Snow Red

 こんなことがありうるとは。


 内心激しく動揺しながら、それでもどこか冷静に「人生とは何が起こるか分からないものだ」とやや的外れな感心さえしていた。


 何事もない、いつも通りの一日だった。

 いつも通りに起きて。

 いつも通りに仕事をして。

 いつも通りに趣味を楽しんで。

 そして――いつも通りに無理をして笑った。そんな一日だった。


 なのに、その日の終わりに差し掛かった頃。夜道を歩いていたら、急に夜の闇以外の理由で目の前が真っ暗になった。


 後ろから頭に袋を被せられた。そう気付くのと、乱暴に投げ飛ばされた身体が硬めの布地――自動車のシートに転がったのは同時だった。


 もちろん、抵抗を試みた。が、叶わなかった。


「騒いでもダメだよ。声出した瞬間殺しちゃうよ」

 手足を縛りながら、何者かが袋越しの耳元で囁いたから。


 こいつ、人殺しだ。

 虚勢を張っているわけではなく、本当に人を殺せる人間。今のはそういう奴の喋り方だ。

 直感で分かった。自分と同じ、人殺しだと。

 

 


 ひとまず無抵抗でいることにし、1時間ほど無言のドライブに付き合わされた後、ようやく車は停まった。

 同じ体勢をとり続けてところどころが痛み出した身体を抱きかかえ上げられる。

 人殺しはそのまま歩き出す。金属の軋む音、恐らく金属製のドアを開閉する音が聞こえた。

 さらに進み、やがて止まった。何かの上に座らされる。

 服越しでも分かるくらいひんやりした、堅い板のようなものが臀部と背にあたる。椅子のようだ。


 ようやく頭から袋が外された。

 闇が消え去った世界に現れたのは、大型の機械が並ぶ廃工場のような薄暗い場所。

 それと、必要以上ににこにことしている見知らぬ顔の人物。


 その人物は、うやうやしくお辞儀をして言った。


「初めましてだね。


「!」

 こいつ、こちらの正体を知っていてこんな真似を…⁉︎


「ああ、ご安心を。警察関係者でもなんでもありません。世間では『スノウレッド』と呼ばれている者です。どうぞよろしく」

 名乗ってから、腰をちょうど90°に折り曲げ、再び丁寧すぎるほどの丁寧さでお辞儀をした。




「スノウレッド」

 その名は首斬りスパロウも耳にしたことがあった。


 このところ巷を騒がせている連続殺人犯。

 犯行時は常に顔を隠しており、警察は未だその正体の特定すらできていない。


 スノウレッドの最大の特徴はその殺害方法にある。


 まず、靴下を何重にも履く。

 その上にさらに靴を何重にも履く。

 象のように太くなった、安全の確保された足に、真っ赤になるまで熱した鉄製の大きな靴を履く。

 そうして、ターゲットを蹴り倒し、その身体に飛び乗り、タップダンスでも踊るかのように全身くまなく踏みつけまくる。

 周囲に焼け焦げた人肉と沸騰した血液が撒き散らされ、ターゲットは熱さと激痛の中で絶命する。その死体は、見るに堪えない有様になっているという。


 犯行の一部始終を目撃した者の、「まるで赤い雪が舞っているようだった」という証言から「スノウレッド」とあだ名されるようになったのだ。




 歌うような調子で殺人犯は続ける。


「ずっと君に興味があったんだ。会って話してみたいって。絶対気が合うからってさ。

 それにしても本当ちっちゃいね。身長何cm?」

