第32話 星降ろしの儀(5)

 鞭のように凶悪な颶風を纏って迫る攻撃を紙一重で躱し、極めて前に突出する気勢で踏み出してレアは槍を繰り出した。

 朧な光すら灯した白き一閃は吸い込まれるように巨竜の足へと到達し、だが甲高い音と共に弾かれる。

 火花が飛び散り、槍そのものが撓んでしまったかのような衝撃を掌に受けたが、そのことでレアは退くことはしなかった。寧ろより一層の勢いをつけて煌めく水晶の躯体を穿ち続ける。


 一つ振るわれる度に激しさを増す連撃は、そもそもが弾かれる前提で行っているのか。

 大樹の如き脚部のただ一点を執拗に狙い続け、それら十六の閃光が瞬間的に迸ったかと思うと、途端にレアは軽やかに身体を翻し、遠心力を乗せた横薙ぎの一撃を叩き付けた。

 両手で柄を握りしめ、全身の筋肉を捻転させて生み出した反発力。総身を駆け巡る耀きの拍動。

 正真正銘全力の打撃に無防備に曝された巨体がたまらずその身をよろめかせると、逃がさんと言わんばかりにレアは地面を蹴って跳び上がり、竜の頭上を越えた空中で体勢を整えては『衝撃』を穂先より放ちゴーレムを呑み込む――。


 レアが放ついずれの攻撃も破砕には至らなかったが、儀式開始当初とは比較にならない強度を誇る竜の体表のあちこちに、小さいながらも無数の裂傷を負わせている。

 攻撃や回避の反応速度などを総合的に眺めても、今や流れは完全に彼女に傾いていて、暴虐の化身と評するしかなかった星燐晶竜を圧倒していた。


「レア殿の動きが……変わっ、た?」


 半ば一方的に攻撃を繰り出し続けているレアの姿を目の当たりにして、カリオンは呆然と呟く。


 魔王領アガルタに滞在してそれ程長い時を過ごしている訳ではないが、異なる文化との触れ合いの中で、様々な戦士達と手合わせする機会があった。


 魔王エルファーラン麾下六魔軍との接触は、双方の戦力情報の漏洩を防ぐ為に制限されていたものの、やはり異種族が自分達の生活圏内に存在しているのが気になってか、城内で人の往来が少ない広間で各々の武具を調整していたカリオン達を個人として訪ねる者達もいて、いずれも自分達と異なる種族の器を量らんと真正面からぶつかってきたのである。

 それらの交錯は互いを知る為のコミュニケーションの一環という意味合いが強く、手探りで関係構築を模索していたカリオン達にとっても渡りに船であった。


 そうして十数にも及ぶ模擬戦の果てに両者に生じたのは、勝てば嬉しく、負ければ悔しい、というごく当たり前の感情。

 それら何てことのない普遍的なものを共有できたことは、相互理解の第一歩としてまずまずの成果だと仲間内で話し合ったものだ。


 その仲間の一人、女戦士レオーネ=ウィリシンはカリオンと共にアストリア王国の騎士団に所属しているが、その気質や素行は生粋の戦士である。

 家柄で言えば所詮は地方貴族に過ぎないラグナーゼ家とは異なり、ウィリシン家は王国でも由緒正しい伯爵家であり、その次女であるレオーネも平時では立場や家のことを弁えていて問題はないのだが、一度スイッチが入ると戦いへの姿勢が酷く先鋭化してしまうきらいがあった。

 要するに、強者がいれば己の向上心の赴くままに挑まずにはいられないのだ。

 更に性質が悪いのは、その熱が加速して入れ込むにつれ時と場合を弁えなくなる傾向が強く、戦闘民族といっても差し支えのない異胚種が治めるこのアガルタにおいても、悪いクセが如何なく発揮されてしまったのである。

 

 国家の代表として招かれている身でありながら、それはあまりに礼儀を欠いたものだったが、意気揚々と挑むレオーネに快く応じてくれたのが、応接していた隊長のレアであった。

 結果についてはレオーネの完敗であったが、その際に見せたレアの動きは槍使いの手本そのものと言えるほど整然としたもので、徹底して無駄がない為に力強くしなやかな、ある種の演舞を見ているような気分になり、カリオンとしても非常に勉強させてもらったものだ。


