第25話 サヴァナーズ平原(2)

 明くる日も、一行はなだらかな平原地帯に伸びる石畳の街道を進んでいた。

 一定の幅を保つように整然と並べられた石畳が何時の時代に造られたものか。継ぎ目の僅かな隙間から力強く背を伸ばす草々や、石材の風化具合から推察することもできるだろうが、所々に生々しく刻まれた無造作な破壊の爪痕がそれを容易くさせてはくれない。


 街路の至るところに深々と傷跡が残されているのは、野を闊歩する星魔という害悪が頻繁に侵入していることをこの上なく如実に示していて、このサヴァナーズ平原を往く旅路が生半可な準備で成し遂げられるものではない、という現実を否が応にも理解させられた。


 だがしかし。

 そんな事実があるにも関わらず、野営を行った昨夜の陣地では、星魔の襲撃を受けることが一度も無かった。

 敵意や害意を察知する感覚が人並み外れているユディトにして、星魔が周囲で息を潜めこちらの様子を窺っている気配を察知できたものの、一匹たりとも近付いて来なかったことにはただ驚かされたものだ。


 そしてそれを成し得た結界、つまりは鈴型の星導具の効力に舌を巻くほかなく、異世界ならではの不思議と遭遇したかのような新鮮な驚愕を得たものである。


 そんな実益を目の当たりにしたからには、やはり常時使用した方が良いのではという思いがユディトの中で大きくなるのは仕方のないことだが、使わないのには相応の事情があることを昨晩メリィから聞いた以上、ほんの数日前この世界に降り立ったばかりの余所者にすぎない自分が口を出す訳にはいかなかった。


 異世界渡航が頻繁に行われていた〈アンテ=クトゥン〉における暗黙の了解とは、外来者が自身の常識を現地に押し付けないこと。それが他世界で要らぬトラブルに巻き込まれない為の、過去より積み重ねてきた厳然とした教訓であった。


 ただそれでも。いや、やはりとも言うべきか。

 件の星導具を使わない日中の行軍では星魔の襲撃は頻繁で、実に様々な種類の異形の星魔達が群れを成して何度も押し寄せ、襲いかかってくる。


 だと言うのに被害という被害がなかったのは、星魔との遭遇戦自体がこの世界における日常茶飯事の一つに過ぎないのだと言わんばかりに、迎え撃つ面々が冷静に対応していたからだ。


 特に、名だたる光剣の勇者カリオン一行の卓越した技術と、流麗な連携を以て効率的に撃破していく様は見事と評する他ない。

 メリィ達異胚種ゼノブリードの面々もこのアガルタという大地の主権者であることを強く知らしめるかのように、各星魔の行動パターンを分析し尽くした対処で完全に圧倒していた。


 それぞれの所作に余裕が滲み出る反面、ユディトの様相は真逆だ。

 陽光に映える瑠璃色の外套をたなびかせ、馬鹿正直に真正面から突っ込んで殴殺していくその動きは乱暴で大雑把、そして何よりも愚直極まりなかったのである。

 能力制限という戒めを自身に課しても尚、有り余る膂力は少し加減を間違えただけで大地を抉り、自然に深い爪痕を残してしまいかねない。

 それを由としないユディトとしては細心の注意を払い、自身を御さなければならなかったのである。


 いずれにせよその結果。薄氷の上を往くような慎重さを厳に求められることになり、行動の端々から滲み出るぎこちなさが精神的疲労を蓄積させ、積もり積もったあまりの億劫さに辟易することになる。

 星魔の撃退自体にはなんら体力的な消耗などなかったことがその念に拍車を掛け、こっそりユディトが警戒を怠らない面々に聞こえないよう念話でイヴリーンに愚痴を吐いたところ、油断するな、と当然の言葉で諫められてしまったのは言うまでもないことだった。


