第21話 まほろばの大地(4)

「結論から言えば、やはり復元は可能だ」


 万魔殿の中には天井が高く、面積が充分に広い一室がある。

 岩を刳り抜いて造られたとは思えないほど整えられ、荘厳な雰囲気さえ醸し出している部屋の中央には、経年の重みを感じさせる蒼古とした巨大な円卓が鎮座し、そこに寄り添う豪奢な椅子を頂点に、ズラリと円を描くよう無数に椅子が並んでいた。


 万魔殿が統治者の居城であることを考えれば、この広間が会合を行う場所であるのは容易に想像が付くことで、事実、魔王領アガルタの運営に関わる議論を交わす会議室である。


 今後の予定を話し合うということで、ある意味最適とも言える場所に移動してきた一同は、上座たる魔王の席以外の座に思い思いに着席し、その言葉を聞いていた。


 そして厳かに告げたイヴリーンの結論に真っ先に反応を示すのは、上座より半ば身を乗り出したエルファーランである。


「本当か!?」

「ああ。あの水晶塊は、結局のところ滅刃カーネイジの“万物両断”で分断されただけだからな」


 ユディトの持つ漆黒の長剣、『滅刃』。ありとあらゆる存在を斬り滅ぼす、破滅を導く刃の神器である。


 端的に説明しただけでも物騒極まりなく、警戒心を煽ってしまうことになるのだが、特にこの〈レヴァ=クレスタ〉においては、抵抗の手立てがないと云われている世界災厄『凶獣アヴサーダス』さえをも斬り滅ぼしたとして、その担い手たるユディトは既に、魔王の陣営をはじめとする諸勢力から、その動静を注視される立場になっていた。


 たった一夜越えただけでこの有様なのは、それだけ彼らにとって『凶獣討伐』の事実が切実で繊細な問題だからだろう。


 故に、その起点となった剣についての情報はどんな些細なものでも拾っておく必要があるとして、シエルはイヴリーンの発言に喰らい付いた。


「その“万物両断”とは? 言葉そのまま、という訳ではないと思われますが」

「生憎と言葉そのままの意味でな。滅刃が断滅する範囲設定の一つで、“万物両断”は刃に触れる全ての存在の分子間結合を剥離することだ」

「分子間結合を!?」


『滅刃』の断滅等級の一つ“万物両断”は、正確には分子間結合どころか、原子核と電子、いや素粒子同士の結びつきを超えて物質や空間を編む元素と霊素の絡まり、果ては根源たる耀力構成すらをも破断することができるのだが、それを正直に言うほどイヴリーンは浅はかではない。


 相手が理解できるかはさて置いて、表に出すべきとそうでない情報をきっちり分別し、意図的に隠蔽していたのだ。


 その為、小さく驚きを見せたカリオンの反応はイヴリーンの狙った通りのものだろう。


(さて……ここで納得してくれれば、ややこしいことを言わずに済むが)


 この世界の科学技術水準がどの程度かは定かではないが、下手に踏み込んだことを口にすれば脅威認定されかねない。

 それは円満、までとは言わないが無難で円滑な関係を築こうとする目論見に反することになる。……ただ、ユディトがこれまで散々自重しなかった所為で、今更と言われれば今更なのだが。


 だがそんなイヴリーンの思惑も、唐突に立ち上がったエルファーランによって遮られることになった。


「待て、カリオン。本質はそこではあるまい。“浄”の性質が強いそなたの聖剣も、物質の破壊においては他の追随を許さぬではないか。全力・・で振るえば、同等のことは出来る筈じゃ」

「……確かにそうだが」


 どこか含みのあるエルファーランの発言に、一瞬の躊躇を見せたカリオン。

 それは、知る筈のないことを言い当てられた時のように面食らった様子だったのだが、余所者であるイヴリーンにその真意を計ることはできなかった。


「…………」


 話題の矛先を向けられ、全員の視線を集めることになったカリオンは、愛剣の鞘を腰のベルトから外して机上に乗せる。


 青と銀を基調にした色合いが美しく、一種の美術品として見ても何ら遜色がない静謐な佇まいの鞘と剣。しかしそこから一度刃が抜き放たれれば、清廉にして凄絶な破壊力を撒き散らす兵器である。