 どこか優雅でさえあった印象が強く脳裏に焼き付いているが故に、カリオンは今のレアの直線的で烈々とした動きに違和感を覚えずにはいられない。

 こうして戦闘圏外から見ているからこそ、その感想は一入だった。


 傍を見れば、謎の復活を遂げた上役の凛とした姿に部下たるサーラやヒルデ、メリィは安堵を零している。

 だがそれは当然だ。

 自分達の敬愛する隊長の危機を救う為に、未だ信用しきていない異邦人に頭を下げまでしたのである。


(しかし、あれでは……)


 再び戦場に視線を戻し、カリオンは思考する。

 趨勢はレアに傾いているものの、それで勝機を手繰り寄せれるかと問われれば、答えは否だ。

 確かに多くの傷を負わせてはいるが、いずれも体表に浅く傷をつけた程度で、人で言えば皮膚をちょっと引っ搔いた程度でしかなく、如何せん決定打に欠けている。


 だがそれは自明の理であった。

 耀力を取り込むことによって全身を強化するということは、レアの攻撃全てが耀力の因子を孕んでいることと同義であり、ゴーレムを構成する星灼にとっては糧の範疇を脱しない。

 よってレアは部分的に、刹那の間『聖竜の鱗』を突破しているだけなのである。

 もっともゴーレムの復元速度は破壊規模に比例しているのか、レアの攻撃ではその回復力も微々たるもので、大局としては一進一退の、凪のような状況が生まれつつあった。

 

 レアもレアでそれを承知しているのか特に焦った様子もなく、寧ろその状況を望んでいるかのように攻防を繰り返している。

 

「あの力……レアのものではないな。何があったというのだ?」


 普段より彼女を知る者達ならば、優勢である現状を喜びつつも、先程までのレアの動きとはかけ離れた様相に一体何があったのかと疑問を抱くのも禁じ得ないだろう。

 特に父親であり、武術の師であるテオドアの困惑は深い。なまじ聖竜として星灼への親和性が高すぎるからこそ、娘に取り巻いている尋常ならざる力に瞠目せざるを得なかった。


「……あれはあの時と同じ、か?」


 言いながら、自分の言葉に確信めいたものを持つカリオン。

 形式こそ異なるが、先程のユディトとレアが手を合わせて耀きを移した様子は、先日万魔殿シャングリラの屋上で目の当たりにした光景そのものだ。

 その時の相手こそ魔王エルファーランであったが、後に彼女が為し遂げた正道ならざる『天色託宣ゾア・プロフェテス』は、かつてない精度を世界に見せつけ震撼させたのは記憶に新しい。


 ならば今、レアを動かしている力は異世界の力ということになる。


(レア殿の強化がユディトより譲られた耀力なるものに由来するのであれば、その負荷は想像を絶するものに違いない)


 レアが戦線復帰自体は光明で、儀式を完遂させるためを思えば朗報であるものの、だがカリオンは素直に喜ぶことはできない。


 異胚種最大の星灼許容量を誇るのが、言わずと知れた魔王だ。そのエルファーランでさえ、耀力を行使した結果として臥せることになってしまった。


 先日、その事実をシエルから聞かされたカリオンは、件の耀力を譲渡することは誰に対してもできるものなのか、とユディトに疑問を呈したところ、何の調整もせずに実行した場合、与えられた〈レヴァ=クレスタ〉の者は間違いなく死ぬが可能だ、とハッキリ断言されたのである。

 なんでも耀力と星灼ではそもそもエネルギーとしての格が根本から違うので、あるがままでは享受する側の〈レヴァ=クレスタ〉の生命体の器を簡単に喰い破ってしまうとのことだ。


 比較対象として魔王を挙げるのは不躾けだが、現実としてレアがそれを可能たらしめたのは、おそらくユディトが限りなく不活性化させている前提で、異胚種であることと、獣精種の王の一角たる竜帝の血を継いでいるからだと推察できる。


