Grim Reaper four

「本当に良いのだな?」


「うん~。お話したいって、言ってたからね~。あと、お話しする間僕も一緒にいてほしいって言われたから、いるね~。でも、僕はお口挟まないようにお口に桜餅挟み続けておくから、気にしないでお話してね~」

 甘井あまいはそう言って、その病室のドアをスライドさせ、中の人物に呼びかけた。

「ほら~、ちふるんるん来てくれたよ~」


「待てコラ何無断で愉快なニックネーム付けてるんだコラ」


「じゃ~後はお二人でゆっくりね~」

 言うが早いがベッドに向かい、蚊帳のように周囲に張り巡らされたカーテンを開く甘井。中に入り、ベッドに横たわる人物とこしょこしょと会話をするらしき声が聞こえたが、間もなく途切れた。その後は甘井がものを食べるもちもちという微かな音を除き、静寂が訪れた。


 千古ちふるも廊下から病室へと足を踏み入れ、そこにあった椅子に腰を下ろした。

 室内はやけに酒臭かった。



 激しい怒りのままに千古の頭部を切り裂き、我に返った途端に自身のしたとんでもない行為を認識、ショックで意識を失った杓子しゃくし

 身体からだは無傷だったものの、心はそうはいかず。始めの一週間ほどは何時間も眠り続けたかと思えば突然目を覚まし、同時に激しく錯乱。ひとしきり暴れたらスイッチが切れたように眠り…… の繰り返しだった。


 それでも、甘井が否定も肯定もせず、変わらず菓子を食べながらそばに居続けたことが功を奏したのだろうか。以前のようにとはまだ程遠いが、徐々に徐々に穏やかさを取り戻し、パニックになることも減っていった。

 他の誰にも会いたくなかったが、甘井にはいてほしい。そんな意思表示ができるほどには回復していった。


 ようやく会話が成立するようになってからは、甘井から拙い説明を何度も聞かされた。自分が殺しかけたあの人物の怪我が、医者総出で治そうとする側から自然に治癒していったこと。本人が「バレてしまったなら仕方がない」と自身の体質について打ち明けてくれたこと。そのため杓子は誰も殺していないこと。


 当然ながら信じられるはずもなかった。あまりにも現実的離れした話だった。

 甘井は動物病院の前に大量の菓子を置いていた頃と何も変わらない。あの時のように、自分を励ますために見当違いかつ子どもじみた嘘をついているに決まっている。

 不死など、あるはずがない。自分の爪には、あのつやつやの肉を引き裂き、硬度の高い骨をガリガリと削り取った感触が。ありありと残っているというのに。

 第一、そんな生物がいるのならば、今まで救えなかった動物達の命は、理不尽に失われた似音子にねこの命は何だったのか。

 けれどやがて、信じきれなかったけれど、信じたくなってきた。甘井があまりに真剣そのものだったから。




「……」

 話は本当だったらしい。ベッドの四方を囲むカーテンの向こうにはたしかに、あの日自分が殺しかけた人物がいるらしい。

 上半身をヘッドボードに預けてベッドに横たわる自分。こちらに背を向ける形でベッドの縁に腰掛けている甘井。一方の手で桜餅を口に運び、もう一方の手で震える自分の手を握ってくれているこの友人が、連れてきてくれた。

「……」

 来てもらったのは、あの日の自分の所業を謝罪しなければならないからだ。いや、もちろん謝罪だけで済むはずがない。一生をかけて償うと約束しなければ。

 頭では分かっているのに。

「……」

 心は口を開かせてくれなかった。




「聞いたぞ。あの日、様子のおかしな目井を止めようとしてくれたらしいな」

 長引く沈黙を打ち切ったのは千古だった。

「私は全く気付かなかった。あっさりと騙されてしまっていたよ。病室に閉じ込められてからも、煙から守ろうとしてくれたのだろう?

 ……ありがとう」


 違う種類の生物の言葉を聞いているようだ、と杓子は思った。

「……何を言うであるか」

 やっと発した言葉は、謝罪ですらなかった。

「あなたが死ぬ人間だったなら、間違いなく殺してしまっていたである。たまたまあなただったからそうはなっていないだけで。吾輩は、本当はあなたを殺していたである。

 あなただけじゃないである。あなたの大切な人のバケツをふっ飛ばして日光浴びせて殺しかけたである……」


「もちろん、つなしをああしたことについては責任をとってもらうぞ」

 穏やかそうなそのトーンにはけれど、明らかに立腹の色が含まれていた。


「……」


「だが私のことは気にするな。どうせ死なないのだから」


「そういう問題じゃないであろう!」

 部屋が割れそうな絶叫。そして、再びの沈黙。




 何故なにゆえ、二人して似たようなことをほざくのだろうな……

 次に沈黙を破ったのは、内心でそうぼやく千古ではなく杓子だった。


「そうである。吾輩は許されるべきではない行為をしたのである。あなたにもあの十氏にも謝らなければならないである。

 十氏には謝れるである。完全に一方的に命の気機にさらしてしまったである。だが、だが……」

 ダイヤモンドさえ噛み砕けるのではないかと思うほど、強く唇を噛みしめる。

 こんな発言は決してしてはならない。医者として人間として。

 けれど言わなければならない。本心を隠して謝罪の言葉を述べるのは容易だけれど、それは何の意味もなさないから。


「あなたには、謝れないである」


 言ってしまった。

 カーテン越しにさえ、相手の反応は伺えなかった。

 取り消すことはできない。重い唾を飲み、続ける。

「似音子が、いたんである。すぐ側で、笑ってたである。二度と会えないはずだったのに。

 幸せだったである。一緒ならどんなに最悪な場所に行くことになってもいいと、本気で思ってたである。

 でも行く直前で、起こされたんである。あなたに。似音子はまた殺されたんである。またお別れを言う暇すら与えてもらえなかったんである。

 あなたが起こしてくれなかったら死んでいた。それは重々承知である。その上で、吾輩はあなたに謝れないである。なんで…… もう一度会えた似音子と我輩を引き離した人に謝らなきゃいないのかって。