 光浄剣プルガシオンは、〈レヴァ=クレスタ〉に流布する『聖装具ゴスペル』の中でも至高に類別されし『聖芒の七光アルカンシエル』で、原初の聖装具オリジン・ゴスペルとも呼ばれる物なのだ。


 そんな高みに君臨する七の内、最も破壊に秀でたものこそプルガシオンなのだが、仮に全力で振るったとしても、『天極粋星』に傷を与えられない、とカリオンは考えていた。

 そもそも自身の愛剣の極致は体験的に理解しているし、それ以上に『天極粋星』の価値を知っているからこそ、そんな愚行を犯そうという考えすら巡らないのが現実であったが。


 多くの窮地を潜り抜けてきた相棒を見つめながら、その鍔の中央にあしらわれた橙色の宝玉を指先で撫で、カリオンは小さく頭を横に振った。


「……物質を破壊することに長けてはいても、無理だな。昔、師に言われて全属性の星燐石プリマテリアに対して試し斬りを敢行したことがあるんだが、無星燐石クリオ・プリマテリアだけは斬れなかった」

「お主の師は弟子になんてことをさせるのじゃ!?」

「……言いたいことはわかる。俺も当時はそれらが、ただ硬度の高い鉱石である、としか聞かされていなかったんだ。知っていたら、両腕で抱えられる程の星燐石を、しかも九属性分も斬ろうなどとは思わないさ」

「抱えられる大きさ!? しょ、正気かっ!? 人間国家ではそれ程の物をまとめて集めるとなると財政が傾くじゃろうに」


 エルファーランの悲鳴染みた叫びは、星燐石の価値を正確に把握しているからに他ならない。


 星燐石には莫大なエネルギーが潜在している為、人間社会ではたとえ小石ほどであっても金貨数枚と交換できる、正に宝の石なのだ。両腕で抱えるまでの大きさともなれば、一つだけで国家予算の一割に届くだろう。


 星燐石の供給は大部分を各地に存在する鉱脈からの採掘に頼っているが、全属性の鉱床を保持するアガルタは兎も角、地上の人間種国家群では地質学的に鉱脈の数は限られ、地脈や気脈の影響を受けて属性には偏りがあり、加えて採掘量も少ない。

 その為、各地に存在する僅かな星燐石鉱脈の採掘権や所有権を巡って熾烈な外交争いが起きていることは有名な話だ。


 そしてそれは国際的な紛争の火種に充分なり得るもので、現在は不戦協定を結んでいて表向き平穏を保っているものの、水面下では決してそうではないのである。


 自分で言いながら、危うい世情に頭痛を覚えたのか、カリオンは眉間を指先で揉んでいた。


「エルファーラン。気持ちは良くわかるが、師への異議は取り敢えず呑み込んでおいて欲しい。そんなことで揺らぐものではないが、それでも貴国とこちらの共栄を思えば、な」

「共栄とは……何故ここで話をそこまで大きくするのじゃ?」

「いや……その、俺の師は……ラリューゼ陛下でな」

「…………」


 心底すまなそうに顔を歪めて頭を下げるカリオンに、その意味を察したエルファーランは言葉を失った。


 魔王領アガルタの人間種国家群との橋渡しの役割を果たしているのが、歴代のアストリア王国で、当代になってその姿勢は加速したと言っていい。

 なにせ自国の英雄とも言える“七聖の勇者”を、『天色託宣』の為に無期限に派遣しているのだ。各国が幾つか保持している“原初の聖装具”とその担い手の価値を思えば、過去にない暴挙とも言えることであり、それだけアガルタとの融和を図ることが、世界全体の利益になると考えているからだろう。


 そしてエルファーラン自身、アストリア王国国王ラリューゼには先代魔王の背後にくっついて直接面識を持っていた。

 自他に厳しく公正明大を地で行き、カリスマ性に溢れた王だと当時は幼心にも思ったものである。


 初対面の印象が鮮烈で、好ましいものだったからこそ、常識的に大それたことを弟子に教唆するなど、考えられなかったのだ。


「陛下は何というか……奇を衒うことを好む性質があってな。星燐石についても、王家の宝物庫で埃を被っているより、細かく砕いて各国営の施設に分散使用させた方が、民の為になるだろう、と仰っておられた。……その時の陛下の顔は、まるで悪戯を成功させた子供のようだったしな」