 それはこの状況では僥倖ではあるものの、しかし長時間あの状態を持続できるとも思えない。


 なぜなら耀力とはこの世界にとって絶死を与える不条理な存在、『凶獣』の力に他ならないのだ。

 それはつまり、世界を侵す猛毒。

 魔王すら呆気なく昏倒させた恐るべき副作用がどのタイミングで、どんな形で顕現するか想像できない以上、決して楽観はできなかった。


 自覚せぬまま握られたカリオンの拳に力が籠る。


「……意外と動揺を見せぬな。カリオン殿、貴公にはレアに纏わりついている忌々しき光が何か思い当たるか?」

「それは……」

「いや、それよりも前に……あの若造は何者なのだ?」

「ユディトですか?」


 結界の中で佇むユディトを睨み据えるテオドアの表情は真剣そのものだ。

 耀力の存在を知らないとは言え、レアに取り巻いている力の不吉さを感じられるあたり、テオドアの感知能力の高さが窺える。


「あの若造、一体、どのような術で結界内に侵入したのだ? 異物検知に掛からぬどころか、あの者が入った途端に結界の構成に揺らぎが生じ始めた。正直なところ、ゴーレムよりもそちらの方が深刻だ」


 聖の暴竜を抑え付けるために力を注ぎ、拮抗できているまでは良いのだが、実のところ中のユディトが竜に対して行動を起こす度に星灼とは似て非なる何かが迸り、竜とは比べものにならない勢いで結界の構成要素を脅かしていた。

 いや、得体の知れない何かが動擾する度に結界そのものどころか、この場の地下に敷設されている結界生成、星灼属性変換システムにまで深刻な負荷を与えてくるのだから、その補正制御を逐一強いられるテオドアとしては、頭痛の種以外の何者でもない。

 故に、星涙点の管理者としてこれ以上の看過はできず、だがその厄介な若者がゴーレムの暴虐より愛娘を護っていた事実もまた厳然としていて、父親として邪険にもできなかった。


「あいつは、その……何と言えばよいのか」


 二律背反の複雑な感情を載せたテオドアの視線の動きから、その心中の一端を察したカリオンは、問い掛けにどう応えれば良いのか眉を寄せていた。


 ユディトが何者なのか。それはカリオンも知りたいことである。

 当人は異世界からやってきたと言って憚らないが、実際に『凶獣アヴサーダス』というこの世界における終焉の不文律を打破して見せた現実を目の当たりにしている以上、既に疑いようがない。

 とは言え、それをそのままテオドアに伝えるのもどうかと迷ってしまう。


(異世界から現われた人間です、と馬鹿正直に告げたところで一笑に伏されるだけだろうか? ……いや、流石に突飛過ぎている。凶獣を撃破した場面を見ているならまだしも、そうでない以上、こちらの正気を疑われるのが明白だな)


 相手が目上の相手だけに不興を被る以外の未来はないだろう。

 上手く説明ができないもどかしさに、カリオンは内心冷や汗を流していた。


 カリオンは夢にも思わないだろうが、その懊悩は奇しくもユディトが〈レヴァ=クレスタ〉に降り立った際に頭を抱えたものと同じである。


「ふむ。対応としては現状取れる選択肢の中で唯一のものか……ユディトめ、早速面倒事を更にややこしい厄介事に昇華させたな」

「イヴリーン殿!」


 思い悩むカリオンへの助け船は、上方より降りてきた。

 フワリと石造りの祭壇に降り立って溜息を吐く、イヴリーンである。

 その相変わらず容赦のない辛辣さを織り交ぜた言の葉は、この場の微妙な空気のことをも含んでいるのだろうか。


 テオドアもテオドアで、眼前に唐突に現われた猛禽の姿に完全に呆気にとられているようだったが、それよりも彼女の妙に確信めいた口振りが気になり、カリオンは首を傾げた。


「イヴリーン殿。貴女はこの事態を予想していたのか?」

「儀式のプロセスを聞いた時に、ある程度の結末はな」

「そ、そうなのか」

「その一端をお前も見た筈だ。道中、ユディトが星魔サキュラとかいう化け物を討った際、大きな星燐石を手に入れていただろう?」

「ああ、規格から逸脱したあれか。確かにこれまで見たこともない見事な……! まさか、そういうことなのかっ!?」


 指摘されてそのことに気付いたのか、カリオンが愕然とした表情でイヴリーンを見上げる。

 彼女は躊躇いなく頷いた。


「純化先の属性の違いはあれど、この儀場は星魔の体内で行われている星燐石生成の機構と同じだと私は予想していた。ならば、そんな中にユディトのような耀力の塊を放り込んだ場合、周囲に深刻な影響を及ぼしてしまうのは必然だ」


