第30話 星降ろしの儀(3)

 砕いた。

 巨竜の眉間に打撃を繰り出したユディトはそう確信する。


 ガントレット状に形相を変えた『滅刃』が、ユディトの耀力の奔流を受けて歓喜に昂ぶり、その身に刻まれた紋様で青い閃耀を明滅させながら、竜に破滅を押し流したのだ。


 透明な体躯の内を駆け巡る衝撃は『滅刃』の性質もあって斬撃と化し、星燐石の結晶体たる竜の構成素子の一つ一つにまで浸潤し、破断していく。


 分子構造そのものを蹂躙する攻撃は、どれだけ物理的に強固な結び付きであろうとも耐え切ることは不可能。『滅刃』の破断閾値を上回る存在強度を秘めているならばその限りではないが、耀力準位の低い〈レヴァ=クレスタ〉という世界の物質である以上、それは適わない――。


「ッ!?」


――筈だった。


 予期せぬ方向からの圧力によって凄まじい勢いで弾き飛ばされたユディトは、気が付けば湖を覆うように張り巡らされた結界壁面に叩き付けられていた。

 そしてそのまま重力の鎖に引かれ、頭から真っ逆さまに落ちては光の足場に墜落する。


「…………ありゃ?」

「だ、大丈夫ですか?」


 立ち上がりかけていたレアの眼前に落着したユディトは、仰向けに倒れたまま呆然と目をパチパチ瞬かせていると、頭上より覗き込んでくる彼女と目が合ってしまう。

 困惑と心配を載せた双眸には、いきなり現われた初対面の人間が巨大な敵に向かって突撃し、あっさり撃退されたことへの戸惑いの影が大きく揺らいでいた。


(……今、何をされたんだ?)


 ユディト的には、あれだけ大見栄切ったにも関わらずこの体たらく、と普通なら恥ずかしさに顔を隠したくなるような場面だろうが、それをしなかったのは、今の間際に一体何が起きたのかという疑問が羞恥よりも勝ったからだ。


(油断した? 僕が? まさか……)


 戦闘中は一切の気を抜かず、相手の話にも耳を貸さないことを信条とするユディトは、相手がどんな存在でも侮ることは決してない。

 武芸の優劣など言うに及ばず、老若男女の分け隔てなく。戦場で相まみえた敵対者は等しく皆、討つべき者なのだから。


 それを強く自覚しているが故に、胸中に浮かんだ可能性を即座に否定した。


(それなら……なんだ? 認識を阻害する類いの術式でも受けたのか? どこから? 術の予兆なんてまるでなかったのに?)


 馴染み深い耀術、或いはこの世界で邂逅した似て非なる魔印術は、発動の際には必ず前兆がある。原動力として耀力フラジール、後者は星灼フォルトゥナなるものを励起する過程が必要不可欠で、その収斂加速自体が周囲の普遍的な”場”を多少なりとも搔き乱す行為になるのだ。


 しかし、その手の揺らぎに関しての感知力が著しく高いユディトにして、それは感じられなかった。

 たとえ星灼が耀力よりも遥かに微少で幽かなものであったとしても、高活性状態且つ高密度で存在している閉ざされた空間内では、見逃す道理はない。


(いやいや、それはないな。外界から何かしらの干渉を受けた場合、事前に鏡衣アシュロンが必ず警告してくれる筈だし……あれ? そうなると何で今のは――)


 狐に抓まれたような妙に新鮮な感覚であったが、疑問は次から次へと湧いてくる。

 だがそのまま横になって思惟を進めても無益だと気付いて、ユディトは勢いよく跳ね起きては全身を検めた。


 傍から見れば凄まじい衝撃に無抵抗のまま曝されたのだが、実のところユディトとしては然程痛みを感じていない。


 ユディトが纏う目の覚めるような瑠璃色のコート『鏡衣』は、自身に害をもたらす万象を遮る守護結界そのものだ。

 その遮蔽能力は『鏡衣』に注ぐ耀力量に比例し、消費量次第では物理法則は勿論のこと、精神領域への悪しき干渉を遮断し、こちらを不利へと誘う因果の流れを打ち消すなど、装着者を真なる意味で外的影響より護る。


 ただ結界の強度をあまりに度が過ぎたものに設定すると、その世界を運営する根源律令さえをも弾いてしまい、物に触れることができず、音を捉えること、光を感じること、大気を食むことといった極めて普遍的で何てことのない行動さえままならなくなり、日常生活に重大極まりない支障をもたらしかねない。


