#21 Experience

 人生を決める記憶というのは、それが何にしろ、誰にでもあると思うのです。


 ごめんなさい。余りにも曖昧な文で、意味が取れないかもしれません。つまり、言いたいのはこういうことなのです。人生を構成する、一つ一つの要素には、でもきっと重要度みたいなものがあって、その重要度の高い要素を、もし自分が選んで掴んだのだとしたら、その要素を選ばせるに然る、過去の経験があるのではないか、と。

 私たちは自由世界に生きているわけですから、自己選択の機会というのは、きっと沢山あったと思うのです。それも、重要なものほど、自分の意志での決定を、迫られるはずで。例えば、高校とか大学とか、あるいは職場とか、そうでなくても、大まかな職業、恋人、友人。そういう人生を構成するものたちの、少なくとも一つくらいは、自分で選んだものがあるはずだと思うのです。そして、もしそうだとすれば、それを選ぶ理由となる経験が、きっとどこかにあると思うのです。


 恐らく、それは人によってひどくまちまちです。私の周りでもそうでした。

 例えば、職業に点を絞っても、子供の頃の憧れだった、医者になるという夢を縫い合わせて、進路を決めた人も、常に私たちの周りにいた彼らに、恐らくは興味を持ち、あるいは共感して、教師を目指した人も、親を見て、学者への道を進むと決めた人もいました。

 幼少期の思いに、大きく動かされる人もいれば、思春期の観察や思考を、大切にする人もいる。ずっと周りで見てきたものに、憧れや、あるいは愛着を抱いて、それにずっと触れ続けようとする人もいる。


 私の場合、それは十一の時の出会いでした。

 このことは、あるいは言うまいと思っていました。少なくとも、この一連の文章を書き始めた時、私はこれを書く気は一切ありませんでした。今も、迷いながら書いています。どうしてかと言えば、これが今回の本筋とは全く関係のない、しかも極めて個人的なことだからです。彼女と会えなくなってから、もう九年になります。この文章の中で、そんなにも長い間全く関りのなかった人について触れることが、有益であるとは私には思えませんし、実際、殆ど無益に近いでしょう。でも、何となく、私の体験したこの物語をもし辿るとすれば、あるいは彼女との物語が、そのフレームになり得る気がするのです。


 その時、私は小学生で、今と同じく、東京の端に住んでいました。

 小田急線で二駅も行けば川崎市になるような、そんな場所の五階建てのマンションに。

 彼女は近所に住んでいて、私たちは互いの親経由で知り合いました。親同士の仲が良かったのです。小さいこともあって、その理由にはあまり興味がなかったのですが。恐らくは管理組合だか何だかの縁だったのだろうと思います。それ以外にあまり彼女や彼女の家との接点を見出すことが出来ませんから。年もかなり離れていましたし。

 今、当時の彼女と同じくらいの年になってみて、その時の彼女の気持ちが、より分からなくなってしまった気がします。いま、小学生に接すると考えてみた時、大まかに言えば私は庇護的な気持ちと、あるいは少し面倒な気持ちと、それ以外に何か深い気持ちを抱けそうにないのです。でも、彼女の私への接し方は、完全にそれとは異なるものでした。


 彼女は――コエは――、私立でトップくらいの難関の外語学部に通っていました。

 あまり忙しくはないサークルに参加していたようで、彼女にはそれなりの時間があったみたいでした。彼女は時々私の家に来て、私の勉強を見てくれました。あるいはそれには私の親との何かしらの協定があったのかもしれません。家庭教師の個人契約のような。でも、勉強を見るといっても、そこまでの熱心さは決してなかったのです。そこが、私が彼女との関係を掴めない一つの大きな理由でもあります。その時の私には、彼女は時々家に来て、話してくれるお姉さんでよかったし、本当にそれだけでしたが、理性的に考えれば、そんなものほとんどあり得ない存在なのです。

「あなたは頭がいい」と、彼女は私のことを褒めてくれました。

「決してね、学力が高いとか、計算高いとか、そういうことじゃないの。あなたは、ちゃんと考える力がある。あなたの進んでいる道に対して、あなた自身の行動に対して。そういうものってね、普通だと思うかもしれないけど、意外と難しいのよ」

