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朝起きたら今までの自分とは全く異なる存在になっていたという物語は割と色々なところにあるが、まさか自分に降りかかるとは思っていなかった。
顔には目も耳も鼻も口もない。手足は指がなく先端が丸っこくなっている。
自身の異変を理解するや、脇目もふらずに
到着し、目井さんに目覚めたらこうなっていたと説明しようとしたが、口がないからなのか声が出ない。
どうしよう、これじゃ状況どころか自分が誰かすらも分かってもらえない…… とパニックになりかけた。
が、目井さんはいつもと同じようなテンションで「おや、重村さんですね。起きたらそうなってしまってたんですね。分かりました。まあまずはお座りください」と目の前の椅子を示した。
なんで分かってくれたんだろう、と首をひねりつつも、とりあえずそこにあった椅子に腰を下ろした。
「いきなりこんな風になったら動揺しちゃいますよね。うんうん」
目井さんは診察しながらも、話せない重村の気持ちを正確に言い当てた。
(なんで分かるんですか?)
目井さんをじっと見つめ、心の中で問いかけてみた。
「ん、なんで分かるのかって? あなた大粒の汗いっぱい飛ばしてらっしゃるじゃないですか。それで動揺してるのかなと」
重村はふと自分の周囲を見てみた。紺色の雫型をした大きな汗が、身体から空気中にぱっぱと放出されていた。
「あと、首を傾げてはてなマークを出してらっしゃったので、何故分かるか聞きたいのかなーと」
重村は存在しない目を自身の頭上にやった。紺色の? が宙に浮かんでいるのが見えた。
「『ところで、まだ病院直ってないんですね。大変ですね』って?
ははは。そうなんです。かなり派手に食べられちゃいましたのでね。空が綺麗ですねー」
試しに心の中で話しかけてみたら、やはり目井さんは分かってくれた。
直ってないどころか、ほぼただの更地と化した地面に屋根代わりとして設置したパラソル越しに空を見上げ、苦笑交じりにそう言った。
「さて、重村さんに合った治療法が分かりましたよ。お顔を近付けていただけますか?
そうそう、では」
ぶしっ
突如として顔の下部にメスを突き刺された。
「痛いですね! そうですね、すぐ終わりますから…… はい、終わりました」
やはり何も言わずとも重村の激痛を理解した目井さんは、急いで重村の顔の、かつて口があった部分にメスで口のような形の切込みを入れた。
「お顔はこんな感じで以前と同じようになるように再現させていただくんですが、いきなり全部やってしまうと負担がかかってしまいますのでね。今日はお口だけ作らせていただきました。これで明日には声が出るようになりますよ。
お顔以外の部分は今日お渡しする飲み薬で少しずつ治していけます。一週間分ありますので、一週間経ったらまた来てくださいね。治療を続けていかないと、また口がくっついて無くなってしまうので」
雫型で紺色の血をポロポロと垂らす口を拭きながら、目井さんはそう説明した。
痛む口を押さえつつどうにかこうにか帰宅した重村は、何故言葉にしてもいないのに目井さんはあんなにも自分の気持ちを分かってくれたのだろうかと考え込んだ。
重村は、子どもの頃から他者とコミュニケーションを取るのが苦手だった。
人の話を聞くのは特に問題ない。人に話すのが問題なのだ。
普通に喋っているつもりなのに、何故か意図が伝わらない。
声が小さいのか、話しかけるタイミングが悪いのか、余程話が下手なのか。それとも自信を持って話せないからなのか。
聞き返されたり、バカにしたように笑われたり、「つまりこういうこと?」と、伝えたのとは全く違う内容を復唱されたり。
そんなことが繰り返され、ますます話したくなくなっていった。言いたいことがあっても黙っているようになったから、周囲は余計に重村を理解してくれなくなり…… という悪循環に陥り続けていた。
特別に親しいと言える人が、いなかった。
ピクトグラムは言語を使用しないシンプルな図で表現をする。だから、パッと見ただけで様々な人が理解しやすい。
ピクトグラムになった今の自分も、無意識に分かりやすいジェスチャーをしたり、記号を浮かばせたり汗や血を流したりしていたのだろう。だから、目井さんは気持ちを分かってくれたんだ。
自宅で少し考えてみて、合点がいった。
分かってくれるんだ。自分の気持ちを。
長年うまく喋ろうと努力してきたけど、そんな努力をせずとも伝えられるんだ。
どんなにいい表現を使うよりも、どんなにハキハキ話すよりも、ずっとちゃんと、正確に伝えられる。
やっと、自分のことを分かってもらえるんだ……
さっきメスで切ってもらった口を、固く閉じた。
翌週、重村は目井さんの元に行くことはなかった。
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