Grim Reaper three

「もう3週間ですか」

 何気なく口にしてしまってから、しまったと思った。

 少し無神経だったかとややビクつきながら、ファミレスの同じテーブルに座る2人の顔色を伺う。


「せやね」

 空っぽの皿に目を落としたまま、あまり変化のない表情で返答するエスクリビール(Escribir)。

「そうですね」

 そう答える時だけ手元のスマホから目を離し、答えてから再びスマホに目線を戻すシャン

 2人共特に気分を害した様子のないことにホッとしつつ、そんな自分に少し嫌気もさしたたきは、言い出しっぺのくせにその先を続けることができず、なんとはなしに壁に掲げられた絵に視線を移した。細い額縁の中では、写実的に描かれた天使達が無邪気に戯れていた。


 目井めいさんが患者様達や隣町の医師達を殺害しかけ、そのまま逃亡した。

 この3週間、そんな噂で町はもちきりだった。

 あの目井さんが。信じられない。

 町のどこに行っても、そんなニュアンスの言葉が聞こえた。

 けれど、目井さんが原因で入院している人達がいるのは事実らしい。だから、決して根も葉もない噂ではないし、むしろ限りなく事実に近いのだ。そう言う人々がいた。

 目井さんってそんな本性だったんだ、全然気付かなかった。そう言う人々もいた。

 目に見える不信感が漂っているような、異様な雰囲気が、町中を支配していた。


「……」

 何も言えないまま、滝が異様に長くしてもらった両腕で自らの身体からだを抱きしめる力を強めた、その時だった。


長池ながいけ、アホやろあいつ」

 エスクリビールが口を開いた。

「『目井さんが元気ないことに気付いていながら何もしなかったッス。私が助けなきゃいけなかったのに』やて。

 仕事中もずっと辛気臭いオーラ放ちやがって。お前がそんなんやと職場全体の士気が下がるっつーんや」

 棒読みにも近い、抑揚の少ない口調で、変わらぬ表情で。

 レモネードを飲み干したグラスに残った、輪切りのレモン。その果肉をフォークでぐしぐしと潰しながら。

「お前一人に何ができんねん。アホやアホ。今更そないなことで自分責めてどないすんねん。ほんまアホ」

 視線を上げることなく、カチャカチャ、グシャグシャとグラスの内側に微量の果汁をてんてんと飛ばし続け…… 唐突に手を止めた。

「あのアホをあんなにした目井さんは、もっとアホや」

 ポツリと、独り言のように。


 返す言葉が見つからず、戸惑う滝。そんなところに、誰に対しても敬語の滝が唯一タメ口で話すほど仲の良い後輩が、一層戸惑わせる台詞を口にした。


「ところで滝さん」


「え?」


「明後日、『14日の土曜日のホワイトデー』は予定通り撮影しますよ」


「……え」


「本当は目井さんにアレの出来を見てもらいたかったんですがね。

 練習しといてくださいね、大量のマシュマロに押しつぶされて死ぬモブの役。アレ使いますからね」


「ちょ、ちょっと……」


「こんな状況なのに、ですか?」

 上はまっすぐ滝を見ていた。意思のこもった、まっすぐな眼差しだった。


「こんな状況だからです。自分が行方不明になったせいで我々が娯楽を楽しめなかったなんて知ったら、目井さん悲しみますよ」


「悲しむ……」


「悲しみますよ。

 力のこもった、少し震えのある声。


「帰ってきた時に……?」

 恐る恐る聞き返した滝と、目を見開いたエスクリビールに、上は言い切った。

「難しくても信じなきゃいけないでしょう、だって」

 テーブルの下で、画面にとある住所が表示されたスマホを両の手に包み込むようにしながら。




 目井さんが失踪した当初は、上も信じられない思いでいっぱいだった。

 けれど当初から、何かの間違いか、あるいは想像を絶するほどの事情があったのだろうと考えていた。

 言うまでもないが、殺人を肯定する気はさらさらない。……それこそ職場の先輩だったあの人であろうと、目井さんであろうと。

 けれど、どう考えてもありえないことだとしか思えなかった。

 だってそうじゃないか。自分が目井さんにしてもらったことを考えたら。


 呆然と過ごしていた最初の数日間を終えてからというもの、自分なりに密かに調査を進めていた。目井さんの行きたそうな場所に足を運んで周囲の人に聞き込みをしてみたりと、少しでも手がかりがないかと探し続けた。

