第27話 カドモニの森
サヴァナーズ平原の終端であるカドモニの森を前にして、野営を行っていた異胚種一行。
夜食を摂りながらの団欒もそこそこに、今後の打ち合わせをしている時。
あらぬ方向を凝視したまま突如として立ち上がったユディトが、瞬き一つの間にその姿を消したことに、その場にいたイヴリーンを除く面々は驚愕と怪訝を浮かべざるを得なかった。
その後、十数分経った頃だろうか。
夜の草原を無遠慮に撫で付ける風韻が強く響き渡る中、ユディトがフラリと静かな足取りで戻ってきた。……こともあろうか、日が明けてから向かう筈の森の方角より、その全身に濃密な死の香りを漂わせて。
当然、森から戻ってきたことへの疑問が誰しもから噴出するもので、それらへの解としてユディトは、こちらにずっと向けられていた視線が気になって見に行った、と馬鹿正直に答えたのである。
その所為で休息中の和気藹々とした雰囲気は吹き飛んでしまい、今ではすっかりピリピリとした緊張感が充満する警戒ムードになってしまった。
視線を寄越していた怪しげな者達は壊滅させた、といくら言ったところで監視に気付いたのがユディト当人だけなのだから信頼性に欠ける。ユディトと、カリオン達や異胚種達の間にはまだそこまでの信頼関係が構築できていないのだから。
よってこの事態の発起人であるユディトは、周囲を警戒する者達とは別の、手の空いた者達に囲われて尋問にも似た事情聴取を受ける羽目になってしまった。
「――で、そうして発見した賊徒共を、お前は意気揚々と皆殺しにした、と」
「……言い方に悪意を感じるなあ。別に意気揚々となんてしてないって」
冷めた口調のイヴリーンにユディトは渋面を浮かべる。
あの後。ユディトは刃を抜き放って襲いかかってきた賊徒の一味を完膚なきまでに徹底的に殲滅した。と言っても本人的には迫り来る刃を躱し、掴んで砕いては殴り返しただけなのだが。
ただ、地上よりも遥かに強化された星魔を一撃で屠り、且つ原型が留めなくなるほどの破壊をもたらす凄絶な威力の打撃を、ただの人間種が受けて無事でいられる道理はない。
対処が終わった頃には、辺り一面は凄惨極まりない血塗られた場に変貌していた。
地面は元より生い茂る樹木の幹や枝葉のあちこちにまで血潮や肉片が飛散し、場をおどろおどろしいコントラストに染め上げるという結果である。
幸いなのは夜闇が深まってきた刻限もあって、その凄惨極まりない場が陽の目に曝されることがない、という点だろうか。或いは、そんな場面に慣れすぎているユディト以外に誰一人居合わせなかったことか。
ともあれ。
事の経緯を包み隠さず報告するユディトは今、焚き火の側で正座し、泰然と佇むイヴリーンの前で小さくなっていた。
傍から見れば、親に悪戯がバレて怒られる子の有り様だ。
しかしその口から言い訳の如く紡がれたのは、陰惨な状況を示す物騒な言葉だらけで、聞いている者達はことごとく顔を顰めるばかりである。
ちなみに、ユディトと念話や感覚共有が可能なイヴリーンは当然事情を正確に把握しているのだが、自ら率先して尋問する立場をとっているのは、ユディトが変な誤魔化しをして周囲に妙な嫌疑を掛けられぬようにする為で、そしてユディトの扱いに関して周囲から妙に信用されているからであった。
「他意は無い、か。確かにお前は、殺戮に愉悦を覚えるような歪んだ性癖を持ってはいないな」
「そりゃそうだよ。そんなこと悦んで一体何になるのさ」
心外だ、と言いたげなユディトであるが、その姿勢は苛烈の一言に尽き、基本的に敵対者には一切の容赦を持たないし、見せない。
仮に顔見知りが戦場で相対した場合でも、一度敵と認識してしまえば攻撃に一切の躊躇はなく、確実に相手を屠る行動をとる。
その愚直なまでの頑なさが、嘗て味方にすら恐怖を与えてしまった『イルヴァーティの勇者』の姿なのだ。
戦い方やその際の心構えを教えた師として、イヴリーンはユディトのそんな性質をよく知っていた。そしてそれが自分の教導の賜物であり、またユディト自身が忠実に教えを実行している証左でもある。
