too good writer
「外傷はありませんね。散らかってますけどお金やお財布は無くなってないようですし、誰かが漁った感じでもない。強盗が入ってきたとかではなく、ご本人が苦痛のあまりのたうち回った跡でしょう」
意識のないエスクリビール(Escribir)をざっと診察した
「じゃあ、一体何があったんスか!?」
動揺から、思わず大声になる
「まだなんとも分かりません。外傷がないということは精神的ショックや情緒的ストレスから気を失ってしまったのではないかと思われますが…… そう言えば気絶の場合は別人格の皆さん出てこないんですね。まあ、睡眠とは異なりますからね……」
「はい?」
「いえ、何でも。とにかく、エスクリビールさんは病院にお連れしますね」
「はい、お願いしまッス。付き添いしてもいいッスか?」
「もちろんです。ちなみに先程くださったメール、差出人のアドレスがめっちゃ文字化けしてて本文読むまでどなたからなのか分からなかったんですが、何かあったんですか?」
「ああ、あれスマホじゃなくて私の髪から電波的なものを発信して送ったんス。
「ほー、なるほどですねえ。
さらにちなみに、
「これッス」
紙袋から漆黒色の何かを取り出す長池。油を被ったかのようにテラテラと輝くそれは、ツキノワグマの頭部を妙にリアルに模した被り物だった。
「ビールちゃんの切った髪をまとめて作ったんス。喜んでくれるかと思いまして」
「素敵ですね。きっと喜んでくれますよ」
(さて…… 妙ですねえ……)
病院に戻り、エスクリビールをベッドに寝かせた目井さんは壁を背に立ったまま考え込んだ。
実は「外傷はないのに意識を失った状態で発見され、現在は病院のベッドにいる」という患者様は、エスクリビールで4人目だった。
先程エスクリビールを寝かせてから他の病室の3人の様子も見てきたが、皆依然として意識が戻っておらず、何があったのか聞き出すことも不可能だった。
4人に特に共通点は見当たらない。強いて言えば、全員倒れている側にスマホが転がっていたが、昨今別段珍しいことではないだろう。
(こんな不可解な状態の患者様が今日一日だけでこんなになんて…… 偶然とは考えにくいですが……)
一方の長池はそんな事情も知らず、ベッドの傍らの椅子に腰掛け、友人を気遣っていた。
「ビールちゃんがあんな顔してたなんて、よっぽど苦しかったんスねえ……」
「…………うーん…………」
「⁉︎」
「うーん、もう食べられへん……」
「何スかねこのTHE寝言って感じの寝言」
「うーん…… うわあああああ鈍器いいいいいい!」
「あ、起きたッス。おはようッス」
「え? 長池? へ? どこやここ? 病院?」
「おお、目が覚めましたか!」
目井さんは一旦考察を止め、エスクリビールのもとに駆け寄った。
「……えーっと」
無理もなかった。休日だからと登録したばかりの小説サイトで作品を読み漁り、悦に浸っていたらスマホの画面が突如として切り替わった。電話の着信を示す表示に。慌てて出てみたら近所の医者に「ちょっとお話があるので、病院に来ていただけます?」と言われた。
全く身に覚えがない。心身共にどこも調子は悪くないし、目井さんに対して何かをやらかしたこともないし…… と思ったが一応了承し、病院へとやってきたのだった。
「何のことですか、お話って?」
「えーと、これはプライベートに関わるので失礼な質問ではあるんですが…… 起草さんって、もしかしてご自身で書かれた小説をネットに上げてらっしゃいます?」
「え、どうしてそれを…… まさか、身バレしてました!?」
「いえいえ、そうではなくてですね。で、もしかしてその小説って『主人公が家で朝食を食べていたら、いきなり強盗が押し入ってきて鈍器でボコボコにされて重症を負う』という内容だったりします?」
「だから何故それを!? 何か私を特定できるようなこと書いちゃってました!?」
「そうじゃないんです。私独自のルートで調べたんですが、やっぱりあなただったんですね……」
そこで目井さんは、狼狽する起草に今日だけで4人が謎の症状で入院していると手短に告げた。
「はあ…… そりゃ大変ですが…… 何故そのお話を今?」
