第33話 祭りの後で(1)
黄昏色に染まった大空を、鈍色の雲が往く。
その流れがあまりにも早いのは、雲を梳いている風が相応に強く激しいからか。或いは、天涯の彼方より出ずる恐ろしい何かから逃れようとしているからなのか。
そこにどんな因果関係があるのか定かではないが、夜を間近に控えた空の不安定な色彩というものは、得てして心に不安を誘う。
(昼の空の色はあんなにも違うのに、夕暮れ時とか夜って、この世界でも同じなんだよなあ)
太陽が天頂を越え下降に転じてからの変遷が、この異空ではユディトの体感で驚くほど早い。ぼんやりと空の移り変わりを眺めていると、まるで映像を早回しで見ているような錯覚に囚われてしまいそうになる。
解析したイヴリーンによると、この〈レヴァ=クレスタ〉という世界は〈アンテ=クトゥン〉と同じ惑星型の世界構造であるものの、大気組成は当然として自転の速度や公転周期が故郷と大きく異なっているとのことだ。
が、それ自体は決して珍しいことではない。
嘗て『
無数に存在する世界の複雑怪奇な理の往々を、片方側の情理で語ったところで齟齬が出るのは必然である。よって、目の当たりにする違和感と柔軟に付き合う最大の秘訣は、あるがままに受け入れること。それこそが異世界渡航における根源的な心構えだ。
故にユディトが今感じている黄昏色の空への違和感など、既に自身の中で消化されているもので、つまりは単なる感傷に過ぎない。
自転速度は一日の長さやその世界の広さ、大きさに直結し、この世界にとっての太陽というべき恒星を周回する期間は、その恒星系の規模に左右され、〈レヴァ=クレスタ〉の根源的な環境値を支配している。
〈アンテ=クトゥン〉と非常に似通った性質は、この世界に一刻も早く馴染もうとしているユディトには大きな僥倖だ。
しかし同時に懸念もある。
この〈レヴァ=クレスタ〉における天体運行の基本的理解が、天動説準拠なのか地動説なのか定かではなく、もしかしたらユディト達には思いもよらない、全く別の思想によって支配されている可能性もある、ということだ。
よっと迂闊なことを口にすれば、そこから予想だにしない面倒事がやってくる恐れもあり、極力黙することこそが、ユディト自身にとって最も利をもたらす行為なのである……ユディトの普段の言動から、その自制が為されているかを判別すると、結論は火を見るよりも明らかではあったが。
(本当に、遠いところに来たんだなあ)
しみじみそう思う。
未知という耀きは、往々にして興奮や畏怖を同時にもたらすものだが、ここ数日で身を以て体験しているユディトは、心の奥底から湧き出してくる憧憬の感情を拒むことなどできなかった。
湖畔の草むらに横たわり、暮れ往く空を見上げるユディトであったが、不意にその面に影が掛かり、同時に胸元に重さというか息苦しさが生じる。
しかしてユディトは慌てたりしない。
それはユディトにとっては慣れ親しんだ、むしろ安心できる類のものだったからだ。
「おいユディト、起きているよな?」
「流石に僕も、この状況で居眠りはできないよ」
「どの口が言うんだ、どの口が……最近のお前は元来の図太さに加えて小賢しさも増してきている。アシュロン達をも誤魔化しかねない境地に至ったとなると、それは脅威だ」
「……そんなしょうもないことで警戒されても疲れるんだけど」
「そう思うなら普段から自重を心掛けろ。お前は目を離すとすぐに……って、冷たいな!」
ユディトの文句を軽やかに聞き流していたイヴリーンは、ふと着地したユディトの胸元が濡れていることに気付き、慌てて羽ばたいてその場を離れた。
改めて空中から観察すると、ユディトの全身はずぶ濡れで周囲の草むらにも被害が及んでいるのがよくわかる。
集中豪雨のない現状下では、考え付く原因はただ一つだ。
「言っておくけど、僕の所為じゃないからね」
「わかっている。まだ乾いていないのか?」
「うーん……まだ、というか、まったく乾かないんだよね」
イヴリーンの問い掛けに、ユディトはどこか諦念を滲ませた溜息で答えていた。
そもそもユディトが全身ずぶ濡れなのは、結論を言えば着衣のまま湖水に浸ったからだが、その原因は耀ける竜像を切り裂いた時まで遡る。