「こ、国宝っ!?」

「ああ……数代前の時代に献上されたものらしいが、詳しいことは」

「…………」

「成程。お前の国の国王というのは大胆且つ暴君なんだな。そこまで破天荒なことをやらかす思い切りの良さを持っているなら、さぞ民からの支持があるだろうな」

「ああ。それは疑いない」


 知らなかったとは言え、まさかその手で国宝を破壊することになってしまった当時のカリオンの心中を思えば、不用意な言葉など紡げよう筈もない。

 終ぞ押し黙ってしまった少女魔王を横目にしつつ、呆れながらも感心したように発せられたイヴリーンの遠慮ない口振りに、カリオンは苦笑で答えていた。


 古き慣習を覆しての数々の施策は、確かに民の為に行われているもので、それが実益として効を奏しているのだから、表だった批難など出よう筈もない。……水面下ではその限りではないが、王はそれさえも織り込み済みでやっているような気がしてならない、とカリオンは常々思っている。


 ここにはいない王をどこか諫めるような口調でありながら、だが否定の色が一切ない表情で断言するカリオンを見て、エルファーランは鼻先を搔いて徐に天井を見上げた。


「民の為を思えばこそ、か――」

「真似しないで下さいね」

「ま、まだ何も言っておらぬぞ!」

「わかりますよ、お嬢様のお考えは。隣の芝生は青く見えると言いますが、くれぐれもご自身の立ち位置を見誤らぬように」

「わ、わかっておる。今の話を参考にして、何か出来ぬか考えただけじゃ!」


 小さく口を突いて出た心中を、側に控えていたシエルにしっかりと拾われて、釘を刺されるエルファーラン。

 何となくいたたまれなくなって、わざとらしく何度か咳払いをした。


「ご、ゴホン……少し脱線してしもうたな。今のカリオンの話ではないのじゃが、実は妾も、一度だけ天極粋星に空間干渉系の魔印術グリモアをぶち込んだことがあってのぅ」

「……なんて無謀なことを。本来魔王が守護すべき天極粋星を害するなど、言語道断だぞ」

「わざとではないぞ! じ、事故じゃ! 術の失敗なのじゃ!」


 気難しい雰囲気を霧散させて小言を連ねてくるカリオンに、エルファーランはわたわたと両腕を振って否定する。


 今よりもっと若かりし頃。母親である先代魔王の下で、『魔印術』の鍛錬に勤しんでいたエルファーランは、〈星詠の間〉で術式の効率化に挑戦していたのである。


 ちゃんとした修練場があるにも関わらず、万魔殿随一の儀場たる〈星詠の間〉を用いたのは、単純に広いからというお粗末な理由と、あまり人目に見せたくない術だったからだ。


 それは『魔王』だけが操ることの出来る『聖属イレス』の魔印術。

 その一つとして数えられる、空間の一点に全方位から負荷をかけて圧縮し一気に開放するという爆発系の術式を実験していたのだが、通常属性の術式よりも数倍の繊細さを求められるが故に、未熟だったエルファーランは収斂する『星灼』の量を間違え制御しきれなくなってしまったのである。


「……それで、どうなったんだ?」

「勿論、傷一つ無かったわ。というより、術が弾き返されて妾が酷い目に遭った」


 手元で暴発したら大惨事になると、慌てに慌てる思考のまま上方に解き放ってしまったのだが、ここが〈星詠の間〉だったことに気付いた時には、『天極粋星』に反射された熾烈な小規模爆発の驟雨が、自身に向かって降り掛かってきたのだ。


 魔印術耐性の高いエルファーランが咄嗟に防御に全力を傾けた為、幸い身体に深刻な怪我を負うことはなかったが、『天色託宣』の儀式場が悲惨な状態になってしまったのは、忘れられない失態である。


 そしてその後、その件について当時も側仕えであったレアに説教されたのは、忘れたいトラウマだ。


「……その話、私も初耳ですよ、お嬢様」

「シ、シエル! そんなに怒るでない!」


 この場にいる余所者二名以外の全員から呆れた様な目で見つめられ、更には静かな迫力を迸らせるシエルに詰め寄られて、耐えきれなかったエルファーランは狼狽を露わにしていた。