首を傾げつつ、この人は何が言いたいんだろう、こっちは読みかけの小説の続きを早く読みたいのに…… と内心苛立ち始める起草。
「その4名の方々、しばらくしてから全員無事に目覚めまして、何があったのかを証言してくれました。
そうしたら、皆さんおっしゃったんですよ。倒れる前、あなたの小説を読んでいた、と」
「は……?」
「『とても臨場感のある文章だった。まるで自分が主人公になり、実際に五感で体験しているようだった。
文字を読んでいるだけだったのに、朝食の見た目や味、匂い、咀嚼する音まではっきりと認識できた。今まさに自分が食事をしているかのように。
鈍器を振り上げる強盗の姿や、掠れた声も、同様に目の前に存在しているように感じた。そして、殴られる激痛も感じ取れた。何度も何度も、硬いもので頭を殴打された。一撃一撃がとても重かった。がき、がき、ぼきん、ごりっと轟音が脳内で騒いで、割れるんじゃないかと思うほど痛くて本当に怖かった。けれど文章から目を離すことがどうしてもできなかった。そうしているうちに気を失ってしまった』
皆さん揃って、おおよそそんな意味のことをおっしゃっていました。
私、医療関係の知人が全国にいましてね、その方々に連絡を取ってみたんです。そうしたら、意識を失って病院に運ばれ、目を覚ましてからあなたの小説を読んで殴られる痛みで気絶してしまったんだと主張した方がこの町以外にも何名かいらっしゃると判明しました。
私はそういうものの影響をあまり受けないので、先程拝読させていただきました。卓越してますねあなたの文章力は。読者の想像力を最大限に掻き立て、五感に強制的に主人公の感覚を再現する。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、そして痛みさえも」
「……」
目を白黒させ、青ざめて黙り込む起草。
「あくまで感覚を再現し、読む人にそれを本物だと思い込ませるというものです。幻覚のようなものだと思っていただけるといいかと思います。
食事をした感覚にはなりますが満腹にはならず、大怪我をしたような痛みは感じますが実際にはどこも負傷はしません」
「……でも、でもそれって、私の小説のせいで本当に重症を負いはしなくても、ものすごい痛みで気絶してしまった人達がたくさんいるってことですよね?」
「……ええ、まあ」
「今までレポートを書いたり、人にメールを送ったりした時は大丈夫だったのに……」
「恐らくあなたは、『物語』を書くとそうなってしまうのでしょうね。読者の方がその作品の世界に入り込めるようにとしすぎてしまったのかもしれません」
膝の上で握りしめた自身の両の拳をしばし見つめ……やがて口を開いた起草。
「……小さい頃から読書が好きで、たくさんの本を読んできました。特にシャイニングブラッド・ウィンターチェリーさんの大ファンで」
「私も好きですよ。あの方の作品」
「本当ですか⁉︎ 新作読みました⁉︎ いつも通り色々と残酷なお話でしたけど、最後は涙が止まらなくて…… あ、いえ、とにかくそうだったんです。
小説に対する情熱がずっと昔から私の中にあって、成長とともにどんどん強くなっていって。やがて自分でもこんな世界を書きたいという思いが溢れて。それでつい昨日、あの話を上げてみたんです。自分に才能があるかどうかは分かりませんでしたが、ただの自己満足のようなものでした。
……それがこんな大勢の人達に迷惑をかけることになってしまうなんて。あの作品は削除します。被害者の人達にも謝罪しないと……」
起草は、先程までの苛つきはすっかり影を潜め、意気消沈の様相を呈した。
目井さんはそっと言った。
「あなたに才能がないなんてことは決してありません。むしろあなたは、少し才能がありすぎてしまったんです」
「……」
これまで読んできた無数の本のように、読む人があたかもその物語の世界に入り込んだかのように夢中になれる作品を書いてみたかった。
けれど、自分の物語は読んでくれた人達を没入させすぎ、傷付けた。やはり自分などが憧れの作家さんのようになれるなど思い上がりも甚だしかったのだ。もう物語を書いてはいけない。あの情熱には、蓋をして生きていかなければ……
「さて、それでなんですがね」