『滅刃』の一形態、特殊機能満載の
そもそも『滅刃』の形態変換に全神経を集中させていたこともあって、緊張から解放された意識はその場から動くことを良しとせず、ユディトは茫洋と立ち尽くしたままだったのである。
その後程なく、ゴーレムの機能停止を認識した金色の結界が役割を終えて唐突に消え去ったのだが、当然足場も消失してしまった訳で。
摂理に倣い、ユディトは真下の湖に落下してしまった。
幸いなことに、腰程度の水位だったので直ぐに立ち上がることはできたのだが動揺は拭えず、鼻や口から入った湖水に噎せながら何度も咳込む。
そんな涙目になっているユディトに追い打ちを掛けるよう、斬圧によって舞い上がっていた無数の水晶の礫が降ってきたのだった。
一つ一つが子供の拳大の立方体である星燐石。それらは、ユディトが事前に王都で実際に使用している実物を見ていたからこそ、律儀にその規格に合わせて均一に切り揃えたものだったが、今回はそのその気遣いが裏目に出た。
高硬度の鉱物の、鋭利な角が容赦なく肌に突き刺さってくる。いかに平時より堅牢な防御結界を纏っていようとも、心身が弛緩状態にあるユディトにとっては些か心もとなく、石礫が間断なく降り頻っているのであれば事態は深刻だ。
星燐石の一つ一つがいくら軽量だとしても、巨大な竜像を構築するに至った膨大な体積が変わるわけではなく……しばらくの間、流星雨は止むことはなかった。
混乱の極致にあったユディトは振り払うことも逃げることもできないまま、重力に引かれて殺到する石塊の驟雨に呆気なく押し潰され、湖水の底に埋もれてしまったのである。
驚天動地としか言えないゴーレムの猛攻の尽くを無効化し、有無を言わせぬ圧倒的な力で切り伏せた様と、実にアッサリと湖の藻屑と消えた滑稽な光景を目の当たりにしたカリオン達は、その落差の激しさに半ば呆然とする外なかった。
やがて我を取り戻して慌ててユディトを掘り起こそうとするも、何分星燐石の量が量だ。積み上がった水晶塊は、優々と湖の表面から飛び出てはちょっとした小山を形成している。
ただでさえ確保できる量が少なく稀少極まりない”聖”の星燐石。それも存在自体が奇跡と謳われる「
しかしその宝石が持つ性質は余人を寄せ付けぬことに特化していて、気安く触れられるものでもなかった。よって予め用意していた採集用の防護服を着込んでの救出作業が始まったのだが、泰然と聳える小山を前にして、救出作業が早々に発掘作業と転化したのは言うまでもない。
儀式に参加しなかった者達全員が協力したものの、ユディトが掘り起こされたのは、それからだいたい一時間くらい経ってからだった。
常識で考えればアレだけの質量に押し潰されれば圧死、あるいは一時間も水中に埋められれば溺死は免れないだろうが、そこは異世界人という特異な事情の名の下に、種々多々の常識群を笑いながら蹴り飛ばして憚らない埒外のユディトである。
おおよその予想を超え、掘り起こされるまでしっかり鼾をかいて眠りこけていたのだった。
そんな体たらくもあって心配していた誰しもの顔から表情が消え、逆にせっかくの星燐石に悪影響を与えられるのを由としなかったのか、ほぼ全員で湖より引き摺り出された挙句、無情にも湖畔に打ち捨てられ現在に至る。
一連の流れを空から全て見ていたイヴリーンは、寧ろ周りの者たちに同情してかユディトを庇うような真似は一切することはなかった。
「一向に乾く気配なし、か。アシュロンのヤツは、何と言っているんだ?」
「ん、このことについては何も。いつも通り、イヴに迷惑をかけるなって」
「……ヤツらしいと言えばそうだが」
「まあアシュロンにとっては、万事イヴが最優先だからね。その点は僕も同じだから気持ちはわかるけど」
臆面もなく頷く姿とは裏腹に、その表情に若干辟易しているような影が映るのは、頭の中に直接届く諫言の尽くが、ユディトの胸に深々と突き刺さっているからか。
『
直接的な原因は『
「でも、なんだろ。怒っているからとか、そんな理由じゃない気がするけど」
「それはまあ、アイツはそんな幼稚なことはしないだろうからな。となるとお前が濡れ鼠なままなのには他に理由がある、と?」
