第22話 まほろばの大地(5)

 魔王領アガルタ。

〈レヴァ=クレスタ〉界の中央に存在し、陸地の七割を占めるセントヴァレス大陸の遥か上空を飛行する浮遊大陸のことである。


 天翔る大地が地上の人類に最初に認識されたのは、およそ四千年以上も昔だとされているが、幾星霜の時が流れているが故に、その成り立ちについての正確な記録は残されていない。


 だが突如として世界に現れた超常の地は、その由来の神秘性からかある種の信仰の対象として細々と崇められていた。


 そうして謎の浮遊大陸は、〈レヴァ=クレスタ〉の原始宗教において永らく畏敬を集める存在になったのだが、その遙かな地に異胚種ゼノブリードが移住するという事実が公然のものになると話は一転する。


 ある者は言う。彼の大陸は邪悪な魔王が世界を手中に収めんが為に造り出した、超巨大な兵器である、と。

 ある者は言う。彼の大陸は敬虔な信徒を御許に招く為に、神属が遣わした神の船を魔属が簒奪したのだ、と。

 ある者は言う。彼の大陸は魔属による悪しき儀式で引き起こされた天変地異の影響によって、世界の理から弾かれてしまった禁断の地である、と。


 事の真偽も経緯も置き去りにして、現在で一般に語られる諸説はまさに玉石混淆。もっと矮小で聞くに堪えない卑俗な噂、信憑性に著しく欠けた根も葉もない都市伝説のような説話も多岐に亘って存在する始末だった。


 ただそれでも淘汰されずに連綿と今日まで受け継がれたのは、それらを口にする者にとって真実などすでに問題ではなく、世界的に立場の弱い異胚種を魔属として糾弾するのに丁度良い文句であることが重要視されていたからであった。


 神に類する尊き存在から、魔の兵器と唾棄されるまでに評価が反転したのは偏に異胚種が絡むが故であり、そこで浮上するのは彼らは何者なのか、という疑問だ。


 そもそも異胚種とは、〈レヴァ=クレスタ〉に普遍的に流布する知的生命体である人間種ヒュムノイドでも獣精種ベスティアでもない、全く別の種族とされている。


 それまで人間種、獣精種の二種しか知的生命の存在しないとされていた世界において、いつの間にか歴史の表舞台に登場していた未知なる種への風当たりは強く、異胚種達は両種族から蛇蝎の如く忌み嫌われる憂き目に遭うことを余儀なくされていた。


 そういった背景より、過去に一度だけ大きな諍いがあったのが、現在では争いに繋がるような対立はない。

 それは地上と天空という生活圏が乖離しすぎている物理的な理由によるところが大きく、接点を最小限にするという相互理解とは真逆の結実が、ある種の平衡状態を築いていたからである。


 種族間で多様な問題を抱える〈レヴァ=クレスタ〉の住人にとって、平穏を形成するための暗黙の了解。それは互いの領域を侵さないこと。


 その輝かしい不文律を体現するかのように、様々な自然の佇まいが限られた領域に凝縮された異質極まりない大地は、地上より遠く離れた天空を人目から逃れるようひっそりと彷徨していた。




「――これが、現在のレヴァ=クレスタにおける魔王領アガルタと、異胚種の立ち位置です」


 凜然とした声が木霊する。

 日常の喧騒を鎮めるかのように、ざわついた空気の深くに染み渡る落ち着きを持った楚々とした声だ。


 静かに、だがハッキリと意識に伝わってくる声を受け止めるユディトは今、古めかしい書物を多く抱える書棚に囲まれた、所謂図書室と思しき部屋にいた。


 シンとした室内の空気は少し澱んでいて、書物の保存のために外気の流入を制限しているからだろうか。

 年月を重ねた紙が持つ特有の匂いと、仄かに香る独特の黴臭さが、慌ただしさとは無縁の静寂を醸し出し、この場の時間が停滞しているかのような錯覚さえ齎してくる。


 そんな中で、異邦人で右も左もわからないユディトとイヴリーンは、この世界の歴史の講釈を受けていた。


 何故そんなことをしているかというと、単純に先刻『天極粋星ステラデウス』の修繕の方針をイヴリーンが打ち立て、それに必要とされる各種属性の星燐石保有量の確認作業が急務となり、シエルを含めた親衛隊員達を総動員させて、王都シャンバラ各所の状況調査に入ったのである。


