さん

 そういえば私は彼女の名前を知らない。出会った時に訊いたけれど、既に捨てたものだ、と言ってこれっぽっちも教えてくれなかった。けど呼び名がないのは不便。仕方がなく私は「ルナさん」と呼んでみた。やめろ、くすぐったい、と怒られてしまって、これまた妥協し、「なーさん」と呼ぶことに。

 なので彼女はなーさん。私の家に居候する、吸血鬼。

「あー……腹がいっぱいだー……死にそうだー……」

「そりゃあ、カップ麺三つも食べて、普通に夕食も食べたらお腹も痛くなりますよ」

「いや。腹は痛くない。満腹という幸せに押し潰されて死にそうなんだ」

「はいはいそうですか幸せなら良かったですね」

「なんだよー冷たいなー」

 冷たい訳ではない。でも私は今、確かに少し気持ちが下降気味だ。だって。

「分かった。俺がいなくなるのが寂しいんだろ? ん?」

 後ろから抱き締められる。

「……そうですよ、寂しいですよ」

「ばっ、ばかっ。そんなこと簡単に言うんじゃねぇ」

「普段は素直じゃないなって怒る癖に」

「わー! わー! そんな目で俺を見るなー!!」

 自分は簡単に抱き締めて来る癖に、と恨み言が飛び出しそうになる。抱き締める、というのは軽々しいと怒ってもいい行為ではないのだろうか。けれども私は怒れない。だって嬉しいんだもの。

「お、俺はもう行くからなっ!」

「はいはい。お気を付けて」

「拗ねんなっ、ばかっ。仕事なんだっ」

 何だか浮気男の言い訳みたい。そんなことで思わず笑ってしまった。

「な、なんだよっ」

「いいえ、なんでも。行ってらっしゃい」

「……と、戸締りはちゃんとして寝ろよ」


 でも彼女は知っているはずだ。私が一晩中、窓のカーテンと鍵を開けて待っていることを。

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