第31話 星降ろしの儀(4)
「うーん……これはもう確定、だよなあ?」
止むことなく激しさを増す、巨竜の攻撃。
その爪で、その牙で。角で、腕で、脚で、尾で。
星燐晶竜を形作る全ての要素が陽を透かして眩く煌いていて、繰り出される一撃一撃が、徒人を逃れられない死へと追いやる破滅の閃光だ。
しかし、光の濁流とも言える圧倒的で純然な暴力の群れを前にして、後背にレアを庇うように立ち構えたユディトは真正面から的確に迎撃していた。
拳を突き出し、腕を掲げ、脚を振り回し……自身を容易く覆い潰せる巨体を前にして、恐れるどころか顔色一つ変えないで淡々と捌く光景は傍から見れば異常極まりないものだったが、ユディトにしてみたらなんてことはない。
竜、という人ならざる異形が〈アンテ=クトゥン〉に存在しない事情から、その偉容に驚かされたのは事実だが、ここに至るまでに星魔というユディトの中の常識から外れた姿の化物達を散々屠ってきたのだから、内心に受けた衝撃など微々たるもの。
そして耀力が充実した
仮に巨竜の放つ攻撃が、位相の異なる次元を介した不可視攻撃や既存物理則を無理矢理捻じ曲げて放たれる概念操作の類であったならば、多少の警戒心を持ったのかもしれないが、こうして目の前にハッキリと存在し、馬鹿正直に原始的な力押しで攻めて来ているだけなのだから対応できるのは当然で、改めて気構える必要すらない。
それは油断でも慢心でもない。ただ純然たる事実。
たった一人で世界と対立し、その盤面を覆したという経験に裏打ちされた、何かが壊れてしまった者の揺ぎなき自信である。
だが――。
噛み砕かんと迫る牙の一撃を一歩退いては軽々と躱し、空を食んだその鼻頭を掌で力強く押し返すことで逆に巨体を後退させたユディトは、竜に触れた掌を見止めて眉を顰めた。
「僕の耀力が……吸収されている、か」
暴虐の化身へと姿を昇華させたゴーレムの攻撃が、受け止める度にその威力が増している。
その源が星灼であることに間違いはないが、レアとの戦闘に介入した当初、巨大で透明な体躯に潜在する光は淡く幽かな灯火に過ぎなかった。それが今や、天を灼かんと激しく燃え上がる鮮烈な焔の塊と化しているではないか。
凄絶な勢いで賦活している輝きは既に周囲に偏在するものよりも遙かに高いエネルギー状態に到達していて、その様は決して等価とは言えないもののより耀力に近い。
そして特に意識を引いたのは、その焔に付与されている
それは驚嘆すべきことである。
装着した三神器の出力を下げて効果を抑制しているとは言え、ユディトにとって悪しきものを遮蔽する聖域を微小ながら浸潤したのだから。
仰け反りながらも踏ん張っているゴーレムを追撃せんと前に踏み出したユディトは、息吹による迎撃を狙い開かれた顎を逆に殴りつけて頭部ごと粉砕する。
けたたましい破砕音が轟いたが、しかし瞬時に眩い光輝と共に再生し、大気を震わせるほどの咆哮を挙げて威嚇する始末だ。
これまでの攻防の中で拾った情報を脳裏で並べてユディトは確信する。
細かな原理は不明だが、単純な物理接触でこちらの総身に漲る耀力が巨竜を構成する星灼を励起し、その存在強度の階梯を一つ登らせてしまった、ということを。
そして、最早防御だろうが攻撃だろうが接触それ自体が敵にエサを与える行為であり、それを続けることは歓迎すべからざる事態を招くことを。
「これは……参ったなあ」
眉間に皺を寄せ、これまでにない真剣な表情を浮かべるユディトであったが、勿論その根幹にあるのは対処が難しくなることへの懸念……などではなく、単に面倒が増えることに億劫さを感じたからである。
「ぜ、全身元通りどころか一回り以上巨大化しているなんて……わ、私の苦労は」
そんな折、耳朶を叩いた言の葉は、ユディトの身体をギクリと硬直させるには十分な威力を秘めていた。
若干頬を引き攣らせてユディトが僅かに首を動かすと、レアの端正な面が疲弊に塗れている様子が飛び込んでくる。
顔どころか全身に強く浮き出ている落胆の色は、自分の努力が全く無意味にされたことへの亡羊とした内心を如実に物語っていて、特にその眼差しは虚ろだ。