 そうなってしまうことは世界に存在しないのと同義で、それを由としないユディトはこの〈レヴァ=クレスタ〉界に順応する為、そして自身より流出する耀力がこの世界に悪影響を及ぼすのを防ぐ為に、自己保存機能以外の結界強度を意図的に可能な限り下げていた。


 だからこそ、抑えられた『鏡衣』の守備力を超えるような強大な攻撃を受ければ痛手を被る可能性は充分にある。現にユディトが何かの衝撃で吹き飛ばされたのはそういった事情故だ。


 しかし実際にユディトがほとんど痛みを感じなかったのは、ユディト自身の裡に耀力が充実していることで、耀力と親和性が極めて高い〈アンテ=クトゥン〉界の遺伝子が無意識的に肉体を強化していて、本来の守備力だけで寒気の走る痛打の威力を激減させたのである。


 自身の状態を確認しながら患部を擦っていると痛覚は分散し、自ずと消えていった。


「――うん。状態に問題はなし、か」

「ほ、本当ですか!?」

「あ、はい。ご心配いただき、ありがとうございます」


 その辺りの事情を知らないレアからすれば、おぞましい勢いで結界に叩き付けられた挙句、受け身すら取れず頭頂部から地面に墜落したにも関わらずピンピンしている様子のユディトは、信じられないものに他ならない。

 ただただ驚愕を張り付けて、レアはユディトの横顔を見つめるばかりだ。


(さて、中にいていくら考えてもわからないなら、外にいるイヴに聞いてみるしかないか。イヴ――ッ!?)


 両腕を組んでユディトは思索を続けたが、普段から難しい事物への考察はイヴリーンに任せきりな反動もあって、碌に考えがまとまらなかった。

 ならば、と早々に白旗を挙げていつものようにイヴリーンを頼ろうと、ユディトは念話に意識を集中させる。

 すると鏡を金属の爪で引っ掻いたような不快極まりない裂帛音が脳内に響いた。


(な、なんて雑音ノイズだ。イヴ! 聞こえる? ……駄目だ、届かない。この結界の作用で遮蔽されているのか?)


 思わず顔を歪めてこめかみを押さえるユディト。

 念話に悪影響を受けている以上、この結界には三神器内で構築されたユディトとイヴリーンの精神リンクに干渉する性質を保有していることになる。或いはこの閉鎖空間内に満ちる活性化された星灼の作用か、それを解析する『神璽』の不調和か。


 いずれにせよ、雑音を混入させるのが精々といった様子なので、程度は知れているのだが、念話を実行する毎に脳内を直接掻き揺らすかのような頭痛が生じ、意識を蝕んでくる。


 ユディトとしてはそれが実に億劫だった。


(近くには……来ているな。もうすぐ到着する距離だ)


 ユディトの高い耀力感知能力は、イヴリーン達がこの湖のすぐ傍まで近付いてきているのを即座に察知する。その辺りの精度については、どうやら影響を受けていないようだ。


 こうなっては外に答えを仰ぐことも難しいと覚り、観念してユディトは今を顧みるしかなかった。


「『滅刃』の稼働は正常だよな……うん、問題ない。白環ドラウプニル形態に綻びがない以上、あの像は粉々に破壊した筈……って、ありゃ?」


 そう。『滅刃』の性能を信頼しているが故に、ユディトの中では既にゴーレムは破壊したと認識していて、その結果を疑っていなかった。

 それ故、今の今まで未だに竜像へ目線を配っていなかったのである。


 しかしガントレットを見つめて神器の状態を確認していたユディトは、ふと傍に立つレアがあらぬ方角を向いて絶句しているのを捉えたので、彼女に倣って何となくそちらを見やった。


 するとその先では、破壊した筈の水晶竜が一転してその体積が膨張したのか外形を変異させ、内包する星灼の密度が究極的な増大によって、自ずと眩い耀きを放つ存在へと昇華しているではないか。


「…………なんだあれ?」


 目を丸くして呆然と零したユディトの呟きは、荒ぶる光の波濤に押し流された。






                  ※






「……何だあれは?」


 騒動の中心に立つユディトと同時に、同じ言葉を呟いたのはカリオンだ。


 ユディトに遅れて神護の泉の湖畔にようやく到着したカリオン達は、広大な湖の直上に君臨する、巨大な竜の存在を目の当たりにして絶句する他なかった。


 その体躯は山の如くという形容が相応しく、広大な湖上に張り巡らされた天球状の結界が手狭に見える程で、それなりの隔たりがあるにも関わらず間近に佇んでいるのかと錯覚してしまうまでの濃密な存在感を放っている。