 不躾に短髪に伸ばされてきた、薬指に指輪のついた左手を、首斬りスパロウは拘束が解かれた手で払いのけた。


「はは、流石に失礼だったね。ごめん」

 謝罪のために頭を下げる。しかし即座に顔を上げ、反省の色が感じられない口調で問いかけてくる。


「俺が生まれて初めて殺した人、誰だか知ってる?」


 知るわけがない。

 一体こいつは何なんだ。

 人殺し同士だからと一緒にしないでもらいたい。楽しみながら犯行に及んでいるようなお前なんぞと違い、こちらはちゃんとした理由があって「あいつら」を殺しているんだ。


 …お前なんぞにはきっと理解できないであろう理由が。


 射抜くような目で睨みつけ黙りこくる首斬りスパロウに、スノウレッドは自らの質問の答えを囁いた。




「…⁉︎」

 耳を疑った。


 本当か? 本当に、そいつを殺したのか? だとしたら、こいつは…


「ね? ちょっと似てるでしょ、俺ら?」

 難しい問題が解けたのを自慢する子どものような声。

 見上げたところにあった顔は、やはり笑ったままだった。


「『毒』は全部殺さなきゃ。ね?」

 似ている。悔しい。でも、確かに似ている。


 こいつとこの首斬りスパロウは、同じ志で殺人にあたってきたのだ。




 2人で話をした。


 似ていた。殺害の依頼を受けて動く点も、普段は「普通」の人間として生活しているという点も。

 「あいつら」は全て死ぬべきだという考え方も。

 「あいつら」を一撃で殺すべきか、散々苦しめて殺すべきかに関してだけは意見が合わなかった。

 それでも、似ていた。




 ずっと、孤独に殺し続けなければならないと思っていた。

 誰にも言えない動機を抱え、誰にも言えない人殺しという行いを、正体を隠しながら続けなければならないのだと。

 どんなに苦しくても逃げ出したくなっても、やめてはならないと。

 たとえそれが、「恩人」に対する大きな裏切りに当たるとしても。


 それなのに、何ということだろう。

 こんなにも自分に似た人間に出会えるなんて。

 「あいつら」への恨みも、殺しに対する義務感も、今まで一人で戦い続けてきた寂しさも。


 絶対にできないと思っていた、分かり合える相手ができた。

 もう一人じゃないんだ。なんでも話せるんだ。

 二人の殺人鬼は、そのことが信じられないほど嬉しかった。

 無理をしなくても笑えたほど、嬉しかった。




 連絡先を交換し、また会おうと約束して別れた。

 教えてもらった自宅の最寄り駅への道筋を辿りながら、首斬りスパロウは長年背負ってきた重荷を一つだけおろせたような心持ちだった。

 たった一人本音を話せる相手がいるだけでこうまで安心できるものなのだと初めて知った。


 ――こんなことで喜ぶ権利はお前にはない。「恩人」への良心の呵責はないのか。


 そう自分を責めたてる心の奥底の声には、今は耳を貸さないことにした。




 ――♪

 スマホがメールを受信したことを知らせる着信音を鳴らした。

 この着信音は「依頼」用のメールアドレスのものだ。

 首斬りスパロウに依頼したい人は、殺してほしい人物の名前、住所、殺してほしい理由を記載し、できたらその人物の写真も添付したメールを指定のアドレスに送ることになっている。依頼は電話でも可能である。


 さて、今回は誰を殺せばいいんだ?