確かにレアはユディトが割って入る瞬間まであの竜を全壊寸前まで追い詰めていたのだから、五体満足で復帰して十全以上の力を発揮する現実を目の当たりにすれば、溢れ出す徒労感に心身が打ち拉がれていてもなんら不思議ではない。
(……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんな――)
現状を招いたという確信に近い自覚が既に芽生えてしまっていた為、気の毒なくらい悄然と項垂れているレアの姿を見て、ユディトは押し寄せる罪悪感に呆気なく押し潰される。
全く想定外の動揺に、ユディトはただひたすら胸の内で土下座を繰り返し、声なき声で謝罪を連呼するしかなかった。
(た、斃すだけなら全く問題ないんだけど……)
とは言え、現状は振り返ることを許してはくれない。
正直なところ、眼前で暴威を振るうゴーレムを再生不可能なまでに破壊するだけなら即座にできるのだ。
敵がこちらの耀力を吸収して力に換えているのなら、その器に保てないだけの耀力を注ぎ込んで破裂させてやればいい。
よって最速で決着を付けるには、こちらの戦闘スタイルを攻撃一辺倒にして殴り続ければ良いのである。ただそれだけで相手は何もできず、内側で増大する耀力エネルギーに自身の構成素子が耐え切れず自壊する筈だ。
言葉とは裏腹に根気を要することではあるが、自身の耀力許容量と相手のそれを比較して、比べるに値しないとの結論が出ている以上、それは最早淡々とした作業でしかない。
しかし、今回の旅路の目的である聖星燐石の確保。サーラやヒルデから受けたレアの救出という依頼。
それらを完遂する為の条件を鑑みた時。取れない選択肢であることもユディトは自覚していた。
「となると、どう考えても
結局のところ辿り着く結論は一つしかない。
それを改めて思い、ユディトはチラリと目線を両腕に落とす。
艶やかなまでに磨き抜かれ、鏡さながらに世界を映し返す真銀の籠手。複雑に意味深長に刻まれた紋様は、変わらずに蒼い光を湛えて緩やかに明滅している。その酷薄な拍動たるや、今すぐ眼前の敵を破壊してやると息巻いているようだ。
あらゆる存在、概念、運命さえをも斬り滅ぼす刃の神器『
その一形態たる
勿論、破壊に特化した神器であるが故に、いかに無尽蔵に復元を繰り返すゴーレムであろうとも打倒することは容易い。
だがこのままのべつまくなしに力を発揮させるだけでは、聖星燐石の性質ごと斬り滅ぼしてしまい、ただ物質としての終焉を与えるだけになってしまう。
それはつまり、失敗。このままであれば、何十何百回繰り返したとしても、全て失敗に帰結する。
よって別の形態に替える必要があった。
「その為には……ありゃ?」
腹部に向かって放ったユディトの蹴撃を、大きく飛び退きながらも耐え抜いてみせた竜が、双頭をそれぞれ大きく反らせたかと思うと、次の瞬間。限界まで開いた顎の奥から、眩い閃光を同時に解き放った。
二条の閃光は即座に絡まり合って巨大な一つの光撃へと昇華する。その威力たるや、今回の戦闘においてゴーレムが繰り出していた中では最大。極限まで高められた聖の性質もあって、その威力は最強。
「あ、ああ……そんな。なんて」
まともに吞み込まれてしまったら、絶命が必至であると否が応でも理解させられる。
絶望を抱かずにはいられない光を前にして、結末を半ば強制的に想起させられたレアは呆然と、言葉にならない言葉を呟いていた。
が、それでも彼女の前に立つユディトは特に何も思わない。
既に何度も防いでいる攻性光の照射など、そのまま直撃を受けたとしても何の問題もないからだ。
とはいえ、背後にレアがいることを踏まえると、そのまま光の中を素通りする訳にもいかなかった。これまでの戦闘で消耗しきり、抵抗力すら落ち込んだ今の状態なら、甚大な被害を受けてしまうのが目に見えている。
依頼の達成如何を抜きにしても、それを看過するユディトではなかった。
「もうこの際、ある程度の強化には目を瞑るしかないか」
どうやっても防がざるを得ない状況にあって、ユディトは両手を前に突き出し、薄い紗幕を作るイメージで本当に僅かな量の耀力を収斂する。
諦念に染まった声韻が周囲に溶け消えるよりも早く、二人の前に円形で半透明の壁が出現していた。