 あなたに謝らなければならない。けれど、どうしてもどうしても。謝ることはできないのである。……申し訳ないである」


 自分がここまで似音子を恋しく思っていたなんて知らなかった。

 ここまで矛盾していて、独善的で、「悪いことをしたら謝る」という当たり前のことすらできない人間だったなんて知らなかった。


 二つの命を奪いかけた上、謝罪すらもできない。もう動物達の命を預かる資格などない。獣医を、やめよう。

 そんなことまで考えながら、カーテンの向こうから飛んでくるに違いない怒りの声に備え、寝そべったまま身構えた。




「分かった。ならば私に対して謝る必要はない」

 やはり、相手は未知の生物なのではないかと思った。


「先程言った通りだ。元より、貴様は私には大したことはしていない。私に謝る必要はない。

 だが、もしもそれでも私に対して申し訳なく思っているのであれば…… 全力で償ってもらおう」

 ああ、それでもタダで済むはずはないよな。一体どんな方法で償わせてくれるのだろうか。


「私と一緒に目井を救え」

 ……え。

「目井は今、明らかに異常だ。奴には殺されかけはしたが、本来なら決してそんなことはしない奴だ。何か裏があるに違いない。

 奴には多少の恩もあるし、何より十に頼まれたんだ。目井を救ってほしいと。

 だから、手伝え。私と一緒に、いつも通りの奴を取り戻してやるんだ。それで私に謝ったと同じことにしよう」

 この人は……

「さあ、協力、するだろ?」

 一単語一単語区切り、大仰なほどに、半ば脅しにすら聞こえる言い方で。


 自分にまだそんな権利があるのだろうか。誰かを救う権利が。


 ……実は、心当たりならある。目井さんに今何が起こっているのか。目井さんをあんな風にしたのが誰なのか。

 あの日はわからなかったが、入院中に冷静さを取り戻した状態で、自身の持つありとあらゆる記憶をあの日の目井さんの様子と照らし合わせて…… 自分なりの答えにたどり着いていた。

 顔は笑っていたのに、目だけが笑っていなかった。どんな表情の時でも、目だけは必ず笑っていた目井さんが。

 そしてその笑っていない、まるでただの黒い穴のような双眸は…… 「あの人物」のそれらに、酷似していた。目井さんを変えてしまったのは、「あの人物」だ。


 だが、それは一方で、自分でもアホらしいと思わざるを得ないほど滑稽な推理であった。

 手がかりとなったのは自身の記憶のみ。何よりも、その人物が目井さんに危害を加えることなど不可能だ。何故なら、その人物は既に……

 そもそも、自分などが役に立てるとは思えない…… 本当にそれで謝罪したことになるのだろうか…… 良いのだろうか……




 迷いは、唐突に断ち切られた。


 手を握り続けていた甘井の力。それが弱まった。

 思い違いだったのかもしれない。そう感じる程度の、実に些細な変化。そっぽを向いた甘井は桜餅を食べ続けていたし、何も言わなかった。


 しかし杓子には。

 甘井なりの背中の押し方だと解釈できた。


「……行ってくるである」

 背中に小さく声をかけた。頷くのが見えたのは、思い違いではなかったはずだ。


 いつぶりにか起き上がり、カーテンをシャッと小気味良い音を立てて開いた。

 待ち構えていたのは、あの日怒りのままに殺しかけた、あの人物の仏頂面だった。


「初めましてだな」


「……ええ、初めましてであるな」




 同時刻。とある広い中庭で。


 夜ではあるが自由時間とあって賑やかな声や物音が響き渡る中、建物の壁に背を預けた津々羅つづらは、一人、刑務所の内と外を隔てる塀を睨みあげていた。


 たった一枚。それが2つの世界をどうしようもなく遠ざけている。

 本当は知っている。犯行の行き帰りの際に人目を避け、屋根の上や悪路を駆けてきた自分の身体能力ならば、この程度やすやすと飛び越えられることを。

 そうしないのは、そうしてはならないからだ。


 けれど、今は飛び越えたくて仕方がない。自分などが行ったところで大したことはできもしない。けれど……


「ネエ! 誘拐した子達からお手紙が届いたネ!」

 数枚の紙片を掲げたパイパー(Piper)が走り寄ってきた。

「この子達はみんな新しい家庭や施設で、色々ありつつもそこそこ楽しく暮らしてるようでまずは一安心…… 聞いてるかネ?」


「え?え? え? あ、ああ、良かったね! 部屋にネズミが大量発生したんだって?」


「何にも話聞いてなかったネ?」

 苦笑しながら、津々羅と隣り合って壁に背中を預ける。二人してはるか頭上にある、灰色の塀を見上げた。


しゃばの噂に詳しい受刑者に聞いたネ。私のこと診てくれたお医者さんが…… 色々と大変らしいネ」


「……」


「どうしたいネ?」


「?」

 何故そんな答えの分かりきった質問をするのだろう。

「早く無事に戻ってきてくれるといいなって」


「訊いたのは『どうなればいいか』じゃないネ。『あなたがどうしたいか』ってことネ」


「……!」

 相手の意図にようやく思い至り、顔を上げた。

 良いいたずらを思いついた悪童のような笑みが、そこにはあった。

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