 避けられない戦闘の連続ではあったものの、いずれも脅威と言える程ではなく、ただその頻度たるや気を休める暇を与えてはくれない。

 周りの者達に、この街道を往くことはいつもこんなにも危険を背負うことになるのかと問うてみれば、意外なことに否定の答が返ってきた。


 なんでも凶獣が現われ去っていった直後というのは、星魔の活動が活発化するというのが現地に住む者達往々の結論だ。

 故にそんな時期に安全圏外に出るのは国家として推奨している訳でもなく、寧ろ禁止する地域もあるくらいで、常識的から逸脱した行動だったらしい。


 そんな話を聞かされては、時間的制約が追加されたばかりの旅路の重要度に加え危険度が更なる高みに昇ってしまい、それだけ今が逼迫しているのだと、ユディトとて思わざるを得なかった。






                  ※




 


 王都より出立した二頭引きの大型荷馬車は三台あり、それぞれ手綱を繰る御者や星燐石の積み込みの為に随伴する作業員達が同乗している。

 この旅路を主導する三人のメイドや護衛を買って出たカリオン達も各馬車に分散して乗り込み、協調して周囲への警戒を行っていた。


 現地の者達からすると扱い辛いことこの上ないユディトはというと、真ん中を往く馬車に、星燐石積載に必要な道具やら野営用の食料やら諸々の貨物と共に放り込まれていて、その態たるや危険物そのものだ。


 同乗する者と言えばユディトを見張る為のカリオンとメリィ、馬車を操る御者といった実に四人だけで、他の馬車に比べれば破格の人口密度の低さである。ちなみにイヴリーンはというと、狭苦しい幌内から既に脱出し、幌の上で自然の風と戯れているというユディト的には実に羨ましい位置取りを完遂していた。


 かなりぞんざいな扱い方をされていたのだが、ユディトは現状に特に不満を思うことはない。幌を捲って見える朴訥とした草原風景は新鮮で見ていて飽きなかったし、そこを流れる風は温かく健やかだ。

 空を見るのが好きなユディトとしては、この日光を遮る分厚い幌を背にしながら、異空の天を見上げてのんびりしたいという思いも少なからず抱いたのだが、流石にそれは控えるべきだという自制が行動に移すのを阻んでいた。


 馬車は日中、適度な休憩を挟みながら街道をひたすら東に向けてひた走る。

 勿論、障害になる星魔の接近を少しでも緩和しようと、同行した異胚種達が星魔除けの魔印術グリモアを用いていたのだが、その効力は「鎮魂の鈴」と言う名の星導具には遠く及ばず、今の時期では本当に気休め程度でしかない。


 星魔に対して著しい効力を発揮する聖属性の魔印術を扱える者はアガルタの中でも魔王のみであり、王都をはじめ魔王領各地に点在する要所に大規模結界を遠近まとめて同時に展開する、という離れ業を成し得てはいたが、それ以外に手が回らないのが現実だ。


 幸いなことにサヴァナーズ平原は見通しの良い開けた地帯で、周囲への警戒を怠っていないのであれば、余程の間抜けか呑気者でない限り星魔からの急襲を受けることはない。

 近付いて来る異形の影を見つけるなど容易く、迎撃態勢を執る暇は充分にあるのである。……とは言え、遭遇回数が尋常ではない為、休める時に休んでおかなければならないという、ある意味戦時下における軍事行動にも似た緊張感を持たざるを得なかったが。




 幾度もの戦闘を終えたユディトは、乗り心地がさほどよろしくない馬車に揺られながら唸っていた。

 その視線の先にあるのは、ここ数回の星魔の撃退で得た緑色系の星燐石プリマテリアが並べられている。


「何をそんなに難しい顔をしているんだ?」


 声をかけてきたのは、御者席にいるメリィに現在の進行状況を確認していたカリオンだ。

 メリィを除くとユディトに一番話しかけてくるのは彼である。といっても御者が馬を手繰ることに集中し、それの補助に彼女が行っている以上、二人しかいない馬車の中では彼以外に存在しなかったが。


