non-existent curse
「どうしても、殺してはいただけないんでしょうか?」
もう何度目になるか分からない質問を、その人物は電話口の首斬りスパロウに投げかける。
「すまない」
首斬りスパロウも、何度目になるか分からない謝罪の言葉を口にする。ボイスチェンジャーを通した、低く機械がかった声で。
「こちらが殺すと決めているのは『あいつら』のみだ。あなたとそいつは、『そういう関係性』ではないのだろう? ならば… 殺せない。
くだらないこだわりだと思うかもしれない。けれど、こちらには不可能なんだ。すまない」
しばしの沈黙。
最後に口を開いたのは首斬りスパロウの方だった。
「すまない」
人工的な、されど無機質ではなく、一音一音に真摯な重さの込められた言葉。
ガチャ。ツーッ、ツーッ
耳に当てたスマホが通話の終了を告げる。
首斬りスパロウは、初めて自分の主義をほんの少しだけ後悔した。
そして数日後、ニュースサイトに小さく取り上げられたとある記事を見て、さらに少しだけ後悔することになるのである。
「お願いします。この辺りの医者にはみんな打つ手がないと言われました。あなたの評判を聞いて藁にもすがる思いで… どうか、お願いします!」
ところどころ破け、穴が開き、右袖になんて焦げ跡のついた白衣という服装に面食らったが、電車とバスを乗り継いで約五時間かかるこの町まではるばるやってきてくれた医者に頭を下げる。暗黒の中の、偉大な一筋の光明を見る気分で。
配偶者も、懇願の言葉を口にして俺にならった。
「頭をお上げください。ご安心を。全力でお助け致します」
目井先生という、そのお医者さんは物柔らかに言った。
「早速ですが、お子さんに会わせていただけますか?」
「はい、ではこちらに…」
案内しながら、子ども部屋に足を踏み入れる。
色彩豊かなおもちゃが溢れる楽しげな部屋。
数ある人形のうちの一つになってしまったかのように微動だにしない影が、壁際のベッドにあった。
目井先生は
まだ幼稚園児である俺達の子。静かにくーくーと寝息を立て、眠っているだけのよう。
「どの医者に診せても『ただ寝ているだけだ。身体はいたって健康だ』と言われました。『どんなに検査しても悪いところは見つからない』と。
それなら、どうして一週間も目を覚まさないんですか⁉︎ 声を掛けても揺すっても目を開けなくて、ずっと眠ったままなんですか⁉︎
どうしてしまったんですかこの子は!? もしもこのまま、二度と起きてくれなかったら…」
情けないが、涙声になるのを抑えられなかった。
ずっと子どもを待ち望んでいたけれどなかなかできなかった。
そんな俺達夫婦のところに、やっと生まれてきてくれた我が子。
こんなに早くお別れしなければならないなんて、絶対に認めない。
どんな手を使ってでも、治してくれる人を見つけ出す。
そうして辿りついた医者は、しばらく子どもの身体をあれこれと調べていたが、やがて「なるほど」と呟くや否や俺を振り向いた。
頭のてっぺんからつま先までさっと視線を下ろしたかと思うと、「ちょっと失礼」と俺の手足や口内や目などをじろじろと観察した。
訝しみながらもされるがままにしていると、目井先生は「原因が分かりました」とはっきりした口調で告げた。
俺達は色めき立った。
「本当ですか⁉︎」
「では早く、この子を治療してあげてください!」
「いえ、治療させていただくのはお子さんではありません。あなたです」
包帯をぐるぐる巻きにした指が、真っ直ぐに俺を指し示している。
「え、なんで?」
「説明してる時間が惜しいです。治療終わってから話すので、今は急いで始めさせていただきます!」
焦ったような物言いと共に、伸ばされていた一本の指と他の九本の指とが、包帯を振り払って変形し始めていた。
「よし、これでもう大丈夫です。お子さんはじきに目を覚まします」
「はあ… で、どういうことなんですか? なぜあの子ではなく私を…?」
「あなた一週間ほど前、お花に触りませんでしたか? 菊によく似た、黄色いお花」
「え…
ああ、そういえば…」
「それは菊ではなく、『キクマガイ』という非常に珍しいお花だったのです。
