第20話 まほろばの大地(3)

 だがやはり、既に注目を集めてしまっていただけに、ユディトの目論見など容易く看破されてしまう。

 特に強い視線を感じて首を横に動かしてみると、何かを言いたげに眉を顰めているエルファーランとバッチリ目が合ってしまった。


「あー……何ですか?」

「……あの鳥女、随分と不吉なことを言っておったのぅ」

「ほ、本当に何のことですかねっ!? いやぁ、イヴって僕が困った反応をするのを愉しむ癖があって、ちょっと困っているんですよー!」

「ならば何故、そう恐る恐る退いておる? 何をそんなに慌てふためいておるのじゃ?」

「ええと……ほら、念の為です!」

「それはあの鳥女の言を肯定していることになるのじゃが」

「い、いえいえ、決してそんなことはっ」


 剣呑な目つきでジリジリと詰問してくるエルファーランに、ユディトは内心で滝のように冷や汗を垂れ流していた。


 頭一つ小さい少女にどことなく気圧されるのを止められないのは、その少女が持つ『魔王』の厳然とした威圧によるもの――では決してなく、単にユディト側の心境に過ぎない。

 その理由とは、冷たい牢獄の中で死の淵に瀕していた昔の自分を救ってくれた令嬢と、エルファーランが瓜二つなのが原因である。


 双眸の色こそ異なるが、顔の造りや髪の色艶。声色や表情の浮かべ方、その際の感情の在り方までもがそっくりで。

 一挙一動、事ある毎に嘗ての恩人の姿と重なってしまい、負い目と、いたたまれない気持ちが押し寄せてくるのだ。


(……お嬢様は、元気かな?)


 本来ならば、自分はもうそんな心配を向けることすら許されない立場である。


 最後に会ったのは決別の時だったが、その際に投げ付けられた憎悪と怨恨に満ちた言葉は、恐らく生涯忘れることはない。

 純真無垢で、花鳥風月の麗雅さを体現していた少女に、あそこまでの昏く澱み濁った怨嗟を抱かせることになったのは、偏に自身の罪によるところなのだから。


 ただひたすらに前だけを見続け、流れ去った後ろを一度たりとも振り返ることの無かった、愚直さ。

 敵を屠り続けることが、少女に再び笑顔を取り戻させる唯一の手段だと信じて疑わなかった、浅慮さ。

 安全であると信じていた後背の彼方で、その少女の身に何が起こっていたのか想像すらしなかった、滑稽さ。


 そんな多くの罪を背負った自分が、今度は世界の大敵として、世の生命線を破壊して回ったのだから、憎まれ、恨まれるのも当然というものだろう。

 彼女の目の前で嘗ての旅仲間……いや、彼女の最も大切な存在を傷付けたのだから、必然だ。


 故にユディトは、向けられる全ての悪意を受け容れることにした。

 自身が進むことで閉ざすことになった他者の路を、踏み躙ってきた願いや想いを無にしない為にも。

 あのままの形で世界が続くことで、気付いた時には既に不可避となるであろう滅びを、回避する為にも。


 だが目の前で瓜二つの少女の姿を見ていると、整理を付けた筈の気持ちが揺さぶられて仕方がない。

 嘗て自分の中に築いた意志の屋台骨が崩れることはないと断言できるものの、かといって看過していいものではなかった。


 懐郷にどよめくユディトの胸裏とは裏腹に、傍から聞けば気の抜けるようなやり取りが響く中。

 イヴリーンは忙しなく水晶塊の周囲を旋回し、時に降り立っては、その深々と透き通った断面を黄金の双眸で覗き込み、小さく唸っている。


 その姿から、水晶塊を検分していることに疑いはないのだが、如何せん容姿が猛禽そのものであることに、その場にいるユディト以外の者達は違和感を拭えない。


 ユディトの動きを見張りつつ、ちらちらと視界に入るイヴリーンの姿を意識して、不安や猜疑など様々な感情が混濁したエルファーランは微妙な表情を浮かべていた。


「そういえばエルファーランさま。いきなり倒れたって聞きましたけど、お身体は大丈夫ですか?」


 その彼女の顔色が若干悪いことに気付いたユディトは、首を傾げた。


「う、うむ。大事ない」

「それは良かった。耀力を使ったのだから、心身に相当な負荷を掛けてしまったのではと思って心配してたんですよ」


 いきなり身を案じられたことに面食らってか、小さく肩を揺らすエルファーランだったが、向けられた安堵の微笑の中に、妙に確信めいた胡散臭さを感じて、怪訝から眉を顰めた。