「あ、カリオン君。うん、ちょっと気になることがあってね」

「それは先程の戦闘で得た……っ!?」


 自分達には珍しくも何ともない星燐石だが、やはり異世界の人間には異質に見えるのかと、不思議な感慨を覚えるカリオンであったが、それに浸る間もなく眼前の光景に大きく目を見開いた。


「ちょっと待て。なんだ、その星燐石の大きさは!?」

「ん、さっき斃した狼が遺していったものなんだけど」

「そ、そんな馬鹿な……」


 ユディトの前に並べられた風の属性を秘めし緑色星燐石ガスト・プリマテリアは、柔らかな光を湛えて鎮座している。いずれの形状も透明度も様々で、小さい物は指先で摘まめる程度しかないが、大きい物はその数倍の、両手で抱えきれない程であった。

 何も知らなければただそれだけの話なのだが、〈レヴァ=クレスタ〉という世界に足を着けて生きる者だからこそ、カリオンは瞠目せざるを得なかったのだ。


 たっぷり数十秒、驚愕と混乱の波濤に曝されたカリオンは、やがてユディトの真正面に腰を下ろし、一言ことわってから件の石を凝視する。


「じ、尋常ではない大きさだが……ここまでの星燐石を遺すような強力な個体など、先程の戦闘ではいなかった筈だが」


 カリオンが思い出す直前の戦闘は、ケルベレスという名の三頭狼の群れとの戦いである。

 個体差なのか大小様々な体格の獣が十数体、獲物がぬけぬけと己が縄張りに飛び込んできたと言わんばかりに襲いかかってきたのだ。


 得られる星燐石の大きさは、その星魔が保有していた星灼量に比例する。つまり、大きな石を遺した者は、それに見合うだけの力を持っていることになり、先刻の戦端でそれだけの脅威があったかと思い返せば、否だ。


 自分達の戦闘もあったが故に戦場の全てを把握しきれていないのは確かだが、それでもこれだけの大きさの物を現出させるような個体をカリオンは確認できなかった。

 そもそも最大の個体は荷馬車を越える巨躯を誇っていたが、他ならぬカリオン自身が苦もなく屠ったのだから間違いない。そして獲得した星燐石は、大人の拳大の大きさだった。……それであってもセントヴァレス大陸の人間種国家で相応の市場に売り払えば、一ヶ月は贅沢に暮らしていけるだけの富になり、彼の大陸で生きている者達が得たいと幾ら願っても叶わないことである。


 そんな代物をたかが一戦闘で比較的容易に獲得できるのは、それだけこのアガルタという天翔あまかける地が地上とは比較にならない星灼が充満する環境であることを示していた。

 それは同時に、カリオンが得た大きさ程度では、珍しくもなんともないことも示唆しているのだったが。


 しかしユディトの目前で鎮座する代物は、そんな常識すら鼻で笑い飛ばしたくなるほどの、常軌を逸したあり得ない物であった。


 驚きを多分に滲ませた声色でその旨を伝えられたユディトは、だが得心がいったように頷く。

 そんな妙な素直さが逆に腑に落ちなくて、カリオンは眼を細めた。


「……その様子だと、何かしでかしたのか?」

「しでかしたというか……戦闘続きで流石にちょっと鬱陶しくなって、腹いせに少し強めに殴ったんだよ。その時つい耀力フラジールを多めに込めちゃって」

「ヨウリョクと言うものがいまいちわからないが、星灼フォルトゥナと似て非なる力と考えて差し支えないか?」

「うーん、そうだねえ。色々と細かな差異はあるけれど、基本的にそんな認識で間違いないと思うよ」

「……ならばそれを全身に行き渡らせて、身体能力を向上させることは可能か?」


 どこか尋問染みてしまっていることに気付きながらも、うん、と逡巡なく首肯したユディトを見て、カリオンは頭痛を覚えたのか眉間に指を当てた。


 活性化させた星灼を全身に漲らせることで身体能力を上げ、攻撃力や防御力を底上げする技術は戦いに生きる者ならば当たり前のようにできる事だ。

星纏衣プルビアーレ』と呼ばれる星灼収斂における身体強化は、この〈レヴァ=クレスタ〉に生きる総ての意思持つ生物が行うことができ、特に獣精種ベスティアのそれは苛烈且つ顕著な効力を示す。