それは耀術で発生させた対術対物理障壁ではなく、ユディト自身の中で練り上げた高密度の耀力を放出し、薄い板状に展開しただけである。
本来ならば自身だけを覆うように発生させるものだが、応用が利くため使い方は様々。求められるのは耀力そのもの直接操作する感覚であり、耀術の使えないユディトにとっては寧ろ得意分野だ。
純粋の耀力の塊であるが故に、術式によって無駄を削ぎ落し機能的に洗練されたものとは異なり、原始的で荒々しく、密度が圧倒的に高い。だからこそ万象を阻む盾となり得る。
顕現の刹那の後。あらゆる一切を滅却する白き光芒と、総ての根源要素であり最小単位たる耀きの瀑布とが正面からぶつかり合った。
※
「ええと、レアさん?」
「は、はい!?」
「単刀直入に聞きます。貴女だけでもこの結界から離脱はできますか?」
両手で光壁を支えながら、背後を振り返ったユディトはレアに問う。
その口調は穏やかで、急場に焦った様子など微塵も感じられない。
「……この結界は、内部に星灼を留めることを目的としていますので、制御者である父が解除しない限り不可能です。この場に満ちる異様な星灼が、外にどんな影響を及ぼすか計り知れない以上、監督者として解くことはしない筈です」
「自身の役回りを徹底している、という訳ですか」
内外の星灼の流れを遮断することに特化した結界。この世界において星灼は空気にも大地にも、そして生命体にも遍在している為、結果として万象を封じ込める作用になっていた。
一見すると娘がどうなろうと結界を解除しない父の冷徹さを示す状況ではあるが、より大局を見た場合、私情を押し殺してでも自身に課せられた任を全うせんとする悲壮ささえ感じられる。
己が余人に過ぎないことを自覚しているユディトは、そのことに口を挟む気はなかったが、事態は悪い方向へと傾いていることを認識せずにはいられない。
「そもそも貴方はどうやって入ってきたのですか?」
「いやまあその……説明すると長くなるから、ちょっとした小技を使って、ということで納得してください」
「は? こ、小技!?」
ユディト自身がこの堅牢極まりない結界をどうこうするのは簡単だ。それこそ滅刃によって破断するか、先刻入ってきた時のように鏡衣で結界が破綻しないよう中和して潜り抜ければいい。
だが前者を選べば即座に儀式は失敗に終わり、それどころか色々と取り返しのつかない事態を招くことになる。
よってレアを抱えて脱出を図る、という手段に考えが傾いたユディトであったが、そんな思考を読んでか神器の方から拒否が発せられてしまった為に、取れない選択肢だと諦めざるを得なかった。
つくづくイヴリーンと自分以外には優しくない神器達だと改めてユディトは理解し、深々と嘆息する。
そんな内心で項垂れるユディトの姿とは裏腹に、現実には泰然と立ち尽くし、巨竜の攻撃を難なく受け止めるその姿は雄々しく映るものだ。特にその背後に庇われている者であるならば尚更である。
まともに受ければ必滅であることが理解できるが故に、それを阻んでいる現実からの安堵が、意識を自分に向けるだけの余裕をレアに与えることになった。
「私は……足手纏いですね」
自嘲気味に口元を歪めて、レアは自らの片腕を抱きしめる。
不測の事態であったとはいえ勝機を見誤った挙句、今では庇われているだけの体たらく……星燐晶竜が更なる境地に立ってしまった真実は偏にユディトの責任なのだが、その事実など夢にも思わないレアにとっては自身への呵責が尽きない。
「まあ、今の姿を見ればそうでしょうねえ」
「…………」
「でも、気にしないで良いんじゃないですか? 貴女は貴女で任務を果たす為に全力で挑んだ上でのこんな状況でしょうし、敵の性質がアレですから仕方ないですよ。多分、この世界の人達じゃどうにもできないんじゃないですかねえ」
そんな消え入りそうな独白に対し、少しの間断なくユディトは頷いていた。
それは感情の機微への疎さからによるものだったが、困窮極まった状況において、まったく気にしていないような声色で返されたものだから、レアとしては面食らってしまう。