 極力抑えるように努めてはいるものの、それでも有り余り、漏れ出してしまったユディトの僅かな耀力でも星灼とは比較にならない程のエネルギーを秘めている。

 その為、周囲に充満する星灼に干渉した結果。その次元を一つ上に押し上げて「星煌の落涙」に至らしめてしまったのだ。


「で、ではゴーレムが再生を繰り返して巨大化していたのも、あいつが原因と言うことか」

「……まず間違いなく、な」


 動揺から声を震わせるカリオンに、イヴリーンは同意する。


 結局のところユディトが結界内に飛び込んでしまった所為で、その耀力が半壊しかけていた水晶竜の構成要素を極限まで強化し、再生を跳び越えて進化を促してしまった。

 この地の者達からすれば、実に迷惑極まりない話である。


(あいつは純粋にあの女を助けようとしただけだから、救いがないな)


 常に貧乏くじを引き続ける運命なのかと、ユディトへの憐みにイヴリーンは内心で小さく溜息を零す。


 突然現れた尋常ならざる気風を発する猛禽とカリオンが普通に会話していることにも驚きだったが、その内容に関してテオドアすら耳を疑う事象が織り込まれていた為、話の輿を折らぬよう口を噤むことを選んでいた。


「耀力を抑えることに徹していた所為で『滅刃』の出力も制限され、決定的に力が足りていないんだ。中途半端な攻撃の全ては、竜を害するどころか無意味にパワーアップさせるだけ……現状はそんなところだな」

「なんてことだ。ならば今すぐ止めさせなければ!」

「そんなに慌てなくても大丈夫だ。既にユディトもそれを理解しているようだしな。今は儀式を完遂させる為の準備をしている、と言ったところか」

「……その一環でレア殿に力を分け与えたのか?」

「ああ。まず間違いなく時間稼ぎをさせるつもりだろう」


 焦りを滲ませたカリオンが問うも、イヴリーンがあまりにもアッサリ肯定したので、逆に狼狽する。

 先程からレアの見違えるような動きに目が行きがちだが、肝心のユディトはというと……レアの後方で手を合わせ、ただじっと立ち尽くしているだけだった。

 イヴリーンの力強い言葉とはあまりにも裏腹なので、不安を覚えてしまいそうになる。


「……あいつは、何をやっているんだ? いや、何もしていないのか?」

「確かにあの姿をみれば、まさか戦闘中に昼寝でもしているんじゃないかと危惧を覚えるのは仕方がないが」

「そこまでは言っていないが……いや、待て。そんな言葉が出るあたり……まさか、あるのか?」

「……この世界に来る前にちょっと、な」

「なん、だと」


 愕然とするカリオンの眼差しを見ていられなくて、イヴリーンは視線を逸らせる。

 イヴリーン的には何気ない一言だったのだが、周りにいる者達のユディトへの評価が著しく下がってしまった。

 知らぬは真剣に事に向かっている本人だけである。


「あいつは一体……何をするつもりなんだ?」

「端的に言えば、剣を使おうとしている」

「! あの、凶獣を屠った剣、か!?」

「そうだ。その為の耀力をあいつは今、練り上げている」


 そう。この世界においての最悪は『凶獣』という存在。

 そしてそんな絶対的な不条理さえ真正面から滅ぼした黒剣ならば、あの異形のゴーレムがどのような特性を持っていようが相手にはならないだろう。

 そう確信せずにはいられない、有無を言わせぬ説得力がその事実にはあった。


 カリオンの理解ではそこで結んでもよいのだが、イヴリーンの見立てでは、ただ良く切れる剣に換えたところで何も変わらず、寧ろ周囲に充満する星灼を引き裂くだけの望まない結果に落ち着くだけだ。


 大前提として周囲の星灼を脅かさず。ゴーレムに一切の復元力を発揮させず、且つ星燐石という性質を損なうことなく破壊し、それでいて儀式場の結界を活かす形で事態を収拾するには、黒剣の権能である特殊斬撃を用いる他ないのである。