 人間種ヒュムノイドも星灼を体外に放出できない事情から、この技術を繰ることには秀でていて、彼らの水準で語るならばカリオンやその仲間達は一つの到達点に近い場所に君臨していた。


 戦闘では常に勝利を掴むために遺憾なく効力を発揮している『星纏衣』の技術だが、実は副次作用として星魔撃退後に得られる星燐石の質や量に少なからず影響を及ぼしているのは、現象として昔から確認されている。

 つまりそれは、撃破の際に大量の星灼活性を行っていれば、より大きな星燐石を得ることができるということだ。


 故に最前線の戦場を駆けていたカリオンには、目の前の星燐石を得る為に一体どれだけの量の星灼を収斂すれば良いのか、皆目見当が付かなかった。

 そしてそれをやってのけた当人は、実際に『星纏衣』を実行したかどうかさえ定かではなく、あまつさえ事の大きさにまるで気が付いていないのだ。


「……つくづく常識外れな」


 正直なところ、つい、でこんなことをしでかされてはたまったものではない。

 溜息と共に零れた言葉は、そんなカリオンの内心を包み隠さず表わしていた。


「いやいや、こちらはその常識を学んでいる最中であって」

「ああ、すまない。責めている訳ではないんだ。ただあまり公言しない方がいい事柄だと思ってな」

「どうして?」

「セントヴァレス大陸の国家において、害獣である星魔は然るべき機関の討伐対象となっている」

「そりゃあ、あんな危なそうな獣がその辺を跋扈していると思うと、ちょっと落ち着かないよねえ」


 星魔の討滅を担う然るべき機関というのは、各国が保有する騎士団であったり、各都市村落で組織された自警団や、市井の様々な問題を依頼という形で受けて解決する各種ギルドであったりと、その受け手は広い。


 いずれの組織に属する者達の根幹には、害虫ならぬ害獣駆除が人の生活圏の安寧を保持する為に必要不可欠なことである、という共通の意識があり、同時にそれを成し遂げていることへの自負と矜持を抱いているものだ。


 その為、気の抜けるようなユディトの感想には深刻さが決定的に欠けていて、祖国の騎士団に所属するカリオンはどうしても不謹慎に聞こえてしまった。

 だがそれでも、当人の真意が測りきれず、また世界単位での余所者である彼にそれを期待するのも酷かと思いながらカリオンは続ける。


「……星魔を斃せば必ず星燐石を遺すが、それらは有用な資源として回収されている。つまり星燐石は換金ができ、それを生業にする者達が存在しているんだ」

「ああ、その辺りの事情は昨日メリィさんも言っていたね。確かギルドとか何とかで売買取引されているんでしょ?」

「そうだ。あまりにも突飛な巨額が動く訳ではないが、危険に見合うだけの程度に定められてはいる」

「うんうん。僕達も今後、それで食い繋いで行こうかと思っているんだけど……ちなみにこれってどれくらいの値が付きそう?」


 興味津々な様子で向けてくるユディトの問いに、カリオンは話題の発端である星燐石をジッと見つめる。


「……恐らく、値段は付けられないだろうな」

「そうなの? 君の反応を見ている限り、とても希少性が高いように思えるけど」

「希少性が高いのは間違いない。ああ、それだけの代物がその辺の星魔から獲得できたなど、まず信じられないだろう。アガルタと違って星燐石の供給に乏しく需要が過多な地上では特に、な」

