第36話 木漏れ日の街角(1)

 今朝、久しぶりに夢を見た。

 それは、生涯決して忘れることができないだろう、仲間達との決別の刻だ。


 今にして思えば、人知れず〈アンテ=クトゥン〉全域に浸潤していたを切り払う為だったとはいえ、随分と過剰に仲間達を煽って挑発した気がする。

 相棒のイヴリーンからは、お前にその手の演技は無理だ、と散々言われ続けていたが、それでも自分で決めて強行した。その結果としてどれだけ憎まれようとも、どれだけ呪われようとも。未来永劫関係の修復が不可能になってしまったとしても、後悔はない。


 無数の世界を終焉に収束させる『多元世界同時崩壊現象カルドロン』。

 愚昧で魯鈍な浅ましく卑しき元凶……天帝が求めていたのは、カルドロンの過程にて凝縮を重ねることで、埒外の領域すら突破しかねない程に高められた耀力の縮合体だ。

 幾つもの宇宙を丸ごと呑み込むことに相当する量の耀力を、一個の存在がその身に取り込めるか否かの可能性はさておくとして、そんな一個人の邪な目的に利用されて死ぬことになるなど、巻き込まれる世界からすれば冗談ではない。


 そしてユディトとしても、自分の主である彼女が生きる世界を守る為、そんなはた迷惑極まりない目論見など徹底的に破綻させてやるつもりだった。

 凝縮を繰り返し、励起に励起を重ね過ぎて臨界状態にあった耀力を、今まさに取り込もうとしていた天帝から逆に掠め取り、得られた極大の耀力の縮合全てを破断した上で、全て元の世界に還元せしめたのである。


 数百年という膨大な時間を費やし、数多の策謀を張り巡らせて育て上げたにもかかわらず、今まさに収穫せんとする瞬間に奪われたのだから、その後に続く天帝の絶望は当然で。

 だどもユディトは、瞋恚に燃える天帝の全てを真正面から否定して、終ぞ完膚なきまでに叩き潰して消滅させたのだった。


 だからこそ、〈アンテ=クトゥン〉滅亡の危機は去ったと見て間違いはない。ならばこの瞬間も存続し、刻々と時が流れていることだろう。


(……みんな、元気でやっているかなあ?)


 滅びは回避できたという確信はあるのだが、やはり今のユディトにとって気がかりはそれだけである。

 彼の世界の社会基盤を徹底的に破壊しておきながら甚だ身勝手な話ではあるが、そう願わずにはいられない。


 世界に叛逆した一連の中で最大の山場は、当然仲間達との闘争だ。

 そしてその最後の舞台は鮮明に思い出すことができる。

 なにせあの戦闘において果たすべきを果すには、自身にいくつもの制限を課さねばならなかったからだ。


 相手を殺してはいけないのは前提条件だが、その気がないユディトにとってそれは悩む話ではない。

 骨を折ることになったのは、仲間達どころか〈アンテ=クトゥン〉全ての人間達に知らず埋め込まれ、寄生していた『天帝の種子』の破壊である。


『天帝の種子』とは、〈アンテ=クトゥン〉に出現した天帝が最初に世界にばら蒔いた、寄生対象者の耀力を恒常的に奪い続ける超極小サイズのナノマシン群体だ。それらは寄生した人間の血液に潜り込み、次代へと遺伝する性質の悪いものだった。

 耀術を扱うのに最適化された遺伝子を持つ〈アンテ=クトゥン〉の人類は、言い換えれば至上の耀力貯蔵庫であり、その潤沢な苗床から天帝は耀力を数百年に亘り喰らい続けていたのである。

 人間一人一人からの簒奪量は微小なれど、だが世界規模で常に耀力を吸収し続ける毒は、天帝に力を与え続け、また有事の際にはその意識の逃げ先への道標にもなり、彼の者を完全に殺しきる為には毒の駆除が必要不可欠な要因であった。