 彼女はそんな風に言いました。今思えば本当に買い被りに近い気がしますが。でも、私にとってその言葉はとても嬉しいものでした。私は彼女のことが人間として好きだったのです。彼女は公にすれば顰蹙を買うような言葉を、しょっちゅう放ちました。


「いい? 私たちにはね、破滅的な恋しかできないの。それを覚えておいた方がいい」

 私が解いている、四谷大塚の国語のテキストの、一粒の粉雪のような恋の話を、横目に見て。彼女はそう言いました。

「私たちには、時間がないのよ。いい? 私たちは努力し続けなければならないの。それを求められているのよ。経済はしぼんでゆく。仕事は高度になる。効率化機構がどんどん打ち立てられて、私たちはそれを網羅的に理解しマネージするか、逆に、それの元で安価に動くか、それだけしか道はないの。努力し続けることが目標の社会で、自分を認めるとか、他者を認めるとか、心が満ちるとか、そんなもの余計なのよ。そのせいで、道から外れることになる」

 随分とペシミスティックだと、その時の私は思いましたが、でも今になって、その意味も少しはわかる気がします。それに、彼女は恋をするなとは言いませんでした。、と言ったのです。。それは本能には抗えないのだという、彼女の反省も実際には込められていたのかもしれません。そう考えれば、思い当たる節も少しあるのです。


 そして、前に言った通り、彼女は私の人生にいくらかの影響を与えました。

 私が中学、高校を決めたのは、彼女の言葉がきっかけでした。

「あなた、受験した方がいいと思う。今時は中学受験もかなりコモンだし、それにその方が、将来の可能性とかいうものが、広がると思うから」

 彼女は私の家に来て二回目くらいに、私に向かってそう言いました。親も、あるいは受験というものに少し興味があったようで、私が受けることに決めると、話はとんとん拍子に進みました。気楽な中高でした。恐らくは女子特有だろう、ねっとりとしたコミュニティは、もちろん存在することにはしていましたが、それでも大分弱めでしたし、それに全体的にとても平和でした。通っていたかもしれない公立中学がどんなものなのか、私は経験していないので正確には知らないのですが、でも不登校やらいじめやら、そういう噂が、コンクリートで固められた小綺麗な校舎から、時々吹いてくることを考えると、私は本当にその時の決断に救われているような気がするのです。こんなことを言うと、あるいはお高くとまっている人のようで、少し自己嫌悪になるのですが。


 彼女は、知り合ってから一年も経たないうちに引っ越してしまって、私の前から消えていきました。突然に親が転勤になったのだと、彼女は言いました。私は大学の都合上東京に残ることになるだろうけど、単身で済むには、このマンションは余りにも大仰で、持て余すものだから、何にせよ、引っ越すことになると思う、と。

 彼女の住んでいた部屋には、それからすぐに、次の入居者が決まりました。駅からは少しばかり離れているとはいえ、新宿まで電車で一本という立地には、やはりかなりの魅力があるのでしょう。例えマンションから一つの家族が消えていったとしても、何事もなかったかのように、すぐにぱっと交代の済んでしまうのだというその事実は、少し恐怖すら感じることでしたが。


 その幕引きの突然さのせいか、私は未だに彼女の幻影を見ているような気がします。

 高校一年生。志望大学、志望学部を初めて考えて、学校に仮提出した時、私は無意識に文学部と書いていました。経済学部よりも、法学部よりも、何となくその文字列が、一番書きやすく、頭の中に、クリアに入ってきたのです。その時はわからなかったのですが、それから少し時間をかけて、よく考えると、それは恐らく心の奥に燻っていた彼女への憧憬からだったのでしょう。私は今でもありありと想像することが出来るのです。紙のいやに薄い、英語のペーパーバックに特有の、あのどことなくチープさのある本を、私の隣でペラペラとめくっていた、彼女を。


 そういえば、彼女はいつか言ったことがありました。

「学部は、ちゃんと考えた方がいい。四年間もそれに集中することになるんだから、よっぽど好きじゃないと、きっとやっていけないから」と。

 私は、彼女を追いかけて、でも、彼女の言葉を破っていたのかもしれません。

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