ただその結果として、ユディトの辞書から「躊躇」という単語が綺麗サッパリ抜け落ちてしまったのだから、本来イヴリーンはあまり強く非難する気はなかった。
しかし現状は彼女の胸中だけで済む問題ではない。
和睦の必要がなく、ただ殲滅だけを求められた『魔物』との戦争ならばそれでも良かったのだが、この〈レヴァ=クレスタ〉ではそうはいかない。
今のところ、誰が味方で何を敵とするか不透明すぎる立ち位置に居る以上、取り返しの付かない状況を招く可能性を秘めた行動は、極力控えるべきなのである。
特に、この世界の原生住民の生殺与奪は非常にデリケートな問題であり、積極的に関与すべきではないのだ。……既に後の祭りに近い状況ではあるが。
「……そう言い切るのなら、一人ぐらいは残しておけ。どこの馬の骨とも知れぬ連中がこちらの様子をつぶさに観察していたのであれば、その背後には何かしらの意志が存在するものだ。今後のことを踏まえれば、その連中は重要な情報源になったかも知れないんだぞ?」
「一応、何をしているんですか、って訊いたんだけどね。それへの回答として襲ってきたんだから、単純に正当防衛だと思うけど」
「お前じゃないんだ。何でもかんでも馬鹿正直に答える訳がない。それに……難しいだろうが、お前ならば全員の意識を刈り取るだけに留めることはできた筈だ。何故そうしなかった?」
「なんでそんな必要があるんだい? こっちを殺しに来ている連中相手に問答なんて成り立たないだろ。行動を起こされた時点で交渉の余地なんて無いじゃないか」
「……ああ、お前が言わんとすることは理解できるぞ。だが……そうか。お前のその極端さ、融通の利かなさは早急に何とかすべき課題、という訳か」
ある意味当然ともいえるイヴリーンの指摘であったが、それを受けたユディトは訝しむでもなく、ただ心底不思議そうに首を傾げている。
確かにユディトの言も一理あるのだが、それはあまりにも近視眼的な見解であり、先のことを全く考慮していない、とも言えることだ。
全く以てユディトらしい予想通り過ぎる反応に、イヴリーンは疲れたように深々と嘆息した。
ちなみに、この〈レヴァ=クレスタ〉の大地に降り立った時。異胚種の面々やカリオン達には散々敵意という敵意を向けられたのだが、あの件に関しては、悪いのは自分だと自覚していただけに反撃の対象から外していただけである。
「今更そう言われてもねえ……身に染みついた習性って、なかなか払拭できないんだよ」
「それで話を終わらせるんじゃない。今後のことを鑑みて真剣に自覚しろ。異邦人たる我々には確固たる足場はない。方々で思うがままに暴れ回って気が付いたらこの世界総てが敵だった、という事態に立たされるのは本意ではないだろう?」
「ま、また極端な例えを持ってくるね」
「……一度実践して身に染みているだろうが」
「う……」
イヴリーンの懊悩を他所に、少なくない倦怠と億劫を紺碧の双眸に載せたユディトが他人事のように口にするも、彼女の眼差しと声に険が混ざったのを感じて押し黙った。
「……お前は『ヴァーヴズ』だ。いくらお前が無自覚に面倒事の中心に突っ込んでいく性質で、他に類を見ない空前絶後の巻き込まれ体質だとしても、願呪の軛からは逃れられん。歴代の『イルヴァーティの勇者』達全てが例外なくそうであったように、な」
「……わかっているさ」
『イルヴァーティの勇者』として『ヴァーヴズ』の願呪を背負っている以上、ユディト自身が停滞と安寧とは程遠い騒乱の中心に立たされるのは、逃れられない定めである。
自覚しきっている筈のそれを、他ならぬイヴリーンに指摘されては、ユディトとしては黙るしかない。それは以前イヴリーンに、背負わされた宿業の重さについて謝罪をされたことがあるからだ。
だからこそ、彼女にそれを言葉にさせてしまった悔悟からか、ユディトは申し訳なさそうに頷くしかなかった。