(……随分と無茶もしたよなあ)


 世界規模でそれらを同時に、一瞬で消し去ること自体は『滅刃』の断滅範囲を惑星規模にまで拡張し、対象を種子に絞った上で世界に向けて斬撃を等しく放てば済む話である。

 その際に求められるのは、『滅刃』をそこまで活性させるのに欠かせない耀力だけで、〈アンテ=クトゥン〉随一の耀力許容量を誇っているユディトにとっては、大した問題にはならない。

 また、本来であればそこまでの耀力収斂は世界の基盤に皹を入れかねない危険な行為なのだが、〈アンテ=クトゥン〉の強固な土台を踏まえれば可能であった。


 しかし、天帝に時間的猶予を与えると、再び散布されるだけで元の木阿弥になる為、その瞬間・・・・が問題になる。

 だからこそユディトは、先に世界中の『境界門リミニス』を破壊して廻り、最後の防衛に据えてくるだろうと予測していた仲間達との戦闘の最中に敢行したのであった。


 だが、言葉で言い表せば簡単なものの、実際に実行する場合の難度はそれどころではない。

 相手はいずれもが各分野において〈アンテ=クトゥン〉最上位に君臨する使い手達なのだ。如何にこちらが身体能力で優っていようとも、技術は相手の方が遥かに上。

 そこにユディト自身思いもよらない“対イルヴァ―ティの勇者”用の戦術が組み込まれていたのだから、手を抜く訳にもいかず、本気を出さなければならなかった。


 結局、種子・・を破断した直後の違和感と虚脱感に誰もが一瞬だけ忘我状態に陥った隙を狙って、『滅刃』の断滅範囲設定を戦闘意欲と意識だけを切り裂くように変更し、全員を昏倒させて幕を降ろすことができた。

 かなりの被害を受けた甲斐あって、狙い通りこちらの真意は悟られることなく。狂ってしまった嘗ての仲間であり、最低最悪の敵のまま戦いを終えることができたのだった。


「――おい」


 ユディトは一つ、深く嘆息する。


 そう。どんな経過を踏むにせよ、ユディトは最初から真実を誰にも語る気はなかった。

 だからこそ仲間達との最終決戦でも、煽りに煽るだけでそれ以外の言葉を交わさなかったのである。


 とはいえ、誰にも気付かれていないかと自問すれば、答えは否だ。元の世界に反旗を翻した一連の行動を省みた時、どうしても避けられぬ場面もあったからである。

 

 それは〈アンテ=クトゥン〉に戻り、祖父への報告を終えた後のことだ。

〈キルリ=エレノア〉で発覚したカルドロンの確証を得る為に、エリュシオン大天文台というとある軍事大国の監視施設を利用しようと、ユディトは“星辰の戦女神ウルティマ・ディース”ことリベカ・アークハイネに接触を試みていた。

 だが性格的に腹芸とは相性が悪いユディトと、聡過ぎる彼女の取り合わせだ。

 リベカならば断片的な情報であれ幾つも角度を変えては繋ぎ合わせ、その果てに真相に辿り着いてしまう可能性を否定できなかった。勿論、ユディトは全力でとぼけて真相ははぐらかし、煙に撒いて早々に逃げたので、確証を得ることはできなかっただろうが。


 それでもその後、彼女の率いる軍と接敵しなかった事実から、もしかしたらこちらが背負うものの一端を垣間見てしまったのかもしれない。


(……まあバレていたとしても、完遂したのだから今更だけど)


 だとしたら、きっとリベカならば、勝ち逃げだ、と憤慨してくれるに違いない。

 彼女だけは『イルヴァ―ティの勇者』という埒外の立場であった自分と対等に接し続けてくれたのだから。……たとえそれが、共感を越えた自覚のない依存に近い感情に由来するものであったとしても。