「そ、そうなんだ?」


 どこか熱の籠もるカリオンの言の葉と、肺腑の底よりせり上がってくる形容詞しがたい感情にユディトは不安を覚える。


「貴重すぎて一介の民間組織では取り扱いできないだろう。ならば国有の機関、ということになるだろうが、国だからこそ自国の利の為に入手経路をはじめとして相手となった星魔の情報、その撃退手段からそちらの装備の詳細をしつこく追求されるのが目に見えている」

「……うげえ。トラブルの元じゃないか」


 嘗て三種の神器を得て初めて『魔物』を討伐した時。周りからの追求の声の多さはとんでもなかった。

 正体不明の障壁を突破できないからこそ敗走を重ね、滅亡寸前まで追い詰められたのだから当然と言えば当然だが、逐一対応する訳にもいかなかったので、早々に『魔物』の防御障壁の性質を世界に向けて明かすことで逃れた過去がある。


 そんな経緯もあって、身に覚えのありすぎる光景が厭に現実味のある色彩で脳裏に浮かんだので、ユディトはあからさまにゲンナリとした表情浮かべてしまった。


 何をしたと問われれば、ユディト的には打撃に少し耀力を込めて強化しただけの些事に過ぎない。

 しかしこの世界には体内の星灼を収斂して身体能力を向上させる技術が存在し、且つそれで星魔を討伐すれば得られる星燐石の質を向上させることができる事実が経験則として既知である以上、その観点から疑惑や追求の目を持たれるのは必至だ。


 素直に耀力と星灼は別物だと主張しても、ならば耀力とは何なのだと問い返されれば、今度はユディト自身の出自にまで水を向ける必要が出てくる。

 要は先日のエルファーラン達と同じような反応なのだろうが、あの時は凶獣討伐という、他のあらゆる諸事象を飲み込み、一切有無を言わせない説得材料があったからこそ納得させることができたに過ぎない。


 他の地でそれを実演するには、世界に大きな影響を生み出してしまうだろう。

 追求は更にエスカレートし、そもそもの凶獣打倒の秘密を勘繰られた挙句、その術を狙って世界中から追い回されかねない。この未知なる世界に、自分達を捕らえる手段がないと断定できない以上、平穏とは無縁の日々が待っているに違いない。


 あまりにも分かり易くて歓迎すべからざる未来予想図を想起して、ユディトは頬が引き攣るのを止められなかった。


「で、でも心配要らないと思うよ。使用した分の耀力を星灼に換算すると、易々と収束できる量じゃないみたいだし」

「……参考までに聞いておくが、どれくらいなんだ?」

「あの半透明な蜘蛛を殴り飛ばせるくらい、だね」

「……我々では凶獣に触れた瞬間に死ぬから、まるで検討がつかない。周りには伝わらないだろう」


 引き合いに出す対象が非常に宜しくない。凶獣との接触は即ち死を意味する絶対の不文律がある以上、試そうとする者などいる筈もない。そもそも相対して正気を保っていられるのも怪しい。

 先日の場合は、眼前の異世界人という存在があったという極めて異例の状況なのだ。

 しかし、それでも秘密を探らんとする者が後を絶たないのは明白だろう。


 両腕を組んで真剣に悩み始めたユディトを見て、カリオンは小さく嘆息した。


「シャンバラに戻ったら、早々且つ秘密裏にエルファーランに引き取って貰うのが最善だろうな」

「それしかないかあ……結構楽に稼げるかと思ったけど、世の中そんなに甘くはないねえ」


 ままならない現実に、ユディトは小さく肩を竦める。

 目に見えて落胆するユディトを横目に、疑問の晴れたカリオンは感慨深そうに見事な大きさの緑の水晶を覗き込んだ。


「しかし改めて見返しても、透明度が群を抜いているな。これならば、身近なところで姉上に見つかりでもすれば原理を解明しようと独占するに違いない。その際、質問攻めに遭うことになるだろうが、それは諦めてくれ」

「不穏なことを言わないでよ……もういっそのこと、隠した方が良いのかな?」


 先日この世界の歴史の講釈をしてくれたカリオンの姉は、〈アンテ=クトゥン〉の文化や生活のことを少しばかり話したところ、過剰な関心を寄せて矢継ぎ早に質問を投げかけてきたものだ。