起草の内心を知ってか知らずか、パイプ椅子に腰掛けたまま一歩踏み出した目井さんに、はっと顔を上げる起草。
「色々とやらなければならないこともあるでしょうから、それが終わってからでいいんですが、できたらあなたに協力していただけたらと思うことがありまして」
「……え?」
「いや、これ今思いついたことなので上手くいくか分かりませんし、相手の方にも相談しなきゃいけませんし、お断りしていただいても構わないんですがね……」
「目井さん目井さん!」
数週間後、起草ははしゃいだ様子を見せていた。
「さっきあの人、『今日のお話に出てきた蘭、すごくいい香りだった』って言ってくれたんです!」
「おお、それは良かったです! 本当に少しずつではありますが、笑顔も出てきましたよね」
「起草さんに何をしていただきたいかと言うとですね…… 先日ですね、とある方が事故にあってしまったんですよ」
「? はい」
「私もお助けしようと全力を尽くしまして…… 結果、命と視力は無事だったんですがね」
「え、それって……」
「ええ、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の大部分を失ってしまったんです」
思わず瞠目した。
「人間は情報の90%を視覚から得ている」という話があるが、それは他の感覚を軽んじていいなどという意味では断じてない。
人の話を上手く聞き取れず、料理や花や香水のような香りも嗅ぎにくく、好きな食べ物の味もよく分からず、触れられても気付きにくい。大怪我をしているのに痛みをほぼ感じず、動き回って悪化させたり、命にかかわる危険性もある……
一体、どんな世界なんだろう。その人は今、どんな思いで過ごしているんだろう。
「全て完全に元通りに、とはいかないかもしれないんですが、リハビリで回復する可能性もありますし、最近は補聴器なども高性能なものがありますし…… などとできるだけ前向きにお考えいただけるような情報はお伝えしましたし、ご本人のお気持ちも色々聞かせていただいてはいるんですが、やはりそう簡単に立ち直れるものではなく……
ですがね、思ったんです。あなたの物語がいいかもしれないと。
特に五感に障害のない方にとっては強烈すぎる刺激になってしまうようですが、あの方にとってはちょうどいい刺激になって一種のリハビリになるかもしれない。一度は失ってしまった感覚ともう一度出会うことで、少し希望が持てるかもしれない。今後、以前と全く同じには戻れなくても、あなたの物語を読めばその時だけは昔と同じ感覚を味わえるかもしれないと。
全部『かもしれない』ですがね。もしお願いしたら、やっていただけますか?」
最初は暗い瞳で、半信半疑の様子だった人物はしかし、起草の書いた物語に目を見張った。そこには、自分が二度と取り戻せないと諦めていた世界があった。
そうして、今では自ら「オムライスが食べたいからオムライスが出てくる話を書いて」「クラシックが聴きたいからその話を書いて」と起草に頼むようになった。
起草は注文に沿い、また今まで以上に重要な器官となった目に負担をかけないように視覚情報を少なめにしなければならないという制約の中ではあるが、「お題を出してもらってるみたい」と捉えて欲求を抑えることなく物語を考え、この世に生み出すことができるようになった。
「『いつか一緒に、実際に同じことを楽しめるようになりたい』って言って、リハビリも本当に頑張ってますよね。私ももっと楽しんでもらえる話を書けるように頑張らないと!」
生き生きとした起草の笑顔に、胸を撫で下ろす目井さんだった。
エスクリビールが倒れた数日後。
「結局面会行けなくてごめん。せめてこれを」という大意の手紙と共に、ツキノワグマっぽい被り物を送りつけられた津々羅は大いに困惑した。
が、せっかく友人2人がくれた物だからと、翌日一日頭に被って過ごした。
ただでさえ稀代の大量殺人犯ということで他のほとんどの受刑者達から避けられている津々羅は、それによってより一層ビビられることになるのだが、それはまた別の話。
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