 あのどこまでも冷静で思慮深く、気高く強かな女傑ならば、きっと上手く立ち回って世界を導いていけるだろう。もっとも、彼女の勝気な性格ならば、面倒ごとを全て押し付けてくれたわね、と恨み言を沢山吐いているかもしれないが。


 それはそれで仕方がないか、とユディトは内心で苦笑を零した。


「おい! 聞いておるのかっ!?」

「へ!?」


 ユディトの過去への回帰は、殊更甲高く響いた声韻によって唐突に終わりを迎える。


 すっかり虚を突かれてパチパチと目を瞬かせるだけのユディトは、目の前で不満をありありと滾らせたエルファーランの姿を見て止めた。











 吊り上げられた形の良い柳眉に、上目遣いに細められた紅蓮の双眸。そしてそこはかとなく膨れた頬……いずれもが形作るむくれた表情は、彼女の荒ぶる内心をそのままに表現していて。


 これには流石のユディトであっても、エルファーランの状態が一目で分かった。


「あ、ああ。はい。な、何ですか?」

「何ですか、ではなかろう! 人と話している最中に突然ボーっとして、無視するとは失礼じゃろうが!」

「す、すいません」


 怒りに奮えるエルファーランの剣幕に圧されながら、ユディトはコクコクと頷く。

 確かに、会話の途中で相手からの反応が途絶えたら不審に思うし、声を掛けても反応が無くなれば訝しんだとしても仕方がない。

 無視するつもりなど全く無かったが、結果としてそう思わせてしまったのだから、こちらの落ち度だ。


「ごめんなさい。ちょっと昔のことを思い出しちゃいまして……」

「……それは妾と話している最中にすることか?」

「それはまあ……そう、ですね」


 謝罪を繰り返しても怒りを鎮める様子が見られないエルファーラン。

 正当性は全くもって彼女の言にこそあることを判りつつも、だがユディトとしても反論したい感情がある。


 間違いなく今、ユディトの意識は過去へ回帰に囚われていた。そして何故そんなことが起きたかと言えば、今朝方見た夢の所為であり、もっと直接的な原因は一つしかない。


 目の前でプリプリと怒り散らしている少女が、嘗て自分が子供ながらに持ち得る全てを捧げた彼女に瓜二つなのだ。目まぐるしく変わる表情や仕草さえ酷似していて、意識せずとも記憶の底が揺さぶられて仕方がなかった。


(とは言え……ねえ)


 ここでユディトは目線を少し下へと動かす。


 それ程広くない卓に置かれた透明なグラスと、その中に並々と注がれた鮮やかな色の飲料。そして所狭しと並べられた皿に乗っている焼き菓子や、瑞々しい果実をふんだん使ったケーキ……一見するだけで喉が渇きそうな甘ったるさを感じずにはいられない、言わばスイーツの展覧会である。

 圧倒的な物量に物怖じせず、それらを丁寧に切り分けて優雅に口に運んでは上品に咀嚼するエルファーランの姿には、確かな教養と躾によって裏打ちされた気品が滲み出ていたが、その洗練された所作は悲しいかな彼女が宿している筈の怒りの効力を全て台無しにしていた。


「……ええと、まだ食べるんですか?」

「うむ。まだまだじゃ!」


 刻々と積み上げられる空になった皿をチラリと一瞥するユディト。

 既に片手を超えている様相は、不可視の圧力でも発しているのか、それに中てられてゲンナリしてしまう。


「側仕えのメイド達がいつも噂をしておったのじゃよ。この店の甘味は絶品じゃと、聞いてもおらぬのにどんなメニューが良いのか色々教えられてのぅ。次に城下に行く機会があれば是非足を運んでみたいと思っておったのじゃ」

「はあ……」


 良く嚙み、茶で喉を潤して綴るエルファーランの声は、いつの間にか満足げなものに変わっていて、どうやら怒りの感情は露と消え……もとい、甘味と共に胃袋の中に呑み込まれてしまったようだ。