「すまんな。こいつが面倒を起こしてしまった」
「いえ、お気にせずに。賊徒共が襲ってきたのならば、どの道、返り討ちにするだけですので影響はありません」
沈痛な表情で黙り込んだユディトを横目に、イヴリーンが同席する他の面々を仰ぐ。
その言葉に淡々と答えたのは、この隊を指揮する隊長のサーラだ。
緩やかな弧を描く片手剣を佩いた彼女の藍青の髪は、鴉の濡れ羽の如く艶やかで、丁寧に手入れされていて癖も乱れもない。
その風貌や髪と同色の侍女服が甲冑と見事な調和を保っている様から、冷静沈着そうな雰囲気がヒシヒシと伝わってきたが、高潔な騎士の如き佇まいはこの場にいないシエルと良く似ていた。
恐らくは彼女自身がそれを是として、かく在ることを心掛けているのだろう。
なんとなくシエルに苦手意識を抱いていたユディトは、どことなく金髪の女傑を幻視させる彼女をやはり苦手としていて、今回の旅路で積極的な交流を持っていなかった。
……実際のところは、敬愛する魔王に対して無礼の限りを尽くしたユディトに良い感情を持てないのはサーラや他のメイド兵達も同様で、この旅路の間でも自ら世話役を買って出たメリィを除き極めて事務的な話しかしてこなかった。
よって余所余所しいという点では、原因はお互いにあると言える。
そんな内心の事情などおくびにも出さずに、サーラは淡々と連ねた。
「ただ気になる点があるとしたら、ユディト殿はいつから連中の目に気付いていたか、という点になります」
「いつからなんだ?」
「ん、あれは野営の準備をするちょっと前の……そうそう、最後に星魔と戦闘した時ですね。あの森の方から視線を感じたんで少し注意していたんですけど、守護の陣を張って晩ご飯を食べた後からそれが露骨に増えたようで」
「そ、そんな前からだと!? どうして言わなかった?」
イヴリーンに促される形でサーラの疑問に答えたユディト。
その言葉に間髪入れずに反応したのは、事情聴取に同席していたカリオンである。
「あー、ごめん。気付いていると思ってた。殺気は籠もっていなかったけれど、値踏みされるようなねっとりした感じでさ。そういうのって、なんだか気持ち悪いでしょ?」
「それは、まあ……確かに鬱陶しくはあるが」
人間種国家の中では、『七聖の勇者』の一翼として国家の枠組みを越えて様々な視線に曝されてきたカリオンである。特に祖国の式典などに駆り出された時などは、自分の一挙一動に視線の群れがついて回り、圧力を感じていたのは紛れもない事実。
だからこそカリオンには、抽象的なユディトの言にも頷けるところがあった。
「監視していた連中、気配の消し方はなかなか上手かったけれど、耀力は全然隠してなくてさ。僕的には目について仕方がなかったんだよ」
「……その耀力、というものはそんなに目立つものなのか?」
「うーん、感覚的なものだから上手く表現できないけれど……とても眩しいんだよね。人がいる場所って、とにかく強く光り輝いていてさ」
「それは……どういう?」
「生命体且つ個々の顕在意識の強度が高ければ高いほど、耀力は集まりやすい性質を持つ。……どうやらこの世界でも、その法則は共通しているようだな」
他人の感覚というのは、どれだけ言葉を並べても他者には理解しがたいものがある。
カリオンだけでなく周りの者達の顔にもそう書いており、そして何時も言葉足らずなユディトを見かねたイヴリーンが付け加えていた。
「ううむ、イマイチ理解しがたいんだが」
「まあ、ユディトの耀力を察知する能力は生来の特性上、常軌を逸しているだけの話だ。こいつの感覚は色々とオカシイとだけ認識してくれれば充分だ」
「……どうやら、そうした方が良いみたいだな」
「ありゃ? なんか僕の扱いが酷すぎじゃない!?」
しかし、やはり理解には到らなかった他の面々を見て、イヴリーンは咄嗟に方向転換することで話題を無理矢理終わらせた。
