勝負

「勝負の前に一つ半端なく確認したいことがあるんだが」

 痛く感じられるほどピリピリした空気の中、スキンヘッドにベージュの肌、黄金色こがねいろの瞳の甲藻こうもの口からそんな高めの声が出た。


「なんじゃ? 頭悪すぎてやること全部忘れたか? 一から説明してやっても良いぞおバカさん」

 腰まで届く黒髪に褐色の肌、首元に入った蛇のタトゥー、紫の瞳の堂喪どうもが貶し笑いを浮かべて低めの声で返す。


「半端なくちげえよ! なんでこいつがここにいんのかって訊きてえんだよ!」


 甲藻が親指で示した先には、座布団に正座する目井めいさんの姿があった。


「お久しぶりです甲藻先生。半年ぶりくらいでしょうか。堂喪先生は1年ぶりくらいですかねえ。

 同業者で、しかも隣の町に住んでいるのにこのところはお会いする機会がありませんでしたねえ。それにしてもお2人のツーショットなんて希少価値が高すぎます」


 空気の読めない挨拶を繰り広げる目井さんに呆れたような目を向けつつ、堂喪は今からする「勝負」にはやはりタイムキーパーや審判がいた方がいいと思ったから呼んだのだと説明した。


「へえー、読めたぞ。つまり堂喪先生様は半端なく勝てる自信がないから、目井先生様を買収して自分に有利な判定をしてもらおうって魂胆かい」


「なっ、違うわっ! わしは卑怯者のおぬしと違って公明正大じゃ!」


「は? 誰が卑怯者だと―」


 言い争いを始めそうになった2人を、今度は空気を読んだらしい目井さんは「あの、基本的には私のことは置物か何かだと思って気になさらないでください。あと甲藻先生、『目井さん』とお呼びください。あ、3分経ちました」とさえぎり、傍らのカップラーメンを食べ始めた。


「私はズルズル、時間測るのとモグモグ、お2人だけでは判断が難しいズルズル、場合にお手伝いする以外はここでモグモグ、見てるだけですからズルズルモグモグ」


「この世のどこにラーメン食う置物があるんだよ… あー、はいはい、半端なく分かったよ『目井さん』。じゃ、始めるか」


「おう」


 床に正座した2人は火花が飛び散るほどの勢いで睨み合うと、それぞれの利き手に斧を握った。


 そして目井さんの合図と同時に、自分の利き手ではない方の腕の肘から先を切り落とした。




 堂喪と甲藻は、隣町の外科医である。

 目井さんの尊敬する医師のうちの2人であり、両者とも同じくらい腕が良く、隣町ではかなりの評判である。致命的な欠点を除いて。


 2人は、どういうわけか仲が悪いのだ。

 顔を合わせればいつも盛大な口喧嘩の幕が切って落とされる。治療法や患者様への接し方など仕事に関してが半分、残りの半分は「目玉焼きには醤油派かソース派か」といった端から見たら大喧嘩するようなことではないと思われるものである。


 彼らは普段は決して喧嘩っ早い人物ではない。

 なのになぜかこの相手とだけはお互いに冷静に話し合うことができない。どうしても相性が合わないのだ。

 

 誰だかなんて「『水と油』なんて言葉があるけど、水と油は混ぜようとしても混ざらないってだけだからまだいい。あの2人は混ぜようとしようものなら大爆発を起こす」というジョークを半分真顔で飛ばしていたくらいだ。




 そんな2人は今日、「どちらが外科医として優れているのか」を決するための勝負を行うこととなった。


 自分の利き手と反対側の腕を切断し、残った利き手で元の通りに縫い付ける。より速く、より手術跡を残さず、より切断前と同様に動かせるように治した方が勝者となるのだ。


 いつになく真剣な面持ちで、自分の腕を縫い付けていく堂喪と甲藻。


 ちくっ、しゅっ、ちくっ、しゅっ

 ズルズルモグモグ、ズルズルモグモグ


 部屋には針と糸が皮膚や肉をつなぎ合わせる音と目井さんがカップ麺を食べる音以外、何も聞こえない。


 不完全な静寂はしかし、両者が全く同時に張り上げた「終わった!」という宣言によって破られた。


「すごいです! 見事に同時です! こんな短時間でくっつけられて、しかも跡が全く残っていないなんて! さらには切る前と同様に動かせてるじゃないですか! 改めて脱帽です!」


 興奮する目井さんを尻目に、不満顔の当事者2人。


「ぐう… まさか互角とは…」


「半端なく納得できねえ… もうひと勝負やるぞ! 今度は利き脚だ!」




 そんなわけで、次は利き脚を切断し、くっつける対決になった。

 しかし、これも最初の勝負同様の結果に終わった。


 目井さんが何杯目かのラーメンを食べ始める頃には、2人の外科医の苛立ちは頂点に達していた。


「なんでこれでも決まらねえんだよ! 半端なくおかしいだろ!」


「ああもう! こやつの顔見るだけで腹立つからさっさと勝利して帰りたいのに!