 以前、ふとしたことで不機嫌になったリベカが、女性の機嫌を取りたいのなら適当なスイーツでも贈っておきなさい、と苛立たし気に言っていた。その時は遠回しに、私にご馳走しなさい、と言っているのかと思い、イヴリーンに倣ってプリンの詰め合わせを贈ってみたのだが、私は甘い物が嫌いだと突き返されてしまい、あまりの理不尽に打ちのめされてしまった苦い記憶が甦る。

 ちなみにそのプリンは、イヴリーンが喜びながら平らげていたが。


 今、眼前の光景とはまったく関連性もないのだが、ふと思い出してしまってユディトは僅かに渋面を作る。

 そんなユディトの懊悩など露知らず、エルファーランは弾んだ口調で連ねた。


「最近は儀式前の準備やらなにやらで忙しく、シエルの監視も厳しくてそれどころではなかったからのぅ」

「そもそもお城にも料理人がいるんですし、わざわざ出張る必要が無いと思うんですけど。貴女が言えば作ってくれますよね?」

「まあそうなのじゃがな。妾個人のワガママで現場の者を振り回すのは良くない。それに、たまには違う味を食してみたくもなるじゃろう?」

「……その辺の同意を求められても、僕には答えられません」


 ニヤリと小さく笑みを浮かべて問うてくるエルファーランに、ユディトは頭を振る。


 ユディトにとって甘味の類など、これまでの境遇から縁のない代物だ。と言っても、相棒のイヴリーンがプリンという庶民的なデザートを至上のものとして愛してやまないこともあって、多少なりとも知識だけは仕入れていたのだったが。


 甘味によって思い出されるのは、嘗て仕えていたお屋敷で、身分の高い者達が集って談笑する茶会であった。

 基本的に屋敷に近付くことすら禁じられていて、遠くから眺めるだけだったが、子女達の明るい笑い声と、嗅ぎ慣れない甘ったるい香りは強く印象に残っている。


 そんな過去を強く想起させる場面が間近で展開されていても、それでもやはり戦場以外語れないユディトには未知の領域のままだった。

 

 そんな自覚をしてしまってか、少し居心地が悪くなったユディトは視線を周囲へと投じる。

 一瞬だけ空の眩さで眩みかけたが、次の瞬間には戻った視界に、石造りの家屋が整然と立ち並ぶ街の様子が飛び込んできた。


 余程綿密に組み立てられた都市計画を基にしているのか、連なる家々の調和の取り方は見事なもので、一軒一軒もさることながら、総じて眺めれば一つの絵画のような優美ささえ感じられる。

 また、足元に敷き詰められた石畳は経年劣化に伴う破損がチラついているものの、都度補修している形跡から現状を維持しようという気概が見て取れた。

 特に意識を惹いたのは、見渡せる範囲で確認した限り清く保たれているという点だ。この地が荒野の渓谷地帯に築かれた都市という事実を忘れさせる程に、街中を梳いていく乾いた風に埃は舞えど、ゴミが飛散する様子は見られない。

 敷かれた規則が住人に滞りなく受け容れられていて、治世が上手くいっている動かぬ証拠であった。

 

 ここは魔王領アガルタの王都、シャンバラ。

 多くの異胚種の畏敬を一身に集める魔王の居城、雄大にして麗雅なる万魔殿シャングリラの門前から直線に走るメインストリートの一角に構えた、カフェテラスの一卓である。


 一等地に店を出せるということで、相応の財を保有し、それを絶えず補填できるだけの実績を挙げているのだろうか。

 その疑念を晴らすが如く、豪奢で品のある調度品が惜しみなく配置された店内は落ち着いた雰囲気を醸していて、その広さたるや、お忍びであることを主張するようにしっかりと変装を決め込んだエルファーランや、メイド服ではない私服のメリィ以下数名の親衛隊員。そして街人と変わらぬ格好のカリオンやレオーネが幾つかの卓を占拠しているにもかかわらず、まだ余裕がある。