『星燐石』はアガルタでは基本的且つ普遍的なエネルギー資源で、それ故に厳正に管理されて運用されている為に、調査には数時間かかると見込まれ迅速に行動に移ったのだが、他の者達は結果が出るまですることがない。


 自由にして良いと言われても、招かれざる現在の状況でそれは逆に事態の悪化を招きかない。特に一歩歩けば面倒事に遭遇し、更に一歩歩けば厄介事に発展させるという、本人的には認めたくない気持ちがあるものの、悲しいかな己の性質を自覚しているユディトは大人しくするしかなかった。


 ましてや、不審者である事に変わりは無いユディトとイヴリーンには監視が当然張り付いていて、その任を何故かアガルタに国賓として招かれている筈のカリオン・ラグナーゼとその仲間達が請け負う事になっていたのだから、面倒事を避けるには、どこか適当な一室に籠る以外の選択肢などなかったのである。


 ならばこの機会を使ってこの地の常識を少しでも知っておこうと、他ならぬユディトがエルファーランに提案し、魔王少女がそれを許諾して図書室を借りる運びとなったのだ。


 そうしてユディトとイヴリーンに対面して丁寧に教鞭を執っているのは、肩口で綺麗に切り揃えられた黄金の髪が青い法衣の上で揺れている、人質候補だった乙女、アメリア・ラグナーゼ。

 勇者カリオンの姉である。


 先日、毅然とした眼差しで驟雨と呼ぶに相応しい光の矢の群れを放ってきたが、そんなアメリアの立ち振る舞いは貞淑な令嬢そのもので、ユディトは根拠なく、気の細そうな人だとの第一印象を抱いていたが、とんでもない。

 その冷たささえ宿す青碧の双眸は多少のことでは撓まない強靱な光を湛えていて、性格は冷静沈着で剛胆。

 見当違いも甚だしい現実は、つくづく人を見る目がないと自覚させられる程だった。


 いずれにせよ、その清楚な佇まいから、この世界の宗教の関係者かとも思ったが、当人の弁では世界の真理を探究する学徒だとのことだ。

 ある意味宗教者からは対極の位置に存在しているが、発する言葉の一語一語が深い教養に満ちていて、疑う余地はない。


 落ち着き払った眼差しを向けられながら、ユディトはこう再認識する。


――人質にしなくて本当に良かった、と。


 もしもこの女性を人質に城内を逃亡したとしても、冷静に事の運びの愚かさを延々と並び連ねてこちらの意気を折ってくるに違いない。


 若干失礼な感想を胸に抱いていたユディトの横では、アメリアの弟たる聖剣の勇者カリオンが当然のように同席していて、そして更にその隣には、城主である魔王エルファーランまでもが何故か着席し、アメリアの歴史講義に耳を傾けていた。

 ……ちなみにイヴリーンはというと、こちらもやはりユディトの頭上に泰然と陣取り、翼を交差させて腕を組むような体勢のまま、前を見据えている。


「はい! アメリア先生。異胚種の方々が魔属と呼ばれるのはどうしてですか?」

「誰が先生ですか誰が。こほん……嘗てのエフィデル教団の聖女アスティーニが、異胚種のことを神属フォロスが作った二つの種族、人間種、獣精種のどちらでもない祝福されざる存在である、と世界に対してそう発したことが発端だと言われています」

「神が産み出したものではないが故の魔、という訳ですか」

「そうですね。現在に生きる我々からすれば、随分と安直な宣言に色々と疑問を覚えますが、それも詮無きことだと思われます。我々にとっては既知の存在であっても、当時の人々にとっては未知だったのですから」