 竜の総身からは絶えず眩い光輝が放射されていて、それを直視すること苦痛さえ感じてしまうのは、竜の保持する属性が他を圧する”聖”であることの証左だろうか。


 ただ存在するだけで相対する者の意識を震撼させてくる清冽な偉容。その中でも殊更熾烈に映るのは、二つ首の凶悪な相貌が全方位に向けておぞましい程の殺気を垂れ流しにしていることだ。


 紅蓮の眸の一つ一つが明らかな破虐の意思を宿し、ただ一瞥するだけで、睨まれた者の胃の底を縮み上がらせる威圧を発している。

 ここに到るまでに何度も討伐した凶悪な星魔達が、愛玩動物に見えるほどの格の違い。それを厭が応にも覚らされる怪物が、現実のものとして君臨していた。


「テ、テオドア様! あ、アレは一体ッ!?」


 普段からあまり表情を変えないよう努めているサーラが、明らかな動揺を浮かべてテオドアに詰め寄っていた。

 その弱々しさからは、想定外と相見えた時の年相応の脆さが見え隠れしている。


 あまりにも異常な事態を前にして無理からぬことではあるが、彼女の同僚達のヒルデやメリィが心配そうな目で見つめる中。

 だが最も混乱しているのは、実はこの場において年長であるテオドア自身であった。


(アレは……なんだ!? まさか我の中に、あのような秘められた力がまだ眠っているとでもいうのかッ!?)


 自身が前例のない存在であることを自覚しているテオドアは、現実を前にして己の更なる可能性に戦慄を覚えていた。……声に出していたならばかなりイタい発言になったが、幸いにして脳内で再生するに留められたこともあって、先代竜帝の面目はギリギリ保たれた形である。


 往々の視線が注がれる結界の中では、星燐晶の双頭竜がそれぞれの口腔から怖気の走る重低音の咆吼を挙げて狂乱していた。

 増大する暴虐さのままに激しく尻尾を振って地を薙ぎ払う打撃を繰り出し、その雄大な両翼を羽ばたかせてはあらゆるものを吹き飛ばす突風を放ち、果ては二つの頭部より、交互に『聖滅の息吹イレイズブレス』を撃っているではないか。

 そのいずれもが生命を著しく脅かす暴威の顕現。まともに考えて、それらに曝され無事でいられる道理はない。


 だが、結界外の者達の意識を捉えて放さなかったのは、それに抵抗しているユディトだった。


 自身の背丈を優に超える太さの尾撃が唸りを挙げて襲い掛かってくるも、ユディトはタイミングを合わせて蹴り付けることで弾き返し、押し寄せる不可視の突風には手刀を振り抜いて生じさせた大気圧の断層で相殺。殺到する煌めきの波濤を、両腕を翳して真正面から受け止め、事もあろうか握り潰すことで四散させていたのである。……どういう理が働いているのか、ユディトが迎撃した箇所が直ぐさま再生し、より一層輝きを増していたのだが。


 ともあれ。

 ユディトは後背にレアを庇う位置取りで立ち構え、迫り来る暴力をそれ以上の力で真っ向から迎え撃っていた。


「あいつ……本当にデタラメだな」


 自然と口腔から零れる言葉を、カリオンは止められない。

 双頭竜の存在も規格外甚だしいが、それに対処しているユディトもユディトである。

凶獣アヴサーダス』というこの世界の絶望を斬り滅ぼした事実を目の当たりにしたものの、眼前で行われていることは、視覚的には小動物が自身を踏み潰そうとしている巨獣を逆に殴り返して押し退けたようなものなのだ。


 笑ってしまいたくなる非現実的な光景は、それぞれの認識の中で受け容れ、消化するには時間を要して当然。

 その為、誰もが継ぐべき言葉を失っていた。


「む……聖属への変換処理が追い付いていない、だと!?」


 自然と周囲を流れることになった沈黙は、張り詰めたテオドアの一言によって破られる。


 結界の形成、維持。そして結界内部の星灼の聖化全てを一人で執り行っているその声に、余裕はない。内部の星灼がまるで別のものへと変質してしまったのか、星灼の聖化の経過が芳しくなくなっていたのである。