 卓と卓の空間も充分に設けられていて、声を潜めた会話をすれば周囲の談笑に掻き消されて拾われる心配も少ない。現にユディトとエルファーランの会話は終始コソコソ話程度の声量で交わされていて、だからこそ未だに『魔王』がここでスイーツを食べ漁っていることなど、他の客は夢にも思わないのだろう。


 煎れられた茶で喉を潤しているエルファーランの表情は満足げで、寧ろ若干だらしなく弛緩しているではないか。

 先程まで滾っていた怒りは失せ、なんやかんやですっかり上機嫌に戻ったのだろう。

 エルファーランは、改めてユディトの正論に対峙した。


「王宮の甘味類は城内で作られるものもあれば、城下にある幾つかの店より直接仕入れることもある。じゃが、この店は出来てから日が浅いそうでのぅ。まだ御用達には数えられていないのじゃ」

「直接この場で食べて気に入った様子ですし、もういっそのこと召し抱えても良いんじゃないですか?」

「そうはいかん。なんでもかんでも拾い上げておったら、御用達の言葉が軽くなる」

「そういうものですか?」

「そういうものじゃ」


 王宮御用達という箔を得る為には、その店の創業から現在に至るまでのあらゆる要素を調べ尽くした上で、安全性は言わずもがな、品格や数多の条件に照らし合わせて選定されるものだという。

 その辺りの事情には全く明るくないユディトは、敢えて墓穴を掘るような真似をせず、ただこくこくと頷くだけだ。

 が、同時にふと脳裏をよぎったある種の危険性を口にしてしまう。


「ありゃ? お忍びで色んなお店に行っているなら、毒なり何なり仕込まれ放題なんじゃ?」

「店に対して失礼なことを言うでない! ……だいたい、未来視を持つ妾にそんな無謀を図る輩がおると思うか?」

「それはまあ……無駄ですね」


『魔王』の予知能力は、『天色託宣』という自分達の命脈を繋ぐ為の大前提を占める故に公然と知れ渡っているものだ。

 エルファーランの未来視の能力が、どの範囲まで有効なのかは知る由もないが、ユディトの思いつきに対して澱みなく答えているところを見るに、過去にそういったことは体験済みなのかもしれない。

 もっとも、それを差し引いたところで眼前の少女は戦闘民族でもある異胚種の中で最強の存在として君臨している『魔王』なのだから、毒如きでどうこう出来る筈もないだろうが。


「……もしかして、このお店に来る未来も視たんですか?」

「うむ。ただまあ、光景として視ることはできるが……味覚はわからぬのじゃ」

「……それで都合が良かったから、僕の話に便乗したんですね」


 ユディトは嘆息する。

 レアもシエルも、主の能力の使い方をどう思っているのだろうか。そしてイヴリーンならば、凄まじく無駄な未来視の使い方だ、と情け容赦なく断じるに違いない。

 ただ結局は本人の特技の一つに過ぎないのだから、その使用について他人がどうこう言う資格などないのだろうが。


 そもそもエルファーランがお忍びと言う態で城下町にいるのは、ユディトがある目的の為に街を見たいと言ったことに起因する。

 城から出る許可をエルファーランに求めたところ、どういう訳かトントン拍子で話が進んで現在に至ってしまったのだ。


「も、勿論本題は別にあるぞっ!」

「と言うと?」

「む……そろそろじゃ」


 何となく白けたユディトの雰囲気に慌てたエルファーランは、道行く人々から隠れるように身を潜め、メインストリートに視線を動かす。

 示された先に目線を移したユディトは、街中の空気がガラリと変わったのを感じた。


「あれは?」


 メインストリートの中央を、鎧を着込んだ騎士の一団が威風堂々と行進していた。そしてその両脇にはいつしか人垣が形成され、往く者達に拍手や喝采、労いの言葉などを浴びせているではないか。