 異胚種の方々からすれば迷惑千万な話でしょうが、とこの場にいる魔王を慮った言葉を添えるアメリア。


 現在において『異胚種』が“魔属”と蔑まれる所以については、アメリアが連ねた理由で固定されている。

 セントヴァレス大陸に往古より流布するエフィデル教の象徴的存在、当時の“聖女”アスティーニの“聖告”によるものだとされていて、誰しもその言に疑問も否定も抱くようなことをしていないからだ。


 淀みなく連ねられた説明に、ふむふむと頷くユディトの頭上で、同じく話を聞いていたイヴリーンはつまらなさそうに鼻を鳴らした。


「実に分かり易い思考停止振りだな。理解できない者を取り敢えず自分達から最も遠いところに置き、往々が納得出来やすい記号による枠を嵌めてやることで、ようやく現実として受け容れることができたところが特に、な」

「あー、アンテ=クトゥンでいうところの魔物、が良い例だったよねえ」


 嘗て自分が虐殺した『魔物』の正体は、魔界……いや、異世界キルリ=エレノアの住人で、そこに生きていた人間だ。

 世界という垣根を越えて尚、元の世界と変わらぬ物理法則で行動するために施された保護フィールドが、〈アンテ=クトゥン〉の人々には形容しがたい異形に映り、従来の兵器を無力化する障壁となっていた、というのが真実である。


 その事実を知る者は彼の世界に直接赴いたユディトとイヴリーンのみであり、今の〈アンテ=クトゥン〉では誰一人としていない。

 嘗て世界で最初に『魔物』を斃し、その障壁を突破する方法を世に示したユディトであるが、当時はあくまでも障壁の打破する術についてのみ開示しており、本質には触れずじまいだった。

 そして暴いた当人も今や〈アンテ=クトゥン〉から放逐された為、真実は今後も伝わることはないだろう。ましてや〈キルリ=エレノア〉に繋がる『境界門』はユディトが完膚なきまでに破壊しているのだから、絶対だ。


 そんなことを思い返していたユディトは、周囲に流れる声で我に返った。


「幾つかそちらの歴史書を仕入れて目を通したことがあるが、しかし、人類領域で伝わっている歴史とは、我らに伝え聞くものとは随分違うんじゃのぅ」

「歴史とは時の権力者が、自分達の功績を色よく伝えようとするものですよ、魔王陛下」


 その傍らには分厚い書物がいくつも積まれており、そこに記された紋様はこの世界で普遍的に用いられている文字なのだろう。アメリアが講釈の中途中途で本を開いて引用していることから、この歴史書であることが理解できる。


 そして歴史には確かにアメリアの言う一面があるのは事実であったが、少しも歯に衣を着せない身も蓋もない冷徹な指摘に、時の権力者そのものであるエルファーランは渋面を浮かべた。


「う、ううむ。耳に痛い話じゃな」

「先程申し上げた人類史は、あくまでもアストリア王国のものを準拠としたものです。同じアレスティーナ諸国連合でも、エフィデル教国で語り継がれる歴史はまた異なりますね。彼らの場合は彼らの標榜する教義が深く影響しているからですが、ヴァリガン帝国のものとなると……過激すぎて、魔王陛下のお耳に入れるのは躊躇われます」

「そ、そこまで酷いのか!?」

「はい。彼らの国是を思えば」


 話題に上がったヴァリガン帝国は、人間種至上主義の国家であり、人ならざる姿を持つ獣精種とは対立的な立場に在る。そして人に似て人ならざる存在の異胚種に対しては、常に下に見ているのが実情だ。