 そして先日、ある情報に行き着いた。


 自分は、かつてとある過ちを犯しそうになった。情報の中に出てきた人物も、同じ過ちを試みたのだという。

 大きく異なるのは、自分はその過ちを目井さんに「邪魔」してもらったこと。その人物は…… 目井さんの「邪魔」が入ったにもかかわらず、実行してしまったことだった。


 これだ、と思った。目井さんの失踪にはきっとこのことが関わっている。

 証拠なんてないのに、そう思った。




 サイズの合わないコートや帽子をむりやり身にまとって変装した目井さんは、近隣の店からこっそり盗んできた食料品の詰まったエコバッグ片手に、その家へと急いでいた。

 ――どうせ死ぬんだから、食べなくていいと思っていたんだがな。思ったより「開発」が長引いていることもあって流石に限界だった…… これだから嫌なんだ「生」というやつは。

 それにしても、まさか今更窃盗をする羽目になるとはな。でもいいよな? どうせもうすぐんだからさ……


 誰に声をかけられることも、行方不明中の「目井さん」と気付かれることもなく、住宅密集地からやや離れた、人気ひとけの少ない場所に佇む、目的の家に辿り着いた。

 鍵を壊した玄関ドアのノブに手をかけた、その時だった。


「目井さん」

 背後から、聞き覚えのある声に呼ばれた。反射的に振り返る。

「……お久しぶりです」

 佇んでいたのは、若干引きつったような笑顔の人物。慌てて記憶をたどって、上という人物だと気が付いた。

 ――嘘だろう? 何故、ここが分かった? それもこんな一般人が!

「ちょっと寒いですが、いいお天気ですねえ、今日」

 引きつったまま、そんな呑気な話題を振ってくる上。

 ――何なんだよこいつ! やめろ、来るな!

 一歩身体を横にずらしたら、上もそれに合わせて一歩ずれた。

「そういえばね、家の近所の桜、もう咲き始めたんですよ」

 上は、話を止めようとはしなかった。




 いた。やっぱり、ここにいた。また会えた。

 泣き出しそうなのを懸命に堪え、上は目井さんに話しかけ続けた。

「とっても綺麗なんですよ」

 話したいことがたくさんあるんです。

「毎年見てるのに、やっぱり見ると嬉しくなるんですよね」

 見てもらいたいものもあるんです。あなたがこの前作り方を教えてくれたものです。

「写真何枚か撮ったんですよ。ご覧になります?」

 今すぐにでも一緒に帰りたい。あなたのいる平凡な日常をまた過ごしたい。けれど、いきなりそう伝えたら身構えてしまうかもしれない。だから、こんな話題から入っていく。

 かつて自分が「邪魔」してもらった時のように。

 

 懐に片手を入れている目井さんに、上は桜の写真を表示させたスマホを掲げて見せた。

「ほら、これなんですが」


 バシャッ


 


 懐から取り出された目井さんの手には、3週間前隣町の医者達に投げつけたのと同一の小瓶があった。その中の液体が、上の顔面に向けてぶちまけられた。


 何が起こったのか分からない、と書かれた顔で大きく一歩後退りした上は、状況把握のためなのか、自身の顔に右手をほとんど叩きつけるような勢いで当て…… 同時に、目が痛くなるほど鮮やかな赤が、ぱっ、と一面に舞った。

 その表情とポーズのまま、上は受け身を取ることもなく、その場に倒れ込んだ。


 ――驚いた。だがこれでいい。この毒は人間の全身を跡形もなく溶かす。血液の一滴に至るまで、水のような無色透明な液体に変えてしまう。こいつの死体も、残ることはない……

 目井さんは足元の物言わぬ存在に一瞥をくれることもなく、手慣れた動作でドアノブを回し、開いたドアの僅かな隙間に身体をねじ込むようにして家の中へと入った。




 同時刻、千古ちふるは病室のカーテンを開いていた。

(今夜は曇り気味だな。いい天気だ…… ああ、おかげさまで『いい天気』の定義が一般とずれてしまったな……)