「と、兎も角じゃ! 単なる物理的干渉だけでは、天極粋星を破壊することなどできぬ筈じゃ」


 物質干渉、空間干渉それぞれの事象では『天極粋星』には傷一つ与えられないのは実証されている。そればかりか、中途半端な干渉では逆に弾き返されてしまう始末なのだ。

 つまるところ、それを経験的に知っているエルファーランが、イヴリーンの説明の中で、意図的に隠した部分の端を何となしにだが掴んだのである。


 そのことに小さく感心し、同時に億劫そうにイヴリーンは小さく嘆息した。


「……術者というのは目敏くて面倒だな。まあ、そうなる。理解し易いように掻い摘まんだんだが」

「要らぬ気遣いじゃ。中途半端に隠蔽されるとこちらも困る」

「それは悪いことをした……だが今は、先程の説明で納得しておいて欲しい。より詳しいことを話すには、基礎的な物性物理学、素粒子物理学、物理化学、並びにそれらを包括した上での耀力科学などの多岐に亘る知識が必要になり、まず間違いなく時間が足りない。理解できるように懇切丁寧に講釈してやるならば、走査結果を理解して納得できるようになるには、余裕で年単位の時間を浪費することになるが……それでいいのか?」

「む……内容は色々と気になるところじゃが、無理じゃな」


 未知の世界の学問には興味を惹かれるが、確かに時間が有限で、且つ今は少しでも惜しいと感じている以上、口を噤むしかなくなる。


 麗鳥の言葉がどこまで本気なのか、エルファーランには量りようもなかったが、厳然とした輝きを灯す黄金の双眸の真摯さが、それを雄弁に物語っていた。


「では確認しておくが、あの水晶は星灼とやらが凝縮して結晶化した、星燐石という物質なんだな?」

「う、うむ」

「ならば切断面に星燐石とやらを溶媒として間に挟み、再結晶化を促してやれば自ずと元に戻る」

「は? ど、どういうことじゃ!?」

「……間に接着剤でも仕込んで、くっつけろってことだと思いますよ」


 ここで、これまで黙りを決め込んでいたユディトが口を開く。


 イヴリーンは相変わらずユディトの頭上を占拠していたが、そのユディトはというと、魔王に丁度対面する座……要は下座に位置する席で、胴体をロープでぐるぐる巻きにされて椅子に固定されていた。

〈星詠の間〉から連行され、ここに拘束されるまでの一連の流れは見事と言うほかなく、ユディトは抵抗する気力すら奪われてされるがままになっていたのである。


 とは言え、この部屋に移ってからというもの明後日の窓の方角を向いて会話に参加する意志がないことを全面に出していたことから、現在の処遇に不満が大有りなのだろう。

 頭上でイヴリーンが抑え込んでいるから何もしないのが、そのふて腐れた態度で丸わかりだった。


 そしてこの場にいる一同は、どこか滑稽でさえある絵面を敢えて見ないように努めていたのである。


「……非常に凡庸だが、イメージはそれでいい」

「そんな簡単に……いや、待て! じ、人工的に星燐石を造る、ということか!?」

「まあそうなるな」

「待て待て待たぬかっ! そんな技術なぞ、この世界にはないのじゃぞ!」

「そちらの常識ではそうなのかもしれんが……星燐石とやらの組成は先程の走査で大体わかったからな。原料となる星燐石を一度星灼に還元し、再結晶化に求められる環境値を整えてやれば可能だ」

「なんじゃ、と!?」


 あっさりと断言したイヴリーンに愕然としている表情を向けるエルファーラン。

 少女魔王の呆気にとられた様子を真正面から、だが傍目にしながらポツリとユディトが呟く。


「それって思いっきりフラジリウム輝晶の生成手順なんだよねえ……あ、それこそフラジリウム輝晶があれば良かったよねえ」

「お前な……そんなものがあれば、今すぐあのデカい石ころの代わりに据えて、より効率的なシステムを構築してやるよ」

「だよねえ」

「……そのフラジリウム輝晶という物は、天極粋星の代わりになり得ると?」


 二人で納得している様が目に付いたのか、シエルが眉を寄せた。

 自分達の至宝である天極粋星がどこか蔑ろにされた気がして、苛立ったのだろう。


「そもそも物質として全く別物だから、比べることに意味は無いが……エネルギーの貯蔵庫としての性質の面に限って比べるならば次元が違う……ん? そういえばユディト、お前いくつか持っていなかったか?」