 とはいえ言葉で言うほど実行は易くもなく、断滅範囲の条件設定など諸々を一撃の内に包括させるならば、それなりに耀力を対価として支払わなければならない。

 神器の奏者であるユディトは、その認識を違えていないからこそ、他の神器に送っている分の耀力さえをも『滅刃』に回そうとしているのだろう。


「しかしアレだな。白環は耀力の消費を最低限に抑えることに重点を置いたものだったんだが、それが見事に裏目に出てしまったな」

「……だが今回の旅路では最初から装着していただろう?」

「あれは先日の、凶獣とやらが出現した際の残滓を利用したからだな。この場でそれを実行するには……あいつ自身の内部の耀力だけで完結させるよう収斂するしかない。だが――」

「それには時間がかかる、か」

「ああ。繊細な制御が要求されるからな。大雑把にそれを行えば、せっかく充満している星灼そのものを枯渇させてしまいかねない。だからこそ苦慮しているんだろう。あいつ、加減が苦手だから」

「…………」


 イヴリーンの目から見ても、今のユディトとあのゴーレムの相性は悪かった。


 倒されることなどまず有り得ないと断言できるが、倒すことが難しい。全力で屠りに掛かれば、真っ先に儀式場が崩壊し、アガルタという浮遊大陸の運航そのものが危うくなるのである。

 それを防ぐ為には加減が必要だからこそ、中途半端さが不可欠。その微妙な匙加減が不得手なので、ユディトは明らかに自身の行動を制限せざるを得ないのだ。


 単純に星燐晶竜を破砕して星燐石を入手することを目的とした儀式の主旨を思えば、浅慮で安易な選択は無為な徒労どころか多大なる不利益をもたらすことになる。それはひいては、アガルタの至宝『天極粋星ステラデウス』の修復を条件に異胚種達とは敵対しない路を選んだことへの否定に繋がり、せっかく得たこの世界への橋頭保を失うことを意味していた。


 双方にとって最良の結果を手繰り寄せるには、打算を突き詰め、儀式を完遂させる以外になかったのである。


(ユディトにしては考えた方か? いや、何も考えずに突撃したからこそ、現状を招いた、ということも……可能性としてはあるな)


 イヴリーンの言い方があまりにも物々しかったのか、緊迫した面持ちでカリオンはゴクリと喉を鳴らす。


「その力を貯めるのは、時間がかかるのか?」

「……いいや、もうすぐ終わるようだぞ」


 失敗など疑いもしない、自信に満ちたイヴリーンの声がその場に朗々と響いた。











 自身の中の耀力を賦活させ、定められた順路で全身を巡回させる。

 光の粒子が加速するイメージを思い描くことで激しく擾乱し、だが整然とした一つの大きな流れを形成するもの。『耀流脈レイライン』と呼ばれるそれは、〈アンテ=クトゥン〉の万物が保有する器官だ。一般に物質体よりも生命体の方が保有量が多く、確固たる自我と精神活動を行う人間が最大とされていた。


 神経や血管同様に身体の隅々まで普く走るそれらの許容量を数値化し、その大小で『耀術士インヴォーカー』としての優劣が決められる。それが〈アンテ=クトゥン〉の普遍の常識だ。

 よって強固な耀流脈を持つ者がより強大な力を振るうことができるのは必然で、かく在りたいと願う者が数値の向上を目指して日夜研鑽に励むのも蓋然である。


 そんな〈アンテ=クトゥン〉全人類と比べても、ユディトは尋常ではなかった。

 測定不能という、まず計器の故障を疑うような計測結果を叩き出し、それ故に他とは冠絶した隔たりを誇りながらも、耀術士としてはこの上ない欠陥品。

 そんなアンバランス極まりない謎を解こうと、非人道的な手法を以て因果関係を調べようとした者達もいたのだが、『イルヴァーティの勇者』という潔癖かつ眩いばかりの光輝に中てられるあまり、ことごとくが有耶無耶のまま消え失せる結果に終わっていたのは、双方にとっても幸いなことだったのかもしれない。