ユディトの感覚が常識外なのは自他共に認めていることであるが、その異常性がこの〈レヴァ=クレスタ〉でどの程度の異常に相当し、どんな影響があるのか見当が付かない為、有耶無耶にしたのである。
ある意味、ユディトを庇うような措置ではあったものの、一切の反論の余地なく異常者扱いされて締めくくられた当人はがっくりと項垂れていた。が、昔から似たような扱いを受けていたので早々に立ち直り、ふと何かを思い出したのか外套のポケットを漁っては、一本の棒のような物を取り出す。
「何だそれは?」
「うん。さっきの連中、これを使ってこっちを監視していたみたいでさ」
手のひらに乗っているのは、伸縮機構を持った金属製の筒状の物体。その表面には意味深な紋様が彫り込まれ、随所に小さな橙色の輝石が鏤められており、一見して高価な雰囲気を漂わせている。
特筆すべきはその両端部で、筒の太さとピッタリ合うサイズに加工されたガラスのような物が取り付けられていて、ユディトやイヴリーンの脳裏にあるものを想起させていた。
「これは……望遠鏡か?」
「やっぱりそう思うよね。僕達の識っている物と似ているから」
「確かに、そのようだな。装飾にも何らかの意味があるかもしれないことを鑑みれば、こちらでいう
いつものように頭に飛び乗ってきたイヴリーンと望遠鏡らしき物体を覗き込んでいたユディトは、興味津々といった様子でズイッと身を乗り出してきたアメリアに手渡す。
嬉々として受け取った彼女は、やがて真剣な表情で件の物体を観察し始めた。
「一般的に普及している物と少し形状が異なりますね。市井に出回っている物は、大体持つ為の柄が付いていて、両端の水晶板は固定されて取り外しができない仕様なんですが……これは付け替えることで望遠倍率を変えれるようですね。王立天文台で用いられている物とも随分毛色が違いますし、もしかすると国家の裏側に属する方々が使用している物と同じ設計思想かもしれませんよ」
学者故か、手にした望遠鏡を観察しながら自身の知識より様々な情報を引き出していくアメリア。
さらりと最後に付け加えた一言はどうやらこの場では余計だったようで、カリオンが難しい顔をして咳払いをしていた。一応、国家に仕える者同士として諫めたのだろう。
だが、それで姉が止まるかどうかと言えば既に結論が出ているだけに、弟の刺した釘に鋭さはない。
「ん? この石は宝石ではなく
「星導具なら一度起動してみればわかるんじゃないですか?」
「そうしたいのは山々ですが、保護機能としてどんな仕掛けが施されているかわかりません。一般に普及しているものではないと考えられる以上、技術流出の対策は当然されているとみるべきです」
「はあ……そういうものなんですか?」
「ええ。こちらではそういう事情なんです。特に星導具の技術水準は国力に直結しますから。特に軍に関係するものは軒並み機密保護の仕掛け……起動と同時に内部構造を破壊する自壊機構を組み込んでいることが多いんです。無闇矢鱈と起動させるのは、それなりに危険を伴うんですよ」
たかが望遠鏡であるが、されど望遠鏡ということか。
随分と話が飛躍している気もしたが、ユディトとしてもそれ以上追求する気はない。ただ望遠鏡を覗いては色々と調べるアメリアの熱心さに、感嘆を零すばかりである。
「それにしても、望遠鏡ってこっちの世界にもあったんだねえ」
「別に開発されていたとしても不思議ではあるまい。技術は必要に迫られた時に開花するものだ。そこに世界の違いなど関係ない」
「そりゃそうだけど。ん? じゃあなんで軍需品っぽい物を、盗賊紛いの連中が持っているんだい?」
「それは……わからん。その辺で拾った、というには無理があるが」
「…………」
頭上のイヴリーンに向けて投じたユディトの疑問に、誰しも沈黙で応じた。
想像を巡らせることはできるが、何一つの確証がないからである。
不意に訪れた静寂。パチパチと空気を貪る焚き火と、地面を撫でていく風の韻が夜空の下で深々と木霊していた。