 街の人々からの歓迎を受けながらも、隊列を崩さずに迷いなく歩を進めていることから、厳しい規律が徹底して彼ら誰しもの心身に染み付いているのだろう。

 それらの行き先は無論、その先に君臨している万魔殿。

 つまり彼の騎士達は、何かしらの任務により王都を出立し、凱旋してきたのだということを物語っていた。


 そんな彼らの纏う凛然とした空気の中に、濃厚な血の匂いを察してユディトはエルファーランを仰ぐ。


「おぬし等が星燐石を採りに行った後に出立した騎士団の一個小隊じゃよ。……彼らの任務は王都周辺の哨戒。街道近辺に出没する星魔の討伐は勿論のこと、王都近傍に潜んで近隣の村落に被害をもたらす追放者ぺイシスの征伐じゃ」

「前にも話は聞きましたが、この大陸にはそんなにも賊徒がいるんですか?」

「……いなくなることはないじゃろうな。このアガルタが、セントヴァレス大陸の国家群にとって流刑地であり続ける限り」

「それはまた……」

「……向こうでは、魔界送りとか揶揄されているそうじゃ。まあアガルタには地上とは比較にならん程に凶暴な星魔があちこち生息しておるから、そう評したくなる気持ちはわからなくもない」

「星魔による自然淘汰を前提にしている、ということですか」

「そんなところじゃな。まあ星魔の件を抜きにしても、こちらからしてみれば秩序を乱すような物騒な輩を定期的に放り込まれるのじゃから、迷惑以外の何者でもない。連中には連中の都合があるのじゃろうが、それを斟酌して寝首を掻かれる訳にはいかぬのじゃよ」


 流石のユディトもこの場で、話し合いで解決しないんですか、などとお気楽なことを言うつもりはなかった。

 そもそもが部外者な上に、聞く限りでは仮に異胚種側が対話を重視して武装を解除したところで、襲ってくる側にそんなことは関係ない。むしろ略奪がしやすくなったと嬉々として攻めてくるだろう。


 平和とは、背景に歴然とした武力を飾り立てていなければ成り立たないのだ、と〈アンテ=クトゥン〉の誰かが言っていた。

 些か殺伐としていて夢がないが、その通りだとユディトも思っている。

 嘗て駆け抜けた戦場で、侵攻してきた〈キルリ=エレノア〉の人間達を皆殺しにして、ユディトは〈アンテ=クトゥン〉の平和を勝ち取ったのだから。


「ところで追放者達、というか異胚種ではない他種族の集落ってあるんですか?」

「あるにはあるぞ。祖先は嘗てこの地に流されてきた者達じゃが、親の業を子に継ぐとも限らんからな。こちらに帰順する者には相応の庇護を与え、生活を保障するようにしておるが……」