 そう浸っていたら。

「んーんー……」

 ベッドで眠っていた人物の伸ばした手が、背中にこつん、と当たった。

「ごっ、ごめんなさい…… どなたですか……?」

 当たった感覚で目を覚ましたらしいつなし。萎縮するように千古に尋ねた。

 現在は夜に分類される時間帯。十は暗い方が目がよく見える体質。それなのにすぐ側にいるのが千古だと認識できない訳は。

「……私だ」


「千古さん……」

 やっと相手が誰かを知り、あからさまなほどに安堵の態度を取る十の両目には、厳重に包帯が巻き付けられていた。




 あの日、千古の返り血で血塗れになりつつも院内に駆け込んで隣町の医者達に助けを求めた十。外傷こそ無かったものの、陽光を浴びてしまったことでかなり危険な状態が続いていた。最初の一週間は意識すらなく、千古も覚悟を決めていた程だった。

 けれどどうにか意識が戻り、会話もできるまでに回復した。まだ起き上がることはできずベッドで過ごしているし、光を見すぎたために目が受けたダメージが深刻だったため一寸の光も通さないようにと目元に包帯も巻かれているものの、ひとまず命の危機は去った。それでも千古は、変わらず病院で寝泊まりし、付きっきりで世話をすることを続けていた。


「良かったな。今日は曇りだ。見えないだろうが」


「そうなんですね。いいですね。見えませんが」

 笑いながら明後日の方向にふらふらと伸ばされた十の手を、千古は両手で包み込んだ。


 少しの沈黙を挟んで、千古がそっと口を開いた。

「……すまなかったな」


「またそれですか? もういいって言ってるじゃないですか」


「だが、貴様は死にかけたんだ。私を探しに来たせいで……」


「……そろそろ話しますね、あの日のこと。なんで私が外に出たのか」


「……ああ」




 その日、十は珍しく朝早くに目が覚めた。そしてすぐに違和感に気が付いた。眠った時は腕の中にいた千古がいない。

 書き置きもないし、バイトの日でもないのに。すぐに帰ってくるかもしれないと少し待ってみたが、帰ってこない。

 だんだん不安になってきた。千古のスマホに連絡をしてみても返事がない。千古の知人達や、千古が行きそうな場所にも連絡をしたが、皆知らないとの返答だった。


 私が寝ている間に出かける時は、必ず何かしらメッセージを残してくれるのに。

 おかしい。何かあったんだ。

 もう一つおかしいことがある。目井さんだ。何度電話やメールをしても反応がない。いつもならすぐに返事をくれるのに。患者様の治療中で出られない可能性ももちろんある。けれど何故だろう。嫌な予感がする。

 目井さんは、何かを知ってる。


 外には太陽が出ている。猛烈な光と熱で、自身の体力を奪い去る天敵が。けれど時間が経つにつれ、その強敵の恐ろしさが薄らいでいった。

 そんなものよりも、千古を失う方がずっと怖かったから。


 とうとう意を決した十は、全身にありったけの日焼け止めを塗りたくり、長袖の衣類と、顔には包帯を巻き、バケツを被って、目井クリニックに向かうことにした。

 自宅の玄関ドアを開いた途端、襲いかかってきた眩い光。一瞬怯んだが、そんな恐れを振り払い、一歩踏み出した――




「愚かだな」


「そうですか?」


「私がどういう体質かは知っているだろう」


「ええ」


「ならば何故なにゆえ心配などした!? どうでもいいだろう、どうせ死なないのだから! そうしたら、貴様も外に出る必要はなかったし、死にかける必要もなかった!」

 千古は、爆発するように激高した。

「それくらい分かれ! 優先すべきものくらい!」


「千古さんこそ、分かってください」

 寝返りを打ち、千古のいる方に身体を向ける十。掴まれているのと別の手を、熱を持って小刻みに震える千古の両手の上に載せた。

「死ななければ傷ついていいとでも? そんなはず、ないでしょう。嫌ですよ。たとえあなたがいいとしても、私が嫌です。傷つけられようとしているのなら、助けに行きます。それに、今回は本当に殺されるところだったじゃないですか」