「そうだねえ……この感覚は、寧ろ」
言いながら自身の言葉に眉を顰めたユディトの顔に疑問が浮揚する。
ずぶ濡れの衣服はずっしりと重く、涼風に梳かされると冷たさが際立って体温を奪い、確実に体力を削らんとしているのが良くわかる。
しかも世界と理が違う以上、”水”という物質の組成や性質が違っているのが当然で、ユディトにとって有害な物質である可能性さえあった。
しかして、『鏡衣』が主に害のあるものをそのまま放置する筈はない。
その前提を鑑みると、濡れていることこそに意味があり今のユディトに必要である、と神器が判断しているのではないか。
より意識を内側に向けていくと、少しずつ見えてくる。
「この湖の水、微生物を含めた有機体は……存在していない。純水、とでも言えばいいのかな?」
「分子構造そのものが違うから、そう表現するのは微妙だが、そう翻訳されている以上は……ううむ」
「耀力……いや、星灼の伝導率が著しく悪い感じが……ああ、そうか。絶縁体なんだ」
自身の耀力の流れを深く観察すると、ようやく鏡衣の狙いに思い至る。
ユディトの呟きを聞いていたイヴリーンもまた、具体的な名称が挙げられたことですぐに覚ったようで、成程と頷いていた。
「この湖水は言わば星燐石の保存液、ということか。改めて思えば、この儀式場の機構と儀式のプロセスを鑑みれば当然の帰結か」
結界の上に現出したゴーレムを破砕し、純度の高い星燐石を生成させ、間もなく結界を消すことで下に満ちる保存液の中に浸す。それが最も星燐石の質を劣化させない為の手段で、無駄のないプロセスだと言えた。
「星降ろしの儀、か。なかなか上手い命名じゃないか」
「利に適っているということだね」
「その絶縁性のお陰で、お前が一時間も眠りこけていても影響が軽微だったのか」
ユディトのような星灼よりも高い次元の耀力の塊が傍にあって、得られた聖星燐石に影響はほとんどなかった。それは湖水が耀力を完全に遮蔽できないまでも、可能な限り阻んでいたのだろう……勿論、『鏡衣』や『
「というか、あの水を結晶化させたら無色星燐石になるんじゃないのかい?」
直に触れていたからこその確信か、ユディトはポンと手を打つ。
先日、星燐石の性質をアメリアに教えてもらった時。他属性間の遮断が可能なのは無色星燐石を置いて他にない、と聞いていた。
ならばこの湖水の性質は、そういうことなのだ。
「……迂闊なことを口にするんじゃない」
「え」
「仮にそうだとしても、結晶化する術がないからこの地では顧みられていないんだろう。もしもそんな中に、これまでの常識を覆す事例を作ってみろ。どうなると思う?」
「……あー、この儀式が破綻するねえ」
「いや、それどころかこの世界が終わる」
「そこまで飛躍する!?」
今までは湖水の性質に気付いていたとしても、どうすることもできなかったので手付かずだったが、一度それが可能だとすれば、極めて貴重な無色星燐石を得ることに往々の意識が殺到するだろう。
しかしそれは同時に『星降ろしの儀』の終焉を意味し、定期的かつ定量的な各色星燐石が確保できなくなることを意味していた。
星燐石から発生するエネルギーを基にした『
この〈レヴァ=クレスタ〉に降り立って数日のイヴリーンですら、簡単に
無論、アガルタの異胚種達はそんなに浅はかではないだろうが、それでも可能性として零と言い切れるものではない以上、最悪は常に目前にチラついているということだ。
ある意味決定的に救いのない終末の宣告を何気なく呟いたユディトは、新たに何かに気付いて再び声を発する。
「あ」
「……今度は何だ?」
殊更深刻そうに顔色を悪くするユディトを見て、イヴリーンは若干警戒を声色に載せるも――。
「……あの水、結構飲み込んじゃったけど、お腹壊さないかなあ?」
「……そんな可愛らしい反動で済むなら、素直に壊しておくんだな」
――青い顔をして腹部を抑えるユディトの姿を見て、イヴリーンは脱力のあまり溜息を零していた。
※
その夜。慌ただしくも全ての星燐石の回収を終えた面々は、テオドアの庵に戻り晩餐に肖っていた。
予定外の問題はあったものの、遠く離れた王都より遠路遥々やって来た者達を労う趣旨で開かれる宴席は、色とりどりの酒や食欲をそそる盛大な料理の数々が振舞われ、既に慣例化した行事ともいえる。