 アメリアは学徒故にそういった彼らの歴史を知っていて、口にするのを躊躇したのである。


 とは言え、エルファーランも王としてその辺りの事情を耳にしていたが、彼の国から派遣されている使節の態度を見れば納得せずにはいられなかった。

 特使としての立場を理解して表立った横柄さは控えているものの、その内心は如実に行動の端々に垣間見られ、城内の者達の気を揉ませているのだから。

 この場では口に出せない、エルファーランの頭痛の種の一つである。


「……陸続きであるにも関わらず、それ程までに違いがあるのじゃな。アガルタは単一国家じゃから、その辺りの認識が甘くなってしまうのは仕方ないことなのか」

「アガルタはセントヴァレス大陸と物理的な接点が殆どなく、交流が極端に薄いからでしょうね。ただ人間種国家のいずれの歴史を紐解いてみても、大なり小なり共通の真実を織り混ぜていることに違いはありません」

「それはまあ、完全に一から十まで捏造された歴史など、もはや歴史とは言えず、ただの子供の虚妄に過ぎぬが」

「実際、アレスティーナ諸国連合に属さない小国家群には、そう言った誇大妄想を唯一真実の歴史だと妄信して声を張り上げて主張する傾向が多いんですよ。まあそんな捏造など見る人が見れば直ぐに看破できることですし、証を見せれと言えば逆上して他に噛み付いてくる始末ですが……愚かしい限りですね」


 つらつらと一気に言い切って、アメリアは深く溜息を吐く。

 楚々とした声で、その裡にあるだろう負陰の情念を垣間見て、エルファーランは頬を引き攣らせた。


「そなた……物静かそうな顔をして毒舌じゃな。流石はカリオンの姉君か」

「そんな納得をされるのは心外だ。……姉上もだ。昔、史跡の調査で煮え湯を飲まされた恨みが残っているのはわかるが、一応他国批判は胸の内に抑えて欲しい」

「事実を曖昧な言葉で濁すことのほうが罪深いと私は考えます。カリオン。貴方も後世で、光剣の勇者は好色だった、などと吹聴されたくないのならば、日々の行動に気をつけることです」

「そんな謂われのない脚色をされてたまるか!」

「常に人目に晒される立場にあることを自覚しなさいと言っているのです。特に、近付いてくる女性には気を付けなさい。どこで誰が見ているかわかりませんから」

「何の話だ!?」


 話があらぬ方向へと変わり始め、その矛先が自分に移ってきたことに狼狽するカリオン。

 たまらず立ち上がって抗議するが、アメリアは表情一つ動かさずどこ吹く風だ。


「宮中の噂では、エリューネ第一王女殿下の夫候補に名前を連ねているのですよ。貴方は」

「そ、そんな噂……初耳だぞ!?」

「我がラグナーゼ家も地方貴族ながら貴族、ということです。アトルミリア第二王女殿下とも懇意にさせていただいているのでしょう?」

「いや……アトル殿下は、陛下に稽古を付けて頂いている時に、参加されているだけで、特に親しいという訳では」

「周りから見れば、そうではないということです。知ってますか? 公爵家筋のボンクラ共が、貴方を排除しようと色々と下劣な根回しをしているとの噂もあります」

「は?」

「貴方は剣しか振るっていないのでわからないでしょうが、貴族社会は体面と人脈と虚栄が全てです。他者をいかに効率的に蹴落とすかを常に懸案する魔窟なんですよ」

「姉上の方が余程穿った見方をしているが……いや、俺は一介の騎士に過ぎないぞ!」

「情けない声を出さない。『七聖の勇者』が一介の騎士でいられる筈もないでしょうに」


 弟の哀れな位の狼狽え振りに、呆れたようにアメリアは嘆息する。

 どれだけ七聖の勇者という勇名を拝していようとも、姉にとっては弟に過ぎないと言う事なのだろうか。

 昨日は威風堂々泰然とした出で立ちだったカリオンやアメリアの意外な姿に、身寄りのないユディトは眩しそうに見上げた。


「カリオン君」

「な、なんだ?」

「君も苦労しているんだねえ」

「……頼む。そんな目で見ないでくれ」


 立場に絡む重責と不自由を身を以て知るユディトは憐憫をカリオンに向けるが、その生温かい眼差しに耐えかねたカリオンが、項垂れながらに懇願していた。


(しかしあの女、大人しそうな顔をして、言うことにいちいち容赦がないな)

(人は見かけに依らないってことかなあ。イヴだって似たようなものだし)

(あん!?)

