バレンタイン小話4話
①
「で、そのウチの
「へえー! じゃあ『胃袋を掴む』って本当にあるんですね!」
「そうかもね」
そこで会話が途切れた。
デンス(Dens)は悩んでいた。
非口がいる時は気軽に話せるのに、今のようにトイレに行くなどの理由でいなくなってしまうと、途端に話せなくなってしまう。
非口は食郎について「あんなん、だけど、いい奴」と言っているし、実際に話しているとそう思う。……いや、「あんなん」であるということも含めてそう思ってるのかと問われるとそれはその……
とにかく、萎縮しなくていい相手であるのは分かっているのに、何故かなんとなく萎縮してしまうのだ。
今日なんて、学校で友人達にもらったチョコや自分達で作り過ぎて余ったチョコを非口家で食べながら3人でダラダラしよう、という会なのに、自分はダラダラどころかガチガチになってしまっている……
手元の銀色に輝くチョコの包み紙を弄びながらどうしようかと思考を巡らせていた。
と、新しいチョコの箱を開封し、一つ口に放り込んだ食郎が不意に言った。
「でもさ、感謝してるんだよ」
「はい?」
「
「はい、それはもう!」
「でしょ? けど、あの子はずっと友達ができなかったんだよ」
同じチョコをもう一つ口内に放り込む。
「小学生の時にいじめられたことがあってね。もちろんそんなのいじめる方が悪いんだけど、それからちょっと臆病になっちゃったところがあってね」
また一つ放り込み、舌を駆使して口内で転がしながら続ける。
「食美たんは全然悪くないんだって、おかしくも何ともないんだって、俺達家族は食美たんのこと大好きだってずっと伝えてはきたつもりだし、食美たんも家では大体いつもそれなりに楽しそうにしてた。
けど、なかなか学校での人間関係がうまくいかなかったみたいで…… いじめこそなくなったけど、いつも一人で…… そりゃ一人でも楽しく過ごせてるならそれでいいけど、そうじゃなかったから……」
文末に行けば行くほど小さくなっていく声。けれど、箱に残ったチョコを一気に頬張り、リミッターが外れたかのように大声で続けた。
「だからさ! 正直食美たんがいないと緊張して、ちゃんとデンスさんと話せてなかったけど! けど、いい加減ちゃんと言うよ! 食美たんが君を初めてうちに連れて帰ってきた時、君を紹介してくれる食美たんの顔見た時、俺すっごく安心したんだよ! 要するにさ! 食美たんと出会ってくれて、ありがとう!」
照れているのか耳まで真っ赤になった顔で、食郎はそう言い切った。
「食郎さん……」
なんだ。同じだったのか。食美ちゃんが大好きなことも、大した理由もないのに緊張していたのも、そして、そうであっても決して相手に悪感情を抱いているわけではなかったことも。
「……お礼を言わなきゃいけないのはこっちの方です。食美ちゃんは」
「ふふふ、ふふふ、ふーはっはっはっはっははっは!」
「食郎さん?」
「ひゃひゃひゃひゃひゃひゃ、世界の半分をくれてやろうか! ひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
「あの?」
「ぎゅおくくくくく、闇の聖霊が我を呼んでいるのだ! ぎゅおくくくくく」
「それはもはや笑い声なんですか?」
「どへへへへへ、勇者一行はここで終わりなのだー」
テーブル上で妙な踊りを始める食郎。
「このチョコ食べてから様子おかしくなりましたよね? 何のチョコなんですかこれ? たしか食美ちゃんと一緒に学校で誰かにもらったやつでしたが……
え、ちょっと、誰? 中学生同士の友チョコにこんな異様にアルコール度数高いお酒入りのチョコくれたの…… お酒入りっていうか、含有量多すぎてもはやお酒そのもの……」
「ただいまー」
「ケケケケケケケ、ケーッケッケッケケケケケケケ!」
「どうした、食郎⁉︎ 予兆なき、闇堕ちか⁉︎」
「食美ちゃんヘルプー!」
②
「
「いらん。何度言えば分かる、この
「そうですかー。じゃあ他に差し上げるアテもないですし、賞味期限も今日までなので、もったいないですが捨てますか……」
「……待て、処分するくらいなら食う」
先ほどまでの態度とは打って変わり、背を向けた
十は内心、してやったりとほくそ笑んだ。
賞味期限が今日までなのは本当だが、チョコをあげたら喜んでくれそうな知人は他に何人もいる。けれど、今回は千古にあげたかった。