……その真の目的が、娘の婿候補探しであることを知るのはテオドア当人と、その妻のエカテリーナだけだ。もっともエカテリーナは娘の自由意思に任せているので、もっぱらの役割としては暴走した夫を力で制裁することにあったのだが。
この酒宴は参加する者達往々の立場を一時的に棚上げした、いわゆる無礼講という体裁で行われた。主催者が責務関連以外では意外なことに大雑把なテオドアであるが故か、あまりにも羽目を外さない限り咎められることはない。
しかしそれでもその極僅かな法を犯した者は、この場において最強と名高いエカテリーナによって強制的に退場させられることになる。
ちなみにエカテリーナがテオドアよりも強者として認識されているのは、異胚種の中では既に周知のことだ。その認識はこれまでに数多く行われた歴史の重みによって裏打ちされたものだが、詳細は主に星降ろしの儀という荒事に感化され、種族的特性のまま血が騒いだテオドアが誰彼構わず決闘を申し込み、家財道具が破壊される前にエカテリーナによって捻じ伏せられる、というものであったが。
いずれにせよ、そうなればそれは同時に宴席の幕引きの合図でもある。
今回行われた星降ろしの儀が異例中の異例で、尋常ならざる緊張感を強いられ続けたが為か、意識の切り替えに大きく齟齬が生じてしまい、酒杯を片手に方々に声を掛けて廻っているテオドアも未だ威厳を保ったままだ。
本来であればそれこそが望まれ相応しいと思える姿であるのだが、たおやかな微笑みを湛えながらその後方に控え付き添う妻の監視に慄いているようにも見えてしまうのは、普段が普段故だろう。
「カリオン殿。楽しんでいるか?」
「は! テオドア閣下、楽しませていただいております」
気さくに問うテオドアの様子は
湖畔で儀式を統御していた時とは異なる雰囲気を醸しながら、気さくな口調でテオドアに問われたカリオンであったが、相手は他国の一介の騎士に過ぎない身にとって遥かな目上の存在に外ならない。
よって武装は解除しているものの、勢いよく椅子から立ち上がり仰々しく敬礼する以外に選択肢はなかった。無礼講だと当人が宣言しているものの、悲しいかな身に沁みついた職業騎士としての習慣から脱するには至らなかったのである。
そんなカリオンを好意的に眺めながらも、だがその生真面目すぎる在り様にテオドアは小さく嘆息した。
「……貴公は本当に堅物だな。ラリューゼの奴はこんな時、一番バカ騒ぎして飲んで食って歌って踊っておったぞ」
「は……は!? あ、あの陛下がですか!?」
何気ないその一言にカリオンは目を瞬かせる。
そして数瞬の後、激しく動揺した。
カリオンの中では絵に描いたような厳格さを地で往くのが師匠の姿であった為に、語られたその姿との乖離に想像力が付いていけなかったのだ。
「どうやら王位を継いで少しは落ち着いたようだな。あやつ、酒宴では必ず給仕の女を口説いておったぞ。なあリーナよ」
「そうねえ。あいつは昔から傾奇者で変わり者でお調子者だったから、口説きはしても相手にされないことが殆どだったわねえ」
まかり間違っても一国の王をあいつと粗雑に呼ぶ元ヴァリガン帝国第八皇女エカテリーナは、嘗てラリューゼと同じ冒険者パーティに所属していたことがある。
その冒険者パーティというのも、それぞれの路での到達者という規格外の人材が揃った集団で、特に二人のリーダー格の内、片や『
元々それぞれが少人数で活動していた別々のパーティだったのだが、互いに本来の身分を隠してお忍びで各地の星魔退治に精を出しているという、趣味と実益を兼ね備え過ぎた事情で意気投合し、統合されたという逸話を残している。
一挙一動が伝説になるような物騒極まりない徒党を指揮していた者同士なので、当然遠慮などあってないようなものだ。
辛口に尊敬する王を扱き下ろすエカテリーナと言えば、二十歳を超える娘を持つ母親とは想起し辛い若々しい容貌で、娘と並べばまるで姉妹のようでさえある。
その落差にカリオンは眩暈がしそうになった。
「……に、俄かには信じられません」
「貴公の立場ならばそうかもしれぬな。今度会ったら聞いてみるが良いさ」
