夕暮れの攻撃者

「お家に帰らなくていいの?」


 もう一方のブランコに腰掛け、問う。

 細い身体からだを寒さとそれ以外の理由で震わせ、膝に置いたランドセルに付けたストラップを握りしめる相手。

 最近流行りのアニメに登場する、赤い猫のキャラクターを模したストラップ。ニコニコ笑うそれと対照的な表情で俯いたまま、絞り出すように答える。


「帰りたくない……」


 「依頼人」になり得る。そう判断する。

 夕暮れ時や夜間は、時々この公園を訪れることにしている。

 そうして、一人ぼっちでいる子どもなどに声を掛けてみる。「仕事」が見つかるかもしれないから。


 今日も会社の帰りに寄ってみたら、この子がいた。安心させて、言葉巧みに帰りたくない理由を聞き出す。

 足元に視線を落としたまま、ぽつりぽつりと語り出した子ども。

 聞けば聞くほど、自分の出番だと思えた。


 話が一段落したところで、2つに折りたたんだメモを差し出す。

 訝しげに受け取った子どもはしかし、そこに記された内容に驚きの表情を見せる。

 電話番号と、メールアドレスと、そして、「首斬りスパロウ」という名前。


 戸惑う子どもの耳元に、穏和にささやく。

「知ってるでしょ、この名前? そこにお願いすれば、『そいつら』をちゃんと始末してくれるよ。

 あなたには『そいつら』の死を望む立派な、正当な権利がある。

 『そいつら』を消すのは、悪いことなんかじゃない。むしろあなただけじゃなく社会全体のためにも殺された方がいい、いや、殺されなきゃいけない連中なの。

 もし電話とかしづらいなら今ここで頼んでくれれば、こっちからこの人に依頼があったのを伝えておくよ。どうする?」

 まあ、今ここにいる自身が首斬りスパロウなのだから、伝えておくも何もないのだが。内心で自分に少しつっこむ。


 子どもは下を向いたまま、思案するように小声で唸り、やがて小声で答えた。

「……考えさせてください」


「そう…… でもってもらうべきだと思うけどね。ま、いつでも連絡してね」

 残念に思いつつ、ブランコから立ち上がり子どもに背を向ける。


 けれど帰宅はせず、背後の茂みにこっそり身を隠した。

 もしかしたらすぐに連絡をくれるかもしれない。そうしたら即刻いつもの衣装に着替え、ハサミを背負って行かなきゃ。殺しに。


 ……また目井めいさんを裏切ることにはなるけれど。




 子どもはしばし渡されたメモを見つめていたが、やがて折りたたんでズボンのポケットにしまった。

 しばらく足をぶらぶらさせていたが、刻々と明度を落としていく周囲に気付いたのか、ふらふらと腰を上げた。

 このまま公衆電話にでも向かってくれないかな…… と思っていた、その時。

 



 子どもの視線が落とされたままの地面から、何かがぺろっ、と起き上がった。ちょうどミカンの皮が剥けるように。

 ボールのように丸く膨らみ、色は暗晦一色。厚さは紙のようにぺらぺら。

 ぎょっと立ちすくんだ子どもの見ている間に、それはどんどん変形していった。

 丸いものから太短い管のようなものが生え、続いてその下から大きく左右に広がる突起のようなものが現れ、その先から左右それぞれに細長いものが這い出してきて……


 やがて、全貌が起き上がった。

 人の形に似ていた。けれど子どもの3倍はありそうに巨大で、両手の指にあたる部分が全て鉤爪のように長く鋭利だった。


 それはかがむような体制をとると、自身を見上げたまま石のように動けなくなった子どもを、目も鼻も口もない真っ暗なのっぺりした頭を近付けて覗き込んだ。


 直後、片手の鉤爪を大きく自身の頭上に振り上げ、子どもめがけて振り下ろした。

 ひゅん、と、空気が切り裂かれる音。


(何だ、あれ!)

 思考停止していた首斬りスパロウはここへきてやっと慌てた。

 助けようと咄嗟に飛び出そうとした身体はけれど、見えない糸で引き戻されるように後ろにのけぞった。


 黒が多くを支配する視界に、印象的な白が乱入してきたから。


 ぱっ

 

 鮮明な赤が宙に踊ったのと、橙の閃光が闇色の何かを貫いたのは同時だった。




「いたたたた、背中を少し切られてしまいましたか。よりによって縫っていただいたばかりのところを…… また内臓出てこないといいんですが……」

 頭に相当する部分に懐中電灯の明かりをくらったそれがしぼむように小さくなり、地面に引っ込んでいったのを見届けた目井さんは、思い出したように痛がり始めた。


「目井さん、あの……」

 よく分からないものから自分をかばってくれた医者が、自分の代わりに負傷してしまったのだと理解した子どもは、血の気の失せた顔で口をぱくぱくさせた。


「お怪我はありませんか?」


「……はい、でも……」


「それなら何よりです。偶然通りかかれてラッキーでした。念のためちょっとあなたの検査だけさせていただけたらと思うので、病院に来ていただけますか? お茶もお出ししますので」


