animal teeth

 ある日の午前。隣町の「しゃくしアニマルクリニック」の診察室にて。


「ねえ〜! いっくらなんでも酷くな〜い!?」


 普段ならば甘井あまいの甲高く、間延びした声が響いているであろう場面。

 けれど、この日の甘井は自身の声ではなく、文章を入力すると音声で読み上げてくれるスマホの機能を使って話していた。


「本当に申し訳なかったである。『動物の歯について色々と教えてほしい』と頼まれたので行ったんであるが、まさかこんなことに使うとは……」

 向かい合って座る、大きなマスクを付けた甘井に頭を下げる杓子しゃくし

「もねを責めてるわけじゃないよ〜。知らなかったんだもんね~。酷いのはしーちゃんだよ~もお~!」


「だがぶっちゃけ、噛裂かんざき氏にも一理あるであるぞ? 流石にちょっとは甘い物を控えないとまずいである」


「もねまで~! もお~!」

 スマホの人工的な声が言い終えるや否や頭を抱える甘井。

「これを機に、少しずつ他の食べ物にも慣れていくと良いであるよ。菓子以外にも美味いものはたくさんあるである。たとえば」


 どさっ

 重量のある音とともに、大量のニンジンが詰め込まれたダンボールが甘井の前の机に置かれた。

千古ちふる氏が知人にもらったそうなんであるが、こんなには食べ切れないから動物にもあげてくれと分けてもらったうちの一部である」


「ちふるんるんと仲良くやってるんだ~?」


「……どうだかな。

 ともかく、ちょうど良いであろう? 持っていくである。甘みのあるニンジンだから食べやすいと思うであるぞ」


「ううう…… でもしょうがないのかな~、今はお野菜しか食べられないし……」

 甘井は苦悶の人工の声を上げつつ、マスクを外し、口を開いた。

 

 覗いた甘井の入れ歯の歯。それらは普段とどこか違う印象を見るものに与えた。

 どこか違う、どころの話ではない。

 目立つ大きな前歯が上と下に2本ずつ。前歯の裏側には小さな前歯が2本。

 そう、ちょうどウサギのような。

 甘井は苦々しい表情のまま、その歯でかりり、とニンジンを噛んだ。




 5日前、いつも通りの総入れ歯のメンテナンスをしてもらうだけのはずだった。

 が、全ての歯が虫歯になり、総入れ歯を使用するようになってもなお懲りずにお菓子を食べ続ける甘井の姿に、噛裂は人知れず堪忍袋の緒をブチ切れさせていた。


 だから、甘井から入れ歯を預かった際、勝手な改造を施した。処置が終わったから早く装着しろとやたら急かしてくる噛裂や、いつもより若干重さを増している入れ歯を妙に思いつつも付けてみたのが甘井の運の尽きだった。


 抜けかけの乳歯のようにぐらぐらと揺れながら変形していく歯達。取り外そうとしても取り外せない入れ歯。

 怯える甘井に、噛裂は「何度ハナしても自分のヤバさをハアクできないみたいだから、モハヤこうするしかないんじゃないかと思ってねえ」と、勝利を確信した悪役のような笑顔で説明した。


 噛裂は入れ歯を、7時、12時、18時にそれぞれ別の動物の歯の形に変形するように改造した。

 動物の歯というものは、各々の主食を食べやすい形状にできているものである。

 ライオンの歯ならば一番食べやすいのは肉だし、シマウマの歯ならば一番食べやすいのは草であるというように。

 入れ歯は噛裂にしか外せなくなっており、ここまでされてしまえば、流石の甘井も人間用に作られたお菓子は食べづらくなるだろうとの魂胆だった。


 「お願いだから取って~。そしたら新発売のかき氷のデラックスサイズ奢ってあげるから~」と懇願する甘井を歯科医院の外へと押しやりながら、噛裂は「とにかく一週間ハガンバレ」と無情に告げたのであった。




「おー、ニンジン食べられたであるね! 5日目だけあって慣れてきたであるね」


「無理無理! 食べられても美味しくはないんだよ~? もう限界だよ~!」

 「人間の歯とは異なるため上手く発音できず、また舌や口の中を傷付けそうで怖い」という理由から、やはりスマホの音声で話している甘井。


「だが昨日の昼は虎の歯で肉を食べられたんであろう? やはり進歩してるである」


「う~、でも大変なんだよ~? どんな動物さんの歯になっちゃったか、いちいち貰ったリストで見て、食べられるもの確認しなきゃいけないし~。

 昨日の夜みたいにクジラヒゲになっちゃった時は、プランクトンさんを濾し取って食べるしかないから、もねのところにプランクトンさん貰いに来なきゃいけなかったし~! 海のお水辛かったし~!」


「クジラヒゲは歯ではなく皮膚が変化したものなんであるが、どうやったんであろうな……

 ともかく、頑張っていて偉いとは思うが、もしあまりにも耐えられなかったら目井めい氏に相談に行った方が良いかもしれないであるな」


「うん~、そうする~……」

 力なく頷き、甘井はウサギの前歯でニンジンを再びガリリと噛んだ。




(無理無理~! 今朝もねとああいうお話したばっかりだけど、やっぱりもう耐えられないよ~!)


 数時間後、甘井は半泣きで目井クリニックに向かって駆けていた。

 時刻は正午数分前。腹部はグーグーと空腹を訴えている。が、悪いことに先程あれだけたくさん貰ったニンジンは家に置いてきてしまっていた。

 おなか空いたのに~、やっちゃったなあ~、でももうそろそろ歯の形変わっちゃうもんな~、とにかく今はめいめいになんとかしてもらおう~、と考えていた。


 駆けて駆けて、ようやく目井クリニックに到着した。

(よーし、これで一安心だ~。待っててねお家にあるお菓子のみんな~。もうすぐ僕が食べてあげるからね~)

 その途端、時刻は正午になった。


(ん、)

 再び歯がグラグラと揺れだした。が、いつもと少し様子が違う。

 ウサギの歯が引っ込んでいったと思ったら、両頬の内側で硬い何かが形成されていく。それらは、重さと長さを増していく。

「えっ、んっ、ごっ」

 思わず声が漏れる。口を割るようにして、唇の両端から黒っぽい、なにかギザギザした長い棒状の物が伸びていく。マスクが引っかかり、ビリビリと破られていく。


(何~、これ~? リストリスト…… えっ、てことは食べ物は…… え~……)

 甘井は戸惑った。けれど。


 グー グー グー

 鳴り続ける胃袋。目の前にある

 我慢することなど、到底不可能であった。


(めいめい~、ごめん~)

 心の中でそう呟き、甘井はに食らいついた。




「目井サン、今回ハ本当に申し訳なかった!」


「いやーびっくりしましたよ。往診から帰ってきたら病院の建物がほぼ跡形もなくなってて、治療器具やらベッドやらが散乱してる中に甘井先生が一人でいらっしゃったんですから。しかも木材を齧ってて二度びっくり、噛裂先生にあらましを聞いて三度びっくりですよ。うん」


羊羹ようかんの偏食を治そうとしただけなのに、こんな形で巻き込んでしまうトハ……」


「いえいえ、誰も入院してなかったのが幸いですよ。それにしても甘井先生はすごい食欲ですねえ。捨てようかと思ってた木材渡してみたらまだ召し上がってますよ。

 で、一体何の動物の歯になっちゃってるんです?」


「……シロアリ」

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