十が食事はどうかと提案しても「どうせ死なないから」と頑なに拒み続けていた千古。だが上記のやり取りのように、「もう作ってしまったし、私は食べられないので捨てるしかない」などと言うと「無駄にするくらいなら」と食べてくれることに気付いてからは、たびたびその作戦を実行している。
あれほど長い長い間「死にたい」と願い続けていたくせに、自分以外の命が消えそうになっているのを目の当たりにすると助けずにはいられない、命を粗末にすることができない。そんな難儀な性分なのだろう。
利用しているような罪悪感もないではなかったが、そうしてでも千古には食べてほしかった。
「食」とは、ただ単に生命を維持するためだけではなく、味や食感、香りを楽しんだり、他の者とその楽しみを共有するためにも重要な行為である。
自分達には、いつか必ず別れが来てしまう。その前に千古には少しでもいいから楽しみを享受してほしいし、自分も少しでもいいから同じ楽しみを分かち合いたかった。
「美味しいですか?」
水筒の中身を一口含み、十はもそもそとチョコを口に運ぶ千古を覗き込む。返答は分かりきっているだろうに、なぜこいつは私が何か食べていると必ず同じ質問をしてくるのだろう。うんざりしつつ回答する。
「味がしない」
他の人間ならとうに一生を終えてもなお余るほどの年月使用されていなかった感覚は、完全に鈍っていた。
あの子と食べた美味しいものの味は、今現在食べているかのように思い出せるのに。
「そう、ですか……」
何度も聞いた返事のはずなのに、悲しげに眉を下げる十。
「だが食感と香りは悪くないのではないか」
そんな表情になった同居人にこう返すのも、向こうがぱっと顔を輝かせて「でしたら、それだけでも楽しんでくださいね!」と応じるのも、いつものことだ。
「食」とは、小童共が生命を維持するために必須の行為だ。だから、死なない上に死にたいと願っている生物が食物を摂取するべきではない。小童共に譲るべきだ。
そう考えて飲まず食わずで生き続けてきたし、今目の前にいるこの小童にもそれは伝えた。
けれど何度伝えても、たびたびこいつは食べ物を勧めてきた。「もう作ってしまった」だの「そろそろ捨てなければならない」だの見え透いた言い訳までしてくる手前、食べないわけにいかないので受け取るのだが。
他のことに関しては多少ズレている場合こそありすれ割と物分りがいいのに、なぜこれに関しては懲りないのだろうか。
それでも、一緒に食事をしているこの時間を、千古は別段嫌悪しているわけではなかった。
ぽりぽりとチョコを噛み砕く音と、ごくごくと血液を嚥下する音とが、しばしの間、部屋にかすかに響き続けた。
③
十と千古がそんなやり取りをしているのと同時刻。同アパートの2
「手作りしようと思ったんですが、どうしても体温で焦げたり溶けたり蒸発したりしてしまったので……」
そう断りつつ、大量の保冷剤の中に埋もれるようにチョコレートが入れられた紙袋を
「市販のもので申し訳ありませんが」
「申し訳ないことなんて何もありませんわよ! ありがとうございます! ところで一里間さん」
「?」
「ズボンのポケットがやけに膨らんでいますが、どうされましたの?」
「あれ、本当だ。何も入れてなかったんですが……」
引っ張り出そうと、ポケットに手の形をした炎が差し入れられた途端。
紙吹雪と共に、ポケットに収まりきるはずのない大きなチョコレートの箱が飛び出してきた。狗藤さんの得意なマジックだ。
「私の方こそ市販のものなのでお互い様ということでいかがですか? あ、もちろん一里間さんも食べられるチョコを選んだのでご安心を」
「……はい、ありがとうございます」
驚いたのか一瞬言葉に詰まった一里間だけど、我に返ったようにお礼を言った。炎がほんのりと桃色に染まる。
そんな一里間の脛をくちばしで連打するアタイ。前に狗藤さんと一緒に見た動画サイトのキツツキも真っ青になるくらいのスピードと威力で。
「いいいいいいいい!」
脛を押さえて片足で跳ね回る一里間。フン、いい気味だ。
「大丈夫ですの一里間さん⁉︎ こら、何してますのゴールデンエッグさん!」
アタイを抱き上げ、一里間の方に顔を向けさせる狗藤さん。
「ほら、一里間さんに謝ってください」
「ガルルルル」
「鶏って『ガルルルル』って鳴くんですか?」
「鳴かないと思ってたんですが、現に鳴いてますわね……」
狗藤さんはアタイ、白色レグホンのゴールデンエッグの飼い主さん。