「が?」

「あまり多くはないのぅ。異胚種われらを認めない奴らは昔からおるし、そういう不届き者共が辺境の村落を襲っては略奪を繰り返しておるということじゃ」

「それで騎士団による定期的な討伐は必須なんですね」


 そういうことじゃ、とエルファーランは頷く。

 ユディトと言葉を交わしている間もその視線は騎士の一団に向けられていて、何かしらの得心がいったのか、エルファーランはふぅ、と嘆息した。


「……よし。一人も欠けておらぬな。全員が無事帰還してくれたか」

「え、全員の顔を覚えているんですか!?」

「何を当たり前のことを……妾の命で戦地に送ったのじゃ。兵の姿を目に焼き付け、覚えておくのは君主として当然の務めではないか」

「……いやいや。そう簡単に言えるものではないでしょう」


 この国の軍隊がどれだけの規模であるのかユディトには知りようもない。しかしそれが只ならぬことであることは理解できる。


「正直に言うとな、皆無事に戻ってくるのは判っておったのじゃ」

「……未来視があるなら、そうですよねえ」

「戻ってくると判ってはいても、いざこうして肉眼で確認せぬと安心できなくてな」

「優しいんですねえ」


 真正面から純粋な感嘆を零されれば、流石のエルファーランも面映ゆくなる。

 指先で鼻の頭を搔きながら、しかし、と続けた。


「母上からも言われていたからのぅ。『ヒュベリオンの冥眼』が齎す未来のヴィジョンを、過度に信じてはいけない、とな」

「『ヒュベリオンの冥眼』?」


 オウム返したユディトの声に、慌ててエルファーランは自分の口を手で覆う。

 その名は秘事だったのか、言葉を詰まらせて硬直してしまったあたり、疑いようがない。


 数瞬沈黙の中で見つめ合っていた二人だったが、やがて観念した様にエルファーランが溜息を吐いた。


「……妾の眼のことじゃよ」

「それって、一族のみに継承される遺伝的な特質みたいなものですか?」

「イデン? それは何を指し示す言葉じゃ?」

「あー……血脈によって受け継がれるものなのかなあ、と」

「む……その取り繕い方は何だか馬鹿にされた感じがする」

「してませんしてません」


 ジト目で睨んでくるエルファーランに、狼狽したユディトは大きく頭を振った。











「さて、そろそろ次に行こうではないか」


 それからしばらく談笑し、穏やかな時間に身を委ねていたのだが、いつまでもそうしている訳にもいかず、自ずとエルファーランは席を立つ。……卓に並べられていた幾つもの皿を見事に全て空にして。


「え? もう用事は済んだんじゃ? 戻らないんですか?」

「たわけ。まだお主の用事が終わっておらんではないか。せっかくじゃし街を案内してやるぞ」

「別に直々にしてもらわなくても大丈夫ですよ? 場所は聞いていますし、メリィさんが案内してくれるそうです」

「……失礼な奴じゃな。この妾が良いと言っておるのじゃぞ」


 せっかくの厚意を自覚なく無碍にしようとするユディトに、エルファーランは眉を顰める。

 ギロリと睨みを利かせたエルファーランであったが、残念ながら迫力は皆無だ。原因は全て彼女の装いにある。


「……いえ、そんな変装した姿で凄まれましても」

「ふふん。どうじゃ、見事に街娘に扮しておるじゃろう」


 今のエルファーランの服装は、いつもの威厳ある漆黒のマントや白絹の豪奢なドレスではなく、年齢相応の可愛らしいもので、街行く人々を見れば確かに似たような恰好をした少女らの姿が見て取れた。顔だけは隠さなければならないからか、つばの広い帽子を深々と被り、その様は深窓の令嬢と言った装いだ。

 もっとも市井のそれらに比べると、飾りのリボンの量が過剰な気もするが、メリィによればそれはエルファーランの外出着を選んだシエルの趣味らしい。


 最初に着替えたエルファーランの姿を見たユディトが、随分と少女趣味だなあ、と口にしかけた時、シエルからとてつもない量の殺気が発せられて、慌てて口を閉ざしたのは記憶に新しい。

 いずれにせよ、認識阻害の魔印術も施しているらしく、普通ではまず気付かれないとのことだったが。


 数名の親衛隊達に続いて店を出たエルファーランは、ユディトの目的を果たすべく、その方角へと街路を澱みなく歩み始めた。

 一応護衛してやれ、とイヴリーンに言われていたのでユディトもそれに倣って離れないように追い、少しの時間差でカリオン達が続いている。


「そもそも、良くシエルさんが街に出るのを許しましたね」

「ここしばらく急場続きじゃったから、息抜きに行ってみてはと勧めてくれたのじゃ」

「護衛に付かないなんて意外でしたね。あの人なら、真っ先にくっ付いて来ると思いましたが」

「あー、あやつには“影の路”があるからその辺の抜かりはないぞ。王都内であれば一瞬で現れるじゃろうし、現に妾の影の中に感覚を同期させておる」

「……護衛兼監視に抜かりはないんですね」


 足元の影を見下ろして、ユディトは戦慄する。

 つまりここで迂闊な事を言ってエルファーランの機嫌を損ねれば、すぐさま矛先はこちらに向いてくるということだ。それも比喩ではなく、いつぞやの回廊の時のように物理的に影の棘を放ってくるだろう。