このお花に人間が素手で触れてしまうと、とある非常に珍しい病に感染してしまうんですよ。しかし、感染したご本人に症状が現れることはありません。
なぜならそれは、『感染者と血縁関係があり、なおかつ感染者の最愛の者が一人、眠るように意識を失い、やがて死に至る』という病だからです」
「!」
じゃあ、うちの子が死にかけたのって…
握りしめた両手がガタガタと震えだす。
「驚いてしまいましたよね。申し訳ありません。
ですがご自身を責めないでください。
それに、運が良かったですよ。この病気は感染者の年齢によって最愛の方の生きられる期間が左右されましてね。
あなたのお子さんくらいの年の方が感染すると、お相手の方はほんの数分で息を引き取られてしまうんです。けれど、あなたくらいの年齢の方が感染すると、お相手の方は七日か八日ほどは生きられるんです。あと少しでも遅ければ取り返しがつきませんでした」
「そう、ですか…」
返事をしながら、頭は別の感情で満たされていた。
「ところで、あなた以外にキクマガイに触れてしまった人はいませんか? もしいらっしゃったらすぐに治療しなければ」
「…私だけだと思います」
息を吸い込み、続けた。
「あの花はいつの間にか庭に咲いてて… 去年の春に会社に入ってきた新人にあげようと思ったんです。だから、摘んで持っていったんです。
でも、その日、なぜか会社に来てすぐ帰ってしまって… その後…」
「その後?」
「あいつ、自殺したんです。『呪ってやる』とだけ書いた遺書を残して…」
歯の根が合わない。声が震える。隣にいる配偶者が何か言ったが、よく聞こえなかった。
「私達は子どものことでそれどころじゃなかったんですが、人間関係もうまくいっていたし、優秀な奴だったのにどうしてって、教えてくれた部下は泣いてました。
そうか、あの子が起きなくなったのと同じ日だったな…」
顔色の変化に気付かれまいと、必死にポーカーフェイスを装った。
「…そうだったんですね」
「渡せなかった花はすぐ処分しました。だからやっぱり、私しか触ってませんよ」
「……ん……」
不意に小さな声がした。続いて、ふあーと小さな欠伸も。
ハッと顔を向けた先に、愛おしい小さな二つの寝ぼけ眼がこちらを見ていた。
あの子が目井先生に助けてもらって、一月が過ぎた。
あの子は何事もなく幼稚園に通っている。
あの先生には本当に感謝しかない。こんな遠いところまで来て、俺の最愛の人を救ってくれたのだから。
それにしても許せないのは…
俺は唇を噛んだ。
俺は会社で、「我が社始まって以来の天才」と呼ばれている。
正確には呼ばれて「いた」。
社内での成績は常にトップで、老若男女問わず尊敬され、次期社長は確実と名高かった。
去年入ってきたあの新人も、教育係の俺を憧れの眼差しで見て、俺に教えを請うてきた。
失敗も多かったけれど、そういうところが可愛かった。
けれどそれは、最初のうちだけだった。
はじめは冴えなかったあの新人は、次第に頭角を現してきた。
前の年に入社した社員を追い抜き、さらにその前の年に入社した社員も追い抜き、あっという間に俺に追い付きそうなレベルになった。
今度は奴が「我が社始まって以来の天才」と呼ばれる番だった。
無能なままでいれば可愛かったのに。
面倒を見てやった俺の立場を脅かすとは。恩を仇で返すとは。
ふざけんな。
奴の仕事道具を隠した。
重要書類をシュレッダーにかけた。
PCを水没させた。
奴に信頼を置く社内の人間が仕事道具を見つけた。
書類はものの数分で全て書き直していた。
PCは全てのデータのバックアップを取っていやがった。
他の社員との仲を深め、「トラブルにも対処できる優秀な人材」と評価が上がった。
ふざけんな。ふざけんな。
他の社員にバレないよう、二人だけになった時に嫌がらせを繰り返した。
奴の身体的特徴や家族のことに関する暴言を吐きまくり、暴力も振るった。
いつも笑顔で、堂々としていた奴が縮こまるのを見ていると、胸のすく思いがした。
徐々に奴の成績は落ち始め、安心した。
そうだ、ここで偉いのは俺だ。新入りの分際で俺よりいい評価得ようなんて生意気なんだよ。
それに、お前が他の奴に被害を訴えたところで、みんな長年勤めた俺と新入りのお前と、どっちを信じると思う?