前は悪いことをいっぱいして、でも今は得意なことを活かしていいことをいっぱいしようと頑張ってる。もちろん、善行をしたら昔の悪行が全部帳消しになるなんてことはないとは思う。それでも、今頑張ってるってだけで偉いと思う。
狗藤さんがやっているいいことの中でも特に一番いいことが、アタイを大切に育ててくれていることだ。
毎日ご飯をくれるし遊んでくれるし、
なのに、そんな幸福な日々にある日突然邪魔が入った。
隣の角部屋に、誰かが引っ越してきたんだ。早速挨拶に行こうとした狗藤さん。だけど、そいつは何度尋ねていっても出てこなかった。
せっかく狗藤さんが足を運んであげてるのに…… ってアタイは頭にきたけど、優しい狗藤さんは文句を言うこともなくたびたび隣の奴に声を掛けてあげていた。
何ヶ月も経って、半分事故みたいな感じでやっとそいつと対面した。特徴的な外見になってしまったことがコンプレックスで引きこもり続けていたらしい。
バカだなあ、と思った。他の人間にはたしかに変な奴もいるかもしれないけど、狗藤さんは人をいじめるような人じゃないのに。声をかけてもらった時にすぐ助けを求めれば良かったろうに。
それ以来、狗藤さんは何かとそいつ ――一里間の面倒を見てあげるようになった。お互いにちょこちょこ家の行き来もするようになって、2人はだんだん仲良くなっていった。
気に食わない。
今まではアタイだけが狗藤さんにかわいがってもらってたのに、今ではこいつも狗藤さんの恩恵にあずかっている。
今日だっていきなりうちに押しかけてきたと思ったら、狗藤さんに媚びを売ってやがる。
狗藤さんはアタイだけの狗藤さんなんだ! アタイだけが独り占めしていいんだ! いきなり現れたくせに、バカなくせに、狗藤さんの愛情をかっさらっていくなんてずるい! ずるいんだよ!
「どうしたのゴールデンちゃん? ご機嫌斜めなの?」
様々な暖色が混ざった火がアタイに接近してくる。
アタイの名前を略すな! 「ゴールデンエッグ」でひとつの名前なんだ! 狗藤さんが付けてくれた、かっこいい名前なんだぞ!
しかもちゃん付けって! タメ口って! 狗藤さんはアタイにもいっつも敬語で、人間に接するのと同じように大切にしてくれてるんだ! お前と違って!
ていうか単純に熱いんだよお前は! 近寄んな、焼き鳥になる! アタイをあんな残虐な食べ物にしたいのか、ええ!?
一里間を睨み付ける。熱いし眩しいけど我慢しながら。
「ごめんなさいね。この子、あなたにやきもちを焼いてらっしゃるようで……」
はあ⁉︎ 狗藤さんも何言ってんの! アタイは何も焼いたことなんてない! むしろ何もかも焼き尽くしそうなのはこいつじゃないか!
なんで分かってくれないの! 置いてかれるみたいで寂しいのに! なんで!
「そう言えば、実はゴールデンちゃんにもプレゼントがあるんだよ」
…………あ?
「ゴールデンちゃん、このとうもろこし好きだったよね? バレンタインだから君にもと思って買ったんだよ。どうぞ」
さっきとは別の紙袋。中には何本かのとうもろこしがごろごろと。
とうもろこしにこだわりのあるアタイの大好物のやつだった。
「まあ、ありがとうございます! ほら、お礼言ってくださいゴールデンエッグさん」
……フン、意外と悪くないところもあるんじゃないか。アタイがお礼言いたいわけじゃない。狗藤さんが言ってくださいって言うから……
言い訳をしつつ、そっと奴の表情をうかがった。が。
……こいつ、表情がねえんだった。燃えてるから……
あー、もうっ!
イライラして狗藤さんの腕から飛び降り、そっぽを向くアタイだった。
「むこう向いちゃいましたね。気に入ってもらえませんでしたかね……」
「いえいえ、あれがゴールデンエッグさんの喜んでる時のお顔なんですのよ」
④
「それでねー、ミカ。この前話した泥だろうとカレーだろうと血だろうと一発で綺麗に落とせる洗剤のことなんだけど…… ミカ?」
仕事の休憩時間。
「……聞いてる? 寝てるの? ねえ、ミカ? ミカ?」
ただならぬ津々羅の呼び声に、他の社員達も何事かと集まり始めた。
「どないしたん?」
代表して尋ねるエスクリビール(Escribir)。
「ミカがおかしいの。何にも言わないし……」
「こいつがおかしいのはいつものことやろ」
そう言いつつ長池に触れ、揺らす。
「おーい、熊さーん? 汚ねえラプンツェルー?