あまりにも正直で、あまりにもあっけらかんとした声韻には、こちらを非難するような色は微塵もなくて。そうではない、という言葉を期待した訳ではないのだが、無色透明な反応が逆にレアの心を大きく揺さぶった。
「し、仕方ないって……それで許される問題ではありません。この儀式にはアガルタの未来が掛かっているのですから」
「それなら、そういう大きな話を貴女一人に押し付けた方が問題です」
「押し付けられた訳ではありません! 私は、私自身の意志で命を賭する覚悟を持ってここに立っているんです!!」
素っ気なく連ねるユディトの言い様が、自身に託してくれたエルファーランの願いを咎めているように聞こえて黙ってはいられなかった。
思わず激高し、レアは憤然と立ち上がる。その鳶色の双眸には、全身を覆う消耗とは裏腹に力強い意志の光が根付いていて、自身の大切なものを侮辱されたことへの瞋恚がハッキリと載っていた。
これまでの様相から一転したレアの姿に、ユディトは己の失言を悟る。
「あー……失礼しました。貴女には貴女の立場があるんでしたね。別に貴女に命じたであろうエルファーランさまを非難している訳ではありません。この世界にはこの世界の情理がありますし、これは僕の言い方が悪かったですね。すいません」
「え、いえ……」
「でも命を賭する覚悟、ですか……そんな御大層なものを持つのは勝手ですけど、何も成果を残せずに果てるのであれば、それはただの無駄死にですよ」
「!」
「軍属の方々がよく似たような言葉を零すんですけど、そんな覚悟、いったい何になるんですか? 誇りをもって死を迎えたとしても、そんなものは自己満足以外の何者でもありません。周りがどれだけ綺麗に虚飾して潔いものに仕立て上げたとしても、結局その人は何もできず、後に続く人達に達成困難な負債ばかりを残している訳ですからね。命を賭けるなんて言葉を吐くなら、それに見合うだけの成果を残す気概も示してください。自分の眼で結末を見るつもりがないなら、そんな戯言、気軽に口にしないで欲しいです」
冷淡に饒舌に綴られる言葉は、柔和で優柔不断気味なユディトの気性にそぐわないものだ。
しかしそれは嘗てたった一人で最前線を駆け抜けたという経験より得た結論からか。或いは、救援が間に合わなかった戦場で、後始末を強要され続けたが故の悲哀なのか。
光と光がぶつかり合い、辺り一帯に激しい裂帛音と閃耀が迸っている状況の中で、その表情は窺えない。
だがユディトの発言だけを切り取るならば、それは武人の誇りを真っ向から否定しているようにも聞こえる。
ユディトがどんな経験を経て、どんな心情を抱いているかなど想像もつかないレアは、表面的な言葉に反発するしかなかった。
「あ、貴方は戦士を愚弄するのですか!?」
「愚弄というか、命を賭けることが失敗の免罪符にはならないことを言いたかったんですが……いえ、この状況で話す内容ではなかったですね。ごめんなさい」
想定以上にいきり立つレアの姿が忠義の騎士たるシエルと重なり、その内心を垣間見たユディトは困ったように頬を掻いた。
(そもそもこの状況って僕の注意力不足が原因だからなあ。あんまり責任感じられても気が引けるし……ああ、後で絶対イヴにどやされるよな)
実際のところ、両腕に圧し掛かる光の圧力よりも、ユディトの心胆を冷え切らせて止まなかったのは相棒からの容赦のない追求だ。
今となっては後の祭りでしかないが、表面的な脆さに目を奪われず冷静に対処すれば、破壊されるごとに竜像内部に蓄積される耀力値が増大していることに気が付いた筈である。
また、見落とした一因に、ここに至るまでに散々駆逐してきた星魔の手応えの無さもあった。獰猛な見掛けとは裏腹な脆弱さに拍子抜けした感覚がどこかに残っていたのかもしれない。……それでもきっちり漏れなく討伐し尽くしているあたり、油断とは別次元の意識の緩みだったが。
いずれにせよ、初見の敵の動作や性質をはじめとする情報収集を怠り、あらゆる可能性を無視して初手から屠りにいった軽率さの代償とも言えるだろう。
どこか憮然とした表情を浮かべるレアに、ユディトは苦笑を零した。
「少し建設的な話をしますと、正直、僕とあの竜の相性が最悪みたいで、殴っても復元しちゃうんですよね」