そんな中、何かを思案するように静かな佇まいを呈していたサーラが一歩前に出る。
「ところでユディト殿。貴方が遭遇した賊徒共は、間違いなく全滅させましたか?」
「出し抜けに随分と物騒な質問ですねえ」
「茶化さないで頂きたい」
「いえ、すいません。少なくとも僕が確認した限り殲滅しました。ただ、僕が連中に近付く前に現場から離れた奴がいたのならば話は変わります。一応、下手に逃して仲間を呼ばれて大量に待ち伏せされるって状況は好ましくないから、徹底したつもりですけど」
「…………」
気を引き締めたユディトの顔を、その言の真贋を見極めんと真剣に見つめていたサーラであったが、やがて考え込むように口元に手を当てて黙り込む。
その沈黙が不吉なものにしか見えなくて、ユディトは不安に駆られた。
「ええと、本当のことですよ?」
「賊徒共……我々は
「……存外過激なんですねえ」
「ですがこれまでに蓄積された膨大な量の討伐記録と戦況報告を総括すると、一度戦闘が起これば奴等は必ず何かしらの手段でその情報を持ち帰り、対策を練っているようにも見受けられます」
「まあ確かに。全員で突撃して全滅、なんて獣くらいしかしないことですからね。戦況を見極め、情報を細かく収集する体制がある、と考えている訳ですか」
「はい。ですので今では、奴等が行動を起こす際には前面展開する実働部隊と、支援に徹する後方部隊とを別々に配置している前提で対処しています」
「……となると、今回の件も誰かが逃げのびている、と」
「そうですね。常に最悪は想定しておくに、越したことはありません」
「成程」
確かにサーラの言は一理あった。常に悪い状況を想定さえしておけば、いざそうなった時の心的硬直を緩和でき、対処を行うにしても一歩早く踏み出すことができるだろう。
イヴリーンも常々同じことを言っていたが、こうも自分にとっては温い環境が続いているので、少し意識が弛緩していたかもしれない。
今回の件に関しても、ユディトはただ、視界の端にちらついている耀きがあるな、程度の認識だったので、そこまで真剣に耀きの挙動について注視してはいなかった。
サーラの言を考慮するならば、接敵の間際で既に離脱者がいたとしても何ら不思議ではない。
「まあ武器を持って襲いかかってくる時点で、最悪の一歩手前って感じですし、既に話し合って和解を探ろうという段階なんて通り過ぎていますからねえ……先日アメリア先生に聞いた限りの歴史じゃ、その追放者連中とはそもそも話し合いにすらならないんでしょ?」
同意を向けられたアメリアは無言でコクリと首肯する。
浮遊大陸アガルタは、古より連綿と継承される約定により、人間種国家群の法を著しく犯した重罪人達の流刑の地、という側面を持たされていた。
具体的には年に数回、セントヴァレス大陸の随所に接岸する僅かな期間に、罪人達がアガルタに一斉に放逐される。しかも質が悪いことに、各国は放した後も管理する訳でもなく、本当の意味で放置しているのだから、自分達の生活圏に重犯罪者を送り込まれる側の原住民、異胚種にとっては迷惑この上ないことだ。
といっても、天空の大地は殆どの人間種にとって人身未踏の地に他ならず、地上と違って遥かに凶暴で凶悪な星魔の巣窟にほぼ丸腰で放り込まれる訳だから、放たれた者達にしてみれば過酷どころの話ではなかった。
碌な生活基盤を得ることもできぬまま飢餓に彷徨い、いつ襲ってくるやも知れぬ星魔に警戒し、晴れない恐怖に怯える時間を延々と続けなければならない。
それこそが自分たちに与えられた罰の形だと、絶望のまま自ら命を絶つ選択をする者も存在し、だども大半は星魔に襲われて絶命するのである。
勿論、幸運に恵まれればその窮状から脱することも可能で、それを成し遂げた者達はその非常に高い環境適応力を発揮して徒党を組み、現状を打開しようと抗う事例が過去に幾つもあった。それが今の賊徒達『追放者』の源流である。
一つの目的に邁進する集団特有の勢いは凄まじく、逸る気勢に任せて異胚種達の生活領域を簒奪しようと戦いを挑むことも昔からしばしばあった。