 兎も角、保有する耀力が大き過ぎるが故に制御が難しいのは自明で、微細な加減はユディトにとって最も険しい作業の一つなのである。

 特に、活性化した星灼に満たされたこの場においてのそれは、嵐の中の船上で両手に水が満たされた桶を持ったまま、零さぬよう細い糸の上を歩き続けることに等しい。


 しかしここに至り、神器『滅刃』の形態変換は順当に終わると確信していた。

 それが自分史上類を見ない快挙だと自画自賛してしまう程だからこそか、ふと思う。


「……こうして誰かに前を任せて後ろで万全を期するって、なんだか新鮮だなあ」

『……何を呑気なことを言っている』

「ありゃ? イヴ! 念話が通じるようになったんだ」

『お前が耀力を貯めたお陰で経路パスが安定したんだろうな。それで結界の影響を受けなくなったんだが……ユディト。『滅刃』の準備はできたようだな?』

「あはは、僕の考えなんて流石にお見通しか」


 あっさりとユディトの考えを見抜いたイヴリーンは、その朗らかな声色の変化に気が付いた。


『なんだ? 楽しそうだな。何か良いことでもあったのか?』

「ん、そんなことはないよ。ただ、誰かに前を任せるのも悪くないかなあって」

『……そうか』


 嘗ての〈キルリ=エレノア〉との戦争の際。

 ユディトは確かに世界中より選抜された精鋭達とパーティという徒党を組んではいたが、どれだけ思い返しても最前線を単独でひた走っている記憶しか蘇ってこない。

 当時は一刻も早く戦争を終わらせたい、と自分がひたすら急いていた所為もあるが、単純に他者との戦闘能力の差が顕著すぎて周りが合わせられたなかった事実もある。

 だがいずれにせよ、結局は周りと同調する選択肢を排した自身の責任だ。


 だからこそ、協力して勝利を獲得した際に喜びを共有している仲間達の姿を羨みながらも、その環に加われないことを寂しく思う資格はないと自覚し、そんな胸中を吐露したことなどほとんどなかった。

 唯一の例外が、当時似たような境遇にあったリベカにニュアンスだけ伝えたくらいだろう。その後、無いものねだりは自分の心を圧迫して追い詰めるだけだから自重した方が良い、と寂寥感を載せた眼差しで窘められてしまったのは酷く印象的だ。


 ユディトの素直な心境を聞くと、当時の様子を直接見てきたイヴリーンは小さく嘆息するだけだった。

 しかし、やるべきことを前にしながら別のことに思いを馳せたユディトを諫める素振りがないのは、その想いを尊重しているからである。


『……鏡衣アシュロンをそこまで解いたのか』


 ユディトの姿を見れば、膝まであった瑠璃色のコートの丈が、今は腰までのジャケットと化している。

 他の神器に回していた耀力をもかき集めなければならない、ということの証明で、事の大きさを雄弁に物語っていた。


「無理を言っちゃってね。後で苦情を言われると思うよ。今も神璽アポロイアから注意を受けたし」

『それでもあいつら・・・・は、ユディトが失敗できない事実を汲んでくれたんだろう。……素直に聞き入れろよ』

「勿論だよ……さて、と。これ以上、レアさんを耀力に触れさせておく訳にもいかないから、一瞬で終わらせるね」

『わかった。頼むぞ』

「了解」


 口元を引き結んだユディトは双眸を伏せ、胸の前で合わせた両手に意識を再び集中させ、開眼する。


流転せし終末の態フィンブルヴィンテル


 パシンと小気味よい響きが発せられたかと思うと、両の手のガントレットに刻まれた紋様が赤から黄、白、青と変転していき、やがて黒い光を帯びる。


 表面的には指摘されなければ気付かぬだろう程度の変化であったが、場の雰囲気はがらりと一変したことで満ち足りていた星灼が恐れをなし、小さく息を潜めていく様子が手に取るように分かった。