「いえ、畏れ多くて私にはとても……」
「ふ、それもそうか。本題に入るが、今回の
「ええ。それがこの遠征隊参加の最低条件ですので、皆例外なく体得しております」
「皆が皆、か。いずれも我が娘と変わらぬ歳だろうに……揃いも揃って優秀だな」
「勿体ないお言葉です」
聖装具戦闘術の最終奥義である、『天恵』。
聖装具に秘められた真の力を解放した状態で、それを成せる者は例外なく讃えられる存在である。
現在、地上の人間種国家にある聖装具の総数は七七あり、持ち主も同数揃っているのだが、『天恵』発動までに至っている者は半数に届くか程度だ。
カリオンをはじめ、アメリア、レオーネ、そしてケヴィン全員が可能な現状は、『天恵』可能な者の一割がこの魔王領アガルタに存在しているということになる。そしてそれを必須の前提条件として選抜されることは、つまりそれだけアガルタで執り行われる『天色託宣』が重要視されているということの証左だった。
惜しみないテオドアの賞賛にカリオンは恭しく首を垂れる。
「どうだ? この後一戦交えて見ぬか? 光浄剣の『天恵』はラリューゼ以来だ。我も久々に全力を出せそうだからな」
「いえ、それは流石に……私程度では閣下のお相手などとても」
「謙遜は美徳であるが、過ぎるとそれは礼を失するものぞ」
「カリオン殿が困っているでしょう。あなた、明日には王都へ帰還しなければならないのですから自重してくださいな」
「む……」
やんわりと夫の手を阻みながら告げるエカテリーナに、一瞬テオドアは全身を震わせる。
嘗て一度だけ、ラリューゼの『天恵』とテオドアの『
「リーナがそう言うなら仕方がないか。しかし、だ。いかんせん、こういう僻地に籠っていると身体が鈍ってしかたがないのだ」
「まあ全力で身体を動かすにしても、この辺は星魔もいませんからねえ。精々聖星燐石を狙った野盗の類が出る程度でしょうか。今回はいなかったでしたが」
この地は産出される星燐石が”聖”である為か、星魔の出現率は極めて悪い。そしてそれに反比例してか、天敵の少ない環境下では動植物の発育が良いのである。現在宴席に並ぶ食材は、全てエカテリーナが周辺から調達したものだ。
また星降ろしの儀を執り行う時期は、野盗が出現しやすい。明らかにアガルタの行軍時期を狙って来ているのだが、それらを撃退する任も併せ持つエカテリーナへの信頼もあって、本国ではあまり憂慮されるような事態でもなかったのである。
その辺りの話を聞かされて反応に窮しているカリオン達を余所に、テオドアはふと思い出したかのように呟いていた。
「そう言えば、エルファーラン殿からシャンバラへの退避命令が出ていたな。どういう理由かは、レアもあまり伝え聞いていなかったようだが」
「…………」
外部組織による傍受を徹底的に警戒した秘匿通信であった為、シエルが事態の深刻さの詳細を述べられなかったこともあるが、伝令を受けたレアが軍属ではないテオドア達に敢えて告げなかった事情もある。
「そうみたいですねえ。こちらの気楽な隠遁生活は気に入っていたのですが……」
「ならば聞かなかったことにするか? 管理者としての責務を全面に出せば、通らぬ我でもあるまい」
「あなた。子供のようなことを公然と言わないでくださいな。レアを困らせる訳にもいかないでしょう?」
「それもそうか」
夫婦のどこか安穏としたやり取りを聞きながらも、カリオンは口を挟むことができなかった。
そもそもアガルタの指揮系統内の話であるので、国賓とは言え余所者の自分達が割って入れるようなことではない。且つ件の問題は『凶獣』討伐という前代未聞の話であり、エルファーラン達が情報統制に四苦八苦していたのをその目で見たからでもある。
半ば当事者でもあるが故に、もどかしさを覚えたカリオンは酒宴の中に視線を投じた。
目下最大の目標であった聖星燐石の確保が達成できた為、速やかな王都シャンバラへの帰投が求められる状況下では、テオドアやエカテリーナの説得は急務。
それが可能である人物を求めたのであった。
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