隣の声

 とある他県に旅行に来ていた目井めいさんは、木陰のベンチに座り、先程自分が撮影した写真を確認していた。


「すいません。お水をいただけますか」

 不意に、隣に座った誰かに話しかけられた。子どものような声だった。

 目はスマホに向けたまま、「ええ、お好きなだけどうぞ」と買ったばかりの未開封のペットボトルを差し出す。


 隣の人物が礼を言って受け取ったのが分かった。ゴクゴク、ゴクゴクと喉が大きく鳴る音が聞こえて、(よっぽど喉が乾いてたんですねえ。この暑さですからねえ)と目井さんは思った。


「ありがとうございました。助かりました。

 ……この辺りは初めてですか?」


「ええ、初めてです。一度は来たいと思ってましたので」

 そう言い、写真を次々スクロールしていく。

「そうなんですね」


 そんなやりとりをしていたら、はしゃいだ笑い声が聞こえてきた。

 ようやくスマホから顔を上げてみれば、数人の子ども達がベンチの前を駆けていくところだった。


「はは、楽しそうですねえ」

 目井さんは、何気なく口にした。


「そうですね。

 あの夏もあんな風に楽しく終えられると思ってたんだけどな」




 目井さんは突然眠りから覚醒したかのように、はっ、として隣を見た。


 誰もいなかった。ただ空になったペットボトルが置いてあるだけで。


「……」


 目井さんはペットボトルを掴むとベンチから立ち上がり、少し遠くの背後にある建物に目をやった。

 もう随分前に、大部分が破壊されたその建物に一礼してから、その場を後にした。

 

 



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