#24 Artificial (Soil)

 春休みになる前、テスト期間中に、私はまたアカネの家を訪れました。

 自分勝手な私は、自分のテストが終わってすぐに、彼女に遊ばないかと声を掛けたのです。優しい彼女は、まだ試験が残っているから、短時間なら、と言ってくれて。強欲な私は、それでは飽き足らずに、さらに無理を言って、彼女の家にあがりこもうとしたのです。それなら、勉強もできるし、長時間過ごしても大丈夫でしょう、と。そんな屁理屈を武器にして。


 その日の朝、私は大学の最寄り駅で地下鉄に乗り換え、アカネとの待ち合わせ場所に向かいました。駅の入り口の柱に、彼女は立っていて。私に気付くと、少しはにかみながら、近付いてきてくれました。

 街はとても白く見えました。前に訪れた時は、暮れかけの薄い黒に覆われていたせいもあって、わからなかったのですが、恐らくは人工地盤なのだろう、遠くまでずっと真っ平らなコンクリートの地面も、見える建物たちのファサードも、広場の通路部分に付けられた細い弧状の屋根も、灰色と白の二色だけで構成されていて。光があちこちで跳ね返り、街は晴れ上がるようでした。

 私は既にテストは全て終わり、彼女も一応は余裕のある時期だということでした。私たちは雑貨店を回って、ラーメンを食べ、それから遊歩道を歩きました。小さな川の、河川敷まで。それはよく整備されていて、人が自然を感じられるように考えられていました。雑草の生えるすぐ脇を、赤い舗装が続いていて、私たちはそこを次の道に着くまで、ずっと歩いて行きました。花粉のない冷たい季節は、そうするのにはとても適していました。


 それから私たちは、角を何度も曲がりながら歩き、アカネの家に向かいました。

 彼女は玄関できちんと靴を揃え、寝室に行ってコートをクローゼットに収め、それから洗面所で手を洗いました。私は彼女に言われるままに、コートをリビングの椅子に掛けて、彼女が寝室に行っている間に、手を洗っていました。

 アカネはそれから真面目に、物理の勉強を始めました。

 私は、彼女の対面で、彼女が鉛筆を動かし、電卓を叩く姿をじっと見ていました。彼女は私の全くわからないような問題を、全くわからないような式をいじりながら、解き続けていました。時々プリントを見ながら、でも、ほとんど詰まることもなく。

「ねえ、勉強、する意味あるの?」と私は聞きました。

「ほとんどできてるように思うんだけど」、と。

「意味はないかもしれないけど、安心するのよ、解いていると」

 彼女はそう言って、眉を少し上げて、謝っているように、微笑みました。

 彼女の家は、廊下の左に洗面所と、右に寝室、奥がリビング・ダイニングになっていました。綺麗な部屋でした。本当に何もなくて。寝室は、はっきりと見たわけではありませんが、ベッドとクローゼットと本棚しかありませんでした。開きかけのドアから、見えてしまったのです。

 私はそれからベランダに出て、煙を吐く焼却場の煙突をじっと見ていました。アカネの使っているのだろう、私の足よりも少し大きいスリッパを、履かせてもらいながら。青と白の、シンプルな煙突でした。それはとてもクリーンな印象を私に与えました。下でゴミの燃えている、煙突。でも、確かに、その煙を見ていると、私は少し安心できるような気がしたのです。それは不思議な安心感でした。


 暫くそこに居ると、彼女は私の隣に現れました。靴下は脱いで、裸足になって。

 前の時も、私がスリッパを履いていました。だから、きっと彼女はその時も素足でコンクリートの上を踏んでいたのだろう、と、私は想像して、少し申し訳ない気持ちになりました。でも、彼女はそんなことまるで気にしていないように、私と同じように煙突を見て、それからベランダの手すりに腕を置きました。

「タバコ、吸いに来たの?」と、私は言いました。

「ただあなたを見に来ただけよ」と彼女はそれに返しました。

「それに、吸わないわ、タバコは。受動喫煙なんて、させたくないもの」

 そう、とそれに素っ気なく答えて、でも私は内心嬉しく思っていました。格好良く思えたのです。あるいは、彼女はいつも格好良くふるまっているけれど、でも前にずっと泣いていたことを考えると、それはもしかすると努力なのかもしれないと思えて。もしそうなら、何だかかわいらしくて。彼女が男なら、あるいは私は惚れていたかもしれないと、ふと考えて、それが少しおかしくて、私は彼女に微笑みました。

 それから私は、彼女が手すりに置いた腕に、自分の腕を絡めて、びっくりする彼女に、出来る限りいたずらっぽく、笑みを浮かべました。私は何だかドキドキしていました。今私が居るのは、彼女の家で、彼女は今、裸足でコンクリートの上に立っているのです。季節は冬で、しかも一番寒い時で。それに、時刻は夕方で、社会人ならまだ多くが働いている時間なのです。


 それからしばらくして、彼女が部屋に入ろうと言い、私たちはまたリビングに戻りました。


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