『ユディト』


 力を集めるユディトの前に、足下まで伸びた艶やかな黒髪と、同じく黒衣のドレスを纏った漆黒の少女の姿がいつしか現われていた。

 この急場において、全くの第三者の突然の出現。しかも結界を統べるテオドアすら、この少女の存在には気付けていないだろう。


 否、それは当然のことだ。今の少女の姿を捉えることができるのは、神器を授受したユディトと、元始たるイヴリーンだけである。

 しかしてイヴリーンも、少女の顕現には小さく息を呑んでいた。

 神器を通してその気配を感じ取ったユディトは、彼女でも予想外だったのかと小さく笑う。


『……大丈夫?』


 消え入りそうな声色で、小さく首を傾げて黒衣の少女はユディトに問うてくる。

 無垢なる双眸と言葉には余計なものを一切載せないが故に、その問いかけで伝わってくるのは事の核心。


 本来、『皇権イルヴァーティ』は三位一体で力を十全に発揮するものだ。だがその一欠片でも独力で励起しようものなら、莫大な量の耀力を消費することになる。

 一般的な〈アンテ=クトゥン〉の耀術士では、百人が全生命を賭したところで励起にはまったく足りない。埒外のユディトでさえ何の代償もなくかき集められる量ではないのだ。


 そして、ただでさえ凶獣を滅ぼした剣として、既にこの〈レヴァ=クレスタ〉界で注視されている現状に拍車を掛け、更なる脅威認定されてしまいかねない危険性も孕んでいる。


 そう。この少女は、厄介事を抱えようとするユディトを心配していた。


『うん。僕は大丈夫だよ、カーネイジ・・・・・


 優しい眼差しで微笑むユディトに、カーネイジと呼ばれた黒衣の少女が無表情で頷き、その姿を消失させる。それはユディトが行った終末態変更要請の承認が得られたことの証だ。


 思えば三神器の核たる彼女ら・・・は、適合者であるユディトに過保護なきらいがあった。

 その理由は、イヴリーンを案じていることへの共感と、本来得るはずだった力の大半を使って彼女を現界させ続けている自分への恩義、だろう。


 ならばその想いを受ける身としては、いつ何時も応えられるよう強く、どんな不利な状況でも笑って跳ね除けられるくらい毅く在らねばならない。


 決意がユディトの耀力を内側で燦然と煌めかせる。


黒剣ディンスレイヴ!」


 虚空に翳した両腕に寄り添う白銀のガントレットから、おどろおどろしいまでの漆黒の光が発せられ、ユディトを包み込んでいく。


 その濃密で圧倒的な耀力の波動は、竜を牽制して距離を取っていたレアや、意志を得た星燐晶竜。いやそればかりか結界外にいる全ての者の視線を釘付けにした。


 呼吸どころか、瞬き一つ忘れてしまう程に意識を引き寄せて離さない拘束力。実体こそないものの、魂を揺さぶられる圧倒的な存在感。

 世界中の音が消え去り、時が停止してしまったのかと錯覚してしまう程の静寂。


 目の当たりにする者達にとって果てしなき永遠と思える間だったが、その実はほんの一呼吸程度だ。


 終端存在の放つ熾烈な気を、慣れ親しんだものとしているユディトは、自分の中の耀力を総動員して包み込み鞘を形成する。

 世界にただ曝しては、次から次へと周辺の環境値を破断し続け、せっかく高い励起状態で充満している星灼を駆逐してしまいかねない。

 それはここにいるすべての者の望みを断つことになり、これまでの往々の努力を無に帰すことになる。

 ユディトとしてもそれは本意ではないのだ。


 故に、解放は斬撃が接触する一瞬のみ。


 そんな決意の下にユディトは黒剣を携え、前に踏み出す。


 一歩。


 ただの一歩でレアの横を通り過ぎ、殺気を垂れ流しにして佇んでいるゴーレムの真下にユディトは移動していた。


 その光もかくやという動きに、未だ『滅刃』の呪縛に囚われた者達は誰一人として反応できない。


 光を反して美しくさえある星燐晶竜の偉容を今一度見上げたユディトは、一切の感慨を排した無の表情で、一つの言葉を発することなく逆袈裟に剣を振り抜いた。


 軌跡さえ空間に残すことのない、瞬閃。

 原子すら停止したかのような静寂の一瞬で、数千数万を超える斬撃の波濤に呑まれたゴーレムは、回避もできず断末魔を挙げることすら叶わずに、そのままキューブ状に細切れにされて、金色の宙に散華していた。

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