「へ? ……あ、ああ! そういえば――」


 イヴリーンに指摘され、ユディトは思い出したかのようにコートのポケットを漁ろうとして、拘束されている事実を思い出す。


 目線でエルファーランに伺いを立ててみると、首肯を返してくれたので、ユディトは少し両腕に力を込めて拘束するロープをあっさり引きちぎり、立ち上がってポケットを探しては机の上に置いていくと、程なく目当ての物品を取り出した。


「んー……あ、あった。ハインさんから餞別代わりに色々貰っていたヤツだ」

「お前……ポケットの中ぐらい整理しとけ。飴玉やら石ころやら、どこのものかもわからない鍵とか、その辺で拾ったものを手当たり次第入れているんじゃないだろうな?」

「そ、そんな訳ないだろ」


 ユディトは金属ではなく水晶質の、精緻な彫刻が施された指環を摘まんでいたが、イヴリーンはそれよりも並べられた用途不明の品々に目が気になったようだ。周りを見れば、異世界の品、ということで興味深そうに目線を送ってくる者達も何名かいる。


 それらを全て黙殺して、ユディトは近付いてきたシエルに指環を手渡した。


「せっかくなので、エルファーランさま。これ差し上げますよ」

「指環、か?」

「はい。指環そのものが、フラジリウム輝晶で出来ているんです」


 シエルから指環を受け取ったエルファーランは、掌に載せて窓から射し入る光に曝してみる。

 透明な指環は、光の角度によって虹を思わせる万色に絶えず変化し、その度に纏う雰囲気が大きく変遷していて、ただそれだけでとても価値があるものだと見る者に知らしめていた。


「こ、これは……なんという細緻な造りなのじゃ。美しいのぅ」

「………確かに、素晴らしい造詣ですね。この大きさの物に、これ程のものを彫り込める技術。いったいどのような工程を経ているのか想像できません」


 女性が宝飾品に興味を惹かれるのは世界を越えて共通なのだろうか。そう思えるくらいにエルファーランは指環に魅入り、シエルすら感心した様子だった。


「では、それを持ったまま星灼を集中してみて下さい」

「……む。っく、な、なんじゃ……凄まじく星灼を持って行かれるぞ!」

「まあ装飾品レベルではかなり許容量が大きい方ですから」


 言われるがまま指環を握り締め、集中するエルファーラン。

 その面が次第に歪み、額や頬から汗が滲み出てきたところを見ると、相当以上の星灼が、エルファーランから指環へと流れ出ているのだろう。


 実際、かなり、で済む範疇ではなかった。

 実に呑気に評していたが、その辺り、神器無しの状態でも人間の範疇から逸脱した耀力保有量であったユディトの感覚は麻痺している。


 溜まらず椅子から崩れ落ちかけるエルファーラン。

 慌ててシエルが駈け寄って支えようとするが、それを手で制して何とか立ち上がる。


「はぁ、はぁ……奪いすぎじゃろうが! 半分近く持っていかれたぞ!」


 魔王の半分近く、というのは普通の異胚種数十人に匹敵する。そして人間種や獣精種とは比較にならない許容量である。

 それを知る〈レヴァ=クレスタ〉の一同は瞠目するばかりだ。


「まあまあ。次は本当に簡単な術でも使ってみて下さい」

「簡単に言いおって……闇よ――っ! ぬおおおおっ!?」


 言われるがまま指先に星灼を集約させ、簡単な魔印術を起動させるエルファーラン。

 その意に従い、闇が即座に収束して炎のようにポツリと灯ったのだが、それも一瞬のことで。

 瞬く間に肥大し、等身大以上の巨大な塊に変貌しては、大音を立てて弾けた。


 発せられた衝撃波は放射状に広がり、円卓に座していた者達や調度品、窓に小さくない打撃となって打ち拉いでいった。と言っても、この場にいる者にその程度でたじろぐような者は存在しなかったが。