「……それのどこが建設的なんですか」
魔王親衛隊としての誇りを否定されたことが尾を引いているからか、幾許か冷静さを取り戻したレアの眼差しは冷たい。
ただそれでも、自虐の色に染まり弱々しかった光が失せたのは、ユディト的には好ましい傾向であった。
双頭竜からの息吹は未だ投射され続けているが、既にその限界値を見極めたユディトは身体ごと振り返り、レアと真正面に視線を合わせる。
「斃すだけなら今すぐ可能なんですが……その場合、星燐石は手に入りません」
「それは……貴方が行う何かが原因、ということですね?」
「はい。対処法についてですが、単純にあのゴーレムの硬度を上回る物理攻撃を加えれば破壊できると思います。ただ僕の保有している耀力……星灼みたいなものが大き過ぎて、接触の際に反応させてしまうみたいなんですよね」
「それで先程からの復元に繋がっている、ということですか……って、それではああなったのは貴方が原因ということですか!?」
「その通りです。ごめんなさい」
「……」
大きく目を見開いたレアに向けて、即座にユディトは頭を下げる。
「この場での最善は、レアさんが物理的にあの竜を破壊することだったんですが、既にアレの硬度はかなりのものになっていますから、現実的にはもう無理でしょう。貴女も消耗し過ぎて立っているのもやっとのようでしょうし」
「……そうですね。自身の詰めの甘さを悔やむばかりです」
深く息を吐いてレアは上目遣いにユディトを睨む。
誰の所為であそこまで強化されてしまったのか、と言いたくなる気持ちをレアは理性で圧し潰した。そもそもは自分が破壊しきれなかったのが原因で、一応助けられた形になっているのだから、ここで眼前の青年を責めるのは筋違いも甚だしいのだ。
「こんな現状を打破する策があるのですか?」
「あります」
「!」
間髪入れずの、揺るぎない眼差しと声色で頷くユディトに、レアは息を呑んだ。
「あるにはあるんですが……レアさん。万が一を防ぐ為に、協力して頂けますか?」
「……力を失った今の私に、的になる以外の何ができるというのでしょうね」
若干皮肉が入った言い様に、ユディトはいやいや、と前置いて、両腕に装着したガントレットを見やった。
「細かい説明は省きますが、ちょっとコレの形態を変えようと思っているんです。その為に、少し落ち着いて力を貯めたいんですが……あのゴーレムの攻撃って鬱陶しいでしょう?」
「成程。つまり私に露払いして欲しい、と」
「まあそんなところです。適当に攻撃を浴びせ続けても良いですし、逃げ回って注意を引き付けてくれても構いません。どちらにせよここからの脱出も外部からの助力も見込めないんですから、現有の戦力でケリを付けるしかないんです」
「それは……まあ、そうですが」
オブラートに包んで誤魔化したりせず、虚飾なく淡々と発せられていることから、それが事実であるのだとレアは覚る。そしてその口振りと眼差しから、眼前の青年は嘘が吐けない性質なのだと何となく見抜くことができた。
「……既に通常から逸脱してしまった儀式を完遂できる手段があるなら、私のことなど気にしないでください」
「助かります。ただ、それなりに危険を背負って頂くことになりますが――」
「言った筈です。命を賭ける覚悟はできている、と」
「……わかりました。ではせめてものお詫びで、僕の耀力を少し差し上げます。それで失われた星灼分は補填できるでしょう」
言われた言葉の内容を脳内で反芻して、レアは目を瞬かせる。
「貴方は他者に星灼の受け渡しができる、と? そんな事例聞いたことがありませんが」
「皆さん、そう言いますよね。まあ百聞は一見に如かず、ということで」
この〈レヴァ=クレスタ〉ではそういう事情らしいのは、既に数日生活した上で聞き及んでいた。そんなこともあってユディトはその辺りの一切を敢えて無視することにした。
言いながら片手をレアに向かって差し出し、その手のひらに耀きを現出させる。
そのあまりにも無垢で清廉、滾々と湧き出す静かな力の波動にレアは目を見開いた。
「これは……無色の星灼!? まさか」