(なんでもないです……理詰めで相手を圧倒して反論を許さないあたり、リベカに似ているのかも)

(……だとしたら、厄介以外の何者でもないぞ)


 嘗て戦場を共にした人類最強の耀術士は、イヴリーンにして厄介と思わせる女傑だった。

 混迷期だったとはいえ、十代の小娘が全世界の混成軍の統括という難題をこなしていたのだから、そうならざるを得なかったというのを理解できるにしても、だ。


 戦友とは違う、おそらくは唯一の友人の今を想い、ユディトは瞼を閉ざした。











「しかしまあ、この世界はこの世界で複雑な事情を抱えているんですねえ。凶獣とかいう蜘蛛だけじゃなく、人種間の問題ですか」

「それを知って尚、複雑な事情、の一言で終わらせないで欲しいものじゃが……余所者のお主等に言っても仕方のないことじゃな」


 危機に瀕している面々からすれば、ユディトの呑気極まりない口調は聞き逃せないものであったが、当のアガルタの首魁であるエルファーランからの思わぬ言の葉に、ユディトは逆に目を瞬かせた。


「おや? 僕達が別の世界から来たと言うことを信じて貰えたんですね」

「……普通ならば巫山戯たことを抜かすな、と一笑に伏すところなのじゃが」

「普通なら?」

「凶獣、だ」


 首を傾げたユディトにカリオンが答える。

 そして、未だに理解していない態のユディトに向けてアメリアが言葉を継いだ。


「凶獣の討伐。ユディト殿は自分のやらかした事の重要性を理解すべきです」

「やらかしたって……結局、あの蜘蛛ってなんなんですか?」

「知らん」


 エルファーランの言葉はにべもない。

 思わず助けを求めるようにアメリアを仰いでしまうユディト。


「……アメリア先生」

「先生はやめて下さい。……そうですね、人間種、獣精種の共通見解では天災、厄災、神喰いなど様々で、実態については殆どが知られていないでしょう。魔王陛下の仰るとおり、このレヴァ=クレスタに生きる者にとっては良くわからない存在、というのが答えになります」

「それ故の不条理。それ故の理不尽というものじゃ」

「はあ」

「……むしろ、お前の方が知っているんじゃないのか? ほら、良くわからないが、戦闘中に解析していたんだろう?」


『凶獣』を打倒せしめたのだから、少なくともその存在について通じるところがあると考えるのは自然だ。カリオンの言はそんな思考を元に発せられている。


 当然ともいえる指摘に、だがユディトは首を傾げた。


「ん、戦ってみた感じ耀力で構成された存在に間違いはなんだけど……あそこまで純粋に耀力で編まれた生命体って、存在するの?」

「私は知らない。昔、〈アンテ=クトゥン〉で神を自称する連中を根絶やしにしたことがあったが、あれらはあれらで霊素質に比重を置いていたとはいえ、確かに世界に根を下ろした存在だった。昨日の蜘蛛のような純然な耀力の集合体ではない」