……ああ、でもせやな、変やわ。いつもならこれぐらいすれば『何スてええええ』っつって起きてくんのに……」
ざわつき始める周囲。
「え、嘘…… 長池さんついさっきお買い物に行ってくるといつも通りの様子で出て行ったばかりだったのに…… いつの間にお戻りになったのかと思えばいきなりの体調不良って……」
混乱している様子の
「とりあえず
付近の壁に呼びかける
「はい、目井さんです」
壁紙をべろりと剥がし、壁の中から参上する目井さん。
「……なんで?」
いろんな意味で凍りつく津々羅をよそに、長池の髪を手にして脈をとる目井さん。
しかし、やがてとても悲しそうに首を横に振った。
「大変残念ですが、長池さんの命はもう既に……」
「え? え? え? あ、ああ、はい。
うわああああんミカああああああ!!!」
状況を理解し、友人の死を嘆く津々羅。
他の社員達からも、「今朝いつも通り仕事手伝ってくれたのに、なんで……」「どうして…… 突然の死すぎるでしょ」「嘘だろ…… 先週貸した金まだ返してもらってないのに」「今日のお昼何食べよう」などと悼む声が次々に聞かれた。
「そうか…… まあこいつにはそれなりに世話にならなかったわけでもあらへんし、たまーに一緒に出かけたり出かけなかったりしたことがあるような記憶がうっすらとあらへんこともないし、寂しい気がするようなせえへんようなだけどやっぱりせえへん寄りのするかもしれへんから、暇で気が向いた時くらいは100億分の1くらいの確率で墓参りに行ってやらへんこともないかもしれへんなあ」
「ミカああああああ、こんなに冷たくなっちゃって、うわああああん」
しみじみしているエスクリビールと、長池に抱きついて泣き崩れる津々羅。
「うわああああん、あんたは死ぬべき人間じゃないよ、うわああああん」
「どうしたんスか?」
「ミカが、ミカが! ミカが死んじゃったんだよー! うわああああん」
「そうなんスか、それはご愁傷様ッス……
で、そのミカさんってどこのミカさんッスか?」
「長池のところのミカさんだよ! この会社に『ミカ』って名前の人、一人だけでしょ! うわああああん」
「そうッスか…… あれ、でもおかしくないッスか?」
「何が? うわああああん」
「長池のところのミカさんって、私ッスもん」
「うわ………… は、はあ!?」
その場にいた全員が飛びのいた。
全員の視線の先にいる、全身を茶色い髪で覆われた、近所のコンビニの袋をぶら下げたその人物は、どこからどう見てもたった今死んだはずの長池ミカだった。
「え、じゃあこちらの方は……」
自分が長池の遺体だと思って抱きついていたそれを指し示す津々羅。
「ああ、これッスか? 私お手製の『等身大長池ミカ型チョコ』ッスよ。バレンタインだから髪を駆使して作ったんス。
冷蔵庫にしまっといて、お昼休みになったからみんなで食べようと思って出しといたんスが、急に買って来なきゃいけないものができたんで外に行って、戻ってきたら騒ぎになってるから何かと思えば…… みんな落ち着いてくださいよ」
事情を把握した社員達は各々、「なーんだ、良かったあ」「一安心だ」「じゃあ金返せオラァ」「決めた、ビーフシチューにしよう」などと安堵の言葉を口にした。
「目井さんも何誤診してんスか、しっかりしてくださいッス!」
「いやいや、申し訳ありません、お騒がせしてしまいました。では、私はこれにて」
壁の中に帰っていく目井さん。剥がした壁紙も後ろ手にしっかり貼り直して。
「ごめんッスね、驚かして。まあとにかく、食べましょうッス」
「いや、友達に激似のチョコ食べようとか言われても……」
あれだけ顔面をびしょびしょにしていた涙が完全に引っ込み、困惑の表情を見せる津々羅。
エスクリビールはスタスタと足音を妙に反響させて長池に近づくと、正面からその両肩に手を置き、向かい合った。
「あのね、長池。あのね」
「?」
「お前が一番何やっとんねんボケェ!!!」
その罵声は、昼下がりの町中に響き渡ったという。
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