 わずかな緊張感と共に、メールを開いた。




 足が止まる。手も止まる。身体を動かせない。

 2つの眼球が、画面に表示された名前に縫い付けられたように動かない。




 依頼は依頼だ。


 数日後、首斬りスパロウはとある路地裏に潜んで、何度も何度もその言葉を心の中で言い訳のように繰り返していた。


 コーヒー色のフルフェイスのヘルメットと、チョコレート色の大きなマントといういでたち。そして背中には、得物である自身の身長と同じくらいの巨大なハサミを背負って。


 自分の目が信じられなかった。

 だけど、偵察に行って実際に見聞きしたあの光景。あの人物は「あいつら」と完全に同類だ。死ぬべきだ。

 そうだ、今までずっとやってきたことじゃないか。何も恐れることも、罪悪感を抱くこともない。


 相手が誰であれ、「あいつら」ならば殺す。それだけでいい。

 なぜなら、自分は首斬りスパロウなのだから。




 いい加減、「仕事」に行かなければ。依頼人に約束した時間だ。


 つま先を路地裏の、さらに奥に向ける。そうしてから近くの屋根に飛び上がり、屋根から屋根へと伝わりながらターゲットの家まで行こうとした。


 すぐにはそうはできなかった。

 一瞬前まで誰もいなかったその空間に、目を細めて笑う、ボロボロの白衣の人物がいたから。




 目井めいさん。

 自分の「恩人」。

 どうして、いつ、こんなところに。


 呼吸の仕方が分からない。心臓の動かし方が分からない。


 「恩人」は笑みを絶やすことなく切り出した。


「やっとお会いできました。初めましてですね。首斬りスパロウさん」


 え、なぜ、そんなことを…


「勘で今日ここに来ればお会いできるんじゃないかと思ったんですが、その通りでしたね。

 私の勘は当たる時と当たらない時の差が激しいんですが今回は当たりましたね。うん」


 足元がフワフワする。自分は今本当に地面に立てているのだろうか。


「これから行かれるところですか? それよりも、私と少しお話しましょうよ。いえ、お説教なんかじゃありません。ただ世間話でも…」


 唐突に頭の中で何かが弾けた音がした。


 逃げなきゃ。

 

 その思いだけで、ほとんど無理やり身体を跳ね上げた。

 

 あっという間に屋根が目の前。既にはるか下となった場所から、焦ったような悲しそうな叫び声が響いた。


「助けさせてくださいよ!」


 かまわず屋根に着地し、先程まで動けなかった反動のように全力で走りだす。




 バカなことを。

 お前にこの首斬りスパロウは救えない。


 ――あなただからこそ、救えない。




 鍵のかかっていないターゲット宅のドアを開き、堂々と進入した。

 ドアの開く音を聞きつけたのか、慌てて駆けてくる足音。

 その主は、玄関にいる首斬りスパロウを目にするなり、全てを悟ったかのように停止した。


 沈黙。

 

 先に口を開いたのはターゲットだった。

「…その服装ってことは、俺を殺しに来たの?」


 ターゲット――スノウレッドの諦めたような笑顔の問いかけに、首斬りスパロウは首肯した。


「ってことは、あの子の頼み?」

 スノウレッドの口にした名前に、首斬りスパロウはうなずいた。

 あのメールに記されていた依頼人の名と、教えてもらったばかりだったスノウレッドの本名を思い出しながら。


「ってことは、俺『あいつら』と同じになっちゃったってことかー… そっかあ…

 あーあー、自分がさんざん嫌な思いさせられたから、自分は絶対そんなことにならないって自信あったのに。頑張ってたつもりだったのに。

 そっかあ、ダメだったかー。ダメだったか。ダメだったか。ダメだったか。ダメだったか…」

 俯いたまま、壊れたようにつぶやき続ける最近出会ったばかりの最大の理解者を、茶色い殺人者は微動だにせずヘルメット越しに見つめていた。

 俯いた相手の表情を覗き込む勇気はなかった。




「…何してるの」

 不意に「ダメだったか」以外の言葉を口にした。


「俺は生きてちゃいけない。早く、さあ… お願い」

 視線は床に落としたまま、玄関の冷たい大理石に膝をついた。

 死への抵抗は全く感じられなかった。

 



 そうだ、やらなきゃ。


 ハサミの取っ手を両手に握る。いっぱいに広げる。刃と刃を、細い首筋に向けて収束させる。金属が肉に食い込み、骨を断ち割っていく感触。落ちる、と思ったあたりで、脳内も目の前も、一点の曇りもない真っ白になった。




 次の瞬間、白い闇は霧散した。

 人を殺す時はいつもこうだ。首が落ちるその瞬間だけは、いつも五感が真っ白に閉ざされて、何が何だか分からなくなる。本当に一瞬で、すぐに元通りになるのだが。

 

 自分の立つ玄関を見渡した。赤い雪どころか、赤い洪水が訪れたような惨事になっていた。

 隅にごろりと転がる塊の表情は、やはり見られなかった。




 やっと、生まれて初めて気持ちを分かち合える存在に出会えたのに。

 やっと、一人じゃなくなったのに。



 

 …いや、これでいい。

 首斬りスパロウの使命は「あいつら」を殺すこと。スノウレッドは無自覚のようだったが「あいつら」のうちの一人だった。だから殺した。何も間違いはない。




 殺す。


殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す


 「あいつら」は全部殺す。




 改めて誓うことで、未練と罪悪感を振り切った。

 それでも残るかすかな痛みには、気が付かないふりをした。




 それにしても、目井さんはなぜあんなことを言ったのだろう。


「やっとお会いできました。初めましてですね。首斬りスパロウさん」




 ああ、当然か。




 「首斬りスパロウとして」会うのは初めてだったからな。

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