 この場ではテオドアにしか知覚できないことだが、先程よりも尖鋭化した攻撃的な聖の波動が、自身を内部に捕らえる為に展開された結界の壁面をヒシヒシと打ち据え、喰い破らんと暴れていた。


 より純度の高い”聖”に精錬された星灼は、穢れを滅するどころか穢れていないものすら虐げる、全ての存在にとって有害なことこの上ないものである。故にこの結界で内部に押し留めているのだが。

 しかしそれは同時に、ある意味究極的に聖の性質を示していることを意味していた。

「聖なるもの」とは、それ自体と性質を異にする一切を否定するもの、なのだから。


「この感覚は……まさか、星煌の落涙ラクリマ・フォルトゥナ!?」


 空気を通して肌を伝う既知に心当たりがあってか、驚愕に目を見開いたテオドアは結界内の巨竜を仰いでは息を呑んだ。


 星灼が超高密度で圧縮された果てに現出すると言われる『星煌の落涙』。原理としては単純明快な物理測に順ずるものであるが、その要件を満たす環境条件がこの〈レヴァ=クレスタ〉では決して揃うことはない。

 だからこそ顕現それ自体が奇跡と言われ、伝承に語られるだけの存在に成り果てているのだ。


 しかしテオドアは知っていた。結界内に満ち始めている力が、幻のそれであることを。そして聖の本質を限りなく追求し、厳然と世界に溢れださんとしていることがどれほど危険なことなのかを。


 その実現を阻むべく、テオドアの意識は自然と引き締められていた。


「テオドア閣下」

「ん、見ない顔だな。貴公は誰だ?」

「ご挨拶が遅れました。私はアストリア王国、ラグナーゼ子爵が長子、カリオンと申します」


 結界を維持する装置に向かうテオドアの傍に、カリオンは駆け寄り頭を垂れる。

 既に退いているとは言え、嘗て一つの種族を治めた目上の存在だ。

 急場である以上膝を着きはしなかったが、基本的な礼節を弁えているあたり、カリオンはまだ冷静さを保持していると言える。


 しかし現状ある意味場違いとも言える行為なのだが、逆にその際立ちが密かに戦慄していたテオドアに余裕を取り戻させたのは間違いない。


 そうしてテオドアは、ここで初めてサーラ達アガルタの異胚種以外の存在に目を向ける。

 勿論真っ先に捉えたのは、恭しく腰を折って頭を下げる異種族の青年カリオンだ。そして順にアメリア、レオーネ、ケヴィンと続き、再び先頭のカリオンに戻す。


 その間際、偶然か必然か。

 カリオンが携えし銀の剣の鍔に埋め込まれた宝玉が、陽の傾きによって照らされてキラリと己が存在を主張する。

 それが何なのかを解してか、テオドアは眼を細めた。


「その剣……プルガシオンか。光浄剣それを持つということは、貴公がラリューゼの後継か?」

「は……はい。ラリューゼ陛下は我が師であります」

「陛下? ……そう言えば、あやつも国を治める身であったな。ああ、そうだ。思い出したぞ。我が出奔した時は、あやつはまだ王太子だった……そうか、もうそれ程に年月が流れたのか。人間種ヒュムノイドの世の変遷の早さは、やはり凄まじきものだな」

「閣下はラリューゼ陛下をご存知なのですか?」

「……まあ、あやつとは腐れ縁だ」


 嘗てのセントヴァレス大陸で、人間と獣精との隔たりが大きかった頃。

 竜を統べる立場にいた自分の前に現われ、腕試しだと言って戦いを挑んできた人間の勇者がいた。当時の光浄剣の飼い主でもあった、アストリア王国の王子ラリューゼである。


 若き聖剣の勇者はその勇猛果敢さと豪放磊落の潔さで、血気盛んな竜種の若者達と直ぐに打ち解け交誼を結ぶこととなり、古来より断絶こそが是とされていた慣わしに小さくも確かな風穴を開けたのだった。

 そしてその一環で、テオドアは妻とする女性と巡り会うこととなったのだが。


 不意に湧いてきた過去からの懐かしさにテオドアは口の端を緩めたが、それも一瞬のこと。直ぐに懐古の情を振り払い、気を引き締める。


「して、『七聖の勇者』の一人として、此度の天色託宣に貴公が招聘されたのか」

「はい。微力ではありますが、少しでも世界の役に立てればと」

「うむ。ラリューゼの奴と違って殊勝な心掛けだ」


 外見は当然ラリューゼとは似ても似つかない。どこか獣精にも通じる野性味を醸していた先代に比べ、今代のプルガシオンの主は貴公子然としている。


(……成程。良く似ている)