「だよねえ。しかも外部から観察した限りじゃ耀力の動きが見られないなんて訳が分からない。直接触れなきゃ判明しないなんて、何か特殊な防御結界でも纏っているのかな?」

「鏡衣アシュロンと同じく、か。可能性は……あるな」

「……色々とぬし等に聞きたいことが増えたのぅ」


 ユディトとイヴリーンの内輪の会話は他の者には突飛すぎて理解が追い付かないものであったが、随所に鏤められていた物騒な単語に眉を顰める者もいた。

 凶獣と類似性を持っているとなれば、エルファーラン達の表情が険しくなるのは仕方がないことだろう。

 無論、それ以前の、神に似た連中を滅ぼした、という点も聞き逃せなかったが。


「しかしこうしてこの世界の歴史を聞いてみたけど、あんまり変わらないよね」

「人類の歩み方なんぞ、似通うものなのかもしれないな」


 うんうんと互いに納得するユディトとイヴリーン。

 その姿を見て、本当に何気なくエルファーランが呟いた。


「そちらの世界はどういった歴史を歩んできたのじゃ?」

「ん、興味あります?」

「うむ。まあ――」

「ええ、とても興味を惹かれます」


 エルファーランが頷くよりも早く、ズイ、と半ばほど机の上に乗り出して前に出るアメリア。

 貴族の姫ながら、自分で学究の徒と称するあたり、自身の知的好奇心に忠実で自重しない性質なのか。

 事実その在り方はこの世界の貴族社会の常識からは外れていて、それ故に異胚種への偏見が皆無。むしろ彼女的には非常に知的好奇心を擽られる、興味の対象なのだろう。


 そんなアメリアの姿勢の一端を垣間見たエルファーランは、出鼻を挫かれたことを横目で抗議しつつ、小さく咳払いした。


「おぬしらが異世界の存在どうかは、正直、凶獣を滅ぼした時点で疑える論拠がなくなっておる。それを前提として据えるのならば、他の国、或いは他の世界のことを知識として知っておくことに損は無い筈じゃ」

「真面目なんですねえ。いや、未知への強烈な探究心は、発展の礎になり得るといいますし、すごく良いことだと思いますが」

「新しいものを貪欲に取り入れようとする志には感服するが、流石にそれをできるだけの時間があるのか? 既にお前の部下が星燐石の保有量とやらを調べに行ってから、それなりに経っているだろう」

「結構な数の施設に分散させておるから、まだ掛かりそうなものじゃが――」


 両腕を組んだまま背凭れに身体を預けたエルファーランが言葉を繋ごうとした瞬間。


「――お待たせしました、エルファーラン様。たった今、確認作業が終わりました」

「……ああ、すまぬな。いつも仕事が早くて助かる」

「?」


 労いの言葉とは裏腹にエルファーランの表情が微妙だったことに、経緯を知らないシエルは首を傾げるばかりだ。


「いや、気にするな。して、どうじゃった?」

「先日、凶獣の眼を欺くために、いずれの星燐石も相当量使い込まれていました」

「まあ偽贄香炉を全開使用したのだから、そうじゃろうな」

「その中でも特に“聖”の総量が不足しています。シャングリラの動力として必要分を差し引くと、些か心許ないかと」

「! よ、よりにもよって聖か?」

「はい」


 想定していたよりも深刻な事態だったのか、エルファーランの表情は引き攣っている。

 その傍らでシエルが静かに頷いていることが、主の驚きの大きさを殊更強調しているようだった。


聖星燐石イレス・プリマテリア、か……それは少し問題じゃないのか?」

「そうなんですか?」


 難しい表情を浮かべるカリオンに、ユディトは首を傾げる。

 もちろん、話題の聖星燐石についての価値を理解していないが故のものであるが、それを差し引いても周りの面々の表情に浮かぶ陰りから、ただならぬ気配を感じ取っていたからだ。


「基本的に星燐石とは、星燐石鉱床で採掘できるものなんです。このアガルタには、全ての属性の星燐石鉱床があるという噂ですが」

「噂ではなく、事実あるぞ」

「やはり、そうなのですね」


 ポカンと間の抜けた表情を浮かべるユディトを見かねて、アメリアが注釈を加えるが、彼女が曖昧に濁した部分を、今度はエルファーランはなんてことのないように肯定する。


 人類に殆ど馴染みのない異大陸についての噂と、そこを統治する者の言葉では説得力にまるで違う重みを持っており、何か思い当たる節があるのか、ユディトはポンと柏手を打った。


