文学部。文学部って私高校の時すごい楽そうなイメージしか持っていなかったの。この学校に受かった時だってすごく嬉しかった。だってこれから四年間はタルストイとかダスタエーフスキとかそういうもの読んでさえいればいいんだって思っていたから。
でも、今の文学部って文化プラス学部みたいな意味なのね。入学して最初のガイダンスで、一番偉い教授がそう言っていたわ。もちろん、文学を研究する学科も中にはあるんだけれど、親も、今の時代は就職のことを考えた方がいい、文学よりは文化の方がまだ人事の人の受けがいいから、とか言ってきてさ。だから結局私は社会について研究することになるみたい。そういうのって私すごく歪んでいると思うわ。文系の、特に社会科学じゃないストレートの純粋なそれは、社会にとって要らないって言っているようなものじゃない。
私、そういうのもとても必要だと思うのよ。だってヴォゴフヴォゴフ言っていた原始人がどうやってこんなかっちりした言語を手に入れることができたのか、なんて、とても重要な問いだと思いませんか。なぜかって、どうして私たちの社会が形成されたか、理系的、技術的な面では全てわかっているわけじゃない。例えば微積分学はデカルトが作った、とか。あれ、デカルトだったっけ。違う人かもしれない。でも、私の言っている意味はわかるでしょ。でも、言語は違うのよ。そしてね、人間を人間足らしめている大きな要素のうちの大きな一つであるその不思議を解明できるのは文系のそういう学問だけだと私は思うの。そういうのって古典を研究したり外国語の文学を研究したりすることでしかわからないと思うから。
私たちはたぶん、言語の傾向とは何か、とかいうそれこそヴォゴフヴォゴフした曖昧な概念を掴んでいくしかないのよ。だから私はそういうのが顧みられない今の社会って不思議で不衛生で不寛容だと思うわけ。私こういうこと確か彼女にも言った気がするわ。そう、茜、あかね、アカネ。うん、やっぱりアカネって書くことにする。彼女は平仮名で書くようなただかわいらしいだけの存在ではなかったし、漢字で書くような鈍い感じでもなかったから。私カタカナって好きよ。とてもシャープで本当に惚れ惚れする。アの字なんて本当に彼女にそっくり。芯があって、心を突き刺すような魅力があって。
そう、今から私は、私のことについてと、彼女のことについてここに書こうと思うの。どうしてかは今は正確にはわからないし、どう着地するのかも今はわからない。ただ書きたくなったの。でも、書いていくという作業、私は結構好きよ。心の中を整理できるから。書くことで発見できることって、私達には確実にあるのよ。それが些細なものか、重要なものか、は見つけてみてからでないとわからないけれど。うん。そう。そう思うと私がこれを書くのってほんと、間違ってはいないんだと思うわ。私は無意識に一年前のことを整理しようとしているのかもしれない。人間の欲求って無意識の具現化みたいなところが少なからずあるから。
さて、どうしよう。こういう文章って私今まで生きていく上で結構読んできたんだけど、書くとなると話は別ね。まとまらないし、何というか厳しいわ。でも、たぶん、出会いを書いていくっていうのがオーソドックスな方法よね。だからそういう風に書いていくことにします。
そうそう、言い忘れていたけど、私は秋川藍と言います。あきかわ、あい、です。仮名ではありません。実名です。もちろん、こんな匿名性の高い社会でそれが何の意味を持つのかなんて私には全くわかりません。でも、だからこそ私がこれを実名で書くことにはある種の特別な意味があるのかもしれないと思っています。大多数の人にとって、ではなく、少人数の、しかも特定の読み手にとって。だから、私はその可能性に賭けてみることにします。
出会った時、アカネは私の一個上で、そして同い年でした。一個上、というのは本当はいけない表現だそうですね。一学年上っていうのが正しい、と聞きます。私はでもそういうのが大嫌いです。言葉って、究極的に言えば、効率良く意志を伝達するために存在するのに、ルールに縛られた非効率な言葉遣いを奨励するなんて。私はそれはすごくナンセンスなことじゃないかな、と思います。通じるならいい、と、そう思いませんか。それにそういう、正しい日本語はこれだ、みたいな番組やら本やら、そういうことを言う人達は、知識をひけらかしているみたいで、どうも好きになれません。あるいはそういうことを言っていると文系として恥なのかもしれませんが。
さて、私はその時文学部の掲示板を見ていました。大学にある掲示板です。そういうものって結構パブリックな風をしてプライベートよね。どういうことかというと、その学部の学生みんなが見るという意味ではオープンだけど、それ以外の外部の人にとってはその存在やら内容やらがすごくクローズドではないかと私は思うのです。私たぶん他の大学に遊びに行っても掲示板なんて見ようともしないし、見ても意味が分からないのではないかと思います。チャイニーズ・セミ・インテンシブ、なんて、初見では意味が分からないと思いませんか。ジェイ・ヨンマルイチ、なんて、初見では意味が分からないと思いませんか。そういうものがすごく小さい紙に書いてあって、乱雑に貼り付けられていて。掲示板ってほんと、暗号みたいなものよね。少なくとも私はそう思っています。
ああ、また本題からずれてしまった。私こういうのを筋道立てて説明していくのが苦手なのかもしれません。でも、もしかしたらこういう風に説明していく方が正解なのかもしれない、とも思います。言葉って何かを確実に取りこぼしてしまうものだから。だから出来るだけ回り道をして、取りこぼしを拾っていくのです。うん。そういう見方もできる気がする。だから私このまま突き進もうかと思います。このくねくねした細い獣道を。
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