 唯一、予想とは全く異なる事象を目の当たりにし、反動でエルファーランは豪奢な椅子から転げ落ちてしまった。


「お嬢様!!」

「魔王っ!」

「うんうん。なかなかの増幅ですねえ」


 慌てたシエルやカリオンに反して、ユディトは暢達に何度も頷く。


「……ユディト。あまり無茶はさせてやるな。あれは耀煉器ユビキタスだぞ。星灼という良くわからないものまで適用できる保証はないだろうが」

「でも、できた。やっぱり耀力と星灼には、何らかの類似性があるってことの証明にはなっただろう?」

「……それを意図してやったのなら、褒めてやるよ。ああ、意図してやったのならば、な」


 そうでないことをイヴリーンは見抜いている。ユディトは基本、天然で考えなしである。


「エルファーランさま、大丈夫ですか?」

「な、ななななんなのじゃ! あんな馬鹿げた威力の術式ではないんじゃぞ!!」


 今、エルファーランが用いたのは、異胚種の子供が魔印術の練習を行うのに用いられる初歩中の初歩の術式である。

 仮に術式の誤作動で事故が起こったとしても、今のように肥大化して爆発することなどあり得ない。ましてや異胚種最大の星灼許容量を誇る魔王であっても、あんなことにはならない。


「その指環は貯蔵量もさることながら、増幅器としての機能が優れているんですよね」

「それを先に言わぬか!!」

「ですから、色々迷惑掛けたお詫びに差し上げますよ」

「へ……? いや、じゃが、これ程の品を」


 まじまじと指環を見つめながら躊躇を覚えるエルファーラン。

 だがその姿は無理もない。

 これ程までに凄まじい性能を誇る器など、伝説の中に名を残しているだけの物が殆どだ。

 カリオンの持つプルガシオンもその領域の物だが、それが不審者である異世界人の、衣服の中からガラクタさながらに出てきたのだから、困惑は隠せない。


 ちなみに、当人の中で扱いはぞんざいだが、実のところその指環は〈アンテ=クトゥン〉の耀煉器製造技術の粋を集めて創生した規格外の耀術増幅器で、人造の神器とも呼ばれた程の代物である。


 ただユディトにとっての比較対象が常に『皇権イルヴァーティ』であり、そもそも耀術が生来全く使えないユディトには無用の長物以外の何者でもなかったので、重要度は極めて低い物になっていた。


 何はともあれ、いまいち踏ん切りの付いていないエルファーランの様子を遠慮と受け取ったユディトは、小さく首を振る。


「気にしないで下さい。そもそも僕は耀術が使えないんで、持っていても意味がないんですよ。それに、それを託してくれた人も、より有用に使ってくれる人に渡ったのなら納得してくれると思います」


 あの指環を託してくれたのは、現代の〈アンテ=クトゥン〉における世界的な一大宗教団体、セフィリア教団をまとめていた若き指導者ハインである。

 そして、〈アンテ=クトゥン〉に叛旗を翻したユディトが唯一殺めた人間だ。


 誰よりも純粋に平和を願っていた彼の願いをしっかりと受け取り、ユディトはその後、天帝討滅を果たし、神苑を破壊した。託された願いと想いには応えた筈である。


 ユディトの内心など露知らず、指環をまじまじと見つめながら思案に暮れていたエルファーランは、やがて意を決する。


「……そ、そこまで言うならば、迷惑料として貰っておこうではないか」


 言ってエルファーランは左手の薬指に指環を嵌める。

 その淀みない仕草を見て、今度はユディトが眉を顰めた。


「……なんで左手の薬指に嵌めているんですか?」

「? 術者としては当然じゃろう。指環型の増幅器はいくつかあるが、左手の薬指に着けるのが収斂効率が一番良いと言われているからな。こちらでいうところの常識という奴じゃ」