「あ、そういえば空から見下ろした時、この浮遊大陸って不自然なくらい整然と環境が別れているんだなあと思ったんですよね。それと関係があるんですか?」

「ちょっと待たぬか! いつの間にそんなことをしておった!?」

「え、昨晩ですが」

「見張りは何をしておったのじゃ!」

「もちろん、見張りの皆さんの目を盗んでですが」


 真顔でなんてことのないように断言するのだから、エルファーランは疑う気力を削がれてしまう。


「……信じがたいことじゃが、まあ良い。直接見たのならば、話が早い。九つのエリアがあったじゃろう?」

「言われてみれば」

「それぞれのエリアの中枢部に鉱床がある。ただ場所が少々面倒でな」

「遠いんですか?」

「この万魔殿からは遠い。聖の星燐石鉱床は、アガルタの中心にあるこのシャンバラより東部に広がるサヴァナーズ平原を伸びる街道を越え、カドモニの森を抜けた先に構えるバスティーラ山地の奥に存在する〈神護の泉〉にある。そしてそこには……先代竜帝殿が隠居されていてのぅ」


 それが問題なのじゃ、と天井を見上げながら呑気なそれに、カリオンが血相を変えた。


「待ってくれエルファーラン! そんな話、聞いたことないぞ!」

「人類国家の中ではそうじゃろうなぁ。元々貴国と百獣連合ベスティアとの友好は現王が即位されてからじゃし」

「……確かに。不戦協定こそ結んでいるが、国家としての交易は盛んとは言えない。いや、それでも話に聞いたことがあるぞ。先代竜帝閣下は、病で亡くなられたと」

「表向きは、です」

「表向き?」


 エルファーランの背後という、いつもの定位置に落ち着いたシエルが、やはり落ち着いた口調で続ける。


「……先代竜帝殿は、人間種の女性を奥方に迎えられまして。付け加えるならば、その女性はヴァリガン帝国の元第八皇女なのです」

「確か、現皇帝の皇女には二十数年前に鬼籍に入られた方がいた筈……ああ、エカテリーナ皇女でしたね。って、それは国際的にも大問題じゃないですか!」


 現皇帝に十数人いると言われる子供達の中には、病で逝去した皇女がいるのは事実だ。

 学徒として様々な情報を耳に入れるアメリアは、瞬時に件の人物達の没期を思い起こし、目を見開いた。


「ああそうじゃ。異種交配を忌み嫌っておる人間と獣精の大スキャンダルじゃからのぅ。特にヴァリガン帝国と、獣精の中でもタカ派の竜族の組み合わせじゃ。双方の首脳は、その事実を揉み消すのに相当な労力を払ったと聞く」

「……」


 カリオンやアメリア、彼の仲間の人間種の常識の中に在る者達は絶句するばかりだ。

 逆に異世界組のユディトとイヴリーンは何のことかわからないので、ただ口を噤むだけ。


「あとは想像が付くじゃろうが、駆け落ちするから匿ってくれ、と先代竜帝が妾の母に泣きついてきてな」

「そんな想像出来る訳ないだろう!」


 カリオンの悲痛な叫びに同情の念を向けながら、蚊帳の外のイヴリーンは続きを促した。


「……それで、その先代竜帝とやらは〈神護の泉〉の番人をやっているというのか」

「うむ。ちなみに、妾の親衛隊隊長であるレアは、お二方の娘じゃ」

「レア殿が!?」


 異胚種を忌み嫌っている人間種国家の皇位継承権を、その忌み嫌っている異胚種の、しかも魔王の側近が持っている、ということになる。

 こんな事実、世界に知れたら大問題だ。

 あまりにも大きな話になって、カリオンは目眩を感じた。


「先日より度々名前が出ていたが、お前の親衛隊長ということだったな。そんな立場に在る者が、一大儀式の前にして主の側を離れたのか?」

「勘違いするでない。妾が無理矢理命令したのじゃ。そうでもせんと、あやつ、帰らんからのぅ。先代殿からも一度娘を帰らせてくれ、と嘆願されてはな……寂しいと駄々を捏ねて暴れられても迷惑じゃし」