星魔以上の戦闘能力と組織力を誇る異胚種らの抵抗によって壊滅寸前まで追い遣られたことさえあったが、繁殖力の高さによる絶対数で完全滅亡は回避され、逃げ伸び再起し、また抗う――それを永きに亘って延々と繰り返してきた。
切っても切れない因縁に結ばれた両者であったが、やがて互いの領域を侵犯しないようにして拮抗状態を保つ不文律が成り立つようになっていたのだが、ここ数年はその情勢にも変化が見られ、王都シャンバラより離れた集落が襲われる事例が増えていたのである。
当然、異胚種側は庇護すべき民を救うべく出兵し、剣を交え、壊滅させ……対処療法として戦う道以外なかった。
「無論、我々は奴等の好きにさせる気はありませんし、奴等は奴等で我々に拿捕されれば命がないとわかっているので、略奪の手を緩めることは決してありません。情勢は既に殲滅するか、されるかの二択しかないのです」
「……末期的なんですねえ。歴史を顧みれば仕方ないとも言えますが」
「それだけ連中による実害が出ているからだろうな。ユディト、外部の我々の
「わかってるさ。そんな気持ちの悪いことはしないよ」
全くの部外者が知った顔でその地に流布する常識にケチをつけること程、見苦しく不快なことはない。
イヴリーンが釘を刺してきたが、当然ユディトもその辺りは熟知しているつもりだ。
異胚種と追放者達の因縁に関しても、その是非を口にする立場にないことを理解してかユディトは触れることはなかった。
「ところでその追放者というのは、単一の勢力なんですか?」
「いいえ。元々は七つの勢力があったのですが、近年の大々的な討伐で幾つかを壊滅させてますので、残りは三つの大勢力になっています。ただ、残党を他の勢力が支配下に入れることで数を増し、残った三つの勢力はかなりの規模になり迂闊に手を出せなくなってしまったのです」
「それで拮抗状態にある、と」
逃げ伸びた者達を抱え込んで勢力を高める、という話はよくある話だ。一つ一つ虱潰しに撃破していけば、残った側に数が集うのは自明だろう。
聞けば聞くほど面倒そうな話が積み重なってきて、ユディトは眉を顰めた。
「所帯が大きくなればなる程、自衛の手段を確保することは必須かつ急務であり、身近にある脅威たる星魔をどうにかする為に、彼らは挙って聖星燐石を求めます」
「まあ、星魔除けは彼らにとっても命綱に等しいでしょうからねえ」
「ですので、この聖星燐石へ続く道は特に襲われやすい。平時の採集についても、アガルタはいつも少数精鋭を送るんです」
確かに今回の旅路の重要性の割には、人員構成は手薄だと言わざるを得ない。
そこに常に狙われる危険性があることを考慮すれば、身軽に動ける強力無比な戦力を送り出すようになるのは、理に適ったことだろう。
ユディトから見ても、この場に集った面々は、確かに強者と呼ぶに相応しい実力を備えていた。
そんな感想を抱きながら、何気なく周りの者達の顔を見廻したユディトは、ふと気付く。
「ありゃ? そんな状況の中、よく神護の泉とやらは奪取されませんね。訊けば訊くほど要地中の要地に聞こえますし、それに見合った戦力を常駐させても不思議ではないんですが」
「ですから、常駐している鎮護守の防衛戦力が単体でありながら強力極まりなく、有象無象の賊徒共がいくら徒党を組んだところで歯牙にも欠かないのです」
「……先代竜帝殿ならば、当然の帰結だな」
人間種と双璧を成す獣精種。その主だった六氏族に類別される人種のうち、最強と名高い竜族の頂点だった存在。
アガルタに流れてきた理由はいささか特殊すぎるが、彼の者にまつわる逸話、伝説は国境を越えてカリオン達も耳にしたことがあった。
それを思ってか、カリオンは気難しげに小さく唸る。その声韻に戸惑いの陰りが見えたことから、どうやらこれまでに耳にしてきた説話と、先日聞いたばかりの暴露話との温度差を、まだ感情で整理しきれていないようだ。