「……断言しおったな。まさか、妾が倒れるのを予想していたのか?」

「正直に言いますと……はい。可能性の一つとして考慮はしていました」

「なぬ!?」

「現時点で耀力と星灼の正確な組成の違いを断定できていませんが、直接攻撃を受けた感じからすると両者は似ていると思うんですよね。ただ耀力の方が潜在するエネルギーが大きいように感じたので、エルファーランさまが耀力を用いて耀術エヴォカーレ……じゃなくて、ええと魔印術グリモアとやらを行使したのなら、何かしらの反作用が生じるのは充分に予想できることでした」


 エルファーランが『耀力』を用いて行ったのは『天色託宣』であるが、突き詰めれば『魔印術』である。

 その術式構成は一子相伝の秘中の秘であり、術式発動の為に必要不可欠な要素も幾つか存在していて、『魔王』以外には決して起動できるものではなかった。


『耀力』による『天色託宣』の行使は、本来ならば一の力で必要充分を満たせるところに、百以上の力を込めたことと同義であり、術の構成そのものを破綻させかねない危険な行為であったことに違いはない。


 ただそれでも、しっかりと望んだ結果を引き寄せることができたのだから、エルファーランの術者としての素養が非凡極まりないか、使用した『天色託宣』という術式がとてつもない高度な代物だったか、ということだ。


 少しの逡巡もなく素直に頷いたユディトに、エルファーランは逆に眼を剥き、掌を小さく握っては開くのを繰り返す。


「……ならば、この全身の倦怠感はそれが原因なのか?」

「倦怠感、ですか? うーん……そういうことも、あり得るかもしれませんね。僕達の世界での話になりますが、過度に耀術を酷使した人が、後日精神的な疲労から体調を崩す人も多かったですから」

「そ、そうなのか?」

「あ、そう言えば過去に身の丈に合わない耀力を外部から無理矢理体内に取り込んで、御しきれず身体が爆散したという事例もありましたねえ」

「ば、爆散じゃとっ!?」


 呑気に両腕を組んで思い出しながら綴るユディト。

 暢達な仕草でありながら、そのあまりにも物騒すぎる顛末に、エルファーランは全身から血の気が引いていくのを感じた。


 正体不明の力に縋ったのは、状況が極めて切迫していて、それ以外に選択肢がなかったからだが、そんな裏話を聞かされてはエルファーランも気が気でなくなる。

 無意識で自分の腕を抱きしめてしまうのも仕方のないことだ。


 そして、顔を青くして戦慄するエルファーランの背後に控えるシエルは、主君をそんな危険に曝したユディトを親の仇でも見るように凄絶に睨んでいた。

 だが言葉や行動に出さないのは、その想いがあまりにも一方的であり、エルファーランは結果的に無事で、目的を達せられたという事実を理解しているが故でもある。


 ただ内心の葛藤が相俟ってか、シエルからの視線の強さが尋常ではない。思わずユディトが視線を合せるのを躊躇うどころか、全力で逃げ出したくなる程だ。


 しかし本当に逃げ出してしまえば、今度はイヴリーンに酷い目に遭わされるのが目に見えているので、ユディトは敢えて視界に入れず、苦笑してやり過ごすしかなかった。


「そのヨウリョクというのは、そんなにも星灼と違うのか?」


 絶句しているエルファーランに憐憫を向けながら、今まで沈黙を守っていたカリオンが話の輪に入ってくる。


「ん? 少なくとも性質自体は似ていると思うよ。実際、エルファーランさまも使えた訳だし」

「心許ない返答だな」

「もう少し時間があれば、解析も進むんだけどね。でも見る限りこの世界も耀力でできているから、使えることに不思議はないかな。……ただ、あまり印象が良くないと思うけれど」