 こうなったらアレじゃ! 2人同時に出来る限り自分を全身バラバラにして、それで治すっていうのはどうじゃ⁉︎」


「はっ!? もがっ」


「半端なくいいな! やりごたえがありそうだ! じゃあ『せーの』でやるぞ!」


 2人は斧を握る手に力を込めた。


「せーの!」




 甲藻の気合の入った掛け声の直後。


 部屋は床のみならず壁や天井までもがホースで赤い水をかけられたかのように勢いよく着色された。


 余すところなく一面が脂の浮いた大きな赤い水たまりと化した床の上には、持ち主の手から離れ、ごとりと音を立てて落ちた2本の斧。

 その周囲には木っ端微塵になった無数の肉塊と骨片が、まだプルプルカタカタと蠢いていた。




 口内のラーメンをやっと咀嚼し終えた目井さんは、先程まで堂喪と甲藻だったものを見下ろして呟いた。


「『お2人とも全身バラバラになってしまったらどちらがどうやって治すんですか?』とつっこもうとしたんですが、『はっ!? もがっ』としか言えなくて間に合いませんでした…

 あの一瞬でどんだけ斧振り回したんですか。どうもこうもならなくなっちゃったじゃないですか…

 どうしましょう、今日審判とかをするだけでいいと言われたのであまり治療の道具持参してきてないんです。今いるここも病院でもなんでもないですし。

 ここまでバラバラになってしまってはアレとアレとアレとアレがないと治療できないんですが、ここからうちまで急いでも往復2時間くらいかかるからそれまでお2人がもたないでしょうね…

 今ある道具だけで何とかしますが、散り散りすぎてもうダメなパーツがかなりありますね…

 なんて独り言で状況説明してる間にもお2人の命が危ない。無事な部分だけでもどうにかつなぎ合わせてとにかく命だけはお助けしないと…

 では、苦肉の策ですが…」




 数日後、目井さんは目井クリニックの診察室で、ある人物と向き合っていた。


「あれから体調はいかがですか?」


「体調そのものは… まあ、悪くはないな。半端なくいいってわけでもないが」

 答える人物の首に、蛇が描かれているのが見えた。


「そうですか。それは良かったです」


「…良くはないだろ。ある意味半端なく酷いことになってるからな…」


 その人物は小声で言い、右は黄金色、左は紫色の目を伏せた。


「あと半端なく不本意だけど、今度から我々2人で病院やることになったから」


「おお! そうですか!」


「そうですかって、だって他にどうしようもないだろ…」


 その人物が、倦怠感を漂わせながらつややかな頭皮に手をやった、その時だった。




「おい! わしの指でお前の頭皮をかくな! 汚れるじゃろ!」


 低めの声が怒鳴った。

 怒鳴ったのと同じ口から、今度は高い声が振り立てた。


「ああ!? こっちの手指で第一関節がお前なの人差し指と小指だけなんだし別にいいだろ!?」


「5分の2じゃ! 結構な割合じゃ!」


「大体、もういちいちそんなこと半端なく気にしてらんねーだろ!」


「分かっとってもなんか嫌なんじゃ!」




 事情を知らない者からすれば、その人物、いや、その人物が言い争いをする様は、まるで1人の人物が声色を変えながら大声で独り言を言っているように見えることだろう。




 褐色の部分とベージュの部分がつぎはぎのように存在する全身の肌。

 ところどころに長い黒髪が生え、ところどころに何も生えていない頭皮。

 左右で異なる色の目。

 そして、同じ口から飛び出す、2種類の、明らかに別人の声と喋り方。




「あの時、なんとか無事なパーツをかき集めてみたら運良くちょうど人間1人分になったので、元がどちらのパーツだったかは気にせずにとりあえず全て縫い合わせて人の形にしたんです。

 でも、お2人とも脳と声帯だけは奇跡的に無傷だったのでその4つは体内に半ば無理やりにですが入れさせていただいて。

 結構上手くいきましたよ。あなた方年齢と血液型が同じですし、体型や内臓や骨の健康具合もほぼ同じなので」




 堂喪と甲藻は、今や自身の肉と骨と、犬猿の仲の相手の肉と骨とをつなぎあわせて作られた1つの身体に閉じ込められた2人の人間だった。


「おぬし的には上手くいったのかもしれんし、そのおかげで、わしらは2人とも命は助かったわけじゃが…」


「おかげで、半端なく顔も見たくない奴と同じ身体に恐らく一生同居する羽目になってしまったんだが…」


「? 命はお助けさせていただきましたが?」


 2色の目に睨まれた目井さんは、何が悪いのか分からないという表情をうかべるだけだった。


 この隣町の医者が、「絶対に誰も死なせたくない。」という主義の持ち主であることを、堂喪と甲藻は同じ頭蓋に収納されたそれぞれの脳で、今更ながら思い出した。

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