「あー……そう、なんですか。それなら、まあ、問題ないよね」


 視線を泳がせて頬を搔くユディトの姿が妙に癪に障ったのか、エルファーランは若干苛立たしげに眉をしかめる。


「……煮え切らん奴じゃのう。そちらでは意図が違うのか?」

「うーん、言っても良いのかな?」

「結婚指環を嵌めるのが左手の薬指、というのがこちらの常識だからな」

「い、イヴ!」

「ほぅ、結婚とな……な、なななななんじゃと!!?」


 ズササササッ、と擬音を立てながら玉座の背凭れの後ろに隠れるエルファーラン。


 表情は険しく強張り、顔色が紅いのは相当に怒りを感じているからなのだろうか。

 少女が王であることを鑑みれば、些か不遜に過ぎた行動にも見えなくもない。

 視線の間に割り込んで威嚇してくるシエルの姿が、それを如実に物語っている。


「あー、うん。分かり易くて期待通りの反応ありがとうございます。こうなると思ったから言いたくなかったんですけど」

「ききききききき貴様、ままままままままさかそんな意図をっ」

「ないですないです! 王様相手にそんなことを言う不届き者じゃないつもりですし」

「その王様を人質にして誘拐した時点で不届き者の極みだがな」


 逐一入るイヴリーンの横槍が恨めしい。絶対に愉しんでいるな、とユディトは頭上で寛ぐ猛禽を半眼で睨み上げた。


 しかしイヴリーンは何処吹く風で周囲の慌ただしい様を見物しているものだから、ユディトは諦念の溜息を吐く以外に手立てがない。


「思いっきり話の輿を折っちゃったけど、フラジリウム輝晶は天極粋星の代わりになるんじゃないのかい?」

「いや、これだけのものの代わりにするには、あの指環程度では流石に大きさが足りないだろうな。許容量は容積にある程度比例するし……耀力と星灼の違いを考慮した上であっても、な。そもそもこの世界でフラジリウム輝晶を生成できるとは思えん」

「だよねぇ。世界全体の耀力準位が随分低いみたいだし」

「おい! ならば今の話はなんだったのじゃ!!」


 いきり立つエルファーランを羽先で宥め、イヴリーンは続ける。


「そう逸るな。今の一件で耀力と星灼の類似性が確認できた。両者の性質が似ているからこそ、フラジリウム輝晶を精製する手順を模倣すれば天極粋星を生成できる、ということになる」

「じゃあ必要なのは量ってことになるよね。星燐石の予備って、この城にありますか?」

「……あるにはある。先日の凶獣襲撃の際に、相当量使ってしまったがな」


 七魔将に命じて稼働させた『偽贄香炉デコイプラント』は、装置に星燐石を投じて活性化させ、凶獣の注意を引きつける星灼光を発生させる装置だ。ざっくばらんに言えば、巨大な誘蛾灯にも等しい。


「ならば全ての石を等量で集めてくれれば、それらから属性を抽出して純化し、再結晶できると思うぞ」

「そんな技術があるのか!?」

「あるにはあるが、伝えるつもりはない」

「な、なぜじゃ?」


 星燐石の創造。そして属性の抽出技術。それらは未だ理論すら出来ていない、無想の中でのことである。


 だがそれらが己が意のままにできるのならば、もしもその方法を獲得することができたならば、現状の技術よりも更に上の段階に行くことができ、過酷な環境であるアガルタの民の生活を豊かにできる可能性を秘めていることになるのだ。


 故に王としては、決して捨て置けない。

 エルファーランの紅蓮の双眸に真剣な燈が熾る。


 しかし。


「わざわざ争いの火種を抱え込む必要はないだろう。身の丈に合わない行き過ぎた文明は、いずれ己が身を滅ぼすものだからな」

「むぅ、しかし」

「実際の修理には裏技を使うつもりだ」

「裏技?」

「時間的制限を緩和し、且つ他の誰にも真似できない。方法が流出しようとも、実行に移す手段など存在しない方法、ということだ」


 到底納得できる説明ではないが、当のイヴリーンが語るつもりがない以上、知ることはできないだろう。

 エルファーランはそう言い聞かせて自分を無理矢理納得させるしかない。


「あまり時間は掛けられないんだろう? お前が発した予言には効果範囲、という時間制限が存在しているのだから」

「このアガルタに関しては、のぅ。他の国に発したヤツは、向こう三ヶ月は有効範囲じゃ」

「その裏技で生成するにしても、あの水晶レベルの品質となると時間が必要だ。精度が悪い粗悪なものでいいなら直ぐにできそうだが」

「……最高品質で頼む」

「請け負った以上、当然だ。……まあ、次の凶獣とやらの出現まで間に合いそうにない場合は、再びあの蜘蛛の破片にユディトの耀力を込めさせるから良いとして」

「……先程のそなたらの話を聞く限り、あまり気が進まぬのぅ」

「それは良い兆候だ」


 真偽は兎も角、身体が爆算するなど、物騒にも程がある。

 今回はたまたま何事もなかったものの、次もない、という保証はない。そしてシエルがそれを許すとは到底思えなかった。


「ともあれ、当面の指針は決まったということか……シエル」

「かしこまりました。現在、万魔殿に保有している星燐石の残量を確認しますので、しばしお時間を頂きます」

「頼むぞ」


 そう言って速やかに退室するシエルを見送り、エルファーランは玉座に身体を預けながら、深々と嘆息を吐いた。

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