「何故急に印象の話になるんだ?」

「いやあ、あの蜘蛛を構成していたのも純然な耀力だからね。この世界の人の感情的には、受け容れられないんじゃないのかい?」


 言われたパチリと目を瞬かせたカリオンは、数拍おいて言の葉の意味を察し、声を荒げる。


「凶獣と!? そのヨウリョクとは、凶獣の力なのかッ!?」

「凶獣とやらの力、ではなく凶獣そのものが耀力の塊、とでも言うのかな。でも、純粋な耀力の集合体が生命活動を行っている事例なんて僕も初めて見たから、上手く表現できない」


 特に隠し立てする気のないユディトはハッキリとそう告げる。

 確かに『耀力』は世界を構成するが、それはあくまでも極論であり、現実的には耀力から分岐した元素や霊素によってあまねく物質や非物質が形成され、生命が構築されるとされていた。……少なくとも、現代の〈アンテ=クトゥン〉において学術的にはそう規定されている。


 だが、その観点からすると、凶獣の生態は本当に良くわからない。

 たった今言葉にしたとおり、純粋な耀力のまま生命体を構成したという事例など、古今東西存在していないのだから。


 勿論、そこにはユディトの知識不足もあるが、神器『神璽アポロイア』を介した走査でも未だに構成以外の何もかもが不明で、不可解な点が多すぎるのだ。


 思考が行き詰まり、無言になってしまうユディト。

 エルファーランは未だ言葉を紡げず、シエルはそんな主君を慮ってそれどころではない。

 自然と重苦しい沈黙が場に広がることになるのだが、そんな空気に耐えかねたカリオンが口を開く。


「……ところで、彼女に任せきりで本当に大丈夫なのか?」


 その真剣な視線は遠くで水晶塊の周囲を旋回しているイヴリーンに向けられていて、双眸には困惑の光が若干載っていた。


「大丈夫だよ。イヴって色んなことを知っているからね。頭脳労働とかは基本的に任せておいた方が良いよ」

「……それは暗に、己が難しいことはさっぱりわからぬ阿呆じゃと宣言しているようなものじゃが」

「ち、違いますよ! 僕は感覚派なんですっ!」


 ボソリと呟かれたエルファーランの言葉に、笑顔を引き攣らせて反論するユディト。

 普通に泰然としていれば、その姿からは全幅の信頼を向けている、と感じられたのだが、こうもわかりやすく狼狽しているようでは、それさえも疑わしくなってしまう。


(……こやつ、ひょっとして使えぬ奴か?)

(確かに、威張るようなことではありません)

(まあ、自信を持って言うことではないが……)


 最早傍から見れば責任の放棄や丸投げとしか受け取れない微妙な反応に、カリオン達はひそひそと囁き合いながら怪訝を深める始末だ。


 基本的に空気を読めないユディトであるが、こうもあからさまな視線を真正面から向けられれば流石に気付く。


「そ、そろそろ終わったかい? イぶへあっ!?」


 なんとなくいたたまれなくなって、ユディトは今も観察を続けているであろうイヴリーンを仰ぎ見ようと踵を返し――その瞬間に視界が暗転した。


 真っ暗で窮屈で、息苦しい。だが妙に柔らかく心地よい温かさを頬に感じる。

 生き物の体温さながらの感触と鼓動が頬の伝わってきて、まるで羽毛の布団に包まれたかのような安心感さえ覚えてしまう程だ。


唐突な異変に慌てたユディトは、顔を覆ってきた何かをすぐさま手で掴む。手を這わせて探ってみると、どうにも人の頭程度の大きさをした、柔らかな何かだ。

 特にべったり張り付いた様子もなく、ユディトが腕を放すとその何かも一緒に離れ、対面することになる。


 そうして目の前にいたのは、不機嫌そうに剣呑な眼差しを向けているイヴリーンであった。


「……いきなり人の身体をまさぐるんじゃない、変態」

「ぶへっ、イヴ!?」

「急に振り向くから着地に失敗しただろうが」

「いやいや、それは僕の所為じゃないだろっ!」


 掌の中でイヴリーンが身を捩ったのでユディトが力を緩めると、彼女は器用にそこから抜け出しては羽ばたき、フワリと空気を動かしては再び頭部に着地する。

 最早そこが定住の場所になるのか、イヴリーンがふぅ、と溜息を吐いていた。


「走査は終わった。これからアポロイアにあの水晶の構造解析をさせるぞ」

「これから? まだ掛かりそうなの?」


 てっきりもう終わったのかと思っていたユディトは、パチリと目を瞬かせるも、イヴリーンはそんなユディトの様子を見て深々と嘆息した。


「当たり前だ。いくらアポロイアでも一瞬で森羅万象の全てを看破することなどできん。ましてやあの水晶塊はデリケートな代物だ。アポロイアから直接放つ走査光を受けて変質しては元も子もなくなるし、そもそも我々は、この世界のことについてはあまりにも無知だ。結果をあいつ等に的確に伝えられるか、微妙だな」