 それを思い出してしまい、若干引き攣った表情で助け船を求めたユディトであるが、カリオンは沈痛な面持ちで頭を振った。


「オススメはしない。そんな小細工をしてバレでもすれば余計に面倒が増えるからな。下手に勘繰られたくなければ、今すぐそこから放り投げてしまえばいい。流石の姉上も知的好奇心に任せて走行中の馬車を停めて拾いに行きはしないだろう。……多分、いや、そうだと信じたいが、姉上だしな」

「……君もなかなか言うねえ」

「苦言の一つも呈したくなるものだ。……まったく、探求心が旺盛なのは結構なことだが、度が過ぎて他のことが目に入らなくなるところは改善して貰いたい」


 これまでに何度も嘆願したのだろうか。身内の提言がまったく功を奏さなかった過去が、小さく嘆息するカリオンの姿から幻視させられる。

 姉弟互いに向けられる評価が双方互いに容赦ないのは、正にあの姉にしてこの弟だ。


 一応既に自分の中で決着しているとは言え、孤児であるが故に血筋という信頼の根拠となる確かな繋がりに憧憬を抱いてしまうのは仕方がない。

 姉に手を焼く弟の姿を眩しそう見つめていたユディトは、ふとカリオン達人間種に聞きたい事柄があったことを思い出す。


「あ、そうだった。星燐石繋がりで聞いておきたいことがあるんだよね」


 なんだ、と目線で問うカリオンにユディトは告げた。


星導具プロスフォラについて知りたい?」

「うん。聞いた限りこの世界における普遍技術で、一般生活での恩恵も大きいんだろう?」

「まあ、そうだな」


 ユディトの予想に過ぎないが、星導具が嘗ての世界の耀煉器ユビキタスと同系統の技術の賜物ならば、その普及度合いによって一般の生活水準を予測する一つの目安になってくる。


 市井に出て人々の生活習慣に直接触れることができれば尚良いのだが、今のところ無用な混乱を広げない為の処置として万魔殿に押し留められているので、得られる情報は限られるのだ。

 星導具のことも、昨晩のメリィの話を聞かなければ自分の中での重要度は低いままだっただろう。


「星導具はレヴァ=クレスタ全土に広く普及して、日常生活に大きく寄与している。常識を知りたいというのであれば、確かに避けては通れないことだろうな」

「やっぱりか」

「知っておくべきことになるんだが……説明は次の機会になりそうだな」

「……みたいだねえ」


 渋面を浮かべたカリオンと、どこか観念したように嘆息するユディト。


 両者の間で、先程まで話題の中心にあった幾つもの星燐石が、床の上を忙しなく転がっていた。

 続いて耳を劈く馬の嘶きが幌の外から聞こえたかと思うと速度が急激に落とされ、その反動で馬車全体が大きく揺れ始める。


 何かしらの異変が起きたのが瞭然だ。


「星魔の襲撃です! 総員、戦闘に備えて下さい!!」


 幌を通して響く女性の毅然とした甲高い声。

 展開した星魔除けの術式結界を強行突破し迫り来る殺意の塊に向けて、遠距離攻撃が可能な者達による牽制が始まり、けたたましい大音が晴天に轟いた。


「色々と気になることはあるだろうが――」

「わかっているさ。まずは目の前のことに集中するよ」

「頼む」


 もう何度目になるのか数えてすらいないが、この旅路における日常茶飯事の再開である。


 広がる喧噪に同時に立ち上がった二人の勇者は、共通の目的ができてか真剣な表情で頷き合い、勢いよく幌を捲り上げた。

 痛烈に射してくる陽光を受けても顔を顰めることなく、敵と定めた異形の姿を双つの眼でしっかりと捉えたまま馬車から飛び降りる。


 そして、今まさに開かれんとする戦場へと、我先にと勇ましく躍り出ていった。

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