「全然違います。エルファーランさまもこれを使って何かの術を行使しましたが、その所為で全身筋肉痛になって寝込んでいました。おかげでシエルさんに睨まれっぱなしで」
やれやれ、と深刻そうで微妙に深刻ではない内容にさしものレアも困った。
とは言え、親衛隊を預かる身として、苦言の一つを言わない訳にもいかない。
「なんてことをしてくれたんですか貴方は。でもエルファーラン様もその職務に必要な分は鍛えていらっしゃいますから、それを超える量の負荷を受けた、ということですか……流石にエルファーラン様には及びませんが、私も許容量に関しては自信があります」
そっと耀きに触れようと、レアは手を伸ばす。
「これは受け渡しではなく、僕は供出するだけなんで、必要分取り込んで頂く形になります。貴女達はそれが可能な種族だと聞いていますが」
「確かに、私達にはできます。しかしその言い方では、貴方はまるで」
「井戸から水を汲み上げるイメージ、と言えばわかりやすいでしょうか。僕からそちらに送ると、多分加減を間違えて貴女が死んでしまう可能性が大きいですからね。慎重にお願いしますよ」
「………」
後半の、小さく口腔で呟いた一言がレアの耳に入り、ピタリと手を止める。
「……ええと、ユディトさん、でしたか?」
「はい。イルヴァ―ティの勇者、ユディト=ヴァ―ヴズです」
「……言いたいことや聞きたいことは山ほどありますが、先ずは一つだけ忠告を。貴方は言葉を口にする前に良く咀嚼して吟味することを心掛けてください」
「あー、イヴにもよく、考えてから発言しろって言われたりしますから……はい、そうします」
ギロリとレアが睨むと、ユディトは押し黙った。
ふう、と一つ嘆息したレアは、気を取り直して白き耀きに触れる。そしてユディトに言われた通りのイメージで慎重に、ほんの少しだけ手の甲に刻まれている
「こ、これは……っ!?」
ほんの触れた程度に過ぎなかったが、ただそれだけで魔刻痕が灼けるように熱を帯びた。
既に限界値まで星灼を取り込んだことを意味する反応なのだが、全身を駆け巡る力の鼓動。そこから導かれるこれまで感じたことのない全能感にレアは自制を余儀なくされた。
耀力なる力は、明らかに星灼ではないが、それでも微かに似通った性質を感じる。星灼と親和性の高い異胚種という種族性故の感性からそれを察知し、同時に、これに呑まれては駄目だ、と何度も自分に言い聞かせた。
(
外部から星灼を摂取する、星涙という活性剤もアガルタには存在するが、それとは比べるべくもない。ましてや『
今、全身を流れる力は、似ているだけの別物だ。
それは体内で信じられない力を生む代わりに、大きな禍根を残していく麻薬のようなもの。
故に、呑まれてはいけない。依存してはいけない。
この力に満ち溢れた甘美な感覚は、一時の夢なのだと強く自覚する。
(こ、この状態で
異胚種の秘奥を使った瞬間、恐らく自我が消し飛ぶだろう。それこそ相対している巨竜のように、力任せに暴れるだけの獣になり果ててしまう。
そんなこと、レアの矜持が許さない。その想いの強さが、粟立つ自身を降伏した。
「今この瞬間は、貴方を信じましょう。ゴーレムの注意は惹き付けますので、準備はお早く」
言ってレアはユディトの返事も待たず、ゴーレムの息吹が途切れるのに合わせて疾駆した。
「すごいな……一瞬で適応した」
優雅にさえ映るその後姿を見ながら、ユディトは瞬く間に耀力に順応してみせたレアに惜しみない純粋な賞賛を贈る。
極力濃度や活性度を抑えたとはいえ、星灼ではない異物を体に取り入れるとなれば、それなりの不調和は避けられないものだ。ましてや直ぐに戦闘行動に移るなど、途轍もない自制心と鍛え抜いた体感覚がなければ土台無理な話である。
先日、エルファーランが使用できた前例があるとはいえ、異胚種という存在の耀力への親和性が高さには驚きを禁じ得ない。
場違いながらも新鮮な感動を覚えたユディトは、ならばこちらも下手を打てない、と気を引き締める。
(
そう神器達に言い聞かせると、ユディトは双眸を伏せ、胸の前で手のひらを合わせた。
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