 まだオロオロしつつも、子どもが了解の意味の返事をすると、目井さんは子どもの肩を支え、励ましの言葉をかけながら公園を後にした。

 首斬りスパロウは、闇が深まっていく中でもなお、浮き上がるようにくっきりと見える血の滲む白衣の背中を呆然と見送るほかなかった。




 数週間後の夕方。

 再び公園を訪れた首斬りスパロウは、ブランコの柱に小さなビニール袋がセロハンテープでとめられているのに気が付いた。


「この前ここでお話を聞いてくれた人へ」

 大きさもバラバラの拙い字でそう書かれたメモが袋に貼り付けられているのに気付き、急いで開けてみた。


 中には、折りたたまれた1枚の紙。

 開いて読んでみた。


「この前ここでお話を聞いてくれた人へ


 この前はありがとうございました。

 でも、もう殺人きに電話しなくてよくなりました。

 あの人たちとはもう一しょにくらさなくてよくなったんです。


 あなたが帰った後色々あり、ぼくには自分のかげにこうげきされてしまう病気があると分かりました。

 目井さんに教えてもらったのですが、つらいことをたくさんかかえ、うつむくと自分のかげが見えますよね。つらい思いのこもった目で見続けられたかげにはつらい思いがたまっていきます。そうしてやがて、かげは自分にためこまれてしまったつらさをはき出そうと、実体を持って持ち主をこうげきしてしまうのだそうです。


 『実体化したかげは強い光をあびせると一時的にふつうのかげにもどるし、お薬であるていどおさえられる病気ではあるけれど、一番いいのはつらい原因を取りのぞくこと。何か心当たりはありますか』と目井さんにきかれ、あの人たちのことを話しました。

 目井さんはしっかり考えて他のやさしい大人の人たちにも相だんしてくれ、その結果、ぼくは親せきの人たちとくらせることになったのです。

 もう家であの人たちにひどいことをされることはなくなります。病気もよくなるだろうと目井さんも言ってくれています。じっさいに、公園で一回おそわれてからは一度もかげにこうげきされたことはありません。下をむくこともへった気がしています。


 同じ町の中ですが引っこすことになるので、この公園にはなかなか来られなくなってしまいますが、お礼は言いたかったのでお手紙をおいておきます。


 今までだれにも相だんできていなかったので、あの日、あなたが話していいと言ってくれて、話すことができてすごくほっとしました。

 それに、先にあなたにお話していなかったら、目井さんにきかれた時もきんちょうしてしまってすんなり話せなかったと思います。


 本当に、ありがとうございました。」




 ……離れて暮らすことになったのか、あの酷い連中と……


 ふざけるな、それでいいのか? あんな連中を生かしておいて、それで安心できるのか?

 自分なら無理だ。「あいつら」は信用できない。「あいつら」は異常で、愚かで、人の心が無くて、反省したフリだけは得意なんだ。

 離れられればいいなんてもんじゃない。自分だったら、そんなゴミよりも有害な生物がこの世のどこかで生きていると思うだけで許せない。「あいつら」の生きる権利など認めない。必ず殺す。殺さなければならない。そうしなければ「あいつら」の被害者は幸せになどなれない。「あいつら」が生きている限り、「また酷いことをされるかもしれない」と怯え続けなければならないんだ。

 だから自分は、「首斬りスパロウ」をやっているんだ。殺さなくてもいい方法など認めない。


 この子だって、この子にとっての「あいつら」に酷いことをされたんだと、あの日あんなに泣きそうになりながら訴えていたじゃないか。

 本心では、殺してほしいと願っているはずだ。ひょっとしたらこの手紙だって、「あいつら」に脅されて書かされて……


 手紙の書かれた便箋の下の余白部分に、あの子どもが描いたらしきアニメのキャラクターがいた。

 赤い猫が、ニコニコと笑っている。何の悩み事もないような、それはそれは嬉しそうな顔で、ニコニコと……




 畜生!


 手紙を握りつぶし、けれど捨てることができず、グチャグチャのままポケットに乱暴に押し込む。


 感情が、言葉にならない。

 出てくるのはただありふれた罵りの言葉だけ。


 畜生、畜生、畜生、畜生、畜生……




 スマホの着信音で、我に返った。


 メッセージアプリを確認する。


「どないしたん? そろそろ飲み会始まるで~」

 仲の良い同僚からだった。同僚の好きな漫画のキャラクターが首をかしげているスタンプ付きで。


「ごめん。今行く」

 同じキャラクターが走っているスタンプを付けて返信し、首斬りスパロウは繁華街へと去って行った。

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