#23 Plastic

 文明は生きることを穢れていると思考しがちだと、彼女が私に対してそんな風に言ったのは、いつのことだったか。私はコエのその口の動きすら頭の中で再現できるのに、彼女といた時間のほとんどは、私の家の中で消費されてしまっていて。その季節も、時期も、ほとんど何も分かりはしないのです。


 おしなべて言えば、彼女の言葉を、私はようやく理解できるようになりました。

 いや、理解できたとは言えないのかもしれません。私は、彼女がその言葉に本当に込めた意味を、推測することも、知ることもできませんから。彼女は突然に私の人生に現れ、そして突然に消えていきました。彼女は、言葉だけを残して、でも生活感の厚みは、私に一切見せませんでした。だから、それはあくまで私なりの解釈にしか過ぎないし、だから言葉としては同じでも、意味は全く異なるのかもしれません。

 生きることを穢れていると感じる。

 そしてそれは、年を重ね、生を存続させればさせるほど、自分のことを穢れていると思うということに繋がります。実際、小学生の時はわからなかったいくつかのことが、でも大人では普通になってゆく過程において、その思考は、たぶん全員がある程度は保有するものなのではないか。私はそう思うのです。特に、私たちの側は。

 私は何回かプラスティックになりたいと思ったことがあります。ゲームセンターに並ぶ人型の成形品とか、そういうものをじっと見ていると、いつかそう思うのです。彼女たちは、あるいは彼らは、本当にとても綺麗です。脚や視線は殆ど申し分なく設定されていて、少なくとも何らかの意味において魅力的であり、肌はとても滑らかです。しかも、それを常に保っていられるのです。例えば、彼女たちは決して血を流さないし、プラスティックのその原料的な香り以外には、匂いも纏いません。


 私はそれを見ているとひどく気持ち悪くなります。自分のことがただ気持ち悪いのです。もし、彼女たちに意識があって、人並みに思考できるとするなら、私は彼女たちに一つも勝てるところがないように思います。私は生きているし、だからこそある一定の律から抜け出ることが出来ないのです。

 不思議なものです。生命を維持し、繋いでいくという点で見れば、そんなものとても不合理な思考なのに。だけれど、実際問題として、私たちは例えばギリシャの石像を本当の人間よりずっと美しいと思ったり、あるいは食肉の解体現場を直視出来なかったりするのです。処女をきれいだと思い、それと対極の人を汚れているとすら思うのです。そしてそれは、きっとこの文明によって作り出された思考なのです。人は周りから影響を受けるし、こんなに広範囲に影響を与えられるものは、社会の基本的な価値観以外にないですから。


 文明とは、人間の要素の一部を否定した上に成り立っているものなのでしょう。

 そう考えると、あるいは多様性を認めるという今のその潮流自体、実際にはあまり文明的ではないのかもしれません。人の持ついくつかの要素を否定し、隠しておくことを推奨するのが、文明のある種の本質的な形なのだとすれば、ある一定の範囲の揺れだけは個性と呼んで、妙に大切に扱い、肯定するなど、そちらの方がよっぽど不自然なのかもしれないと、私はそう思うのです。

 文字を書くことは、主張することで、そして主張する時に人は、それの持つ本質的な攻撃性から逃れることはできない。彼女はそうも言いました。

 言葉の背景には何千年もの歴史があり、使い手の思考があり、だからこそ、それに反するものは徹底的に無視されるのです。例えば未婚という言葉が、いつかは皆結婚するのだというイメージを植え付けていたり、あるいは恋という言葉に、若い男女の組が浮かんでしまったりするように。あくまで、言葉というのはマジョリティがマジョリティに伝えるための手段なのです。固定観念まみれの伝達手段。

 だから、文字を書く時には、人を傷付けないように気を付けるよりも、それが果たして人を傷付ける以上に価値がある文章なのかどうかを、考えるべきなのよ、と。彼女はそう続けました。もちろん、意図的に傷付けるのは、間違っているけれど、と。


 文章を書くというのは、抽象化することですから、殆ど必ず、捨象されるものは出来てしまうし、もし捨象されたら、私たちはきっと傷付くでしょう。でも、誰も捨象しない文章など、どうあがいても書けないのです。文章というのは、抽象化することで、文字というのは、マジョリティに伝えるためにあるのですから。書くというのは、誰かを傷付けることなのです。私は、これを書いていてそれを実感しています。私はきっとこの文章で誰かを傷付けてしまう気がするのです。初めての美術の時間に、震えながら彫刻刀を持っているような、私は今そんな気持ちなのです。

 正直に言って、私は今とても迷っています。この文章に、それだけの意味があるのかどうか、まだ掴めずにいるのです。だけれど、結局はたぶん自分が責任を取るしかないのだということも、分かっています。とりあえず、私はこの彫刻を、完成させようと思います。公開するかどうかは、先延ばしにして。そしてもし、いつかこれを公開する時には、私が逡巡したのだということを、あなたに知ってほしいのです。私は誰も傷つけたくなかったのだということと、もし傷付けてしまったのなら、申し訳なく思っているということを。

 それは、言い訳でしかないのかもしれないけれど。

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