 恐れ戦いて若干歩調が乱れてしまったが、いくら何でも戦力過剰気味ではないかとユディトは思った。


 直接的な護衛の数が突出している訳でもなく、一個の集団にならないように意識的に分散させてはいるものの、いずれも向かう方向は同じで。且つ、全体を監視する為か周囲の建物の屋上には隠密部隊らしき者達の気配が護衛の数よりも多く、忙しなくあちこちを跳梁しているではないか。

 そして極めつけは、カリオンだ。

 装いは一般的な街人のそれだが、騎士としての在り方が心身の深くに刻み込まれている所為か、姿勢が良すぎて眼光が鋭い。明らかに一般人が放つような空気ではないのである。


 それらの要素からなんとなく不安になり、周囲の眼が気になってしまったユディトは恐る恐るエルファーランに問うた。


「ええと、本当にバレていないんですよね、エルファーランさま?」

「たっ、たわけ! 声が大きいぞ! 外で名を呼ぶでない。お忍びがバレるじゃろうが!」


 グイっ、とユディトに詰め寄り、帽子の下からエルファーランが小声で怒鳴った。勿論、ヒソヒソ話程度の声量なので、街の雑踏に吞み込まれて拾われることはなかったが。


「うーん。じゃあなんてお呼びすれば良いんですか? シエルさん達みたくお嬢様?」

「ふむ……そうじゃな。妾のことはリアラと呼ぶがよい」

「……リアラ?」


 その響きに、ユディトは表情を消す。


「うむ! 妾の本名はリアラ=アニマムンディ=エルファーランなのじゃ。ほ、本来であれば近しい者にしか名を呼ばせる気はないのじゃが、事態が事態じゃし特別に――」

「え―っと……そう呼ばなきゃ駄目ですか?」


 エルファーランなりに勇気と羞恥を織り交ぜての決意だったが、至極冷め切った声韻で真っ向から拒否の意を受けて、一瞬何と言われたのか理解できなかった。


「は? ど、どういう意味じゃ!?」

「いえ、個人的な感傷に過ぎないんですが……呼びたくないんですよね。エルファーランさまのお顔でその名前って、正直勘弁して欲しいんですよ」

「し、失礼な奴じゃな! 貴様、妾を愚弄しておるのか!」


 特別に許そうという気持ちの中でそう拒絶されたものだから、エルファーランとしても面白くない。

 しかし常に柔和な雰囲気を保持している筈のユディトが、今は一切の感情を面に載せてはいなかった。


「してませんって。ただ、許容できないってだけで」

「ふ、ふざけるでないぞ!」

「そ、そんなに怒らないでくださいよリファラお嬢様!!」


 剣呑な表情で詰め寄ってきたエルファーランに一歩退いたユディトは、声を発してそのまま停止する。

 言葉にして気付いたのか、表情を引き攣らせ、ダラダラと汗を流していることから、その反応は無意識で自分でも予期しなかったのだろう。


 そしてエルファーランはエルファーランで、何事かと目を瞬かせていた。


「……リファラ?」

「あー、その。条件反射みたいなものなので、今のは忘れてください」


 バツが悪そうに頬を掻いていたユディトは、追及の紅蓮の眼差しから逃れるように、だがその反応を待つつもりもなく、足早に一人前へと進んでいった。

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天逍のイルヴァーティ 宮野光宏 @linth_muse

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