そうしてあの日。
何故か家の庭に咲いていた菊の花――あの時は菊だと思っていた――を奴のデスクに置いてやった。
出社してきた奴は、隈のできた虚ろな双眸で数秒間無言で俺の心のこもったプレゼントを見つめていたが、やがて踵を返し、よろよろとオフィスを出て行った。
花を片付けながら、腹を抱えて笑い転げたい気分だった。
あの死人みたいな顔! 生きてる人間があんな顔できんのかよ!
今頃トイレでゲロゲロしてんのかな? あっ、もしかしたら恐怖のあまりチビッちゃってたりして!
あいつこの勢いで会社辞めてくんねーかなー。
いや、いっそのこと死んでくれてもいいよ。そうだ、死ね死ね!
――追い詰められすぎて逃げることさえ思い付けず、希望の光に見えた殺し屋にも依頼を拒絶され。
その日、新人は自宅のドアノブで首を吊った――
あの時はあの子のことで手いっぱいだったから、今になってやっと喜びが湧いてきた。
あのクソ新人はもう会社どころかこの世にすらいない。これで俺の地位を脅かす不届き者は消え去ったわけだ。
だが今でも許せない。
あいつが自分の立場をわきまえてさえいれば、俺はあいつに思い知らせるために菊の花もどきに触らなくて済んだし、あの子が大変なことになることもなかった。
あいつのせいだ。俺だけじゃなく、あの子にまで悪業をはたらくなんて。あの子は死にかけたんだぞ。
何が「呪ってやる」だ。呪いなんてあるわけないだろ。こっちがお前をもう一度殺したいぐらいだ。
ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな。
口腔内に鉄の味が広がる。
クソっ、力一杯噛んじまった。
これもあいつが…
「ねーねー!」
我が子の声がスイッチを切り替えた。
俺は自分でも分かるくらい緩みきった顔を声の方に向ける。
「んー? どうしたんでちゅかー?」
「これ、ありがとう!」
そう言って鼻先に突きつけられた花瓶には、一輪の菊、いや、一輪の、俺が以前あいつのデスクに置いたのと同じ花が生けられていた。
思考が停止した。
「これね、気付いたら花瓶に入ってたの! 入れてくれたんでしょ? ありがとう、すっごくきれい!」
止める間もなく、無邪気にキクマガイの茎を「掴んで」花の匂いを嗅ぐ我が子。
配偶者は出張中で不在だし、俺は今日一度もこの子の部屋に入っていない。
そもそもこれは滅多に見つからない花だと聞いている。
一体、誰が、どうやって。
愛くるしい声がするのに、何を言っているのか聞き取れない。
耳鳴りがする。
視界の端から黒い靄が出現して、徐々に見える光景を覆い尽くしていく。
立っていられない、重い荷物が身体にガンガン重ねられていくようだ。
何かにぶつかった。おそらく床だ。でも痛くない。痛いと思えない。
ふわふわする。
眠い。
なあ、
呪いなんて、無いよな?
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