 隠された両目。けれど包帯の下にあるそれらがどんな表情なのか、手に取るように分かった。

「良かったです。助けられて」


「……」


 またしばらくの沈黙があり、今度は十が先に口を開いた。

「それで、家を出た後のことなんですが」


「……ああ」


病院ここに来て、目井さんに千古さんがどうしたか知らないか訊いたんですが、『知らない』の一点張りで…… でも絶対に何か知ってるって確信して。

 一旦診察室を出て、病院を調べたら一つだけ鍵がかかってる病室があって。呼びかけても返事がなくて。もう絶対ここだって。千古さんはこの部屋に閉じ込められてるんだって直感して。

 目井さんのところに戻って、あの部屋を開けてほしいって頼んだんですが、はぐらかしてばかりで全然私の話を聞いてくれなくて、様子がおかしくて……

 埒があかないから、一人で戻ってドアを壊してでも開けようとしたんですができなくて。窓なら割れるかもと、外から割ろうとしたんです。何度もあなたを呼びながら……」


「そうか、それで……」


「ええ…… ねえ、今度は私に教えてください。あの日、目井さんと何があったんですか?」

 千古は軽く息を吸い込んだ。一度天井を見上げ…… 顔を十に戻してから、話を始めた。

「目井にな、誘われたんだ。サプライズバースデーパーティをしたいから、その準備を手伝ってくれないかと」


「サプライズバースデーパーティ? 誰のです」


「……貴様のだ。あの日の翌日貴様の誕生日だったろ?」


「あ」


「意識不明でそれどころじゃなかっただろうがな…… 朝からそれの準備をやろうという話になって、言われたとおり貴様が寝ている隙に病院に行った。目井は病院の入口で出迎えてくれて、中に案内された。ある病室の前まで連れて行かれて、『必要なものはこの中にあるんです』と言われてな。素直に信じて入ろうとしたら……」


「したら?」


「……後ろから声がしたんだ『目井氏、何してるんであるか』って」


「それって、もしかして……」


「ああ、あの獣医だった。通りすがりに病院の入口で私と目井が会話しているのを見かけたらしくてな。それで目井の様子に違和感を覚えてこっそりついてきたようだった。揉み合いになりそうになったが、目井は素早くあいつと私を病室に放り込んだ。あの薬品と一緒にな。

 ドアが閉まった直後に、カチャッと施錠されるような音がした。外から鍵を閉めたんだろうな。開けようとしている間にも煙は充満して…… そうしたら、あいつがベッドのシーツを被ってこちらに走ってきた。そうすれば煙を吸わないとでも思ったんだろうな。それで私のことも助けようと…… けれど結局、二人共吸ってしまい、あのザマだったわけだ」


「そうだったんですね……」


「そうだ」


「千古さん、サプライズパーティありがとうございます」


「真っ先にコメントすることではないだろう」


「でも、ありがとうございます」


「……こちらこそ、助けてくれてありがとう」


「千古さん」


「あ?」


「血を飲むくらいなら自力でできるようになりましたし、何かあればナースコールでお医者さんを呼べます。交代で来てくれてるんですよね? 隣町のお医者さん達」


「そうだが」


「でしたら、私は大丈夫です。だから、千古さん。目井さんと獣医さんを助けてあげてください」


「……」


「心配なんでしょう? 私だけじゃなくあの人達のことも。取り返しのつかないことをしそうになったのは事実ですし、それは許せないかもしれません。私も、現段階では許せません。二人共、それぞれあなたに酷いことをしました。

 でもあなたは…… そんな二人だけど、心配なんでしょう? 目井さんには何があったのか、獣医さんはあなたを傷つけた後どうなったのか」


「……何故、そう思う?」


「あなたは、優しいから」


「……」


「私は大丈夫です。だから」

 何故か、十と目が合った気がした。

「図々しいお願いですが、二人を助けて、戻って来てくださいね」


「……本当に図々しいぞ。貴様」

 自分から離れていく二つの手を見送った千古は、十の頭を一撫ですると、病室の出口へ向かった。十に背を向け、振り返らず、迷わずに。

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