「先代とやらには手が出せないからこそ、確保した後の運搬中が狙われるということか」
「そういうことです。この森に立ち入る際の注意は、いかにして迅速かつ緊密な行動を取れるかです」
イヴリーンの言葉に、重々しく頷いたサーラが件の森林に視線を送る。
辺りにはすっかり夜の帳が下されて、深々と静まり返った森は、ただ滔々と闇を湛えたまま、来訪者が来るのを待ち続けているようだった。
※
そうして夜が明け、早々に歩みを再開させた一行は、これまでと同じく縦一列に隊列を組んで、森林の間に築かれた街道をひた走る。
森を分かつように造られた街道には、サヴァナーズ平原のものと違って獣による破損の様子が見られない。精々経年劣化による微々たる損壊程度だ。
森に入る前に、カドモニの森に星魔は棲息しない、とサーラに宣言されていたが、その裏付けであるとも言えた。
深緑の回廊は鬱蒼と枝葉が生い茂っている所為で、朝の清々しい陽光もあまり地面には到達しないのか薄暗い。
真闇ではなく幽かな光が漂うところが陰鬱を誘う景観であったものの、頬を梳いていく風は周囲の葉に滴る朝露を乗せてくることもあって冷たく、どこか香しい。
それがこの森が醸す重々しい雰囲気を払拭する一因になっているのは間違いないだろう。
お世辞にも明るいとは言い難い空間の中。
馬車の御者席から少しでも先を見据えようと眼を細めたユディトは、隣で手綱を繰るメリィに質問を投げかけた。
「あとどれくらいで神護の泉とやらに着くんですか?」
「この地点ですと、あと一時間程だと思いますよ。もう既にバスティーラ山地には入っていますし、森を抜ければ程なく鎮護守のお住まいに到達できます」
「確かに、心なしか地面にも傾斜が付いてきましたね」
「鎮護守のお住まいには我らが隊長のレア様が滞在されているのですが、シエル様の予測ならば既にレア様は神護の泉に向かわれ、聖星燐石の確保に動いている筈です」
「……あの人、どこまで予測しているんだよ」
魔王の城からのここまで、距離にして遙かな隔たりがあるにも関わらず、まるで現場を見ているかのような言伝である。一体どこまで先を見通しているというのか、金髪の女傑の怜悧さには舌を巻くどころか背筋が寒くなる程である。
小さく零したユディトの感想が耳に入ったのか、立場上メリィは言葉を発せず曖昧な苦笑を載せるばかりだ。
「この森って、本当に星魔が棲息していないんですか?」
「はい。すぐ傍が聖星燐石の産地という事情を考えれば自明かと思いますが」
「それはそうでしょうが……磁場も狂っているんですよね?」
「先般サーラ先輩が仰られたように、街道から外れるとすぐに迷ってしまうことになります」
今朝、出発する前にサーラから一同に向けてこのカドモニの森に関しての情報が開示され、同時に注意事項として講釈を受けていた。
一歩森林部に入り込めば、狂った磁場によって方向感覚を失わされ、追放者達が設置しながらも起動することのなかった罠が、生きたまま随所に潜んでいるという。
聞けば聞くほど、物騒な土地である感想が募っていったのだが――。
「見るからに待ち伏せに適した土地なんだけど……なんだか実感が沸かないんだよなあ。どう見ても普通の森だし」
キョロキョロと辺りを見回しながら、間延びした声でユディトは綴る。昨晩単身で突撃して戻った経験があるからか、その声色に緊張感はない。
イヴリーンに言わせれば、ユディトは生命体の耀力という眩い標を目印にして動いていただけなのだから、狂った磁場だの残された罠だの、鬱蒼とした枝葉、茂といった障害物など些細な問題だろう。
しかしてそれは同時に、他人には理解しかねることで。
「……連中が潜んでいる様子は、ありますか?」
「無いですね。見渡す限り人間はいません」
呑気な発言に不安を抱いてか、メリィからの若干強張った問い掛けにユディトは即答する。
その視界には、自分達以外の知的生命体が放つ特有の耀力の輝かしさは感じられない。つまり、監視の人員がいないとの動かぬ証拠だ。