 疲れた表情で言うあたり、エルファーランの偽らざる本音なのだろう。


「……その先代とやらは娘離れのできない父親なのか?」

「うむ。それは間違いあるまい」

「疑う余地がありませんね」


 断言する魔王と、魔王親衛隊の副隊長。

 両者の姿を見て、イヴリーンの中では、未だ見ぬ先代竜帝の評価はだだ下がりである。


「そう言えば、レアは明後日には戻る予定じゃったな?」

「はい。十日間の休暇を申請して、本日で八日となります」

「あと二日か……移動のことを思えば、すれ違いになりそうじゃなあ」

「否定はできません。いっそのこと、レアに聖星燐石を確保させて、こちらから運搬車を送る、という手順で話を進めましょうか?」

「そうじゃなあ。星導伝信で連絡すればすぐじゃろうし、それが一番無駄がないかの」

「凶獣のことを思えば、彼女のご両親にも万魔殿に来て頂くのが最善かと思います」

「む……そうじゃな。天色託宣ができん今、『消散帷帳バニシュカーテン』展開の機が掴みづらい。常時展開なぞ以ての外じゃから、それしかないのか」


 溌剌とした魔王少女の歯切れの悪さが目についたのか、ユディトは首を傾げた。


「エルファーランさま。なんだか嫌そうな顔をしていますね」

「うーむ、あの親父、暑苦しく苦手なのじゃ」

「……お嬢様は既にこのアガルタの王です。王ならば毅然と命じれば良いかと。魔王の位を先代より譲位された時も、彼の方もそれを認めている筈ですが」

「そうなんじゃが……」


 歪めた表情を一向に戻す気配がないのは、本当にそう思っているからなのだろう。

 その辺り、年齢相応の反応だったので微笑ましくも思えたが、この場で和んでも何の解決にもならないのは、ユディトにも分かった。


「ま、まあそちらの事情は構いませんが、その運搬車、僕達が届けましょうか?」

「そうだな。一度鉱床というのも見ておきたいし、採掘される石の純度も確認しなければならない。そちらの組織から外れている我らが行く方が、人員を割く手間も省けるというものだ」

「……そう言って逃げるつもりではあるまいな?」

「確かに、これまでの経緯を思えば、信用しきれないのも無理からぬことだろうな」


 疑惑の眼差しをしっかりと受け止め、イヴリーンはあっけらかんと言った。


「ならばそちらから監視の人員を用意すれば済むだろう。こちらとしては、今更お前達と事を構えるつもりはないからな」

「それならば俺達が同行しよう」


 律儀に挙手をして発言するカリオン。

 それにエルファーランが目を剥いた。


「待たぬか。道中は安全な旅とは決して言い難い。シャンバラから離れれば、星魔があちこちに蔓延っておる。土地勘がなければ危険な旅路になるのじゃ。共に天色託宣を行う身として、いや、我が国の国賓達をそのような渦中に飛び込ませるようなことはできぬぞ」

「だが現に儀式は停滞しているだろう? ただ座して機を待つというのは性に合わなくてな。それを戻す為の過程であるならば、微力を尽くさせて頂きたい」

「真面目すぎるのも問題じゃと思うが……ううむ」

「お嬢様。お任せしても良いのではないでしょうか? カリオン殿達は信用に値しますし、土地勘はなくとも、案内役は親衛隊の者をつければ十分です。何よりも彼らには、迫る危険を自らで払い除けられる力がある。同等の戦力を集めるとなると、こちらでは相当数の人員を集めねばなりません。大軍を動かす方が民に余計な不安を植え付けることになりかねませんよ」

「お主がそこまで言うならば、そうなのじゃろうな。……よし、分かった。カリオン。お主達にこ奴らの監視を任せたい」

「ああ。任された」


 盛り上がっているカリオン達を余所に、ユディトは微妙に煤けた表情で天井を見上げた。


「なんだか、酷い扱いだよね。僕は泣きたい気分だよ」

「……徹頭徹尾お前の所為だからな」


 溜息交じりのイヴリーンの言葉には、やはり遠慮がなかった。

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