「そりゃあまあ、そうだね」


『神璽』による万象の組成解析は、アポロイア自身から放たれた耀力波が対象にどう干渉するのかを観察することで測定される。昨日の、凶獣を解析しようとした際は、あの蜘蛛の状態がどうなろうが構わないという意気で行った、所謂全力の走査だ。


 だが今回のはイヴリーンの言葉通りに、走査光にかなりの制限を課していた。

 全力でそれを行使すれば一瞬で解明することであっても、それで水晶塊の性質が変化してしまえば意味がなくなる。

 エルファーランと交わした契約は、あくまでも現状の水晶塊の修繕を行うことなのだから。


 拘束力のない口約束とは言え、双方の立ち位置の間に要らぬ皹を生じさせても何の利益にもならない。

 ちなみに、全てを投げ出して逃げるという選択肢は、この世界で生きていく上で後々大きな禍根を残すことになりかねないので、最初から除外している。


 所持している力を鑑みれば外敵など無く、全てを物理的なゴリ押しで突破することも可能と言えば可能であるが、力を前面に、あるいは背景にした生き方など無駄に敵ばかり作り、常に要らぬ諍いに巻き込まれてしまうものだ。


〈アンテ=クトゥン〉で実際にそれを敢行したからこそ、イヴリーンは二度とユディトをそんな矢面に立たせるつもりはなかった。


「故に、もう少し時間を貰えると助かるが」


 そんな内心などおくびも出さず、イヴリーンの黄金の眼差しは厳然とエルファーランに向けられていた。


 ユディトならばあっさり気圧されそうなそれを、エルファーランは正面から受け止める。

『魔王』としての自覚が、無知なる者達への慈悲を生じさせたのではなく、イヴリーンの姿勢に、なんとなく真摯さを感じたからであった。


「……良かろう。その代わり、解析が完了したら正確な情報をこちらにも渡して欲しい。正直に言って天極粋星の些細な情報はこちらでも所持していないのじゃ」

「構わないが……それをこの場で口にするとは剛毅だな」

「どうとでも言うがいい。見栄を張っても仕方のないことじゃからな」


 天極粋星の組成はエルファーラン達にとって、いや正確には〈レヴァ=クレスタ〉全土にとっても未知の領域である。


 だからこそ、物理的干渉ができずとも性質を把握しておくことは、管理する面としても重要で、守護者としての自覚に大きく影響をもたらすに違いない。

 エルファーランはそう考えていた。


「よし。では魔王。早速だが場所を変えようか」

「……何故じゃ?」

「これ以上この部屋にユディトを置いておくのはよろしくない」

「イ、イヴっ!」


 いきなり話を蒸し返されて、慌ててイヴリーンの口を塞ごうとユディトが手を動かすも、無慈悲に羽先で叩き落とされてしまう。


「……先程も言っておったが、どういう意味じゃ?」

「こいつがこの部屋にいると、あの水晶塊に悪影響を及ぼしかねない。詳しい原理の説明は省くが、最悪、破損する可能性も」

「皆の者! 今すぐこやつを抓み出すぞ!!」

「やっぱりこうなるのかよ!!」


 反応する前に、間近にいたカリオンとシエルにがっちりと両腕を掴まれ、あっという間に拘束されてしまうユディト。


 振りほどくことは勿論できたが、ここで下手に暴れてしまえば、自分達の立場が更に危ういものになる。


 そう大人しくしようと自分に言い聞かせるユディトに、イヴリーンは囁いた。


「人間、諦めが肝心だぞ」

「誰の所為だよ!」

「自覚がないのは、哀しいことだな」

「うるさいよ!!」


 カリオンとシエルに両腕を拘束され、ずるずると強制連行されていくユディトの悲鳴は、誰の胸に響くこともなく、〈星詠の間〉に漂う闇に虚しく呑まれては消えた。

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