それをどこまで受け容れてくれるかは彼女次第であったが、どうやらメリィは信じてくれたようで、小さく安堵を零していた。
「鎮護守とやらは、その辺りの脅威を排除してくれないんですか?」
「テオドア殿が動かれれば、カドモニの森が消滅してしまいます。無闇やたらと森林資源を減じさせるのは控えるようにと、先代魔王様との間で結ばれた約定があるそうで」
「力は有れど、容易に振るえない状況ってことか。窮屈ですね」
未だ見ぬ先代竜帝に向けて、同情の念を抱くユディト。
特に『イルヴァーティの勇者』であるユディトの場合、究極的な耀力の集合体である三神器を全力で使えば、悪影響どころかこの世界の法則や摂理が破綻し、世界そのものを崩壊へと至らしめかねないのである。
その危惧は決して口外できないが、ユディトとイヴリーンの中で共通認識としてあり、兎角自重を求められていた。
「鎮護守の任務は、泉の守備と儀式の監督役。運搬に冠しては我らの管轄で有り、奪取されてしまうことがあれば、それはこちらの落ち度です」
「責任の所在はしっかり分別されている、ということですね」
そうした方が、組織としては円滑に回る。
嘗て〈アンテ=クトゥン〉において、『皇権イルヴァーティ』の所有権や指揮権を巡って天帝直轄の聖王庁と各国政府が不毛な争いをして、戦端に向かう者達の足を盛大に引っ張られ、一刻も早く『魔物』を斃したかった自分としては非常に迷惑を被ったものだ。
挙句、趨勢が自分達に傾くと、今度は手柄の奪い合いと被害責任の押し付け合いを始める始末。
肩を並べた戦友であるリベカの、軍は政治には関与しない方が良い、と呆れて肩を竦めた様子がやけに印象的で強く記憶に残っていて、今この時になってそれを思い出したユディトは、ふと背後の幌の中から響く喧噪が大きくなっていることに気が付いた。
今、中で待機しているのはメリィと交代した御者とイヴリーン、そしてカリオンの姉のアメリアだ。
従来ならばアメリアではなくカリオンが同乗しているのだが、出発前に馬車に乗る編成が発表された時、中央の馬車に配置されたユディトに彼女がくっついて来たのである。
誰もがユディト達に対しての距離感を掴みかねている現状においては異例なのだが、アメリアが昨晩拾ってきた望遠鏡のことについて質問攻めにする魂胆なのは、一同誰しも察しが付き、敢えて異を挟まなかった。……その際、姉上自重しろ、と疲れた声で言い残したカリオンの声が耳に残っている。
編成についても、ユディトはこれまでと同じ中央の馬車だったが、警戒対象が無作為で本能のまま暴れ散らす星魔でないことと、今は往路であり索敵への期待値が減少したことから、体よく押し付けられたのかも知れない。
当のアメリアは満足げであったが、馬車に乗る間際、仲間の戦士レオーネや術士ケヴィン。そして弟カリオンから掛けられた言葉が、身内特有の遠慮も容赦の欠片も感じられないものだったので、普段自分がそんな目に遭っていることもあってか、若干たじろいだ様子の彼女を少し気の毒に思い、ユディトは両腕で抱えていたイヴリーンを差し出したのであった。
そうして現在、馬車の中では小難しい理論やら話題で盛り上がっているのだろう。
当初本気で嫌がっていたイヴリーンであるが、その本質は生真面目で割と律儀なので、適当に流すようなことはせず、一つ一つ丁寧にアメリアの質疑に答えているに違いない。
何の揺らぎもない信頼を向けているユディトは、今も絶えず念話でぶつけてくるイヴリーンの文句を意識的に無視しながら、どこか穏やかな心持ちで木々の隙間から覗く明るい翡翠の空を見上げた。
だが世界は、ユディトがそんな安穏に浸ることを許さないのか。
その時。
今まさに目指さんとしている山頂の方角から、天を揺るがし、劈かんばかりの咆吼が轟いた。
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