 だが双眸に宿る光には、頑ななまでの生真面目さと光浄剣を飼い慣らす為の毅さが確かにあるようだ。

 その意志の在り方は、先代も今代もとても良く似ていた。


「閣下。話には聞いておりましたが、星降ろしの儀とはこれ程までに苛烈なものなのですか?」

「確かに、アガルタの運営に直接関わるこの儀式は、易々とこなせるような生易しいものではない……本来のものであっても、な」

「本来の?」


 若干困惑を載せたテオドアの声韻と、未だ動揺が抜けきれず結界内のレアの様子を心配した表情で見つめるサーラ。

 それらから眼前で展開されている事象は、既に常道から外れたものになってしまったと察し、カリオンは小さく喉を鳴らす。


「既に異常な事態が起きている、と言うことですか」

「……我の姿を写し取ったゴーレムが暴走した、と言いたいところだがな。星燐石プリマテリアを得る為には、あの結界内に現出するゴーレムを打倒する必要があったのだが……レアも良いところまでは行っていたのだが、最後の詰めを誤ってしまった」

「閣下の写し身のゴーレム……ならばあの竜のお姿が、閣下の『獣魄神化テオシス』状態のものとお見受けして宜しいのですか?」

「……いいや。どういう理屈か皆目見当も付かんが、既に原型を留めておらん。我もあのようなおぞましき姿になれるものではないぞ」


『獣魄神化』。

〈レヴァ=クレスタ〉に生きる全ての獣精種が生来備えた力を十全に解放した姿であり、究極的に完成された『星纏衣プルビアーレ』の秘奥である。

 人間とは決定的に異なり、また在野の獣に似て非なる姿形は、凶悪な星魔など比較にならない剛毅さを秘めているとされていた。


 祖国アストリアでは、百獣連合ベスティアと少しずつ交流が深まってきたとはいえ、人間種の領域で獣精種が大手を振って歩いている訳でもなく、カリオンも目の当たりにしたことはない。

 ましてや、五大氏族の一つの頂点に立っていた経歴を持つ者の姿など、物語の絵姿でしか見たことがなく、それさえも人間が記した想像上のものでしかないのだ。


 ある意味、〈レヴァ=クレスタ〉の一つの極致の体現なのだが、小さく首を横に振ってテオドアは否定した。

 先程までは紛れもなく己自身の姿であったのだが、今では見る影もない化け物に為り果ててしまっている。それに加えて――。


「最早、星降ろしの儀は破綻していると断言しても良い。アレを構成するモノは、既に星燐石ではないのだからな」

「星燐石ではない? ならば……アレは?」

「……あれ程の強く清冽な耀きは、嘗て一度だけ見たことがある星煌の落涙に相違ない」

「あの、伝承の!?」


 語れる事の壮大さに、カリオンは瞠目する。

 そもそも人間社会で「星煌の落涙」という単語自体が、伝説や神話の類いに登場する幻想以外の何者でもなく、事実誰一人として現実のものとして見えたことなどない。


 ましてや「星煌の落涙」から成るゴーレムは言わば究極的に聖化されていて、己以外の属性要素を孕んだ全てを滅却する反存在だ。

 それは万色の属性より構成される世界そのものを脅かす、『凶獣』にも比肩しうる害悪ということになる。


「あれをそのまま世界に曝すのは避けねばならぬと、我が血がそう言っておる」


 それは唯一無二の聖竜故の直感とも言えるべきものだろう。

 より凶悪に。より凄絶に。目に映る全てを破壊せんとする意志が備わった異端な存在を抑えられているのは、湖上に張り巡らせた結界が、聖をその領域内に拘束する能力に特化しているからに過ぎない。


 もしも一歩でもあの檻から出れば、全てを圧搾する力の波動は、この神護の泉を、ひいてはバスティーラ山地を破壊し尽くすことだろう。そればかりか増大し続ける害意が、この浮遊大陸さえ墜としてしまう未来さえ、現実味を帯びるのだ。


 それだけは絶対に阻止してみせると、絶句するカリオンを横目に捉えたまま、この地の防人としてテオドアは気を強張らせた。

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