missing writer

「リハビリで回復する可能性は十分にありますからね。私もできる限りのことはします。まず今日はゆっくり身体からだを休めてください」

 ベッドに横たわる人物に見えるよう、小さな戸棚の上に立てかけるように置かれたタブレット。それが、目井めいさんの発言を瞬時に文字に起こす。


「そ、う、で、す、か……」

 ベッドの人物は口ではたどたどしくもそう答えはした。けれどその様子は心ここにあらずで、今後の自身の生活についての暗い想像に囚われていることが明らかだった。


 こんなことになってしまったのだ。無理もない。できるだけ前向きに考えられるようにと色々と言葉はかけたつもりではあるけれど、やはり……

 締め付けられるような頭痛の中、目井さんは密かに唇を噛んだ。




 同時刻、エスクリビール(Escribir)は、自宅で小説サイトを眺めていた。

 自作の小説「『フィット感』と『一斗缶』を間違えてしばらく会話が噛み合わなかった件について」を投稿しているお気に入りのサイト。そのサイト内で完結してもなお、衰えない人気を誇る作品がある。「『礼賛』を毎回『れいさん』と誤読してしまう件について」だ。ただ残念なことに、3ヶ月ほど前にこの作品を完結させた作者は、直後からぱったりとサイトに現れなくなった。ファン達の中には「忙しいだけならいいが、何かあったのでは……」と心配するコメントをする者もいる。

 このサイトの利用者で「作者」に何があったのかを知るのは、「作者」と現実世界でも友人だったエスクリビールだけだろう。

 

 ただただやるせなかった。

 共に働き、共に出かけ、共に笑いあった友人が孤独に抱え続けた闇に気付けなかったことが。


 ただただ許せなかった。

 自分が闇に気付こうとさえしなかったことが。毒家族どくかぞくという存在を知ってはいながらも、自分の身近な問題として注意を向けようとさえしなかったことが。すべてを知った時には、すべてが手遅れだったことが。

 

 会社ではできるだけ明るく振る舞っている。あの子の、津々羅つづらの友人だからこそ、落ち込んでばかりではいられないから。

 もちろん、あの子と過ごした日々のことも、あの子が人生をかけて行おうとした悪行も、その動機となった思いも、全て忘れない。その一方で、あの子の所為にせず自分は自分として今まで通り生きていく。それが正しいのではないかと考えている。

 

 されどどう頑張っても哀傷は澱のように溜まっていく。そんな時は、長池ながいけだけに吐き出す。自分と同じようにあの子と仲が良く、自分と同じように表面では以前と変わらず振る舞っているが心に悲しみを隠し持つ、そして、気兼ねなく軽口を叩き合い、愚痴を言い合える存在。


 今日はそんな存在と一緒に、津々羅に面会に行くことになっている。これが初めてではない。先月も長池と共に赴いた。その際の津々羅は、ほぼ終始アクリル板越しにむっつりと2人を見つめるだけで一言もへの字に結んだ口を開かなかった。

 それでも、しつこく話しかけ続けるうちに仏頂面がほんの僅かにほころんだのを、2人は見逃さなかった。

 津々羅のことだ。自らが裏切ってしまった友人達の前でへらへら笑う権利はないとでも思いつめて感情を抑えようとしているのだろう。そうと分かれば話は早い。自分達にできることは明白だ。

 できる限り会いに行き、楽しい話をし続ける。津々羅がいつか堪えきれなくなって、前と同じように笑い出すその日まで。どんなに時間がかかっても。




 さて、そうこうしているうちにもうこんな時間だ。もう10分ほどで長池がうちのマンションまで迎えに来る。着替えなどの準備を始めなければ。

 ……ああ、でもやっぱりその前に少しだけ。1000文字くらいの短編作品でもあったら読みたい……

 

 エスクリビールはサイトの検索欄で「文章の長さ : 1000文字以内」と指定し、検索をかけた。




 およそ10分後。


 リンゴーン


「ほーい、ビールちゃーん? 来たッスよー? ミカさんが遥々お迎えに来たッスよー?」


 何やら膨らんだ紙袋を触手のように伸ばした褐色の髪に持ち、別の髪でエスクリビール宅のインターホンを鳴らす長池。

 反応がない。


 リンゴーン


「ビールちゃーん? どうしたんスかー? 津々羅ちゃんにこれ、一緒に渡すんでしょー?」


 リンゴーン


「いないなんてことはないッスよねー? たしかにあんたちょっとばかしアレでアレな子ッスけど、こんな大事な約束忘れるほど無慈悲じゃないって信じてるんスけどー?」


 リンゴーン

「おーい! 別に私、森にいるあんたにお逃げなさいって言ったわけじゃないじゃないッスかー! 白い貝殻の小さなイヤリング落としたわけでもないじゃないッスかー! 逃げなくていいんスよー?」


 リンゴンリンゴンリンゴンリンゴン

「そもそもなんでこれ『ピンポン』じゃなくて『リンゴン』なんスかー!?」


 リンゴンリンゴンリンゴンリンゴンリンゴンリンゴンリンゴンリンゴッ

「あっ、連打してたら壊れちゃった。煙吐いてるッス。後で弁償しないと……

 しっかし、本当何してるんスビールちゃん?」


 長池は髪を一房ドアに押し当てると、透視能力を発動した。

「おー、いくら私の髪でもできないだろうと思ってダメ元でやってみたらまさかのできたッス。見える見える、お部屋の中がよく見えるッスよー。さーてどこにいるのかなーっと。

 あれ、なんスかねこれ。この部屋めっちゃ散らかってるッス。しかもなんかデカいうねうねした黒いワカメみたいのが床に落ちてるッス……

 え、違う。これって……!」

 慌ててドアの鍵穴に髪の束を差し入れる。髪を鍵穴ピッタリの形に整えて回転させてドアを開く。僅かな隙間から髪を侵入させてドアチェーンも外し、中に飛び込んだ。透視で見たのと全く同じ室内を駆け、そうして奥の部屋でにしたのは、やはり透視で見たのと全く同じ光景だった。

 



 小銭や個包装のキャンディ、ペットボトルなどが散乱する床に苦悶の表情で仰向けになり、意識を失っていたのはワカメではなく、床に投げ出されたワカメのようにうねる黒く長い髪の持ち主。

「ビールちゃん……!」


 エスクリビールが、倒れていた。

 傍らに投げ捨てられたように転がるスマホは、ひたすらに無表情に、あるじの部屋の天井を、その黒一色の画面に映し続けていた。

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